出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
スイス北東部、コンスタンス(ボーデン)湖に近い都市ザンクト・ガレンSankt Gallenにあったベネディクト会の修道院。612年アイルランドの隠修士ガルスGallus(550ころ―627)によって開かれたのでこの名がある。8世紀前半、ドイツのオトマールがベネディクトの会則を採用して以来隆盛をみ、多くの文人、学者を輩出して、8~11世紀にかけて中世ヨーロッパの文化の中心的存在であった。とくに8~9世紀ごろの写本の蒐集(しゅうしゅう)および制作は名高く、修道院の付属図書館(現存)にはニーベルンゲン写本などがある。なかでも9世紀に大修道院長ゴツベルトのもとで制作された羊皮紙の修道院平面図は、各種工房、製粉所、学堂、病舎などを含み、中世修道院建築の典型を示すと同時に、他の古記録とともに、中世修道院の経営実態を物語る重要な資料となっている。また当時、これに基づいて壮大なカロリング風バシリカが建設されている。のち聖職叙任権闘争で衰え、16世紀にはプロテスタントの勢力下に入って、1806年修道院は閉鎖された。現在の建築は一部を除き、18世紀に改築されたものである。1983年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[鶴岡賀雄]
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…アイルランドの修道院は東方から伝えられた文化遺産をたいせつに保存し,〈学者の島〉と賞賛されるとともに,その修道士たちは6世紀末からガリアにリュクスイーユを初めとする多数の修道院を建設した。スイスの有名なザンクト・ガレン修道院もその一つであるが,アルプス以北では一時このケルト系修道院が一世を風靡(ふうび)した。しかし学問を愛した修道士は彼らだけではない。…
…
[中世]
他の西欧諸国と同様に,今日につながるドイツ演劇の起源は中世の宗教劇までさかのぼることができる。宗教劇は教会の典礼から発したといわれているが,教会音楽の発祥地とされるザンクト・ガレン修道院は宗教劇の発展にも大きな役割を演じた。10世紀の中ごろにすでに行われていた交誦歌,続唱は,劇的な対話に発展する基礎となり,復活祭の祭儀から,キリストの受難と復活前後の事件を扱う復活祭劇が,また降誕祭の儀式から降誕祭劇が発達した。…
※「ザンクトガレン修道院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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