ブラジル(読み)ぶらじる(英語表記)Federative Republic of Brazil 英語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ブラジル」の意味・わかりやすい解説

ブラジル
ぶらじる
Federative Republic of Brazil 英語
República Federativa do Brasil ポルトガル語

総論


República Federativa do Brasil西西8515767202052316979917020001907557992010125202019604西1000110015020087


自然・地誌

自然

国土は南アメリカ大陸の47.3%を占め、北緯5度から南緯34度まで南北に4320キロメートル、東西に4380キロメートルにも及ぶ。大部分は熱帯で、南回帰線以南の面積はわずか7%にすぎない。北部国境沿いのギアナ高地と東海岸沿いに南北に延びる山脈を除いて大部分が平原になっており、最高峰バンデイラ山も標高2890メートルにすぎない。広大な国土のなかばはアマゾン川の流域に含まれる。大西洋に臨む海岸線はきわめて単調。国土の西端から太平洋岸までの直線距離はそれほど大きくない。西の国境の一部はアンデス山麓(さんろく)に接している。

 アマゾン川はラテンアメリカ最大の河川で、ブラジル国土の大部分を包み込んでいる。ペルー・アンデスに源を発し、ブラジル北部を貫流して赤道直下の大西洋に注いでいる。全長6300キロメートル、流域面積は650万平方キロメートルで世界最大、ブラジル領内はそのうち約3000キロメートル、478万平方キロメートルで、ブラジル全土の56%を占める。長さ2000キロメートルを超す支流は六つ存在し、数多くの瀑布(ばくふ)が膨大なエネルギー資源を包蔵する。河口に近いベレンはアマゾン川流域の物資を集散する最大の港で、アマゾン川とネグロ川の合流点近くにあるマナウスはアマゾン盆地第一の港である。増水期(10月~1月、3月~7月)には河口からマナウスまで3000トン級の船が入り、イキトスまでは1000トン級の船の航行が可能である。なお、増水期と減水期の水位差はマナウスで10.8メートルに及ぶ。

 ブラジルの地質は始生界の花崗(かこう)岩、花崗片麻(へんま)岩類からもっとも新しい沖積層まで含んでいる。もっとも古い花崗岩類はギアナ高地とブラジル高原に分布している。古生層、中生層はこれらを覆って発達している。第三紀層はアマゾン流域に広く分布し、ほぼ水平に堆積(たいせき)している。洪積層や沖積層もアマゾン川沿いに発達するが、分布は限られている。金属鉱床、非金属鉱床とも中生層までの古い岩石に多いが、第三紀層、ことに大西洋岸とアマゾンのそれには石油の埋蔵が確かめられ開発が進められている。

[山本正三]

地誌

広大な国土は、自然条件の相違によって、北部、北東部、東部、サン・パウロ、南部、中西部の六つの地方に分けられる。北部地方は、200の支流、幅335キロメートルに及ぶデルタを擁するアマゾン川のつくりだす広大な低地帯である。年降水量2000ミリメートル、気温は年中30℃前後の熱帯性気候を呈し、一帯はジャングルに覆われている。樹種4000以上といわれ、樹高50メートルに達する巨大な樹木もあり、数層に分かれた典型的な熱帯雨林の生態を示している。動物は、ワニの一種カイマン、ヘビ類のアナコンダ、昆虫では美麗なモルフォチョウ、魚類ではピラニアやピラルクーが知られるが、一般に鳥類や昆虫の種類が多く、大型の哺乳類(ほにゅうるい)は少ない。土壌はラテライト土とよぶ赤色の土壌が多いが、この地方の南部では肥えた暗紫色のテラロッサが広く分布している。石油・ウラン鉱などの鉱物資源をはじめ天然資源に恵まれているが、開発は後れており、産業としては細々と続けられているゴム栽培ぐらいしかない。この地域では先住民(インディオ)が散在してかなり孤立した生活を送っている。全国土の42.7%を占めるにもかかわらず、人口ではわずか3%を占めるだけである。この地方の中北部は、全長1200キロメートルのパルナイーバ川を挟むマラニョン、ピアウイの両州からなり、北部地方と北東部地方の「干魃(かんばつ)の多角形」地域との間にあり、両地方の自然的特徴をあわせもっている。

