ボリビア
(一) ( B o l i v i a ) ( ボ リ ビ ア 独 立 の 英 雄 ボ リ バ ル に 由 来 ) 南 ア メ リ カ の 中 西 部 に あ る 共 和 国 。 一 八 二 五 年 独 立 。 西 部 は ア ン デ ス 山 系 の ボ リ ビ ア 高 原 、 東 部 は ア マ ゾ ン 低 地 と グ ラ ン チ ャ コ の 一 部 か ら な る 。 地 下 資 源 が 豊 富 で ス ズ ・ タ ン グ ス テ ン ・ 石 油 を 産 出 。 公 用 語 は ス ペ イ ン 語 ・ ケ チ ュ ア 語 ・ マ イ ア ラ 語 。 カ ト リ ッ ク が 圧 倒 的 に 多 い 。 憲 法 上 の 首 都 は ス ク レ で あ る が 実 質 上 は ラ パ ス 。
出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
ボリビア Bolivia
目次 自然,地誌 社会,文化 政治 経済 歴史
基 本 情 報
正 式 名 称 = ボ リ ビ ア 多 民 族 国 E s t a d o P l u v i n a c i o n a l d e B o l i v i a
面 積 = 1 0 9 万 8 5 8 1 k m 2
人 口 ︵ 2 0 1 0 ︶ = 1 0 4 3 万 人
首 都 = ス ク レ S u c r e ︵ 政 府 所 在 地 は ラ ・ パ ス L a P a z ︶ ︵ 日 本 と の 時 差 = - 1 3 時 間 ︶
主 要 言 語 = ス ペ イ ン 語 , ケ チ ュ ア 語 , ア イ マ ラ 語
通 貨 = ボ リ ビ ア ノ B o l i v i a n o
南 ア メ リ カ 大 陸 の 中 央 部 に 位 置 す る 共 和 国 。 ブ ラ ジ ル , ペ ル ー , チ リ , ア ル ゼ ン チ ン , パ ラ グ ア イ の 5 ヵ 国 に 囲 ま れ た 内 陸 国 で あ る 。 国 名 は こ の 地 域 の 独 立 解 放 の 指 導 者 S . ボ リ ー バ ル に ち な ん で 名 づ け ら れ た 。 ボ リ ビ ア に は 約 8 5 0 0 人 の 日 系 人 と 在 留 邦 人 が い る ︵ 1 9 9 4 ︶ 。 日 本 人 移 住 は 1 9 0 0 年 ︵ 明 治 33 ︶ の ペ ル ー か ら の 再 移 住 が 最 初 で あ る が , 第 1 次 大 戦 前 後 に ゴ ム 栽 培 の た め に ペ ル ー か ら 大 量 の 再 移 住 が あ っ た 。 第 2 次 大 戦 後 の 移 住 は 53 年 に 始 ま り , 5 8 0 0 人 に の ぼ る 。 サ ン タ ・ ク ル ス 州 に 集 中 し , 3 0 0 0 人 余 り が 米 作 を 中 心 と す る 農 業 を 行 っ て い る 。 ア メ リ カ 施 政 権 期 の 沖 縄 か ら 移 住 し た 人 も 多 い 。
自 然 , 地 誌
面 積 は 日 本 の 約 3 倍 に あ た り , 南 ア メ リ カ で は 第 5 位 を 占 め る 。 そ の 地 形 に よ り , 標 高 3 5 0 0 m 以 上 の ア ン デ ス 高 地 ︵ ア ル チ プ ラ ノ ︶ と そ れ 以 下 の ア ン デ ス 東 麓 地 帯 ︵ エ ル ・ バ エ ︶ お よ び 東 部 平 原 地 帯 ︵ オ リ エ ン テ ︶ の 三 つ に 大 別 さ れ る 。 ア ル チ プ ラ ノ と エ ル ・ バ エ の 両 地 帯 の 面 積 は 全 面 積 の そ れ ぞ れ 5 分 の 1 を , オ リ エ ン テ は 残 り の 5 分 の 3 を 占 め る 。 高 い 山 岳 と 広 大 な 原 始 林 の た め に 交 通 が 阻 害 さ れ , ア ル チ プ ラ ノ の 地 下 資 源 や オ リ エ ン テ の 農 業 そ の 他 の 豊 富 な 資 源 の 開 発 が 遅 れ た ほ か , 政 治 の 面 で も 国 内 統 一 が 妨 げ ら れ て い た 。
ボ リ ビ ア は 気 候 的 に は 熱 帯 圏 に 属 し て い る 。 オ リ エ ン テ の 北 半 部 , ア マ ゾ ン 地 方 で は 年 間 を 通 じ 暑 さ は 相 当 厳 し く 多 雨 で あ り , 熱 帯 雨 林 も し く は 湿 地 ・ 草 原 を な し て い る 。 一 方 , 南 半 分 の チ ャ コ 地 方 で は 乾 季 が あ り , サ バ ン ナ 状 を 呈 し て い る 。 熱 帯 雨 林 で は 野 生 ゴ ム の 採 取 が な さ れ て お り , 草 原 地 帯 の 大 部 分 は 牧 牛 地 帯 に な っ て い る 。 