デジタル大辞泉
「シェークスピア」の意味・読み・例文・類語
シェークスピア(William Shakespeare)
出典 小学館 デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
シェークスピア
(一) ( W i l l i a m S h a k e s p e a r e ウ ィ リ ア ム ━ ) イ ギ リ ス の 劇 作 家 、 詩 人 。 人 間 世 界 の さ ま ざ ま な 悲 劇 ・ 喜 劇 を 描 き 、 幾 多 の 名 作 を 後 世 に 残 し た 。 作 品 と し て は 、 ﹁ 真 夏 の 夜 の 夢 ﹂ ﹁ ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト ﹂ な ど 抒 情 的 な も の 、 ﹁ ヘ ン リ ー 四 世 ﹂ ﹁ ベ ニ ス の 商 人 ﹂ ﹁ 十 二 夜 ﹂ な ど の 喜 劇 、 ﹁ ハ ム レ ッ ト ﹂ ﹁ マ ク ベ ス ﹂ ﹁ オ セ ロ ﹂ ﹁ リ ア 王 ﹂ の 四 大 悲 劇 、 ﹁ 冬 の 夜 ば な し ﹂ ﹁ テ ン ペ ス ト ﹂ な ど 清 澄 さ を た た え た も の が あ る 。 こ の ほ か 、 詩 集 、 ソ ネ ッ ト 集 な ど も 多 数 あ り 、 そ の 作 品 は 古 典 と し て 広 く 読 ま れ 、 劇 は 今 な お 世 界 各 地 で 上 演 さ れ て い る 。 沙 翁 。 ︵ 一 五 六 四 ‐ 一 六 一 六 ︶
出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
シェークスピア しぇーくすぴあ William Shakespeare (1564―1616)
イ ギ リ ス の 詩 人 、 劇 作 家 。 世 界 演 劇 史 を 通 じ て 最 大 の 劇 作 家 、 イ ギ リ ス 文 学 史 を 飾 る 大 詩 人 と い わ れ て お り 、 18 世 紀 以 来 シ ェ ー ク ス ピ ア 学 と い う 独 立 し た 学 問 が 発 展 し 、 イ ギ リ ス に お い て は 、 あ ら ゆ る 批 評 原 理 の テ ス ト ・ ケ ー ス と し て 用 い ら れ て お り 、 イ ギ リ ス 劇 壇 に あ っ て は シ ェ ー ク ス ピ ア 劇 は 俳 優 の 登 竜 門 と な っ て い る 。 ま た 、 全 世 界 を 通 じ て 、 つ ね に 観 客 か ら 歓 迎 を 受 け て い る 事 実 も 驚 異 の 的 と な っ て い る 。
﹇ 小 津 次 郎 ﹈
イ ギ リ ス ・ ル ネ サ ン ス の 頂 点 を な す エ リ ザ ベ ス 1 世 治 下 の イ ン グ ラ ン ド の 中 部 地 方 、 ウ ォ ー リ ッ ク シ ャ ー の ス ト ラ ト フ ォ ー ド ・ ア ポ ン ・ エ イ ボ ン で 、 シ ェ ー ク ス ピ ア は 生 ま れ た 。 父 は 皮 革 加 工 業 を 主 と し て 、 農 作 物 や 毛 織 物 の 仲 買 業 を 営 ん で い た 。 母 は 近 在 の 豪 農 の 出 身 で あ っ た 。 父 は 1 5 6 8 年 に は 町 長 に 選 出 さ れ 、 シ ェ ー ク ス ピ ア は 裕 福 な 市 民 の 長 男 と し て 幸 福 な 幼 年 時 代 を 送 り 、 町 の グ ラ マ ー ・ ス ク ー ル ︵ 文 法 学 校 ︶ に 学 ん だ が 、 彼 が 13 歳 の と き に 父 の 没 落 が 始 ま り 、 大 学 へ 進 む こ と は 許 さ れ な か っ た と 思 わ れ る 。 18 歳 に し て 8 歳 年 長 の ア ン ・ ハ サ ウ ェ ー A n n e H a t h a w a y ︵ 1 5 5 6 ― 1 6 2 3 ︶ と 結 婚 し 、 6 か 月 後 の 1 5 8 3 年 5 月 に 長 女 ス ザ ン ナ S u s a n n a ︵ 1 5 8 3 ― 1 6 4 9 ︶ が 誕 生 、 さ ら に 1 5 8 5 年 2 月 に は ハ ム ネ ッ ト H a m n e t ︵ 1 5 8 5 ― 1 5 9 6 ︶ と ジ ュ ー デ ィ ス J u d i t h ︵ 1 5 8 5 ― 1 6 6 2 ︶ と い う 男 女 の 双 生 児 が 生 ま れ た 。 シ ェ ー ク ス ピ ア の 少 年 時 代 に つ い て は ま っ た く 記 録 を 欠 い て お り 、 演 劇 と の 結 び 付 き も 不 明 で あ る が 、 町 の 有 力 者 の 子 弟 と し て 観 劇 の 機 会 に は 恵 ま れ て い た と 思 わ れ る 。 ロ ン ド ン に 出 た 事 情 や 年 代 に つ い て も 不 詳 で あ り 、 近 郊 の 豪 族 ル ー シ ー 家 の 鹿 ( し か ) を い た ず ら 半 分 に 盗 ん だ の が 思 い が け な い 醜 聞 と な っ た の で 郷 里 を 去 っ た と い う 伝 説 も あ る が 、 も と よ り 確 実 な 証 拠 は な い 。 な ん ら か の 理 由 で ロ ン ド ン に 出 た の ち 劇 団 に 加 入 し た の か 、 す で に 俳 優 と し て 多 少 の 経 歴 を も っ て か ら 劇 団 と と も に 上 京 し た の か は わ か ら な い が 、 ロ ン ド ン に お け る 俳 優 と し て の 生 活 は 1 5 8 0 年 代 の 末 ご ろ に 始 ま っ て い た ら し く 、 1 5 9 2 年 に は 新 進 の 演 劇 人 と し て 評 判 が 高 か っ た こ と を 示 す 資 料 が 残 っ て い る 。
﹇ 小 津 次 郎 ﹈
シ ェ ー ク ス ピ ア の 劇 作 活 動 が い つ か ら 始 ま っ た の か は 不 明 確 で あ る が 、 多 く の 学 者 は 1 5 9 0 年 ご ろ と 推 定 し て い る 。 お そ ら く 最 初 は 先 輩 作 家 の 戯 曲 に 部 分 的 改 修 を 加 え る 助 手 的 作 業 で あ っ た と 思 わ れ る が 、 や が て 彼 自 身 の 作 品 と よ び う る 戯 曲 を 発 表 す る よ う に な っ た 。 そ の 意 味 で 歴 史 劇 ﹃ ヘ ン リ ー 6 世 ﹄ 三 部 作 ︵ 1 5 9 0 ~ 1 5 9 2 ︶ を 彼 の 処 女 作 と 考 え る こ と が で き よ う 。 そ の 続 編 と も い う べ き 同 じ く 歴 史 劇 ﹃ リ チ ャ ー ド 3 世 ﹄ ︵ 1 5 9 3 ︶ は 、 彼 の 生 き て い た エ リ ザ ベ ス 朝 イ ギ リ ス に 至 大 の 影 響 を 与 え た ヨ ー ク 、 ラ ン カ ス タ ー 両 家 の ば ら 戦 争 ︵ 1 4 5 5 ~ 1 5 8 5 年 の イ ギ リ ス の 内 乱 ︶ の 最 終 段 階 を 描 い た も の で あ る が 、 主 人 公 リ チ ャ ー ド 3 世 の 創 造 は 注 目 に 値 す る 。 ま た 、 ロ ー マ の 喜 劇 作 家 プ ラ ウ ト ゥ ス か ら の 翻 案 と も い う べ き ﹃ ま ち が い の 喜 劇 ﹄ ︵ 1 5 9 3 ︶ や 笑 劇 ︵ フ ァ ル ス ︶ ﹃ じ ゃ じ ゃ 馬 馴 ( な ) ら し ﹄ ︵ 1 5 9 4 ︶ 、 当 時 人 気 の 絶 頂 に あ っ た 流 血 悲 劇 の 線 に 沿 っ た ロ ー マ 史 劇 ﹃ タ イ タ ス ・ ア ン ド ロ ニ カ ス ﹄ ︵ 1 5 9 3 ︶ な ど が 初 期 の 作 品 群 を 形 成 し て い る 。 い ず れ も 習 作 で あ り 、 先 輩 の 模 倣 や 稚 拙 な 部 分 が 残 っ て は い る が 、 大 作 家 の 萌 芽 ( ほ う が ) は す で に こ の こ ろ 現 れ て い る 。
﹇ 小 津 次 郎 ﹈
1592年から足掛け3年にわたって、ロンドンに流行したペストのため劇場は閉鎖された。シェークスピアはその間に2編の叙事詩『ビーナスとアドニス』(1593)、『ルークリース凌辱(りょうじょく)』(1594)をサウサンプトン伯Henry Wriothesley, 3rd Earl of Southampton(1573―1624)に献呈してその知遇を得た。1594年に内大臣の庇護(ひご)を受けた劇団(ロード・チェンバレンズ・メンthe Lord Chamberlain's Men)が誕生し、彼は幹部座員として参加することとなった。劇場閉鎖の結果ともいうべきロンドン劇壇の大規模な再編成は、シェークスピアのような新進劇作家にとって有利な情勢をつくりだしていた。彼は終生この劇団のために戯曲を書くことになるが、最初の作品群は悲恋の運命悲劇『ロメオとジュリエット』、詩人肌で自己陶酔的な国王が数々の受難を経て悲劇の主人公に成長してゆく過程を描いた歴史劇『リチャード2世』、アテネ郊外の夜の森を舞台に幻想的な世界をつくりだしたロマンチックな喜劇『真夏の夜の夢』である。いずれも1595年ごろの作品で、叙情性が共通した特色となっているが、単に情緒的な作品ではなく、シェークスピア劇の大きな特色である人間観察の鋭さはすでに現れている。