 北東部地方は湿潤な海岸平野と乾燥した内陸高原とに分けられる。前者は肥沃(ひよく)な土壌に恵まれた海岸線に沿う狭い地帯であり、後者は「セルトン」とよばれる半砂漠的平原を形成する。海岸平野はサルバドルからナタールに至る狭い多雨地帯で、農耕と牧畜用に開墾されている。もっとも早くから植民地化が進んだ地域で、多数のアフリカ人を黒人奴隷として移入してサトウキビ栽培が盛んに行われた。現在でもサトウキビの生産が行われている。また内陸高原の奥部には、カーチンガという有刺サボテン系の低木が生育し、主として放牧が行われている。パルナイーバ川を挟むマラニョン、ピアウイ両州はアマゾンの熱帯雨林からの移行地帯で、ヤシの自生がみられる。北東部地方は開発の歴史を反映して総人口の28%が居住するが、住民の経済状態は悪い。中心都市としては、海岸沿いに北からフォルタレザ、ナタール、ジョアン・ペソア、レシフェなどがある。

 東部地方はブラジル高地の東部にあたり、バイア、ミナス・ジェライス、リオ・デ・ジャネイロ州を中心とする地域である。地形は複雑でブラジル高地の最高峰バンデイラ山をもつ山系が海岸近くを南北に走り、その奥を南から北にサンフランシスコ川が流れる。海岸平野のすぐ背後には標高800メートルもある大急崖(きゅうがい)が壁のようにそびえている。沿岸部は降雨に恵まれるが、内陸部はカンポ・セラードとよばれるサバナである。バイア州サルバドル付近の石油、ミナス・ジェライス州ベロ・オリゾンテ近くのイタビラ鉄山の鉄などの豊かな鉱物資源、パウロ・アフォンソ発電所などの生産する電力資源に恵まれ、比較的工業が発達している地方である。内陸部のミナス・ジェライス州には牧畜地帯が多い。国土の10分の1を占めるにすぎないが、住民は総人口の43%にも達している。

 サン・パウロ地方は、18世紀のゴールド・ラッシュ時代には辺境の地であったが、現在ではコーヒーの主産地として、また工業の中心地としてブラジルの核心地域となっている。コーヒー栽培は、地力の消耗をみると耕作をやめ、テラロッサ地帯を求めて内陸部に向かって移動しつつある。耕作をやめたあとは再生林や牧場になっている。サントスは世界第一のコーヒー積出し港である。サン・パウロはブラジル最大の都市で、リオ・デ・ジャネイロとともに最大の工業地帯を形成している。日本を含め多数の外国企業が進出しており、おもな工業は繊維、化学、製薬、電気機器、ゴム、機械と多岐にわたり、ブラジルの全工業生産額の3分の1以上を生産する。

 南部地方の地形はサン・パウロ州と類似しているが、気温が低くなり、コーヒー栽培の南限はパラナ州北部である。パラナ州南部からリオ・グランデ・ド・スール州にかけては牧畜と穀物栽培が盛んである。工業にはみるべきものはないが、パラナ川に注ぐ多くの河川は大きな潜在発電能力を有し、開発が進められている。グアイバ川河口に位置するポルト・アレグレは肥沃な農業地帯を後背地としてもち、サン・パウロ以南では最大の商業中心地である。内陸のサンタ・マリアから鉄道でウルグアイに通ずる。

 首都ブラジリアを擁する中西部地方は、中央高原をはじめとする緩やかな起伏のある高地地域、ボリビアとの国境地帯の12万平方キロメートルにも及ぶタクアリ湿原などを含む。北部はアマゾン流域の熱帯雨林に覆われるが、南部にはサバナが展開する。鉱物資源の開発に期待が寄せられているが、大部分は未開発で、人口も希薄である。

[山本正三]

歴史

時代の流れ

ブラジルは、コロンブスによる「新大陸発見」から8年後の1500年にポルトガルによって「発見」され領有された。その後の500年を政治的側面からみると以下のような流れをたどる。

