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…しかし,19世紀末以降の実証的な歴史研究によって,エンリケ伝説は次々と否定されるとともに,近年のエンリケ研究からは超人的・ルネサンス的イメージは後退し,より人間的・中世的側面が浮かび上がってきた。 1415年のアフリカ北西端セウタの征服はポルトガルの進出の出発点とされているが,それは同時にエンリケが歴史の舞台に登場する最初の機会でもあった。セウタは当時ヨーロッパに欠乏していた金がアフリカのスーダンから流入する豊かな市場として,またその後背地モロッコは古代ローマ時代から穀倉地帯として知られており,父王ジョアン1世が都市商人層の商業的欲求と貴族階級の領土的野心を合わせて満足させることのできる格好の攻撃目標であった。…
※「セウタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」