ドルイド(読み)どるいど(英語表記)Druid

翻訳|Druid

精選版 日本国語大辞典 「ドルイド」の意味・読み・例文・類語

ドルイド

 

(一)   ( Druid ) 調
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ドルイド」の意味・わかりやすい解説

ドルイド
どるいど
Druid


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J20002004

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改訂新版 世界大百科事典 「ドルイド」の意味・わかりやすい解説

ドルイド
Druide

古代のケルト人の信仰をつかさどった聖職者,司祭階級。前7世紀ころから明確に姿を現す。前1世紀のカエサルの《ガリア戦記》によれば,ドルイドは貴族層に属し,公私の神事,犠牲,裁判,占星,民衆の教化などをつかさどり,絶大な権威を有した。ケルト人は霊魂の不滅を信じ,動植物の姿をとる神々を崇拝,泉や森,とくにヤドリギ,オークを神聖視し,犠牲をささげ占いをおこなった。こうした宗教を指導・教化したのが,ケルト語で元来〈オークの木を知っている人々〉を意味したドルイドであった。紀元前後ころその信仰の最大の中心地はブリタニアのモナ(現在のウェールズのアングルシー島)で,歴史家タキトゥスによれば,61年ローマ軍がここを攻めたとき,戦勝祈願に来た多数のドルイドを殲滅(せんめつ)し,神聖な樹々を切り倒したと伝えている。この事件を一つの契機に,ケルトの宗教やドルイドは衰え,キリスト教の普及とともに消滅したが,それらの要素は民話や地方的慣習の中に残存しているといわれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ドルイド」の意味・わかりやすい解説

ドルイド
druid

古代ケルト宗教であるドルイド教の祭司。ケルト社会の最上位を占める階級をなし,王にもまさる精神的権威を認められ,宗教と魔術のほか,裁判や若者の教育,病気の治療などにあたった。世襲制ではなく,ドルイドを志願する若者は,ときには 20年間にも及ぶ長期の修練の期間を経て,伝承された秘儀的知識を習得しなければならなかった。しかしその教説の内容は決して文字に記されることがなかったので,霊魂の転生の観念を含んでいたなど,いくつかの断片的事実のほかはまったく知られていない。ドルイドたちは狂信的民族主義者であったために,ガリア地方ではローマ帝国の迫害を受け,帝国の版図外のアイルランドなどでも,キリスト教の進展に伴い衰滅したが,その記憶は民間伝承のなかに根強く残っており,ドルイド教の後継者をもって任じる運動や秘密結社のたぐいは,今日でもなおその跡を絶たない。

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世界大百科事典(旧版)内のドルイドの言及

【ガリア】より

…ローマと接触するころまでには,北東部にはケルトとゲルマンが混じたベルガエ人,中央部にケルト人,南西部にはケルトとイベリア人が混じたアクイタニア人が住むようになっていた。これらガリア人はドルイド教を信仰し,ドルイド神官は超部族的な支配層であったが,政治的にはガリア諸部族が統一されることはなく,この諸部族間の分立・反目がやがてローマのガリア進出を招くことになる。
[ローマの支配]
 前4世紀初頭,ケルト人の一派は北イタリアに侵入して先住のエトルリア人を追い出し,やがてポー平原に定着する。…

【ケルト人】より

… この段階におけるケルト人の社会では,古典作家たちが記述したように,部族ごとに社会統合が進みつつあり,支配身分たる貴族の固定化が明らかになっていたと思われる。自由身分の戦士と不自由身分とが存在し,これに加えて,特異な身分としての神官(ドルイド)が存在した。祭祀者たるドルイドは,特権身分として世襲され,ケルト人の文化的伝統の体現者として,政治・社会を指導していた。…

※「ドルイド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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