日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォード」の意味・わかりやすい解説
フォード(Henry Ford)
ふぉーど
Henry Ford
(1863―1947)
アメリカの実業家、自動車王。アイルランド移民の農夫の父と、オランダ人とスカンジナビア人の混血の母との間に、ミシガン州ディアボーンに生まれる。幼いころから機械技術に天分を発揮し、15歳で蒸気エンジンを製作、20歳になる前に時計修理のベテランとなる。最初の自動車の製作・試走に成功したのは、エジソン照明会社︵後のゼネラル・エレクトリック社を構成する1社︶に主任技師として在職中の1896年で、33歳であった。
1899年にはエジソン社を辞し、デトロイト自動車会社︵1903年、キャデラック自動車会社となり、1909年ゼネラル・モーターズ社に吸収︶の技術主任に就任するが、経営陣と意見を異にし、1902年に同社を去る。1903年フォード自動車会社を設立、自ら副社長兼技術主任を務める。同社の車は比較的軽量で扱いやすく好評を博したが、名声を決定的にしたのは1908年10月1日に発表したT型である。1910年にはミシガン州ハイランドパーク工場が操業開始、そこで1913年から世界最初のコンベヤーライン式の組立てをスタート、T型は日産1000台に達した。
年産30万台を達成した1914年には、T型の購入者に40~60ドルのリベートを償還すると発表、一方、工員には1日8時間労働を採用するとともに同種産業の平均の2倍以上にあたる日給5ドルを支給、あわせて利益分配計画も発表、世間を驚かせた。フォード社のシェアは1919年に55%を超え、1923年には年産200万台に達した。初め850ドルで売り出したT型は、最盛期の1925年には260ドルまで下がり、1927年5月31日までの19年間弱に実に1500万7033台を生産した。これは1972年にフォルクスワーゲン・ビートル︵カブトムシ︶に破られるまで、1型式の自動車の生産記録として生き続けた。しかしこの高率賃金も、流れ作業から生ずる労働者の疎外感と労働密度の強化、それを裏書きする労働移動率の増大という事態への対応策としては十分なものではなく、経営戦略の面においても彼の理念は市場の変化を無視したT型車への固執となり、やがて階層別の多車種生産に乗り出したGMとの競争で敗れるに至った。
1919年に社長の座を息子のエドセルEdsel Ford︵1893―1943︶に譲ったが、病弱なエドセルは1943年に49歳で他界、80歳のヘンリーはふたたび社長に返り咲いた。第二次世界大戦の終わった1945年、孫のヘンリー・フォード2世Henry Ford Ⅱ︵1917―1987︶に譲り、2年後に没した。遺産は10億ドルといわれたが、その多くはフォード財団に寄贈された。
﹇高島鎮雄﹈
﹃H・フォード著、稲葉襄監訳﹃フォード経営――フォードは語る﹄︵1968・東洋経済新報社︶﹄▽﹃下川浩一著﹃フォード﹄︵﹃世界企業6﹄所収・1972・東洋経済新報社︶﹄▽﹃C・E・ソレンセン著、福島正光訳﹃自動車王フォード﹄︵角川文庫︶﹄
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