オ リ エ ン テ 地 方 の サ ン タ ・ ク ル ス 州 は 1 9 5 2 年 の 革 命 後 開 発 が 進 め ら れ て お り , 石 油 の 採 掘 お よ び 米 , 砂 糖 , 大 豆 , 綿 花 , コ ー ヒ ー , タ バ コ な ど が 大 規 模 に 生 産 さ れ て い る 。 ア ル チ プ ラ ノ は ボ リ ビ ア 経 済 が 依 存 す る 最 も 重 要 な 鉱 業 地 帯 で , 人 口 が 最 も 集 中 し て い る 地 帯 で も あ る 。 年 平 均 気 温 は 10 ℃ 前 後 で 年 較 差 は わ り あ い に 小 さ く , 12 月 か ら 3 月 ま で が 雨 季 で あ る 。 ア ル チ プ ラ ノ や エ ル ・ バ エ で は 先 住 民 が ト ウ モ ロ コ シ , ジ ャ ガ イ モ , キ ノ ア , 豆 類 , コ カ な ど を つ く っ て い る が , 生 産 性 は 一 般 に 低 い 。
社 会 , 文 化
ボ リ ビ ア は ア メ リ カ 大 陸 の 他 の 諸 国 と 同 様 に , 人 種 的 に は 混 血 国 家 で あ る が , 先 住 民 イ ン デ ィ オ の 要 素 が 強 い 。 総 人 口 の 約 7 0 % が ア ル チ プ ラ ノ と エ ル ・ バ エ に , 残 り 3 0 % が 広 大 な オ リ エ ン テ に 居 住 し て い る 。 人 種 構 成 は イ ン デ ィ オ 5 5 % , 混 血 3 2 % , 白 人 1 3 % と な っ て い る 。 ボ リ ビ ア に お い て は , そ の 人 種 区 分 は , 文 化 的 ・ 社 会 的 な 要 素 が 重 視 さ れ , と く に 使 用 言 語 に よ る と こ ろ が 大 き く , 単 に 身 体 的 特 徴 や 血 統 に よ る も の で は な い 。 白 人 と イ ン デ ィ オ の 混 血 の う ち で も 白 人 の 要 素 が 優 越 し て い る 人 々 は メ ス テ ィ ソ と 呼 ば れ て い る 。 こ れ に 対 し て , チ ョ ロ c h o l o ︵ 半 ば 白 人 化 し た イ ン デ ィ オ ︶ と い う ひ と つ の 社 会 階 層 概 念 を 表 す 語 で 呼 ば れ て い る 人 々 が い る 。 彼 ら は , 人 種 的 な 特 徴 は イ ン デ ィ オ に 近 い が , ス ペ イ ン 語 を 話 し , ま た 植 民 地 時 代 の ス ペ イ ン 人 の フ ァ ッ シ ョ ン に 由 来 す る 独 特 の 服 装 を し て い る 。 そ し て , 都 市 で 経 済 活 動 に 参 加 し , そ れ に よ っ て 村 落 の 中 に 商 業 と コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を 導 入 す る 社 会 的 役 割 を 演 じ て い る 。 近 年 , 都 市 人 口 が 急 増 し , 総 人 口 の 5 7 . 5 % ︵ 1 9 9 2 ︶ が 都 市 に 居 住 し て お り , チ ョ ロ , メ ス テ ィ ソ 人 口 が 相 対 的 に 増 大 し て い る と 考 え ら れ る 。
植 民 地 時 代 以 来 , 一 貫 し て 公 用 語 は ス ペ イ ン 語 で あ る が , 現 地 諸 語 を 使 用 し て い る 者 が 6 4 % ︵ 1 9 7 0 ︶ い る と い わ れ る 。 ス ペ イ ン 語 と 現 地 諸 語 の 両 方 を 解 し , 話 す 2 言 語 常 用 者 も 多 い 。 ア ル チ プ ラ ノ に 居 住 す る イ ン デ ィ オ の 種 族 は ア イ マ ラ 族 と ケ チ ュ ア 族 で あ り , エ ル ・ バ エ で は 主 と し て ケ チ ュ ア 族 で あ る 。 こ れ ら 以 外 に も オ リ エ ン テ の ジ ャ ン グ ル な ど に は さ ま ざ ま な 部 族 が 散 在 し て い る 。
独 立 後 , 信 教 の 自 由 が 認 め ら れ た が , 宗 教 は ス ペ イ ン 人 の も た ら し た ロ ー マ ・ カ ト リ ッ ク が 大 多 数 を 占 め る 。 初 等 教 育 は 義 務 制 で 期 間 は 8 年 で あ る 。 非 識 字 率 ︵ ス ペ イ ン 語 ︶ は 2 0 % ︵ 1 9 9 2 ︶ で , 都 市 部 9 % , 農 村 部 3 6 % に 及 び , 人 口 の 半 分 を 占 め る イ ン デ ィ オ の 教 育 が 問 題 と な っ て い る 。 1 9 5 2 年 の 革 命 以 後 , 教 育 の 普 及 に 努 め て は い る が , 著 し い 進 展 は み ら れ な い 。 宗 教 , 言 語 , 法 制 , 経 済 制 度 な ど の 公 的 な も の は ス ペ イ ン 的 な 要 素 が 圧 倒 的 に 優 越 し て い る が , 生 活 文 化 の 中 に は 先 祖 の イ ン デ ィ オ か ら 受 け つ い だ 伝 統 が ま だ 多 く 残 っ て い る 。 イ ン デ ィ オ や チ ョ ロ は そ れ ぞ れ ス ペ イ ン の 影 響 を 受 け て は い る が , 一 見 し て そ れ と わ か る 伝 統 的 な 服 装 を し て お り , 特 有 の 織 物 , 焼 物 な ど を つ く る ほ か , 豊 か な 民 俗 音 楽 ・ 舞 踊 を 保 持 し て い る 。