[小津次郎]
し か し 人 間 へ の 洞 察 が 行 き 届 い て く る の は 次 期 の 作 品 群 で あ る 。 1 5 9 0 年 代 の 後 半 は 主 と し て 歴 史 劇 と 喜 劇 を 書 い て い る が 、 前 者 の 代 表 作 は ﹃ ヘ ン リ ー 4 世 ﹄ 二 部 作 ︵ 1 5 9 8 ︶ で あ ろ う 。 リ チ ャ ー ド 2 世 か ら 王 位 を 奪 う こ と に よ っ て 成 立 し た ヘ ン リ ー 4 世 治 下 の イ ギ リ ス と い う 陰 謀 と 混 乱 の 暗 い 時 代 を 背 景 に 、 放 蕩 無 頼 ( ほ う と う ぶ ら い ) の 生 活 を 送 る 老 騎 士 フ ォ ル ス タ ッ フ は 、 ハ ム レ ッ ト と と も に シ ェ ー ク ス ピ ア の 創 造 し た 性 格 の な か で も っ と も 興 味 あ る も の と さ れ て い る が 、 ハ ル 王 子 と 手 を 組 ん で の 乱 行 ぶ り は 、 道 徳 的 に は 非 難 に 値 す る が 、 そ の 絶 大 な る 人 間 的 魅 力 に よ っ て 、 18 世 紀 以 来 ハ ム レ ッ ト と と も に シ ェ ー ク ス ピ ア 性 格 論 の 中 心 と な っ て き た 。 ま た こ の 時 期 の 代 表 的 喜 劇 の 一 つ で あ る ﹃ ベ ニ ス の 商 人 ﹄ ︵ 1 5 9 7 ︶ は 、 甘 美 な 恋 愛 喜 劇 の な か に 強 欲 な ユ ダ ヤ 人 の 金 貸 し 業 者 シ ャ イ ロ ッ ク を 登 場 さ せ て い る が 、 作 者 は 社 会 通 念 に 従 っ て 彼 に 悪 人 と し て の 運 命 を た ど ら せ な が ら 、 し か も 少 数 被 圧 迫 民 族 の 悲 し み と 憤 り を 強 く 訴 え さ せ て 、 人 間 へ の 温 い 目 と 公 正 な 社 会 観 察 眼 を 感 じ さ せ る 。
﹇ 小 津 次 郎 ﹈
内 大 臣 一 座 は 順 調 な 発 展 の 道 を た ど っ て イ ギ リ ス 第 一 の 劇 団 と な り 、 シ ェ ー ク ス ピ ア の 名 声 も 確 立 し た 。 1 5 9 6 年 に は 長 男 を 失 う と い う 不 幸 が あ っ た が 、 同 年 秋 に は 父 親 の た め に 紋 章 着 用 権 を 取 得 し 、 1 5 9 7 年 に は ス ト ラ ト フ ォ ー ド の 大 邸 宅 ニ ュ ー ・ プ レ イ ス を 購 入 す る な ど 、 経 済 的 に も 成 功 者 で あ っ た こ と を 示 し て い る 。 ま た 内 大 臣 一 座 の 最 大 の 弱 み で あ っ た 劇 場 問 題 も 、 多 少 の 紆 余 曲 折 ( う よ き ょ く せ つ ) が あ っ た と は い え 、 1 5 9 9 年 に テ ム ズ 川 南 岸 に グ ロ ー ブ 劇 場 ︵ グ ロ ー ブ 座 ︶ を 建 設 し て 、 同 劇 団 の 常 打 ち 劇 場 と す る こ と が で き た 。 こ の こ ろ に シ ェ ー ク ス ピ ア の 創 作 力 も ほ と ん ど 頂 点 に 達 し た か の 感 が あ る 。 ﹃ お 気 に 召 す ま ま ﹄ ︵ 1 5 9 9 ︶ は 、 ア ー デ ン の 森 を 舞 台 に 、 宮 廷 を 追 わ れ た 公 爵 と 家 臣 の 田 園 牧 歌 的 な 生 活 を 背 景 に 、 若 い 男 女 の 恋 愛 を ロ マ ン チ ッ ク に 描 い た 喜 劇 で 傑 作 の 名 に 恥 じ な い が 、 憂 鬱 ( ゆ う う つ ) 屋 の ジ ェ イ ク イ ー ズ を 登 場 さ せ て 、 こ の 世 界 に も 陰 が あ る こ と に 言 及 さ せ る こ と を 忘 れ て は い な い 。 次 の 喜 劇 ﹃ 十 二 夜 ﹄ は 1 6 0 0 年 ご ろ の 作 品 で 、 お そ ら く は 宮 廷 で の 上 演 を 目 的 と し て 書 か れ た も の で あ ろ う 。 シ ェ ー ク ス ピ ア 最 高 の 喜 劇 と し て 評 判 が 高 い 。 全 体 と し て ロ マ ン チ ッ ク な 香 気 に 満 ち て い る が 、 優 雅 な 主 筋 と 活 気 に 富 ん だ 脇 筋 ( わ き す じ ) の み ご と な 調 和 が 成 功 の 一 因 を な し て い る 。
﹇ 小 津 次 郎 ﹈
これと前後してシェークスピアはローマ史から取材した悲劇『ジュリアス・シーザー 』(1599)を書いているが、これから数年を彼の「悲劇時代」とよぶ批評家もいる。『ハムレット』(1601)、『オセロ』(1604)、『リア王』(1605)、『マクベス』(1606)と並ぶいわゆる四大悲劇はこの時期に集中している。それぞれに素材も異なり、扱い方も一様ではないから、四大悲劇について総括的に語ることは不可能であるが、いずれも外見と内容、仮象と真実の食い違いに悲劇の楔(くさび)を打ち込み、真実を獲得するためには最大の代償を支払わねばならぬかにみえる人間の壮大な悲劇的世界を提出し、死との関連において人間的価値の探究を試み、世界演劇史上最高の悲劇をつくりだしている。しかしこの時期にシェークスピアが創作したのは悲劇のみではなく、『終りよければすべてよし』(1602)や『尺(しゃく)には尺を』(1604)などの喜劇もある。いずれも結末は喜劇的ではあるが、筋書きの強行による不自然な結果であり、全体として作品に暗い影がさしており、モラルについても混迷がみられるところから、「問題喜劇」という名称を与える批評家もいる。この時期の最後を飾る悲劇は『アントニー とクレオパトラ 』(1607)であるが、ほぼ同じころに執筆された忘恩をテーマとした『アセンズ(アテネ)のタイモン』(1607)は、未完成ではないかと疑わせるほどに悲劇形式に対する困惑が認められる。
[小津次郎]
1 6 0 3 年 に エ リ ザ ベ ス 1 世 が 死 去 し 、 ス コ ッ ト ラ ン ド か ら ジ ェ ー ム ズ 1 世 が 迎 え ら れ る と 、 内 大 臣 一 座 は 国 王 の 庇 護 ( ひ ご ) を 受 け る こ と と な り 、 国 王 一 座 ︵ t h e K i n g ' s M e n ︶ と 改 称 し た が 、 こ の こ ろ か ら イ ギ リ ス 演 劇 に も 変 化 が 生 じ 、 観 客 の 嗜 好 ( し こ う ) も 移 っ て き た 。 巨 大 な 主 人 公 を 中 心 と す る 激 し い 感 情 の 劇 か ら 、 家 庭 悲 劇 、 風 刺 喜 劇 、 感 傷 的 な 悲 喜 劇 、 あ る い は デ カ ダ ン ス の 悲 劇 へ と 様 相 を 転 じ て き た 。 こ の 傾 向 に 応 ず る た め 国 王 一 座 は 1 6 0 8 年 、 従 来 の グ ロ ー ブ 座 と 建 築 様 式 を 異 に し 、 入 場 料 も 高 く 、 比 較 的 裕 福 な 観 客 層 を 対 象 と し た ブ ラ ッ ク フ ラ イ ヤ ー ズ 座 を 傘 下 に 置 い た 。 劇 団 の そ う し た 経 営 方 針 と お そ ら く 無 関 係 で は な か っ た と 思 わ れ る が 、 シ ェ ー ク ス ピ ア の 作 品 も 1 6 0 8 年 こ ろ か ら 新 し い 傾 向 を 帯 び る よ う に な る 。 そ れ は ロ マ ン ス 劇 と よ ば れ る 悲 喜 劇 で 、 ﹃ 冬 の 夜 話 ﹄ ︵ 1 6 1 0 ︶ や 、 シ ェ ー ク ス ピ ア 最 後 の 単 独 作 で あ る ﹃ テ ン ペ ス ト ︵ あ ら し ︶ ﹄ ︵ 1 6 1 1 ︶ は そ の 代 表 作 で あ る が 、 一 家 の 離 散 に 始 ま り 再 会 と 和 解 に 終 わ る 主 題 は 、 シ ェ ー ク ス ピ ア が か な ら ず し も 時 流 に 従 わ ず 、 彼 独 自 の 世 界 を 展 開 し て い る こ と を 示 し て い る 。
﹇ 小 津 次 郎 ﹈