 1530~1822年植民地時代(ただし1580~1640年はスペイン王によるポルトガル王兼任の「同君連合」で事実上スペイン支配下。1815~1822年は、1808年のポルトガル王室のリオ・デ・ジャネイロ移転により「ポルトガル・ブラジル・アルガルベ連合王国」の一部となる)、1822~1889年帝政時代、1889年以降は共和政をベースとした現代。このうち1889~1930年は第一次共和政、1930~1945年バルガス政権、1945~1964年ポピュリズムの時代、1964~1985年軍事政権、1985年以降は民主主義定着の過程にある。

 ブラジルの場合、宗主国ポルトガルおよび欧米市場に供給された主要一次産品のそれぞれの栄枯盛衰を1サイクル(時代)としてとらえ、主要産業の交代で歴史を追う見方がある。サイクルの開始および終了をいつにとるかは論者や資料によって微妙に異なるが、赤い染料が抽出できる木材パウ・ブラジルのサイクル(16世紀前半)から始まり、砂糖(1530年代~1670年代)→金(17世紀末~1760年代)→コーヒー(1830年代~1930年代)→工業(1930年代以降)と続いた。このほか綿花栽培や牧畜、タバコ、ゴムといった、ブームが短かったサイクルもある。サイクルの移動は産業の交代だけにとどまらず、開発フロンティアの北東部地域から南東部地域に向けての南下を意味した点でも、ブラジルの歴史を考えるうえで重要な意味をもつ。

[堀坂浩太郎]

「発見」と植民地時代

150042213西1494

 沿

 1530西沿

 ()西調

 1721654退退退

 西姿

 17


王室の移転と帝政

18083西

 61822971267

 1919518501888


第一次共和制とバルガス政権

188911()18641870

 18911908()

 193011退退退

 194510151934

 使PSDPTB()


戦後のポピュリズムと軍事政権

第二次世界大戦後は、1964年3月31日の未明から4月1日にかけて発生した軍事クーデターまで、国民の直接選挙で選出された5人の大統領が政権を担う。制度的には民主的形態をとりながら、大統領が直接民衆に働きかけるポピュリズムの色彩が強い時代であった。5人の大統領のうち、戦後2代目に返り咲いたバルガス大統領は自殺、4代目のクアドロス大統領は就任8か月で辞任、5代目のグラール大統領はクーデターで追放と、左右の路線対立で激動した。

 ただ戦後3代目のクビチェック大統領時代に「50年の遅れを5年で」のスローガンの下、道路や電力網などインフラの整備、自動車、造船、製鉄などの工業化が進展し、さらに首都をリオ・デ・ジャネイロから960キロメートル内陸の高原地帯ブラジリアに移す遷都を断行した。産業の担い手として、国営企業の育成とともに外資の導入も活発化した。

 軍政時代は、1985年3月15日の文民政権への移管まで21年の長期に及び、軍部の力を背景とした権威主義体制の典型とされた。超憲法法規である軍政令の発動、新憲法の制定、大統領令の活用により法治国家の形をとりながら、情報機関を網の目のように張り巡らし、反対勢力の公職追放、再三の国会閉鎖、学生運動や都市ゲリラの徹底的な弾圧によって政治全般に支配力を及ぼした。既存の政党を解散させ、国家革新同盟(ARENA)、ブラジル民主運動(MDB)の官製の与野党を組織した。

 1964~1968年の軍政整備期を経て1969~1977年が同確立期といえる。この間、1968~1973年に「ブラジルの奇跡」とよばれた年率10%を超える高度成長を達成した。軍政期を通じ耐久消費財や資本財の輸入代替工業化が進み、新興工業経済地域(NIES)の基盤ができる。また1973年の石油危機を契機にガソリン代替のエタノールの利用や大陸棚の石油探査が始まった。その半面、国際金融市場からの対外借入が増え、1982年末には先進国や国際機関に債務危機への救済要請を行った(対外債務危機)。

[堀坂浩太郎]