政 治
1 8 2 5 年 に 独 立 し て 以 来 , 今 日 ま で に 実 に 1 9 0 回 余 の 政 変 を 経 験 し て お り , 政 情 は 不 安 定 な 国 柄 で あ る 。 伝 統 的 に 軍 部 が 政 治 に 介 入 す る 傾 向 が 強 い が , そ の 軍 部 も つ ね に 一 致 団 結 し て い る わ け で は な く , 内 部 対 立 も 存 在 す る 。 ま た 政 党 の 勢 力 も 安 定 し て い な い 。 こ の た め , 政 治 に 対 す る 国 民 の 意 識 の 乏 し さ も 手 伝 っ て , 国 民 諸 政 治 勢 力 の バ ラ ン ス は つ ね に 不 安 定 で , 文 民 支 配 ・ 民 主 政 治 の 維 持 は 困 難 で あ っ た 。 1 9 5 2 年 よ り 64 年 ま で ボ リ ビ ア 革 命 を 率 い た 民 族 主 義 的 な 政 党 , 国 民 革 命 運 動 ︵ M N R ︶ に よ る 文 民 支 配 が あ っ た が , 64 年 以 後 82 年 ま で , わ ず か の 例 外 を 除 い て 軍 部 の 支 配 下 に あ り , か つ 軍 部 内 の 対 立 を 反 映 し て ク ー デ タ が 相 次 い だ 。
保 守 派 の バ ン セ ル 軍 政 の 後 1 9 7 8 年 に 始 ま っ た 民 主 化 プ ロ セ ス で は , 3 回 の 大 統 領 選 挙 と 5 回 の ク ー デ タ と い う 混 乱 を き た し た が , 82 年 10 月 に 民 政 移 管 が 実 現 し た 。 以 降 97 年 に は 民 主 的 に 選 ば れ た 5 代 目 の 文 民 政 権 が 誕 生 し て お り , ボ リ ビ ア 政 治 は 安 定 し た 民 主 政 治 の 時 代 に 入 っ た 。 民 主 化 過 程 で 行 わ れ た 選 挙 で , 中 道 の パ ス ・ エ ス テ ン ソ ロ を 中 心 と す る 国 民 革 命 運 動 ︵ M N R ︶ , M N R 左 派 の シ レ ス ・ ス ア ソ が 左 翼 革 命 運 動 ︵ M I R ︶ や 共 産 党 と 結 成 し た 人 民 民 主 連 合 ︵ U D P ︶ , バ ン セ ル が 結 成 し た 右 派 の 国 民 民 主 行 動 党 ︵ A D N ︶ の 3 極 に 政 治 地 図 は 収 斂 し た 。 80 年 選 挙 に 基 づ き 招 集 さ れ た 国 会 で シ レ ス が 大 統 領 に 選 ば れ た が , 経 済 混 乱 を 深 め て U D P は 解 体 , 任 期 を 1 年 短 縮 し て 総 選 挙 が 行 わ れ た 。 85 年 に は , M N R の パ ス ・ エ ス テ ン ソ ロ が 返 り 咲 き , 経 済 自 由 化 に 基 づ く 新 経 済 政 策 を 断 行 し , バ ン セ ル 派 と の 連 携 の も と で 経 済 再 建 を 行 っ た 。 89 年 に は M I R の パ ス ・ サ モ ラ が 政 権 に つ い た が , 右 派 の バ ン セ ル 派 と の 権 謀 術 数 的 な 連 携 で 経 済 政 策 は 継 続 さ れ , 93 年 に は , 新 経 済 政 策 導 入 の 責 任 者 で あ っ た M N R の サ ン チ ェ ス ・ デ ロ サ ダ が 当 選 し た 。 97 年 に は バ ン セ ル が M I R 等 と の 連 合 で 当 選 し , 政 権 を 担 当 し て い る 。