シェークスピアの全戯曲37編のほぼ半分は彼の生前に出版された。また、創作年代不明の『ソネット集』も1609年に刊行され、イギリス・ソネットの精華として高く評価されているが、自伝的要素を含む可能性もあり、興味の尽きない作品である。戯曲全集は彼の死後1623年に、かつての俳優仲間ジョン・ヘミングJohn Heminge(1556―1630)とヘンリー・コンデルHenry Condell(?―1627)の編集によって刊行されたが、一般に「ファースト・フォリオFirst Folio」と呼び習わされている。シェークスピアは晩年の数年間は郷里で家族とともに過ごしたと思われるが、満52歳をもって死去した。死没の日は4月23日であるが、誕生日も4月23日前後と推定されるので、この日がシェークスピアの記念日とされている。彼の芸術は演劇という媒体を通じて人間内面の世界をほとんど極限まで追求したものであるが、最高の詩的表現に満ちた韻文が主体であることも大きな特色となっている。
[小津次郎]
日 本 へ は 明 治 初 期 に 紹 介 さ れ 、 い く つ か の 翻 案 が 行 わ れ た が 、 翻 訳 と し て は 坪 内 逍 遙 ( つ ぼ う ち し ょ う よ う ) に よ る ﹃ ジ ュ リ ア ス ・ シ ー ザ ー ﹄ の 訳 ﹃ 自 由 太 刀 余 波 鋭 鋒 ( じ ゆ う の た ち な ご り の き れ あ じ ) ﹄ ︵ 1 8 8 4 ・ 明 治 17 ︶ が 刊 行 さ れ た の が 最 初 で あ る 。 逍 遙 は 1 9 0 6 年 ︵ 明 治 39 ︶ に 文 芸 協 会 を 設 立 し 、 シ ェ ー ク ス ピ ア 上 演 に 意 欲 を 燃 や し た が 、 協 会 の 解 散 に よ っ て こ の 機 運 も 消 え 、 そ の 後 は と き に 好 演 も あ っ た が 、 シ ェ ー ク ス ピ ア 上 演 は 概 し て 低 調 で あ っ た 。 し か し 第 二 次 世 界 大 戦 後 は 福 田 恆 存 ( ふ く だ つ ね あ り ) の 訳 な ら び に 演 出 に よ る 劇 団 ﹁ 雲 ﹂ の 公 演 活 動 に よ っ て ふ た た び 活 発 化 し 、 小 田 島 雄 志 ( お だ し ま ゆ う し ) ︵ 1 9 3 0 ― ︶ の 新 し い 現 代 語 訳 が 刊 行 さ れ 、 出 口 典 雄 ( で ぐ ち の り お ) ︵ 1 9 4 0 ― 2 0 2 0 ︶ の 主 宰 す る 劇 団 ﹁ シ ェ イ ク ス ピ ア シ ア タ ー ﹂ は 全 作 品 を 上 演 す る な ど 、 い ま や シ ェ ー ク ス ピ ア は 日 本 の 読 者 、 観 客 に と っ て 身 近 な 存 在 と な っ た 。 ま た 学 者 や 愛 好 家 を 中 心 と し て 1 9 2 9 年 ︵ 昭 和 4 ︶ に 設 立 さ れ た ﹁ 日 本 シ ェ イ ク ス ピ ア 協 会 ﹂ は 、 純 然 た る 学 術 団 体 と し て 1 9 6 1 年 ︵ 昭 和 36 ︶ に 再 組 織 さ れ 、 英 文 に よ る 研 究 論 文 年 刊 誌 ﹃ シ ェ ー ク ス ピ ア ・ ス タ デ ィ ー ズ ﹄ 刊 行 な ど の 研 究 活 動 を 行 っ て い る 。
﹇ 小 津 次 郎 ﹈
﹃ 坪 内 逍 遙 訳 ﹃ 新 修 シ ェ イ ク ス ピ ア 全 集 ﹄ 全 40 巻 ︵ 1 9 3 3 ~ 1 9 3 5 ・ 中 央 公 論 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 福 田 恆 存 訳 ﹃ シ ェ イ ク ス ピ ア 全 集 ﹄ 全 15 巻 ︵ 1 9 5 9 ~ 1 9 6 7 ・ 新 潮 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 福 原 麟 太 郎 ・ 中 野 好 夫 監 修 ﹃ シ ェ イ ク ス ピ ア 全 集 ﹄ 全 8 巻 ︵ 1 9 6 7 ~ 1 9 7 4 ・ 筑 摩 書 房 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 小 田 島 雄 志 訳 ﹃ シ ェ イ ク ス ピ ア 全 集 ﹄ 全 7 巻 ︵ 1 9 7 3 ~ 75 ・ 白 水 社 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 斎 藤 勇 著 ﹃ シ ェ イ ク ス ピ ア 研 究 ﹄ ︵ 1 9 4 9 ・ 研 究 社 出 版 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 小 津 次 郎 編 ﹃ シ ェ イ ク ス ピ ア ・ ハ ン ド ブ ッ ク ﹄ ︵ 1 9 6 9 ・ 南 雲 堂 ︶ ﹄ ▽ ﹃ 倉 橋 健 編 ﹃ シ ェ イ ク ス ピ ア 辞 典 ﹄ ︵ 1 9 7 2 ・ 東 京 堂 出 版 ︶ ﹄ ▽ ﹃ D . W i l s o n T h e E s s e n t i a l S h a k e s p e a r e ( 1 9 3 2 , C a m b r i d g e U n i v e r s i t y P r e s s ) ﹄
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
シェークスピア William Shakespeare 生没年:1564-1616
目次 生涯 作品 批評・研究 日本での受容
イ ギ リ ス の 詩 人 , 劇 作 家 。 シ ェ ー ク ス ピ ア を 単 に ︿ 時 代 を 超 え た 天 才 ﹀ と み な す の は 正 し く な い 。 彼 の 作 品 が も つ 普 遍 性 は , 彼 が 生 き た 歴 史 的 状 況 の な か で 彼 を と ら え な お す こ と で い っ そ う 明 ら か に な る 。 た と え ば 彼 の 創 作 活 動 は ロ ン ド ン と い う 当 時 の ヨ ー ロ ッ パ 最 大 の 都 市 に お い て の み 可 能 だ っ た の で あ り , 彼 の 演 劇 は 最 初 の 本 格 的 近 代 都 市 文 化 の 華 だ っ た 。 膨 張 す る 人 口 , と く に 知 的 好 奇 心 の 旺 盛 な 市 民 層 の 増 大 が , グ ロ ー ブ 座 の 観 客 動 員 数 を 保 証 し た ば か り で は な い 。 都 市 化 に と も な う 人 間 性 の 暗 黒 面 の 露 出 も , 劇 作 家 の 想 像 力 を 刺 激 し た 。 市 民 文 化 と 宮 廷 文 化 の 接 点 に い た シ ェ ー ク ス ピ ア は , 同 時 に , 生 い 立 ち か ら い っ て も 都 市 文 化 と 田 園 的 自 然 の 双 方 に か か わ っ て い た 。 と く に 中 世 的 民 衆 文 化 の カ ー ニ バ ル ︵ 祝 祭 ︶ 性 は , 彼 の 演 劇 の 基 層 を な し て い る 。 他 方 , ハ ム レ ッ ト に 見 ら れ る よ う に , 極 度 に 洗 練 さ れ た 近 代 的 知 識 人 の 危 機 と 不 安 を も , 彼 は 射 程 に と ら え て い た 。 こ う し た 境 界 性 と 多 義 性 こ そ , 彼 を 現 代 に と っ て も 興 味 尽 き な い 作 家 に し て い る 特 質 で あ る 。
言 語 に つ い て も 同 様 で あ る 。 中 世 的 秩 序 を 破 っ て 急 膨 張 し た ル ネ サ ン ス の 知 的 ・ 世 俗 的 エ ネ ル ギ ー は , シ ェ ー ク ス ピ ア の ブ ラ ン ク ・ バ ー ス ︵ 弱 強 五 歩 格 無 韻 詩 型 ︶ に お い て , 最 良 の 言 語 的 表 現 を 見 い だ し た 。 こ の 詩 型 は 彼 の 先 輩 が 発 明 し た も の で あ る が , 彼 の 手 に よ っ て , 猥 雑 な 洒 落 か ら 最 強 度 の 詩 的 燃 焼 ま で , 自 在 な 振 幅 と 転 調 を 表 現 し う る ま で に 完 成 さ れ た 。 英 語 の 歴 史 で い え ば , 中 世 的 素 朴 さ と 近 代 的 合 理 化 の は ざ ま に 出 現 し た こ の 言 語 的 豊 か さ は , 現 代 に い た る ま で 凌 駕 さ れ た こ と が な い 。