民政移管と民主主義定着へ

1985345()19851Tancredo de Almeida Neves191019851姿

 319851990199019921992199419823()419947Fernando Henrique Cardoso1931 1992

 1995
4姿19881993

 Luiz Inácio Lula da Silva1945 199721999()2008

 21


政治

政治制度

2618911967

 5943西46西20085565

 319881824()819671969


選挙と政党

1985186916177014238185134簿

 10219952002200320102

 ARENAMDBPMDBMDBPSDBPMDBPT1982DEMARENAPFL200710


ブラジル国軍は陸海空の三軍で編成され、兵力は2008年時点でそれぞれ18万9000、6万2000、6万8000である。1964年4月~1985年3月は軍部が事実上政治を支配した軍事政権であったが、文民政権の混乱に乗じてしばしば軍部が政治に介入した過去がある。しかし1988年憲法で軍の治安行動に「三権(立法・行政・司法)いずれかの発議による」との規定が入り、かつ1999年の国防省創設によって三軍各省が廃止され、文民統制が強化された。

[堀坂浩太郎]

外交

スペイン語圏に囲まれた南米唯一のポルトガル語圏の国ということで、孤立回避に神経を遣い国土の大きさに比べてロー・プロファイルの(目だたない)外交姿勢をとってきたが、レアル計画(1994)による経済安定化以降、大統領主導の外交が積極化する。1985年に隣国のアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイの3か国と結成したメルコスール(南米南部共同市場)をベースに、南米諸国連合(UNASUR)、ラテンアメリカ・カリブ統合・開発サミットと地域統合拡大に動く。3大陸にまたがる新興国インド、南アフリカ共和国とのIBSAフォーラム、BRICs(ブリックス)諸国の首脳会談、ポルトガル語圏アフリカ諸国との連携など途上国諸国との関係構築は多彩である。WTO(世界貿易機関)の多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)では途上国グループを糾合した貿易版のG20を結成し、途上国の代表格として欧米との交渉に臨む。2008年にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻(はたん)したことに端を発する世界的な金融危機、いわゆる「リーマン・ショック」後の金融安定化を協議する金融サミット(金融版G20)ではIMF(国際通貨基金)への資金供与を約束するなど中国、インドとともに中心的存在に浮上した。

 経済外交に重点があるが、国連改革では安全保障理事会常任理事国入りに意欲的である。カリブ海の国ハイチの平和維持に派遣された国連ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)では中核的役割を務める。アメリカとは、軍政時代の1970年代後半、アメリカ・カーター政権の人権外交に反発して米伯軍事援助協定を破棄しそのままになっているが、対話路線は続いている。

[堀坂浩太郎]

経済・産業

マクロ経済の推移

5001920193019801990

 18221889()

 161618綿181920

 

 19504Ernesto Beckmann Geisel19071996

 19823()4()1990()10

 1994719991


産業

21BRICs貿2001582556貿266200716061206貿4004200819791731

 20220088.3

 200711214334貿2006

 200836.913.746.8

 2120011182008200()


社会・文化

住民

全人口の86%は東部およびサン・パウロ、パラナの両州を中心とする南部地方に住む。人口増加率は年平均1.5%(2000~2006)、平均寿命は男69歳、女76歳(2006)となっている。都市人口の比率は、1940年に31%、1950年に36%、1960年に45%、1970年に56%、1989年75.6%、2000年81.2%と年々高まる一方である。とくにサン・パウロの人口伸長は著しく、2000年には約1043万人、2005年には約1102万人に達した。大サン・パウロは、2000年に人口約1600万人、全人口の約9%を占めている。人種の構成は複雑で、ポルトガル人の子孫、ヨーロッパ移民、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人、南米先住民、東洋系移民がさまざまの度合いで混血している。白人54%、混血39%、黒人6%、その他1%となっている。アメリカ合衆国におけるような人種差別はないが、下層所得層には黒人、有色人が多い。また住んでいる地方がだいたい人種別に異なっている。黒色系の多いのは主として沿岸地方であり、有色系は内陸地方から沿岸地方、白色系はサン・パウロ以南の諸州に多い。宗教別にみると全人口の74%がローマ・カトリック教徒で、プロテスタントは15%である。言語はポルトガル語(公用語)が大部分である。