政 体 は , 三 権 分 立 に 基 づ く 立 憲 共 和 制 。 1 8 2 6 年 に 最 初 の 憲 法 が 公 布 さ れ た 。 そ の 後 数 回 改 定 さ れ た が , 61 年 憲 法 で は 52 年 以 降 の ボ リ ビ ア 革 命 に よ る 社 会 政 治 的 な 諸 権 利 が 盛 り 込 ま れ , 67 年 の 改 正 の 後 , 現 行 憲 法 は 94 年 8 月 に 改 正 さ れ た も の で あ る 。 大 統 領 は 元 首 で あ る と と も に 行 政 の 長 で あ り , 11 閣 僚 が こ れ を 補 佐 す る 。 大 統 領 は 副 大 統 領 と と も に 任 期 は 5 年 ︵ 従 来 は 4 年 ︶ , 再 選 は 1 回 ま で , 連 続 再 選 は 認 め ら れ な い 。 選 挙 で 過 半 数 に 達 し な い 場 合 は , 国 会 に お い て 上 位 2 人 の 候 補 の 間 で 決 選 投 票 が 行 わ れ る 。 国 会 議 員 は , 上 院 が 各 県 3 人 で 27 人 , 比 例 代 表 で 選 ば れ , 下 院 は 1 3 0 名 で 半 数 は 単 記 投 票 制 で 選 ば れ る 。 革 命 以 降 , 非 識 字 層 を 含 む 21 歳 以 上 の す べ て の 国 民 に 選 挙 権 が 付 与 さ れ て い る 。 95 年 に は 県 議 会 の 設 置 を 認 め る 地 方 分 権 化 法 が 制 定 さ れ , 国 家 予 算 と 権 限 の 大 幅 な 地 方 へ の 移 管 を 進 め て い る 。
内 陸 国 で あ る が , 軍 隊 は 陸 海 空 の 三 軍 を そ な え て お り , 男 子 徴 兵 制 が し か れ , 常 備 兵 力 は 1 万 8 0 0 0 人 を 擁 し て い る 。 海 軍 は チ チ カ カ 湖 と 河 川 を 管 轄 し て い る 。 革 命 以 降 は , 鉱 山 労 働 者 を 中 心 に 中 央 労 働 セ ン タ ー ︵ C O B ︶ に 組 織 化 さ れ た 労 組 が 強 い 政 治 力 を 発 揮 し , そ れ が 政 治 の 混 乱 を ま ね く 原 因 と も な っ て き た が , 85 年 以 降 の 経 済 改 革 や , ボ リ ビ ア 経 済 に お け る 鉱 業 の 比 重 が 低 下 す る に と も な っ て , そ の 力 を 弱 め て い る 。
経 済
内 陸 国 , モ ノ カ ル チ ャ ー 経 済 と い う 特 性 に 加 え , 恒 常 的 な 政 情 不 安 と 国 民 意 識 の 乏 し さ の た め に 経 済 政 策 が 不 安 定 で , そ の た め 経 済 発 展 が 阻 害 さ れ , ラ テ ン ・ ア メ リ カ 諸 国 の 中 で も 最 も 低 開 発 の 国 の 一 つ に 数 え ら れ て い る 。 1 人 当 り 国 民 総 生 産 は 7 7 0 ド ル ︵ 1 9 9 4 ︶ で , か つ 所 得 格 差 が 大 き く , 工 業 化 の 進 展 の 度 合 は 低 い 。
ボ リ ビ ア の 経 済 構 造 は 基 本 的 に は 鉱 産 物 ︵ と く に ス ズ ︶ の 輸 出 を 中 心 と し た モ ノ カ ル チ ャ ー 経 済 で あ っ た が , 近 年 鉱 産 物 の 比 重 が 低 下 し , 一 次 産 品 開 発 の 多 角 化 が 進 ん だ 。 輸 出 の う ち , 鉱 産 物 が 4 0 % , 近 年 開 発 さ れ た 石 油 ・ 天 然 ガ ス が 2 5 % を 占 め る ほ か , 大 豆 , 木 材 , 宝 飾 品 な ど 非 伝 統 産 品 の 割 合 が 増 加 し て い る ︵ 1 9 9 0 ︶ 。
鉱 業 は つ ね に ボ リ ビ ア 経 済 の 支 柱 の 役 割 を 果 た し て き た 。 鉱 業 の 中 心 を 占 め る ス ズ の 開 発 が 本 格 的 に 始 ま っ た の は , そ の 需 要 が 高 ま り 始 め た 1 8 9 0 年 代 以 降 の こ と で , 1 9 2 0 年 代 に は 最 盛 期 に 達 し た 。 52 年 の 革 命 で パ テ ィ ニ ョ ︵ S . I . パ テ ィ ニ ョ ︶ , オ ス チ ル ド , ア ラ マ ヨ の 三 大 鉱 山 会 社 が 国 有 化 さ れ , 国 営 鉱 山 会 社 ︵ C O M I B O L ︶ が つ く ら れ た 。 鉱 山 の 老 朽 化 , 古 い 技 術 , そ れ に 伴 う コ ス ト の 上 昇 な ど の 経 営 悪 化 の 要 因 に 加 え て , 生 産 量 が 減 少 傾 向 に あ り , 商 品 の 国 際 的 な 価 格 変 動 が 激 し い た め に そ の 動 向 は 不 安 定 で あ る が , 外 資 収 入 お よ び 税 収 源 と し て 重 要 な 地 位 を 保 持 し て き た 。