し か し シ ェ ー ク ス ピ ア が 現 代 に 対 し て 最 終 的 に 啓 示 す る も の は 何 で あ ろ う か 。 焼 失 し た グ ロ ー ブ 座 の 入 口 に は ︿ 世 は あ げ て 俳 優 を 演 ず ﹀ と い う ラ テ ン 語 が 刻 ま れ て い た と い う 。 彼 の 作 中 人 物 も ︿ こ の 世 は 舞 台 , 人 は み な 俳 優 ﹀ と 語 る 。 ダ ン テ の ︽ 神 曲 ︵ 神 聖 喜 劇 ︶ ︾ に お け る よ う な , 神 と い う 統 一 的 視 点 か ら 見 ら れ る ド ラ マ は す で に 不 可 能 で あ っ た が , そ の こ と は か え っ て 無 限 に 複 雑 な し く み を も っ た ド ラ マ を シ ェ ー ク ス ピ ア に と っ て 可 能 に し た 。 ︽ ハ ム レ ッ ト ︾ が 典 型 的 に 示 す と お り , 演 技 と 行 動 , 役 割 と 本 心 , 実 体 と 仮 象 , う そ と ま こ と な ど が 多 様 に 響 き あ い 戯 れ あ う な か に , 演 劇 に よ っ て し か 開 示 し え ぬ 世 界 と 人 間 の あ り よ う が 浮 か び 上 が る 。 孤 立 し た 自 我 , 理 性 的 言 語 , 科 学 的 真 実 な ど に 対 す る 近 代 的 信 仰 の 行 き づ ま っ た 現 代 に お い て , シ ェ ー ク ス ピ ア を 支 え た , ま た 彼 が 掘 り 下 げ た 演 劇 的 世 界 観 ・ 人 間 像 は ま す ま す そ の 魅 力 と 重 要 性 を 増 す よ う に 思 わ れ る 。
執 筆 者 ‥ 高 橋 康 也
生 涯
シ ェ ー ク ス ピ ア は ス ト ラ ト フ ォ ー ド ・ オ ン ・ エ ー ボ ン の 富 裕 な 皮 革 商 の 長 男 ︵ 第 3 子 ︶ と し て 生 ま れ , 町 の グ ラ マ ー ・ ス ク ー ル に 学 ん だ の ち , 青 年 時 代 の 大 半 を そ こ で 過 ご し た 。 1 5 8 2 年 に 8 歳 年 上 の ア ン ・ ハ サ ウ ェ ー と 結 婚 し て 翌 年 1 女 を も う け , さ ら に 2 年 後 に は 男 と 女 の 双 生 児 が 生 ま れ た 。 や が て 故 郷 を 去 っ て ロ ン ド ン に 出 , 演 劇 人 の 生 活 に 入 っ た 。 現 存 す る 彼 の 作 品 で 最 も 早 い 時 期 の も の は , 2 編 の 物 語 詩 ︽ ビ ー ナ ス と ア ド ニ ス ︾ ︵ 1 5 9 3 ︶ お よ び ︽ ル ー ク リ ー ス 凌 辱 ︾ ︵ 1 5 9 4 ︶ で あ る 。 こ の こ ろ ま で に 彼 は す で に 新 進 の 劇 作 家 兼 俳 優 と し て 名 を 成 し て い た と す る 証 拠 が あ る 。 94 年 に 宮 内 大 臣 一 座 L o r d C h a m b e r l a i n ' s M e n が 結 成 さ れ た と き , 幹 部 座 員 と し て そ れ に 加 わ り , 精 力 的 に 活 動 を 続 け た 。 彼 の 成 功 は 97 年 に 故 郷 に ︿ ニ ュ ー プ レ ー ス ﹀ と 呼 ば れ る 大 き な 邸 宅 を 購 入 し た こ と , ま た 99 年 の グ ロ ー ブ 座 完 成 に 際 し て 劇 場 の 所 有 主 兼 株 主 の ひ と り と し て 名 が 挙 が っ て い る こ と か ら も 察 せ ら れ る 。 1 6 0 3 年 エ リ ザ ベ ス 女 王 の 死 と ジ ェ ー ム ズ 1 世 の 即 位 に と も な い 国 王 一 座 K i n g ' s M e n と 改 称 し た 劇 団 は 次 々 に 彼 の 円 熟 期 の 作 品 を 上 演 し , 彼 は 当 代 随 一 の 人 気 と 尊 敬 を 集 め る 作 家 と な っ た 。 08 年 に 劇 団 が 完 全 屋 内 型 劇 場 の ブ ラ ッ ク フ ラ イ ヤ ー ズ 座 を 入 手 す る 前 後 か ら , 新 し い 劇 場 環 境 に 合 わ せ る か の よ う に , 作 品 に 著 し い 変 化 が 見 ら れ る 。 11 年 ご ろ か ら は 故 郷 の ニ ュ ー プ レ ー ス に 住 み , と き に ロ ン ド ン に 戻 っ て 共 作 の 仕 事 に 従 事 し た と 想 像 さ れ る 。 16 年 に 没 し , ホ ー リ ー ・ ト リ ニ テ ィ 教 会 に 埋 葬 さ れ た 。 23 年 に は 劇 団 の 同 僚 た ち の 手 に よ っ て 36 編 の 戯 曲 を 集 め た 全 集 が 出 版 さ れ た 。 ほ か に 残 さ れ た 詩 編 が 6 冊 あ る が , な か で も , 複 雑 で な ぞ め い た 友 人 ・ 男 女 関 係 を め ぐ っ て , さ ま ざ ま に 屈 折 し た 愛 の 心 情 を 吐 露 し た 1 5 4 編 の ソ ネ ッ ト か ら 成 る ︽ ソ ネ ッ ト 集 ︾ ︵ 1 6 0 9 ︶ は , イ ギ リ ス 詩 史 を 通 じ て 最 も 高 い 芸 術 性 を も つ 傑 作 の 一 つ と み な さ れ て い る 。
作 品
現 存 す る 37 編 の 戯 曲 の 創 作 の 順 序 お よ び そ の 年 代 に 関 し て は 定 説 は な い が , 諸 家 の 説 を 勘 案 す れ ば 表 に 近 い も の に な る 。 歴 史 劇 の 執 筆 に 始 ま り , 軽 快 な 喜 劇 が 多 く 書 か れ た 第 1 期 の 作 品 は , こ と ば , 筋 , 人 物 の い ず れ の 面 に も 生 硬 さ と 陰 影 の 乏 し さ が 目 だ つ が , 若 々 し い 感 性 の ほ と ば し り が そ れ を 補 っ て い る 。 よ う や く 自 己 の 本 領 を 発 揮 し 始 め た 第 2 期 に は , 結 婚 を 終 着 点 と す る ロ マ ン テ ィ ッ ク な ア ク シ ョ ン を , 風 刺 と 諧 謔 に よ っ て 多 彩 に 色 づ け た 喜 劇 を 続 け て 創 作 し , 歴 史 劇 に も 愛 す べ き 悪 党 フ ォ ー ル ス タ ッ フ の 登 場 す る 喜 劇 的 脇 筋 を 構 築 し た 。 他 方 , ︽ ジ ュ リ ア ス ・ シ ー ザ ー ︾ な ど の 作 品 に は す で に 瞑 想 的 な 道 徳 家 肌 の ブ ル ー タ ス と 現 実 的 な 扇 動 家 タ イ プ の ア ン ト ニ ー と い っ た よ う に , 性 格 創 造 の 内 面 化 が 見 ら れ る 。 第 3 期 を 代 表 す る い わ ゆ る 四 大 悲 劇 は い ず れ も 人 間 に お け る 美 し い 外 面 と 醜 い 実 相 の 背 馳 を あ ば き , 善 と 悪 , 秩 序 と 混 沌 の 争 い を 描 い た 傑 作 で あ る 。 中 心 人 物 た ち は 豊 か に 肉 づ け さ れ , 彼 ら の 情 念 は と き に 壮 大 に , と き に こ ま や か に 詩 的 表 現 を 与 え ら れ る 。 同 じ こ ろ に 書 か れ た 数 編 の ︿ 問 題 劇 ﹀ ︵ 作 品 の 意 匠 と 意 味 が 明 確 で な く , 相 反 す る 解 釈 を 生 む 風 刺 性 の 濃 い 喜 劇 ︶ は , 表 面 的 に は 喜 劇 的 結 末 を も つ と は い え , そ の 底 に は ︿ 悲 劇 ﹀ に 劣 ら ぬ 暗 さ が 感 じ ら れ る 。 最 後 の 第 4 期 を 特 徴 づ け る ︿ ロ マ ン ス 劇 ﹀ は , お お む ね 家 族 の 離 散 か ら 再 会 と 認 知 そ し て 和 解 に 至 る プ ロ セ ス を 筋 に し く ん だ 一 種 の 悲 喜 劇 で あ る 。 全 体 と し て 象 徴 的 道 具 立 て と ス ペ ク タ ク ル 的 要 素 に 富 む 反 面 , 寛 容 と 許 し , 贖 罪 と 復 活 が モ テ ィ ー フ を な し て お り , そ こ に 作 者 自 身 の 人 生 に 対 す る 態 度 あ る い は 宗 教 的 姿 勢 の あ ら わ れ を 見 取 る 向 き も あ る 。
批 評 ・ 研 究