[山本正三]

文化

ブラジルは各国の人種が集まっており、それぞれ自国の文化を持ち込み、それらが伝統的なポルトガル文化と混合してしだいに独自のブラジル文化を形成した。南部のサン・パウロ州ではとくにイタリア移民の影響が強く、さらに南のリオ・グランデ・ド・スール州ではドイツや東ヨーロッパからの移民の影響が強い。このように南部諸地方はヨーロッパ系の移民が多く集まっているため文化水準もかなり高く、教育も進んでいる。地方的、民族的文化とヨーロッパ文化とを混交させて独自のブラジル文化創造に寄与した人も多い。ブラジルの文学はポルトガル文学の影響を大いに受けている。音楽部門ではカルロス・ゴメスAntonio Carlos Gomes(1836―1896)、ビラ・ロボスHeitor Villa-Lobos(1887―1959)、建築部門ではコスタLucio Costal(1902―1998)とニーマイヤーが傑出している。新首都ブラジリアはコスタの都市計画設計、ニーマイヤーの建築設計によって建設された。映画では「シネマ・ノーボ」の代表者であったグラウベル・ローシャ監督が今日のラテンアメリカの映画界に大きな影響を与えている。また、スポーツにおいてはサッカー大国として知られ、ワールドカップ全大会に出場している唯一の国であり、5回の優勝経験をもつ。

 日刊紙は、全部で536紙(2006)、おもなものは「エスタド・ジ・サンパウロ」「オグロボ」など。テレビ局は119局(1995)、ラジオ局は2033局(1995)。

[山本正三]

教育

7歳~14歳までが義務教育であり、公立の初等教育は無料である。都市における義務教育は徹底してきたが、農村部では依然として非識字率が高い。高等学校は15歳~17歳の3年間である。大学は、工学部、法学部が5年、医科系は6年、その他は4年と学部により異なる。サン・パウロ州立大学、国立ブラジル大学は約1世紀にわたる歴史をもち、ブラジルでもっとも水準の高い総合大学である。

[山本正三]

医療

医療体系は医薬分業を原則としている。広大な熱帯、亜熱帯圏を擁するので、さまざまな風土病、寄生虫害、毒蛇害に対処するため、熱帯医学の研究が盛んである。リオ・デ・ジャネイロのオスワルド・クルス熱帯医学研究所は、20世紀の初頭リオ・デ・ジャネイロの黄熱病、マラリア、ペストを撲滅したオスワルド・クルス(1872―1917)の名を記念するもので、世界的に権威がある。サン・パウロのブタンタン毒蛇研究所はブラジル全土から毒蛇を集めて飼育し、毒液を採取して血清を製造しており、世界最良の血清製造所として定評がある。

[山本正三]

日本との関係

日系人

1908年(明治41)、最初の日本移民781人が水野竜(りょう)(1859―1951)の皇国殖民会社の扱いによって移住した。コーヒー耕地の契約労働者(コロノ)としてブラジルに移住したものの、最初のうちは成果はかならずしも思わしくなかった。しかし、第二次世界大戦中および戦後の社会変動により日系在留民の生活様式も初期の腰掛け気分から永住にかわっていった。ブラジル人経営のコーヒー農場では苦しみをなめ結局は失敗に終わっているが、独立して自作農となり、また都市周辺に集まって野菜栽培や商工業者としてしだいに経済的基盤を固めていった。また日系二世、三世のなかには大学教授、医師などになっている人も少なくない。ブラジルへの渡航費支給移住者数は1959年度の7000人台をピークに年々減少し、1968年度以降は400人前後に落ち込んだ。また、農業移住者よりも技術移住者のシェアを高めていった。ブラジル側も単なる労働力としての移住者を需要するのではなく、特定職種の技能者を求めるようになっていった。この移住支援事業は1993年度末で廃止となっている。2008年現在で日系人の総数は約150万、その多くがサン・パウロ州およびパラナ州に居住している。

[山本正三]