一 方 , 就 業 人 口 構 成 の 中 で 最 も 重 要 な も の が 農 業 で あ る 。 労 働 人 口 の 約 4 4 % が 農 業 に 従 事 し て い る が , 国 内 総 生 産 量 へ の 寄 与 率 は 約 2 7 % に す ぎ な い ︵ 1 9 9 1 ︶ 。 国 内 の 食 糧 需 要 を 満 た し て い る の は 高 地 に 広 く 分 布 す る 小 規 模 な 零 細 農 民 で , 総 人 口 の 約 5 0 % を 占 め て お り , 国 全 体 の 食 糧 需 要 の 約 4 分 の 3 を 賄 っ て い る 。 し か し , こ う し た 農 民 の 多 く が イ ン デ ィ オ で , 国 民 経 済 に 組 み 込 ま れ る 度 合 は い ま だ に 低 い 。 ま た , 東 部 平 原 で は 高 地 か ら の 移 住 者 , 外 国 人 移 住 者 に よ っ て 換 金 作 物 の 栽 培 を 主 体 と し た 熱 帯 農 業 が 行 わ れ , 米 , 綿 花 , 砂 糖 , 大 豆 , コ ー ヒ ー , 牛 肉 が 中 規 模 , 大 規 模 の 企 業 農 園 の 下 で 生 産 さ れ て お り , 国 内 需 要 を 満 た す の み な ら ず , 総 輸 出 の 3 0 % を 占 め る ま で に な っ て い る 。 高 地 の イ ン デ ィ オ 農 民 の 生 活 水 準 の 引 上 げ と 農 業 生 産 性 の 向 上 お よ び 東 部 平 原 地 帯 の 農 業 開 発 と が 重 要 な 課 題 と な っ て い る 。
1 9 3 0 年 代 か ら 石 油 生 産 を 始 め た が , そ の 産 出 量 は 限 ら れ , 73 年 の 石 油 危 機 後 の 高 価 格 で 一 時 的 な 石 油 ブ ー ム が 起 き た も の の , そ の 後 の 生 産 量 の 低 下 に よ っ て 長 続 き は せ ず , 80 年 ご ろ ま で に 原 油 輸 出 の 余 力 が な く な り , 代 わ っ て ア ル ゼ ン チ ン , ブ ラ ジ ル 向 け の 天 然 ガ ス の 輸 出 が 増 大 し た 。 76 年 以 後 , 石 油 収 入 の 減 退 , 鉱 産 物 輸 出 価 格 の 低 下 の た め に 経 済 は 再 び 停 滞 局 面 に 入 っ た 。 鉱 産 物 な ど の 輸 出 に 依 存 す る 経 済 構 造 の た め に 経 済 は 不 安 定 で あ り , ま た 恒 常 的 に 不 安 定 な 政 情 の た め に 外 資 の 流 入 も は か ば か し く な い 。 さ ら に 80 年 に ク ー デ タ に よ っ て 登 場 し た ガ ル シ ア 軍 事 政 権 の 反 対 勢 力 弾 圧 に 対 す る 非 難 が 国 際 的 に 高 ま り , ア メ リ カ 合 衆 国 の 援 助 が 停 止 さ れ , 物 価 , 国 際 収 支 , 財 政 収 支 な ど の 主 要 経 済 指 標 は い ず れ も 悪 化 し , 対 外 債 務 の 支 払 不 能 に 陥 り , 2 万 4 0 0 0 % の ハ イ パ ー ・ イ ン フ レ と 経 済 破 綻 を ま ね い た 。 こ の な か で 20 年 ぶ り で 大 統 領 に 返 り 咲 い た パ ス ・ エ ス テ ン ソ ロ は , 価 格 や 貿 易 の 自 由 化 , 緊 縮 財 政 , 国 営 公 社 の 合 理 化 な ど 徹 底 し た 市 場 改 革 を 断 行 し た 。 以 降 , 自 由 市 場 経 済 政 策 は , 政 党 間 の 連 携 関 係 に 基 づ き 政 権 が 変 わ っ て も 維 持 さ れ , と く に サ ン チ ェ ス ・ デ ロ サ ダ 政 権 の も と で , 民 営 化 を 進 め , 電 力 , 航 空 会 社 , 鉄 道 , 石 油 な ど に 外 資 を 導 入 す る と と も に , 教 育 , 年 金 な ど 近 代 化 に 向 け た 大 幅 な 制 度 改 革 に 着 手 し た 。 こ う し て 85 年 以 降 , 低 い イ ン フ レ と 安 定 成 長 へ の 道 が 築 か れ て き た が , 改 革 の コ ス ト は 失 業 の 増 大 と い う 形 で 現 れ , 麻 薬 経 済 へ の 依 存 度 を 高 め て い る の が 実 態 で あ る 。 高 地 農 民 の 貧 困 対 策 , 内 陸 国 と い う 特 性 か ら す る 外 資 参 入 の 限 界 , 雇 用 創 出 , 輸 出 産 業 の 高 度 ・ 多 角 化 な ど 取 り 組 む 課 題 は 大 き い 。 ボ リ ビ ア は , ア ン デ ス ・ グ ル ー プ に 属 し て い る が , 96 年 メ ル コ ス ー ル ︵ 南 米 南 部 共 同 市 場 ︶ へ の 準 加 盟 国 と な り , 南 部 諸 国 と の 通 商 ・ 経 済 関 係 を 急 速 に 強 め て い る 。