シ ェ ー ク ス ピ ア の 作 品 は , 主 知 的 で 調 和 と 規 則 性 を 重 ん じ た 17 ~ 18 世 紀 の 古 典 主 義 の 時 代 に は 冷 淡 に し か 扱 わ れ な か っ た 。 し か し , そ の 後 の ロ マ ン 主 義 は 一 転 し て 彼 を 深 遠 な 哲 学 者 , 天 才 的 な 詩 人 と し て 祭 り 上 げ る こ と に な っ た 。 こ の よ う な ロ マ ン 主 義 批 評 は イ ギ リ ス で は 詩 人 批 評 家 の S . T . コ ー ル リ ジ に よ っ て 先 鞭 を つ け ら れ る が , シ ェ ー ク ス ピ ア は ヨ ー ロ ッ パ と く に ド イ ツ に お い て も 偶 像 視 さ れ る よ う に な る 。 ロ マ ン 主 義 批 評 は ︽ シ ェ ー ク ス ピ ア の 悲 劇 ︾ ︵ 1 9 0 4 ︶ の 著 者 A . C . ブ ラ ッ ド リ ー に よ っ て 集 大 成 さ れ た 。 ま た , 19 世 紀 の シ ェ ー ク ス ピ ア 批 評 は , W . ハ ズ リ ッ ト に 代 表 さ れ る い わ ゆ る 性 格 批 評 が そ の 中 心 を な し , 劇 中 人 物 の 心 理 と 行 動 原 理 が 追 究 さ れ た 。 20 世 紀 に 入 る と , こ う し た 傾 向 に 対 す る 反 動 が 強 ま り , 一 方 に お い て ア メ リ カ の E . E . ス ト ー ル や ド イ ツ の L . L . シ ュ ッ キ ン グ ら の 歴 史 的 実 証 主 義 に 基 づ く 研 究 , 他 方 に お い て ニ ュ ー ・ ク リ テ ィ シ ズ ム の 一 派 に よ る 作 品 の 詩 的 言 語 構 造 の 精 緻 な 分 析 に 頼 る 批 評 が 盛 ん に な っ た 。 さ ら に J . D . ウ ィ ル ソ ン ら の 科 学 的 書 誌 学 の 方 法 に よ る 本 文 研 究 や 演 出 家 H . G . グ ラ ン ビ ル ・ バ ー カ ー ら の 上 演 を 念 頭 に し て の 演 劇 論 的 批 評 も 発 展 を と げ た 。 20 世 紀 中 葉 以 後 は 従 来 の 諸 方 法 に 加 え て , N . フ ラ イ ら の 神 話 批 評 , F . フ ァ ー ガ ソ ン ら の 構 造 論 的 批 評 , 精 神 分 析 医 E . ジ ョ ー ン ズ ら の 精 神 分 析 的 批 評 , 記 号 論 的 批 評 な ど あ ら ゆ る 派 の 批 評 が シ ェ ー ク ス ピ ア の 作 品 を 対 象 と し て 取 り 上 げ る よ う に な り , シ ェ ー ク ス ピ ア 批 評 は す べ て の 文 芸 批 評 の 方 法 の 合 流 点 と な っ た 。
日 本 で の 受 容
日 本 へ は 明 治 の 初 め ご ろ に 紹 介 さ れ , い く つ か の 翻 案 が お こ な わ れ た が , 翻 訳 と し て は 坪 内 逍 遥 が ︽ ジ ュ リ ア ス ・ シ ー ザ ー ︾ を 浄 瑠 璃 風 に 訳 し た ︽ 該 撒 ︵ シ イ ザ ル ︶ 奇 談 自 由 太 刀 余 波 鋭 鋒 ︵ じ ゆ う の た ち な ご り の き れ あ じ ︶ ︾ ︵ 1 8 8 4 ︶ が 代 表 的 で あ る 。 さ ら に 逍 遥 は 独 力 で 全 作 品 の 翻 訳 に 取 り 組 み , 1 9 2 8 年 に そ れ を 完 成 し た 。
上 演 と し て は 1 8 8 5 年 大 阪 戎 座 で の 中 村 宗 十 郎 一 座 に よ る ︽ ベ ニ ス の 商 人 ︾ の 翻 案 ︽ 何 桜 彼 桜 銭 世 中 ︵ さ く ら ど き ぜ に の よ の な か ︶ ︾ が 最 初 で あ る 。 そ の 後 い く つ か の 作 品 が い ず れ も 部 分 的 に 翻 案 に よ っ て 上 演 さ れ た が , 1 9 0 6 年 に 文 芸 協 会 が 設 立 さ れ る に 至 っ て , 逍 遥 訳 に よ る 原 作 に 忠 実 な 上 演 が 可 能 に な っ た 。
執 筆 者 ‥ 笹 山 隆 明 治 期 の 劇 壇 は シ ェ ー ク ス ピ ア ・ ブ ー ム と い っ て よ い ほ ど の 活 況 を 呈 し た が , そ れ は 彼 の 戯 曲 世 界 の 物 語 的 豊 饒 ︵ ほ う じ よ う ︶ が , 折 か ら 文 明 開 化 の 時 流 に 沿 っ て 新 奇 な 題 材 を 求 め て い た 演 劇 界 の 要 求 に う ま く 適 合 し た た め と 考 え ら れ る 。 同 時 に , 彼 の ド ラ マ ト ゥ ル ギ ー 自 体 ︿ 歌 舞 伎 と 不 思 議 な 相 似 性 を 有 し て ﹀ ︵ 坪 内 逍 遥 ︶ い た た め , 舞 台 に 取 り 入 れ ら れ や す か っ た と い う 事 情 も あ る 。 つ ま り シ ェ ー ク ス ピ ア は , 他 の 西 欧 の 文 学 者 の 場 合 と ち が っ て , そ の 思 想 性 が も て は や さ れ た の で は な か っ た 。 こ の 時 期 の 移 入 が ほ と ん ど 翻 案 の 形 を と っ て い た こ と か ら も , そ の 辺 の 事 情 が う か が わ れ る 。
大 正 か ら 昭 和 初 期 に か け て , 演 劇 界 の 主 流 が , イ プ セ ン を 皮 切 り に 思 想 性 を 重 ん ず る 写 実 的 な 方 向 に 転 ず る に つ れ て , シ ェ ー ク ス ピ ア は 時 代 に 取 り 残 さ れ た 趣 が あ っ た 。 文 学 へ の 影 響 も , た と え ば 志 賀 直 哉 の ︽ ク ロ ー デ ィ ア ス の 日 記 ︾ ︵ 1 9 1 2 ︶ な ど , ︽ ハ ム レ ッ ト ︾ を 題 材 に し た 二 , 三 の 創 作 が あ る が , こ れ も 素 材 と な っ た と い う に す ぎ な い 。 第 2 次 大 戦 後 の 新 劇 復 興 と と も に シ ェ ー ク ス ピ ア の 戯 曲 は レ パ ー ト リ ー の 中 に 確 実 な 位 置 を 占 め た が , ま だ 教 養 主 義 的 な 外 面 的 摂 取 の 域 を 越 え る こ と が な か っ た 。
そ の 点 , 1 9 5 5 年 の 福 田 恆 存 訳 ・ 演 出 に よ る ︽ ハ ム レ ッ ト ︾ ︵ 文 学 座 ︶ 上 演 は 画 期 的 な 事 件 で あ っ た 。 近 代 心 理 主 義 か ら の 絶 縁 を 宣 し た 福 田 は , シ ェ ー ク ス ピ ア 劇 に 内 在 す る 行 動 の リ ズ ム を 的 確 に 把 握 し , ︿ 人 生 を 激 し く 演 戯 し て い る ﹀ 演 技 者 と し て の ハ ム レ ッ ト 像 を 造 形 し て み せ た 。 そ の 後 も 彼 は 新 訳 と 取 り 組 み , 現 在 翻 訳 は 18 編 に 及 ん で い る 。 近 代 劇 リ ア リ ズ ム か ら の 脱 却 は 時 代 の 要 請 で あ っ た 。
60 年 代 後 半 に 入 っ て , 演 劇 界 は 急 激 な 前 衛 運 動 の 波 に さ ら さ れ る 。 シ ェ ー ク ス ピ ア の 巨 大 な 劇 的 世 界 が , た と え ば 不 条 理 劇 を も く る み こ む 強 靱 な ド ラ マ ト ゥ ル ギ ー と と も に に わ か に 注 目 を 集 め , 明 治 期 を 上 回 る 第 二 の ブ ー ム が 現 出 し た 。 逍 遥 以 来 の シ ェ ー ク ス ピ ア 戯 曲 の 完 訳 で あ る 小 田 島 雄 志 訳 ︵ 1 9 7 3 - 8 0 ︶ は , シ ェ ー ク ス ピ ア を ︿ わ れ ら の 同 時 代 人 ﹀ と し て と ら え こ も う と す る 風 潮 の 中 で 生 ま れ た 。 言 葉 遊 び へ の 執 着 も , 意 味 の 古 典 的 な 絶 対 性 に 対 す る 不 信 と い う 今 日 的 な 認 識 に 連 な る も の で あ る 。 ま た 上 演 で は , 出 口 典 雄 主 宰 の シ ェ ー ク ス ピ ア ・ シ ア タ ー に よ る , 全 戯 曲 上 演 ︵ 1 9 7 5 - 8 1 ︶ と い う 快 挙 が あ る 。
執 筆 者 ‥ 大 場 建 治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
百科事典マイペディア
「シェークスピア」の意味・わかりやすい解説
出典 株式会社平凡社 百科事典マイペディアについて 情報
シェークスピア Shakespeare, William
[ 生 ] 1 5 6 4 . 4 . 2 6 . ︿ 洗 礼 ﹀ ス ト ラ ト フ ォ ー ド ア ポ ン エ ー ボ ン
[ 没 ] 1 6 1 6 . 4 . 2 3 . ス ト ラ ト フ ォ ー ド ア ポ ン エ ー ボ ン
