坪内逍遥(読み)ツボウチショウヨウ

デジタル大辞泉 「坪内逍遥」の意味・読み・例文・類語

つぼうち‐しょうよう〔‐セウエウ〕【坪内逍遥】

 
18591935()()()()()()()()()()241891()  

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百科事典マイペディア 「坪内逍遥」の意味・わかりやすい解説

坪内逍遥【つぼうちしょうよう】

 
1885()18891890()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「坪内逍遥」の意味・わかりやすい解説

坪内逍遥 (つぼうちしょうよう)
生没年:1859-1935(安政6-昭和10)


1883西西85861885-86  8990︿1894-951896-971897190419152840

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朝日日本歴史人物事典 「坪内逍遥」の解説

坪内逍遥

 
10.2.28(1935)
6.5.22(1859.6.22)
,,,,,(),,(),,西,(188586),,(188586)(1889),,,(),(1891),,(189495),,(1917),3姿,,<著作>17<参考文献>  
()
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「坪内逍遥」の解説

坪内逍遥
つぼうちしょうよう


1859.5.221935.2.28

1885(18)()911906()

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坪内逍遥」の解説

坪内逍遥 つぼうち-しょうよう

1859-1935 明治-昭和時代前期の小説家,劇作家,評論家。
安政6年5月22日生まれ。東京専門学校(現早大)の講師をへて教授。明治18年評論「小説神髄」,小説「当世書生気質(かたぎ)」を発表し,近代的な写実主義文学をとなえる。24年「早稲田文学」を創刊。演劇の改良をこころざし戯曲「桐一葉」などを創作。39年文芸協会を組織。シェークスピアの全作品を完訳した「沙翁全集」もある。昭和10年2月28日死去。77歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。東京大学卒。名は勇蔵のち雄蔵。別号に春の屋おぼろなど。
【格言など】小説の主脳は人情なり,世態風俗これに次ぐ(「小説神髄」)

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世界大百科事典(旧版)内の坪内逍遥の言及

【演劇改良運動】より

…推進側の見解は外山正一《演劇改良論私考》,末松謙澄《演劇改良意見》に代表されるが,残忍・卑猥な劇行為の表現をやめること,女方のかわりに女優を用いること,舞台上での義太夫や黒衣が不合理であること,台詞づかいや衣装その他を写実にすべきことなどが主張された。これに対し,坪内逍遥は第一に必要なのは脚本の改良であるべきで,それも勧善懲悪の功利主義に陥ってはならないと指摘したし,やがて帰国した森鷗外も脚本の尊重とともに歌劇とドラマの区別を訴えた。また,無一庵無二(伊藤左千夫)は上等社会のためではなく,民衆のための改良を強調して批判した。…

【演劇教育】より

…また,日本の近代的な児童文化・児童文学の創始者といわれる巌谷小波はドイツでの見聞をもとに,1903年ころから〈学校芝居〉を提唱し,そのための脚本を発表した。さらに,大正期の新教育運動の中で,あるいはその影響のもとに,私立成城学園の学校劇運動や,坪内逍遥による児童劇運動などが始められ,演劇教育は一定の普及をみた。しかし,24年には,〈学校劇禁止令〉として知られる文部省による禁止措置がとられ,第2次大戦後民主教育が発足するまで学校教育の中に正当な市民権を与えられなかった。…

【虚実】より


 ︿︿(1891)︿︿︿調

【桐一葉】より

…戯曲。坪内逍遥作。読本体と実演用の2種類がある。…

【シェークスピア】より


20N.F.E.

  (1884)1928

【ジュリアス・シーザー】より

…この劇は政治における理想と現実,支配者と民衆の関係,修辞的弁舌の効用などについて問題を提起するほか,ブルータスの内面描写にはのちのシェークスピア悲劇における主人公の性格創造の内面化がみられる。日本でも早くから紹介されたが,1884年に坪内逍遥は《該撒(シイザル)奇談 自由太刀余波鋭鋒(じゆうのたちなごりのきれあじ)》(1901年に明治座で上演)として浄瑠璃風に翻訳した。【笹山 隆】。…

【小説】より


︿︿西︿︿︿西(novel,roman)(short storyconte)

【小説神髄】より

坪内逍遥の小説論。1885‐86年刊。…

【新楽劇論】より

…演劇書。坪内逍遥著。1904年(明治37)11月刊。…

【新歌舞伎】より

…しかし,1881年江戸生え抜きの作者河竹黙阿弥が,新時代順応の限界を悟って引退を声明,その後も人なきがために筆をとっていたが,門弟に発展的継承がみられず,93年の黙阿弥の死は,それまでの狂言作者制度の崩壊を意味することになった。劇場外文学者の作品提供にはそうした事情もあり,やがて松居松葉坪内逍遥らが登場する。94年逍遥の《桐一葉》の《早稲田文学》への発表がそれであり,次いで99年松葉の《悪源太》,1904年前記《桐一葉》の舞台化が幕明けとなる。…

【新曲浦島】より

…3幕11景。坪内逍遥作。1904年11月早稲田大学出版部から公刊。…

【新劇】より




 1906︿095()︿(190811

【当世書生気質】より

坪内逍遥の長編小説。1885年(明治18)6月~86年1月,17分冊で刊行。…

【ハムレット】より


20︿︿ ((1882))(1886)()()(1905)(1909)便調

【文芸批評】より

…【清水 徹】
[日本]
 幕末の洋学移入の延長線上に入ってきた西洋思想とその紹介が,まず明治初年の啓蒙思想として流布し,そのなかから文学論が散発的に現れた。チェンバー兄弟編の百科全書の文学項目(Rhetorics and Belles Lettres)が菊池大麓によって《修辞及華文》(1879)として訳され,また《新体詩抄》(1882)の序文が詩論の発端を示すなどして,やがて坪内逍遥《小説神髄》(1885‐86)が出て近代文芸評論は成立する。このリアリズム小説論は,二葉亭四迷〈小説総論〉(1886)の虚構理論に発展し,明治20年代にいたって坪内逍遥と森鷗外との論争などを通じて,文芸批評は時代の文学への指導的役割を確立する。…

【沓手鳥孤城落月】より



【良寛と子守】より

…1幕。坪内逍遥作。1929年6月東京帝国劇場初演。…

【歴史劇】より

…これは9世市川団十郎や河竹黙阿弥を中心にして,それに福地桜痴や依田学海らが加わって進められたが,史実に忠実のあまり,芸術的完成度の点では満足すべきものではなかった。しかし,この運動を契機として,やがて坪内逍遥の歴史劇論や新史劇創作への道が開かれた。これが逍遥らによる〈新歌舞伎〉の運動であり,史実に忠実であると同時に歌舞伎の伝統美をもうけついでいる芸術的な作品がここから生まれた。…

【早稲田大学】より

…また,政治に限らず,日本の経済,社会,学術,文化の各分野の発展にも大きな足跡を刻んでいる。開校翌年から教壇に立った坪内逍遥の文芸活動は,1890年文学科を設置して文学教育のとりでを築き,翌91年には雑誌《早稲田文学》を創刊して早稲田文学の土壌を育成するなど多彩であった。このなかから文壇をリードする優れた作家,文芸家が多数輩出した。…

※「坪内逍遥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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