執 筆 者 ‥ 中 川 文 雄 + 遅 野 井 茂 雄
歴 史
ボ リ ビ ア で は ア イ マ ラ 族 に よ り 約 3 0 0 0 年 前 か ら テ ィ ア ワ ナ コ 遺 跡 に み ら れ る よ う な ア ン デ ス 最 古 の 文 明 が 開 花 し た 。 紀 元 後 9 世 紀 か ら 11 世 紀 に か け て , こ の テ ィ ア ワ ナ コ 文 化 は 中 央 ア ン デ ス 全 域 に 広 ま っ た 。 15 世 紀 に 入 る と ア イ マ ラ 族 は ケ チ ュ ア 族 の イ ン カ に 征 服 さ れ , 同 地 は イ ン カ 帝 国 領 と な っ た 。 イ ン カ 帝 国 は 1 5 3 3 年 に ピ サ ロ の 率 い る ス ペ イ ン 軍 に 征 服 さ れ , ス ペ イ ン 植 民 地 と な っ た 。 今 日 の ボ リ ビ ア に 当 た る 地 域 は ペ ル ー 副 王 領 の 管 轄 下 に お か れ て , ア ル ト ・ ペ ル ー A l t o P e r ú と 呼 ば れ た 。 1 5 4 5 年 に ポ ト シ の 銀 鉱 が 発 見 さ れ , ポ ト シ は 新 大 陸 で 最 大 か つ 最 も 富 裕 な 都 市 に な っ た 。 イ ン デ ィ オ の 大 部 分 は ミ タ 制 と い う 労 力 徴 発 に よ っ て 鉱 山 で 働 か さ れ た 。 新 し い 病 気 の 流 行 や 過 酷 な 労 働 な ど が 原 因 で , イ ン デ ィ オ の 数 は 激 減 し た 。 ポ ト シ 銀 山 の 産 出 量 は 16 世 紀 末 に 最 大 に 達 し , そ の 後 , 17 世 紀 を 通 じ て 漸 減 し , 18 世 紀 に 入 り 急 速 に 衰 退 し た 。
ア ル ト ・ ペ ル ー は , 1 7 7 6 年 に ペ ル ー 副 王 領 か ら ラ ・ プ ラ タ 副 王 領 に 転 入 さ れ た 。 本 国 生 れ の ス ペ イ ン 人 の 少 数 支 配 に 反 対 す る ク リ オ ー リ ョ ︵ 現 地 生 れ の ス ペ イ ン 人 ︶ を 中 心 と し て 独 立 運 動 が 1 8 0 9 年 に チ ュ キ サ カ ︵ 現 , ス ク レ ︶ で 起 き た 。 し か し , そ れ は 鎮 圧 さ れ , そ の 後 , 他 地 方 で 独 立 戦 争 が 進 行 し て い る 間 , ア ル ト ・ ペ ル ー は 王 党 派 の 牙 城 と し て そ の 支 配 下 に あ っ た が , S . ボ リ ー バ ル に よ っ て ペ ル ー を 含 む 近 隣 諸 国 の ほ と ん ど が 解 放 さ れ , 1 8 2 5 年 ス ク レ 将 軍 の 率 い る ボ リ ー バ ル 軍 に よ っ て こ の 地 も 解 放 さ れ た 。 同 年 8 月 6 日 , ア ル ト ・ ペ ル ー は 独 立 を 宣 言 し , 国 名 を ボ リ ビ ア 共 和 国 と し た 。 翌 年 , ボ リ ー バ ル が 起 草 し た 憲 法 が 採 択 さ れ , ス ク レ が 終 身 大 統 領 に 選 ば れ た が , 27 年 の 内 乱 で 国 外 に 追 放 さ れ た 。 サ ン タ ・ ク ル ス 将 軍 が そ の 後 継 者 と し て 選 ば れ , 国 内 の 秩 序 を 確 立 し , ペ ル ー と の 連 邦 を つ く っ た が , チ リ の 干 渉 に よ り 追 放 さ れ , 連 邦 制 は ま も な く 崩 壊 し た ︵ ペ ル ー ・ ボ リ ビ ア 連 合 ︶ 。
19 世 紀 後 半 は 都 市 民 衆 を 支 持 基 盤 に し た メ ス テ ィ ソ の カ ウ デ ィ ー リ ョ が 支 配 者 と し て 台 頭 し た 時 代 で あ り , 1 8 6 4 年 大 統 領 と な っ た メ ル ガ レ ホ は 奇 行 ・ 蛮 行 に 富 ん だ 無 教 育 な 軍 人 で あ っ た が , ボ リ ビ ア の 近 代 化 の 先 が け を な し た 人 物 で あ っ た 。 以 前 か ら 注 目 さ れ て い た ア タ カ マ 砂 漠 の 硝 石 や グ ア ノ の 利 益 が 重 要 視 さ れ 始 め , そ れ が 原 因 で チ リ と の 間 に 太 平 洋 戦 争 が 勃 発 し た ︵ 1 8 7 9 - 8 3 ︶ 。 ボ リ ビ ア は 敗 れ , 1 9 0 4 年 の 講 和 の 結 果 , 太 平 洋 岸 一 帯 の 領 土 を 失 い , 内 陸 国 と な っ て 国 の 発 展 を 著 し く 遅 ら せ る こ と に な っ た 。