イ ギ リ ス の 詩 人 , 劇 作 家 。 公 式 に は 4 月 23 日 が 誕 生 日 と さ れ て い る 。 裕 福 な 商 人 の 長 男 と し て 生 れ , 父 は 一 時 は 町 長 に 選 ば れ た が , ま も な く 没 落 し た た め , 彼 は 土 地 の グ ラ マ ー ・ ス ク ー ル に 通 っ た だ け で , 大 学 に 進 ん だ 形 跡 は な い 。 18 歳 の と き 8 歳 年 長 の ア ン ・ ハ サ ウ ェ ー と 結 婚 , 1 男 2 女 を 得 た が , そ の 後 の 数 年 間 に つ い て は 伝 記 的 資 料 が 皆 無 の た め 種 々 の 憶 測 が 行 わ れ て い る 。 お そ ら く 20 歳 を 過 ぎ て ま も な く ロ ン ド ン に 出 て 劇 界 に 入 り , 俳 優 と し て 出 発 , や が て 劇 作 に 転 じ た も の と 思 わ れ る 。 劇 作 は 1 5 9 0 年 頃 か ら 開 始 さ れ , 最 初 は バ ラ 戦 争 を 主 た る 背 景 と す る ﹃ ヘ ン リ ー 6 世 ﹄ H e n r y V I 3 部 作 ( 1 5 9 0 ~ 92 ) , ﹃ リ チ ャ ー ド 3 世 ﹄ R i c h a r d I I I ( 93 ) , 笑 劇 に 近 い 喜 劇 ﹃ じ ゃ じ ゃ 馬 な ら し ﹄ T h e T a m i n g o f t h e S h r e w ( 94 ) を 書 い て い た が , 94 年 宮 内 大 臣 お 抱 え 一 座 の 幹 部 座 員 と な る に 及 ん で 偉 大 な 劇 作 家 と し て の 本 領 を 発 揮 し は じ め , ﹃ ロ ミ オ と ジ ュ リ エ ッ ト ﹄ R o m e o a n d J u l i e t , ﹃ 夏 の 夜 の 夢 ﹄ A M i d s u m m e r N i g h t ' s D r e a m , ﹃ リ チ ャ ー ド 2 世 ﹄ R i c h a r d I I ( い ず れ も 95 ) な ど の 抒 情 的 な 作 品 を 発 表 , さ ら に 愛 の 喜 劇 の な か に シ ャ イ ロ ッ ク の 悲 劇 を 描 い た ﹃ ベ ニ ス の 商 人 ﹄ T h e M e r c h a n t o f V e n i c e ( 96 ) , フ ォ ー ル ス タ ッ フ の 登 場 で 有 名 な ﹃ ヘ ン リ ー 4 世 ﹄ H e n r y I V 2 部 作 ( 97 ) , 生 の 歓 喜 の な か に も 生 き る こ と の き び し さ や , と き に は 生 の 倦 怠 さ え も 暗 示 す る ﹃ お 気 に 召 す ま ま ﹄ A s Y o u L i k e I t ( 99 ) , 最 高 の 喜 劇 ﹃ 十 二 夜 ﹄ T h e T w e l f t h N i g h t ( 1 6 0 0 ) を 書 い た 。 続 く 数 年 間 は ﹁ 悲 劇 時 代 ﹂ と 呼 ば れ , 生 と 死 , 善 と 悪 , 罪 と 罰 , 仮 象 と 真 実 な ど 人 間 の 根 本 問 題 を テ ー マ と し た ﹃ ハ ム レ ッ ト ﹄ H a m l e t ( 1 6 0 0 ) , ﹃ オ セ ロ ﹄ O t h e l l o ( 04 ) , ﹃ リ ア 王 ﹄ K i n g L e a r ( 05 ) , ﹃ マ ク ベ ス ﹄ M a c b e t h ( 06 ) の 四 大 悲 劇 を 創 作 し た 。 1 6 0 8 年 頃 か ら 許 し と 和 解 を 主 題 に し た い わ ゆ る ロ マ ン ス 劇 に 転 じ , ﹃ シ ン ベ リ ン ﹄ C y m b e l i n e ( 09 ) , ﹃ 冬 の 夜 ば な し ﹄ T h e W i n t e r ' s T a l e ( 10 ) , 単 独 作 と し て は 最 後 の ﹃ あ ら し ﹄ T h e T e m p e s t ( 11 ) を 書 い た 。 詩 と し て は , サ ウ サ ン プ ト ン 伯 に 捧 げ た 物 語 詩 ﹃ ビ ー ナ ス と ア ド ニ ス ﹄ V e n u s a n d A d o n i s ( 1 5 9 3 ) , ﹃ ル ク リ ー ス の 凌 辱 ﹄ T h e R a p e o f L u c r e c e ( 94 ) , 英 詩 で は 最 大 に し て 最 高 の ﹃ ソ ネ ッ ト 集 ﹄ S o n n e t s ( 1 6 0 9 ) な ど が あ る 。 天 成 の 詩 人 で あ っ た 彼 は 無 韻 詩 を 縦 横 に 駆 使 し て 韻 文 劇 を 創 作 し , そ の 内 容 の 深 さ と 相 ま っ て 最 高 の 戯 曲 を つ く り 出 し た 。 そ の 伝 記 に 不 明 な 部 分 が あ る た め , シ ェ ー ク ス ピ ア の 実 在 に 疑 問 を い だ く 説 ( た と え ば シ ェ ー ク ス ピ ア は F . ベ ー コ ン の 筆 名 で あ る と い う ) も あ っ た が , 現 在 で は 顧 み ら れ な い 。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
シェークスピア William Shakespeare
1564~1616
イギリスの劇作家。ストラトフォード・アポン・エイヴォンの中流の家に生まれ,1587年頃故郷を出てロンドンの劇団に参加。俳優兼座付作者となる。劇作家としてしだいに名声を博するようになり,故郷に土地と邸宅を買い,またグローブ座の共同経営者となった。1611年頃引退。その作品(合作を含め37編)は,『ハムレット』 『オセロー』『マクベス』 『リア王』の四大悲劇をはじめとして,喜劇,史劇の多方面にわたる。各国語に翻訳,上演され,世界文学の最高峰をなす。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
シェークスピア William Shakespeare
1564〜1616 イギリスのエリザベス1世時代の代表的詩人・劇作家 ロンドンに出て俳優・座付作者として成功し,悲劇・喜劇・史劇の全分野で健筆をふるった。豊富な用語を駆使して深い人間洞察にもとづく多彩な性格描写を行い,特に『ハムレット』は,近代人の複雑な内面性を先がけて描いたものとして,のちロマン主義者の共感を得た。代表作『ロミオとジュリエット』『ヴェニスの商人』『ヘンリ4世』『オセロ』『マクベス』『リア王』など。
出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 情報
シェークスピア
誰 の こ と ば に も 耳 を 貸 せ 、 い ろ ん な 人 に 口 を 開 く な 。 み ん な の 意 見 は 聞 い て 、 自 分 の 判 断 は 控 え な さ い 。 \ シ ェ ー ク ス ピ ア
英 国 の 劇 作 家 ( 一 五 六 四 ~ 一 六 一 六 ) 。
シェークスピア
憶病者は死に先立って何度も死ぬが、勇敢な者は一度しか死を味わわない。\シェークスピア
英国の劇作家(一五六四~一六一六)。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」 とっさの日本語便利帳について 情報
世界大百科事典(旧版)内の シェークスピアの言及
【イギリス】より
… そ こ に は 涙 と 笑 い と い う , 互 い に あ い い れ な い 二 つ の 異 質 な も の が , き わ ど い バ ラ ン ス を 保 っ て 共 存 し て い る 。 理 論 的 に は こ の よ う な 矛 盾 超 克 は 不 可 能 の は ず で あ る が , 現 実 に シ ェ ー ク ス ピ ア の 作 品 を 開 い て み れ ば , い く ら で も そ の 実 例 を 見 い だ す こ と が で き る 。 彼 の 創 造 し た ユ ー モ ア こ そ , ゲ ル マ ン 的 な 悲 痛 な 人 生 観 と ラ テ ン 的 な 明 る く 澄 み わ た っ た 人 生 観 の 二 つ を , 大 き く 包 み 込 ん で 融 合 さ せ る と い う 奇 跡 を な し と げ た イ ギ リ ス 人 の ユ ー モ ア の 典 型 で あ っ た 。 …
【イギリス文学】より
…騎士や姫君や,竜や巨人がくりひろげる華麗なスペクタクルは,凝ったスタンザ型式でゆるやかに歌いつがれ,さながらルネサンス宮廷のページェントを見る思いにさそう。しかし同じころシェークスピアは,ロンドンの劇場のまるでちゃんこ鍋のように雑多で騒々しい観客に向かって,もっと活力に満ちた声で歌いはじめていた。英詩を古今独歩の高みに押し上げたのは,この劇場の声である。…
【エリザベス時代】より
…80年代に先駆的役割を果たした大学卒のインテリ劇作家たち(大学才人)の中では,典雅な宮廷喜劇の創始者ジョン・リリーと,力強い劇詩のリズムとイメージを駆使してルネサンスの人間的欲望をテーマとする悲劇を書いたクリストファー・マーローが特に重要である。シェークスピアは彼らのあとを継いでエリザベス朝演劇を完成へと導いた。初期の歴史劇から晩年のロマンス劇にいたるその複雑な作家的展開の過程において,言語・舞台芸術としての演劇のあらゆる可能性が試され,開花させられていると言って過言ではない。…
【演技】より