貿易

日本とブラジルとの貿易は年々拡大傾向にあり、日本の対ラテンアメリカ諸国貿易に占める割合も高い。日本からブラジルへの輸出について商品群別にみると、自動車・自動車部品、機械機器類、化学品、コンピュータ部品等が多く、いわゆる重化学工業品が輸出の90%前後を占めており、軽工業品の比重は小さい。他方輸入についてみると、食料品、原料品で90%近くを占め、なかでも原料品が多い。原料品のなかでは鉄鉱石の比重が高いが、ほかにアルミニウム地金、合金鉄類、パルプなどが多い。食料品は鶏肉、コーヒー、オレンジジュース、大豆などである。両国間の構造的問題は日本側の大幅出超という点にある。その最大の原因は、ブラジルからの輸入商品が一部の一次産品に集中しているところにあるが、このアンバランス是正のためには、日本側の輸入商品の開拓と同時にブラジル側の対日輸出産品の多角化が望まれる。

[山本正三]

経済協力

日本のブラジルに対する経済協力は資本協力の面でとくに大きく、ウジミナス製鉄所、カラジャス鉄鋼山プロジェクトなどはその代表例である。2006年の政府開発援助(ODA)額は2586万ドル。債務返済の延期、円借款など政府ベースの資金協力および延べ払い輸出信用はアジア諸国への協力に比べて著しく少ない。技術協力、貿易を通しての経済協力についても同様であり、ブラジルに対する日本の経済協力はもっぱら民間投資を通じて行われているのが実状である。

 ブラジルへの経済協力のうち1982年のセラード(酸性土壌の荒れ地)農業開発が話題をよんだ。6月にブラジルを訪問した鈴木善幸(ぜんこう)首相はセラード地帯の灌漑(かんがい)設備に5000万ドルの借款を供与することを約束した。セラード開発についてはミナス・ジェライス州を対象に1979年から2001年まで事業が行われ、当地域は世界有数の大豆生産地となっている。日本企業のブラジル進出では、アマゾンの工業都市マナウスへの進出が注目される。マナウスは、未開発地域に工業をおこしてブラジル全体の経済力を引き上げるねらいで税制上の優遇措置が与えられている地域で、「工業自由地域」(フリー・ゾーン)とよばれている。本田技研工業、ヤマハ発動機、三洋電機、パナソニック、富士フイルムなどが進出している。そのほか、日本・ブラジル・イタリア3国共同の大型プロジェクトであるツバロン製鉄所、アマゾン川河口近くに建設されたアマゾンアルミ社なども注目される。1988年前後からは日本に出稼ぎに行く日系人が増加、さらに1990年の「出入国管理及び難民認定法(入管法)」の改正法施行により、日系人とその家族への滞在条件が緩和されたことを背景として在日ブラジル人は急増、約32万人(2007)が在住している。

[山本正三]

『ワグレー著、山本正三訳『ブラジル』(1971・二宮書店)』『斉藤広志著『ブラジルの政治』(1976・サイマル出版会)』『斉藤広志著『新しいブラジル――歴史と社会と日系人』新版(1983・サイマル出版会)』『斉藤広志・中川文雄著『ラテンアメリカ史Ⅰ・総説・ブラジル』(1978・山川出版社)』『ジョーンズ著、山本正三・菅野峰明訳『ラテンアメリカ』(1980・二宮書店)』『大原美範編著『ブラジル――その国土と市場』(1980・科学新聞社)』『モンベーク著、山本正三・手塚章訳『ブラジル』(1981・白水社)』『アンドウ・ゼンパチ著『ブラジル史』(1983・岩波書店)』『山田睦男編『概説ブラジル史』(1986・有斐閣)』『梁田秀藤編『ラテンアメリカ――自立への道』(1993・世界思想社)』『田辺裕監修『世界の地理5――南アメリカ』(1997・朝倉書店)』『金七紀男・住田育法他著『ブラジル研究入門――知られざる大国500年の軌跡』(2000・晃洋書房)』『富野幹雄・住田育法編『ブラジル学を学ぶ人のために』(2002・世界思想社)』『ブラジル日本商工会議所編『現代ブラジル事典』(2005・新評論)』『鈴木孝憲著『ブラジル巨大経済の真実』(2008・日本経済新聞出版社)』『西沢利栄・小池洋一著『アマゾン――生態と開発』(岩波新書)』『小林英夫著『BRICsの底力』(ちくま新書)』