19 世 紀 末 , ア マ ゾ ン 上 流 ア ク レ 地 区 の ゴ ム 採 集 者 の 反 乱 の 結 果 , 1 9 0 3 年 に は こ の 地 区 を ブ ラ ジ ル に 割 譲 す る こ と に な っ た 。 20 世 紀 初 め の 政 局 は 比 較 的 安 定 し て お り , パ ン ド J o s é M a n u e l P a n d o 以 後 4 代 に わ た る 大 統 領 の 治 世 下 に 鉱 山 の 開 発 , 外 資 の 導 入 , 鉄 道 の 建 設 な ど が 進 み , 鉱 物 輸 出 に 依 存 す る 高 地 の 経 済 は 繁 栄 し た 。 第 1 次 大 戦 の た め , 主 要 輸 出 品 で あ る 鉱 物 資 源 の 価 格 が 高 騰 し , 経 済 成 長 は 1 9 2 0 年 代 に 入 っ て も 続 い た が , 政 情 は き わ め て 不 安 定 で , ク ー デ タ が 相 次 い だ 。 対 外 的 に は , チ ャ コ 地 方 に 関 し て パ ラ グ ア イ と の 間 に チ ャ コ 戦 争 ︵ 1 9 3 2 - 3 5 ︶ が 起 こ り , チ ャ コ 地 方 の 大 部 分 を パ ラ グ ア イ に 割 譲 し て 講 和 が 成 立 し た 。 ボ リ ビ ア は 1 8 2 5 年 に 独 立 し た と き に は 約 2 5 0 万 km 2 の 領 土 を 有 し て い た が , 隣 国 と の 紛 争 や 国 境 調 整 に よ っ て 約 1 5 0 万 km 2 を 失 っ た 。
頻 繁 に 起 き た ボ リ ビ ア の ク ー デ タ の ほ と ん ど は , 少 数 の 大 地 主 や 軍 人 の 間 の 政 権 の 争 奪 戦 に す ぎ ず , 社 会 改 革 に は 至 ら な か っ た 。 国 民 の 半 ば 以 上 が 生 産 性 の 低 い 伝 統 的 な 農 業 に 従 事 し , そ の 一 方 で は , 人 口 の 1 % に 当 た る ス ズ 鉱 山 労 働 者 が 総 輸 出 額 の 9 0 % 以 上 も 生 産 し て い た 。 チ ャ コ 戦 争 以 後 の 知 的 高 揚 に 伴 っ て 多 く の 政 治 団 体 が 結 成 さ れ た が , そ の 指 導 権 を 握 っ た の は 国 民 革 命 運 動 ︵ M N R ︶ で あ る 。 1 9 4 1 年 に M N R は 若 干 の 議 席 を 獲 得 し , 政 治 的 に 大 き な 影 響 力 を も つ 鉱 山 労 働 組 合 で も 支 配 的 に な っ た 。 43 年 , ビ ジ ャ ロ エ ル G u a l b e r t o V i l l a r r o e l が ク ー デ タ で 政 権 を 奪 っ た が , 46 年 に 失 脚 し た 。 そ の 後 , 保 守 派 の 弱 体 政 権 が 成 立 し た が , 保 守 政 権 は 労 働 運 動 の 高 ま り を 押 さ え る こ と が で き ず , ま た ス ズ 産 業 の 低 迷 に よ る 経 済 の 悪 化 に 歯 止 め を か け る こ と も で き な か っ た 。 こ の よ う な 状 況 下 で , M N R は 多 く の 中 間 層 を ひ き つ け , 40 年 代 末 , 相 次 い で 指 導 者 が 亡 命 先 か ら 帰 国 し た の に 伴 い , 労 働 運 動 へ 深 く 浸 透 し て い っ た 。
51 年 の 大 統 領 選 挙 で は M N R の 推 す パ ス ・ エ ス テ ン ソ ロ が 当 選 し , 国 会 で も 多 く の 議 席 を 占 め た 。 52 年 4 月 8 ~ 11 日 の 間 , ラ ・ パ ス は 内 乱 状 態 に 陥 っ た が , M N R が 鉱 山 ・ 都 市 労 働 者 の 支 援 を 得 て 軍 を 圧 倒 し , 15 日 パ ス が 帰 国 , 大 統 領 に 就 任 し , こ こ に 民 族 主 義 革 命 が 成 功 し , M N R 政 権 が 誕 生 し た 。 こ の ボ リ ビ ア 革 命 は , メ キ シ コ 革 命 に 次 ぐ ラ テ ン ・ ア メ リ カ で 第 2 の 社 会 革 命 で あ っ た 。 パ ス は 全 面 的 な 社 会 改 革 に 着 手 し , ス ズ 鉱 山 国 有 化 , 農 地 改 革 , 旧 軍 隊 の 解 体 , 文 盲 に も 選 挙 権 を 与 え る 新 し い 選 挙 制 度 な ど の 政 策 を 実 施 し た 。 M N R 政 権 は 1 9 5 2 - 6 4 年 に わ た っ た が , 1 9 5 6 年 の 経 済 危 機 を 契 機 と し て I M F の 勧 告 を 受 け 入 れ , そ の 政 策 は 穏 健 化 し , 労 組 勢 力 を 押 さ え , 一 方 で は , 軍 部 を 再 建 し , 強 化 し た 。 