… 時 代 と と も に , 演 技 と は 何 か , が 問 い 返 さ れ る の は , 演 劇 の 宿 命 で も あ る 。 だ が , ︿ 人 生 の 真 実 ﹀ に 演 劇 の 本 質 を み る と い う 根 本 思 想 は 17 世 紀 初 頭 に , シ ェ ー ク ス ピ ア が ︽ ハ ム レ ッ ト ︾ の な か で す で に は っ き り と 語 っ て い る 。 ハ ム レ ッ ト が 旅 役 者 の 座 長 に , あ ま り オ ー バ ー な 演 技 は つ つ し め と さ と す 有 名 な せ り ふ の 一 節 で あ る 。 …
【喜劇】より
…エリザベス朝期のイギリスでは,ベン・ジョンソンが,《十人十色》《ボルポーネ》などの性格を中心とした気質喜劇comedy of humorsを書いている。[シェークスピア]も《ヘンリー4世》や《ウィンザーの陽気な女房》のなかで,[フォールスタッフ]のような喜劇的個性を創造したが,《まちがい続き》のような状況喜劇も書いているし,悲劇性を含む悲喜劇や,幻想的な喜劇《あらし(テンペスト)》も書いている。スペイン演劇のいわゆる〈黄金時代〉には,ローペ・デ・[ベガ]が,〈マントと剣の喜劇comedia en capa y espada〉という,技巧をこらした恋愛喜劇を書いた。…
【偽書】より
… そ れ に 権 威 を 付 与 す る 必 要 か ら , そ の 書 物 に ま つ わ る 由 来 , 歴 史 な ど を も 同 時 に 捏 造 す る 。 ( 1 ) は 美 術 品 一 般 に 見 ら れ る ︿ 偽 造 f o r g e r y ﹀ の こ と で , シ ェ ー ク ス ピ ア の 真 筆 と 称 し 多 数 の 偽 文 書 を 作 成 し た イ ギ リ ス 人 ア イ ル ラ ン ド W . H . I r e l a n d ( 1 7 7 7 ‐ 1 8 3 5 ) や , 書 誌 学 者 と し て の 名 声 を 悪 用 し み ず か ら 作 成 し た 偽 版 を 高 価 に 販 売 し た ワ イ ズ T . J . W i s e ( 1 8 5 9 ‐ 1 9 3 7 ) ら が 有 名 。 日 本 で も 小 野 道 風 , 松 尾 芭 蕉 , 徳 川 家 康 , 本 居 宣 長 な ど の 真 筆 を 偽 造 す る こ と が 古 く か ら 行 わ れ , 明 治 期 に は 古 い 木 活 字 や 古 紙 を 使 っ て 多 数 の 古 書 を 偽 造 し , 偽 書 の 天 才 と い わ れ た 西 村 兼 文 な る 人 物 が い た こ と を 徳 富 蘇 峰 ら が 書 き 残 し て い る 。 …
【グローブ座】より
… 1 5 9 9 年 , テ ム ズ 川 南 岸 に 開 場 。 リ チ ャ ー ド ・ バ ー ベ ッ ジ が 率 い る 内 大 臣 一 座 ( 後 に 国 王 陛 下 一 座 と 改 称 ) の 本 拠 と し て 用 い ら れ た が , こ の 劇 団 の 一 員 で あ っ た シ ェ ー ク ス ピ ア の 代 表 作 が 上 演 さ れ た こ と で 有 名 で あ る 。 エ リ ザ ベ ス 朝 の 代 表 的 な 公 衆 劇 場 で , 知 的 な 観 客 を 対 象 と す る 屋 内 の 小 規 模 な 私 設 劇 場 と 異 な り , 社 会 の 諸 階 層 が 集 ま る 大 劇 場 で あ っ た 。 …
【詩】より
…フランスではC.マロがペトラルカを翻訳,この新しい抒情のもとにセーブらのリヨン派,ロンサールらのプレイヤード派が活動,豊麗なバロック詩がやがてマレルブによって厳密な詩法に整頓される。イギリスではエリザベス朝文化を代表するシェークスピアが数々の韻文劇を書いたほか,いわゆるシェークスピア風ソネットを定着させ,他方ではJ.ダンらの形而上派の詩人たちが出る。スペインではゴンゴラの抒情詩,ポルトガルではカモンイスのソネットと叙事詩が書かれ,イタリアでもタッソやアリオストの叙事詩が相つぐ。…
【詩劇】より
… 中 世 に 入 っ て ほ と ん ど 勢 い を 失 っ た 演 劇 は , 聖 史 劇 , 道 徳 劇 , 笑 劇 と し て 復 活 , ル ネ サ ン ス 時 代 に は め ざ ま し い 開 花 を 遂 げ る 。 そ の 頂 点 を な す W . シ ェ ー ク ス ピ ア の 数 多 く の 傑 作 劇 も そ の 表 現 形 式 で あ る い わ ゆ る ︿ ブ ラ ン ク ・ バ ー ス b l a n k v e r s e ﹀ ( 弱 強 五 歩 格 の 無 韻 詩 形 ) と 不 可 分 で あ る 。 詩 的 高 揚 の み な ら ず , き わ め て 論 理 的 ・ 散 文 的 思 考 の 表 現 に も 適 し た こ の 詩 形 を , 彼 は 完 璧 に 使 い こ な し た 。 …
【ジュリアス・シーザー】より
…イギリスの劇作家[シェークスピア]のローマ史劇。1599年ごろ初演。…
【ストラトフォード】より
… 人 口 約 2 万 1 0 0 0 ( 1 9 8 1 ) 。 シ ェ ー ク ス ピ ア の 生 地 と し て 名 高 い 。 エ ー ボ ン 川 に 面 し た 古 い 市 場 町 と し て 中 世 以 来 の 歴 史 を も つ が , 近 年 は 観 光 地 と し て 発 展 し て き て い る 。 …
【ソネット】より
… そ の 後 衰 え た が 19 世 紀 半 ば か ら 復 活 , 高 踏 派 の 詩 人 た ち を は じ め , ボ ー ド レ ー ル , マ ラ ル メ , ベ ル レ ー ヌ , エ レ デ ィ ア , バ レ リ ー ら が す ぐ れ た 作 例 を 示 し た 。 イ ギ リ ス で は シ ェ ー ク ス ピ ア が ︽ ソ ネ ッ ト 集 ︾ に お い て イ ギ リ ス 風 も し く は シ ェ ー ク ス ピ ア 風 ソ ネ ッ ト を 定 着 さ せ , ミ ル ト ン ら を 経 て 19 世 紀 に は ワ ー ズ ワ ー ス , キ ー ツ , D . G . ロ セ ッ テ ィ ら が こ の 形 式 を 用 い , と り わ け エ リ ザ ベ ス ・ ブ ラ ウ ニ ン グ の ︽ ポ ル ト ガ ル 女 の ソ ネ ッ ト ︾ が 名 高 い 。 ほ か に 16 世 紀 に は , イ タ リ ア で は ミ ケ ラ ン ジ ェ ロ , ス ペ イ ン で は ボ ス カ ン , ポ ル ト ガ ル で は カ モ ン イ ス ら が こ れ を 愛 用 し た 。 …
【坪内逍遥】より
… 早 稲 田 中 学 の 校 長 と し て , 倫 理 , 道 徳 の 教 育 に 打 ち こ ん だ 一 時 期 も あ る 。 1 9 0 4 年 に は ︽ 新 曲 浦 島 ︾ を 発 表 , 新 舞 踊 劇 を 提 唱 す る が , 翌 々 年 , 島 村 抱 月 を 支 援 し て 文 芸 協 会 を 興 し , シ ェ ー ク ス ピ ア , イ プ セ ン な ど を 紹 介 し て 新 劇 運 動 の 基 礎 を 築 い た 。 抱 月 と 松 井 須 磨 子 の 恋 愛 問 題 で 文 芸 協 会 が 解 散 す る に い た っ た い き さ つ は 戯 曲 ︽ 役 の 行 者 ︾ ( 1 9 1 5 ) に 投 影 さ れ て い る 。 …
【道化】より
… 滑 稽 な 踊 り を 舞 っ て 天 の 岩 屋 戸 を 開 け さ せ た と き の 天 鈿 女 ︵ あ め の う ず め ︶ 命 も , 道 化 的 で あ っ た と い え る 。 シ ェ ー ク ス ピ ア の ︽ 夏 の 夜 の 夢 ︾ で , 人 間 た ち の 理 性 を 混 乱 さ せ つ つ , 自 分 で も 失 敗 を 犯 す パ ッ ク は , 妖 精 と し て の 道 化 で あ る 。 民 話 で も , 彦 市 の よ う に と ん ち が あ る だ け で な く , テ ィ ル ・ オ イ レ ン シ ュ ピ ー ゲ ル , P . ラ デ ィ ン の 報 告 し た ア メ リ カ ・ イ ン デ ィ ア ン の ト リ ッ ク ス タ ー , 中 世 民 話 で ソ ロ モ ン 王 を や り こ め る 醜 怪 な 無 頼 漢 マ ル コ フ の よ う に , と ん ち と 愚 鈍 さ を あ わ せ も ち , 良 識 を 逆 な で す る 猥 雑 さ や 異 形 性 を 発 揮 し な け れ ば , 道 化 と は い え な い 。 …
【男色】より
…イギリスの劇作家C.マーローは居酒屋で男色行為にふけろうとしたときに喧嘩で殺された。シェークスピアは自分の愛する若者と〈黒婦人〉と呼ぶ女性の愛を競い合う妖しい三角関係を描いたソネットを残している。王侯貴族も男色に魅せられていた。…
【薔薇十字団】より
…プラハではルドルフ2世の宮廷侍医[M.マイヤー],イギリスでは[R.フラッド],フランスではデカルト,ボヘミアでは教育学者J.A.コメニウスが,それぞれの立場から共感を示した。ライプニッツも共鳴者の一人であり,また近年の研究では,シェークスピア晩年の戯曲《テンペスト(あらし)》(1611)には《化学の結婚》と相似の場面がいくつか指摘されるという(F.A.イェーツ《シェークスピア最後の戯曲》)。これに対して当初の運動の中心人物であったアンドレーエ自身はシュトゥットガルトのビュルテンベルク公膝下の宮廷牧師兼宗教局評定官という立場上,徐々に運動から距離をとり,晩年にはみずから〈薔薇十字屋のお伽話を嘲笑し,あらゆる秘密技術の帰依者に対立する者〉であると自称して,もっぱらプロテスタント内部の調整に専心した。…