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改訂新版 世界大百科事典 「ブラジル」の意味・わかりやすい解説

ブラジル
Brazil



República Federativa do Brasil 
8514877km2 
201019325 
Brasilia12 
 
Real

西47%523西pau-brasil西A.︿18221822-89196485


5°2634°46西4300km83西85Pico da Neblina3014m

 西

 1沿2342612invernoverão410

 西


調187299304781251619601970801985-902.1%1.7%

 3mamelucomulatocafuzo1500150沿lingua geral使360沿

 1920535043301980調55%6%0.6%pardo38%0.1%92%75%23%18%

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 1950194043%9583%1999%18901%19503.4%806.6%7.2%1964-85

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 1908-802526431925-361019249colono95%992.3%10西13

 1退192030西綿沿︿

 G.1933-343750

 1940198789.2%601987調116800028.1%199713071%


1960

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 193437︿Estado Novo

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2姿1619使貿18305088171816901729

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 綿綿1861-65綿綿1860綿

 1888退1888-194040019081

 

使綿綿186685192929調1929綿

 30

 25052BNDECDI1957-61

19531946CSN63USIMINAS64COSIPA1956641964-661968-7011972-7421975-796815︿11%

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15012綿調

︿14921494西370西14981500P.A.1530M.A.Martim Afonso de Sousa1500-64321549governador geral1000515567沿使

15801604Conselho da India12304054退173280

1693退185017631750西59798998︿

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 4015442貿1850516537088Lei Áurea89

1891193040061G.D.193037︿Estado Novo24445465054

1954︿505606441585211910-851930- 8889291949- 


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百科事典マイペディア 「ブラジル」の意味・わかりやすい解説

ブラジル

 
Federative Republic of Brazil8514877km22772014Brasilia2482010544057423RealDilma Rousseff2011120141041988108184313251342010108879534341GDP49292011GDP2789201115.02003寿68.576.1200617201090.02008         °33°47西2西 綿 1500161693180718221188919301930194519511954使1950196019641985︿1994199819991319911995EU2000 2003120072010107062014201620136141051.641908140
BRICs  

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブラジル」の意味・わかりやすい解説

ブラジル
Brazil

 
  República Federativa do Brasil
 8502728km2
 2133720002021
 

5西西 60% 200m3014m湿 500mm 2000mm16192196019904121 BRICS西沿1970  

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ブラジル」の解説

ブラジル
Brasil[ポルトガル],Brazil[英]


西15001494154916使163054179317206318228889191908648585

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「ブラジル」の解説

ブラジル


西150018228995(28)1908781251(26)貿1

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旺文社世界史事典 三訂版 「ブラジル」の解説

ブラジル
Brazil

南アメリカ大陸の東部を占める共和国。首都ブラジリア
1500年カブラルが漂着して以来,ポルトガルの植民地として砂糖生産が発展。19世紀初めにポルトガル王室が亡命し,1815年ポルトガル−ブラジル連合王国となった。1822年ポルトガルから正式に離れ,89年革命により共和国となった。1930〜45年ヴァルガス大統領の権威主義的な独裁が行われた。1964年グラール民主政権が誕生したが,軍部がクーデタを起こし,議会制度が存続するものの,右派軍部が実権を握った状態が続き,85年には民政に復帰し,88年には新憲法が公布された。

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世界大百科事典(旧版)内のブラジルの言及

【トルデシーリャス条約】より

…同条約により,スペインの勢力範囲はベルデ岬諸島西方370レグアの地点に引かれた分割線の西側と定められた。その結果,南アメリカの実体が明らかになるにつれて,ブラジルがポルトガルの管轄下に入ることになった。さらに,この条約は15世紀末のあいまいな地理知識にもとづいて作成されたので,のちに東洋とりわけモルッカ諸島の領有権が両国間で争われることになった。…

【ポルトガル】より


(16km2)15︿19741616使(使)

※「ブラジル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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