【悲喜劇】より
…少し前の時代のスペインのローペ・デ・ベガは,高位の人物と庶民が出会うことから起こる事件を悲喜劇と見ていた。また,[W.シェークスピア]の作品が,悲劇性と喜劇性を同じ作品のなかで同時に示していることはよく指摘されるが,よく観察すると,それは交互におこるのではなく,喜劇的な要因が,悲劇的な相関関係のなかに深く根をおろしており,それがコントラストの効果を生みだしているのである。 18世紀には[G.E.レッシング]がその著《ハンブルク演劇論》のなかで,悲喜劇の外形的な定義だけでなく,内的な意味づけを行い,深刻さが笑いを,悲しさが喜びを,あるいはその逆が達せられた場合,悲喜劇の最高の形が得られるとしている。…
【フォールスタッフ】より
… イ ギ リ ス の 劇 作 家 シ ェ ー ク ス ピ ア の ︽ ヘ ン リ ー 4 世 ︾ 第 1 部 お よ び 第 2 部 , ︽ ウ ィ ン ザ ー の 陽 気 な 女 房 た ち ︾ ( 以 上 1 5 9 8 年 こ ろ 創 作 ) に 登 場 す る 好 色 で 太 鼓 腹 の 貴 族 。 平 時 は 居 酒 屋 に 入 り び た り , 出 ま か せ の ほ ら を 吹 き な が ら 浮 か れ 騒 ぎ , と き に 強 盗 ま で す る か と 思 う と , 戦 時 に は 新 兵 の 徴 発 に 出 か け て わ い ろ を せ び り , 他 人 の 手 柄 を 横 取 り し て 恩 賞 に あ ず か る 破 廉 恥 ぶ り 。 …
【ベニスの商人】より
…イギリスの劇作家[シェークスピア]の喜劇。1597年ころ作。…
【翻訳劇】より
… つ ま り , 演 劇 は 俳 優 に よ る 言 語 の 肉 体 化 が 前 提 と な る 以 上 , 俳 優 お よ び 観 衆 に と っ て い ち ば ん 真 実 感 の あ る 言 語 表 現 が 他 の 文 学 作 品 の 場 合 以 上 に 要 求 さ れ る 。 た と え ば シ ェ ー ク ス ピ ア 劇 の 原 語 は 一 つ で も , 日 本 に お い て は 時 代 に よ り 上 演 集 団 に よ り , 多 様 な 翻 訳 者 に よ る 多 様 な 日 本 語 シ ェ ー ク ス ピ ア 劇 が 存 在 す る わ け で あ る 。 と り わ け 日 本 の ︿ 演 劇 近 代 化 ﹀ の 過 程 に お い て は , 外 国 戯 曲 の 受 容 と 上 演 が 盛 ん に な る と , 言 語 構 造 や 風 俗 ・ 習 慣 ま た 文 化 背 景 が 異 質 な 外 国 戯 曲 の 上 演 法 と し て 翻 訳 劇 と 翻 案 劇 の 2 傾 向 が 生 み 出 さ れ , 欧 米 諸 国 間 相 互 の 翻 訳 上 演 と は 比 較 で き な い 独 特 な 翻 訳 劇 様 式 が 創 出 さ れ た 。 …
【マクベス】より
…イギリスの劇作家[シェークスピア]の四大悲劇の一つ。1606年ころ作。…
【マニエリスム】より
…前者はおもにハウザー,サイファー,ローランドら主として精神分析や社会史に立脚する流派で,その説によると,マニエリスムはローマ劫掠(1527)等の社会危機に対する西欧の知識層の深刻な対応の姿であり,この文化動向は不安,緊張,神経症によって特徴づけられるという。その文学的形象の典型は,知と懐疑において過剰なハムレット,〈狂気の〉ドン・キホーテ等であり,マニエリスムの最高の作家はシェークスピアだとする。彼こそ,定型的人物,たとえば当時流行した憂鬱病者の類型たるハムレットのごとき人物と既存の常套的筋立てを利用しつつ,絶えず誇張と美辞麗句と語呂合せ,悲劇要素と喜劇要素の混交からなる独創的な技巧を駆使して,人生の測りがたさや,人間存在の夢幻性を浮彫にしたからだという。…
【ミラノ・ピッコロ座】より
…同劇団は,ストレーレルという創意豊かな演出家の指導のもとに,イタリアの演劇界においてめざましい活動を見せ,国外にまでその舞台は知られるようになった。幅広いレパートリーの中で特に高い評価を受けているのは,C.ゴルドーニ,W.シェークスピア,B.ブレヒトの作品である。特にブレヒトの《三文オペラ》(1955)と《ガリレイの生涯》(1963)の上演では,西ヨーロッパにおいて最も高い水準の舞台を作りあげ,ストレーレルによるブレヒトの演出は世界の脚光を浴びた。…
【リア王】より
…イギリスの劇作家[シェークスピア]の四大悲劇の一つ。1605年ころの作。…
【歴史劇】より
… 前 者 で は 自 国 の 歴 史 が , 後 者 で は フ ラ ン ス の 歴 史 的 事 件 が 描 か れ た 。 そ し て , そ の あ と を 継 い で , シ ェ ー ク ス ピ ア は 数 多 く の ︿ 歴 史 劇 ﹀ を 表 し た 。 普 通 に は , 6 種 9 編 ( ︽ ヘ ン リ ー 8 世 ︾ を 除 く ) が 史 劇 と 呼 ば れ て い る が , こ れ ら は す べ て 年 代 記 史 劇 で あ る 。 …
【錬金術】より
… と く に 薔 薇 十 字 団 の 啓 蒙 運 動 の 中 心 地 と な っ た 17 世 紀 の イ ギ リ ス に は , リ プ リ ー の 詩 や J . デ ィ ー の 哲 学 書 に 影 響 さ れ た 文 芸 が 急 激 に 出 現 し て い る 。 シ ェ ー ク ス ピ ア の ︽ リ ア 王 ︾ は 艱 難 辛 苦 が 人 間 を 完 成 に 近 づ け る こ と を 錬 金 術 の メ タ フ ァ ー に 従 っ て 物 語 り , ︽ あ ら し ( テ ン ペ ス ト ) ︾ は デ ィ ー の 魔 術 師 と し て の 側 面 を 戯 曲 化 し た も の と い わ れ る 。 こ の 傾 向 は 真 正 な 薔 薇 十 字 主 義 者 J . V . ア ン ド レ ー エ に も み ら れ , 彼 に 帰 せ ら れ る ︽ 化 学 の 結 婚 ︾ は 錬 金 術 の 奥 義 を そ の ま ま 物 語 化 し た も の で あ る 。 …
【ローマ演劇】より
…セネカの作品は舞台上演を企図して書かれた作品ではなくて,いわゆる[レーゼドラマ]である。しかし,セネカがシェークスピアをはじめとするイギリスのエリザベス朝期の演劇に与えた影響には計り知れないものがあり,復讐のプロット,亡霊の登場,誇張された修辞などはセネカに由来するといわれる。[喜劇] 悲劇と同様に喜劇もギリシア劇の翻案から始まった。…
【ロマン派演劇】より
… な ぜ な ら 1 7 7 0 年 代 に ド イ ツ に 起 こ っ た 疾 風 怒 濤 ︵ し つ ぷ う ど と う ︶ ( シ ュ ト ゥ ル ム ・ ウ ン ト ・ ド ラ ン グ ) の 運 動 は , 他 の ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 の ロ マ ン 主 義 に 与 え た 影 響 か ら 考 え る と , 広 義 の ロ マ ン 派 と 呼 び う る か ら で あ る ( た だ ド イ ツ に お い て は , 疾 風 怒 濤 期 以 後 に 古 典 主 義 が 成 立 し , ま た さ ら に ロ マ ン 派 が 生 ま れ , 疾 風 怒 濤 の 代 表 作 家 だ っ た ゲ ー テ , シ ラ ー ら が 古 典 主 義 を 確 立 し て , ロ マ ン 派 と 対 立 す る と い う や や 特 殊 な 事 情 も 存 在 す る ) 。 疾 風 怒 濤 派 は , と く に 劇 文 学 に お い て , ︿ 三 統 一 ﹀ の 法 則 を 典 型 と す る 古 典 主 義 の ︿ 法 則 の 強 制 ﹀ に 反 発 し , 啓 蒙 的 な 合 理 主 義 に 対 し て 感 情 の 優 位 を 主 張 し て , シ ェ ー ク ス ピ ア を 天 才 的 で 自 由 な 劇 作 の 典 型 と し て 崇 拝 し た 。 ゲ ー テ の 小 論 ︽ シ ェ ー ク ス ピ ア の 日 に ︾ や J . レ ン ツ の ︽ 演 劇 覚 書 ︾ に も そ の 主 張 が 見 ら れ , ゲ ー テ の ︽ ゲ ッ ツ ・ フ ォ ン ・ ベ ル リ ヒ ン ゲ ン ︾ ( 1 7 7 3 ) , シ ラ ー の ︽ 群 盗 ︾ ( 1 7 8 1 ) は の ち の 各 国 の ロ マ ン 派 に 影 響 を 与 え た 。 …
【ロミオとジュリエット】より
…イギリスの劇作家[シェークスピア]の悲劇。1595年ころ作。…
※「シェークスピア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」