60 年 代 初 頭 に は ア メ リ カ 合 衆 国 の ︿ 進 歩 の た め の 同 盟 ﹀ 計 画 の よ き 協 力 者 と な っ た 。 64 年 に 大 統 領 3 選 を 意 図 し て パ ス が 憲 法 改 正 を 試 み た こ と が き っ か け と な り , M N R 内 部 の 対 立 は 激 し く な り , M N R は 完 全 に 分 解 し , 同 年 11 月 軍 事 ク ー デ タ に よ り パ ス 政 権 は 簡 単 に 崩 壊 , バ リ エ ン ト ス 政 権 が 成 立 し た 。 66 年 初 め に は 南 部 の 密 林 地 帯 で 反 政 府 ゲ リ ラ が 活 動 を 開 始 し た 。 政 府 は ア メ リ カ 合 衆 国 の 軍 事 援 助 を 受 け て , ゲ リ ラ の 鎮 圧 を 行 い , 67 年 10 月 に は , エ ル ネ ス ト ・ チ ェ ・ ゲ バ ラ が 政 府 軍 に 捕 ら え ら れ て 銃 殺 さ れ た 。 69 年 4 月 に バ リ エ ン ト ス 大 統 領 が 死 亡 す る と , 69 年 , 70 年 の 左 派 軍 事 政 権 に 続 い て 71 年 8 月 右 派 の バ ン セ ル 政 権 が 反 共 ・ 親 米 政 策 を と り , 石 油 ブ ー ム の 恩 恵 を 享 受 し て 7 年 間 続 い た 。 軍 事 政 権 に 対 す る 国 際 的 非 難 の 高 ま り の な か で , 78 年 , 79 年 に つ づ い て 80 年 に は 3 回 目 の 民 政 移 管 を 目 ざ す 大 統 領 選 挙 が 実 施 さ れ た が , 決 選 投 票 で 左 派 の シ レ ス ・ ス ア ソ 候 補 の 当 選 が 有 力 と な る の を 見 て , 右 派 勢 力 が 軍 事 ク ー デ タ を 決 行 , 政 権 を 掌 握 し た 。 そ の 後 , 経 済 は 危 機 的 状 態 に 陥 り , つ い に 82 年 10 月 , 軍 事 政 権 は み ず か ら 退 陣 し て , 民 政 移 管 が 行 わ れ た 。
執 筆 者 ‥ 中 川 文 雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
ボリビア ぼりびあ Plurinational State of Bolivia 英語 Estado Plurinacional de Bolivia スペイン語
南アメリカ中央部西寄りにある国。正称はボリビア多民族国Estado Plurinacional de Bolivia。2009年にそれまでのボリビア共和国から現国名に変更した。北東をブラジル、南をパラグアイとアルゼンチン、西をペルーとチリに囲まれた内陸国である。面積109万8581平方キロメートル、人口962万7000(2006国連推計)、1005万9856(2012センサス)。人口密度は1平方キロメートル当り11人(2020)。憲法上の首都はスクレであるが、実際にはラ・パスがその機能を果たしている。国名は、独立運動の英雄シモン・ボリーバルの名にちなんだもので「ボリーバルの国」を意味する。
[山本正三]
国 土 は 東 西 二 つ の ア ン デ ス 山 脈 と そ の 間 に 広 が る ア ル テ ィ プ ラ ノ 高 原 を 中 心 と し た 高 地 、 ア ン デ ス 山 脈 東 側 の 斜 面 か ら な る モ ン タ ニ ヤ 地 方 、 お よ び 北 部 か ら 東 部 、 南 東 部 に か け て 広 が る 広 大 な 平 原 で あ る オ リ エ ン テ 地 方 に 三 分 さ れ る 。
ア ン デ ス 山 脈 は ボ リ ビ ア で も っ と も 幅 を 広 げ て 、 コ ル デ ィ エ ラ ・ オ ク シ デ ン タ ル 山 脈 と コ ル デ ィ エ ラ ・ オ リ エ ン タ ル 山 脈 の 東 西 二 つ の 山 脈 に 分 か れ 、 両 山 脈 の 間 に は 南 北 8 3 0 キ ロ メ ー ト ル 、 東 西 1 4 0 キ ロ メ ー ト ル の ア ル テ ィ プ ラ ノ 高 原 が 広 が る 。 コ ル デ ィ エ ラ ・ オ ク シ デ ン タ ル 山 脈 は チ リ と の 国 境 を な し 、 サ ハ マ 山 ︵ 6 5 4 2 メ ー ト ル ︶ を は じ め 6 0 0 0 メ ー ト ル 級 の 高 峰 が 立 ち 並 ぶ 。 コ ル デ ィ エ ラ ・ オ リ エ ン タ ル 山 脈 に は ア ン コ ウ マ 山 ︵ 6 3 8 8 メ ー ト ル ︶ 、 イ ー マ ニ ー 山 ︵ 6 4 0 2 メ ー ト ル ︶ な ど が あ る 。 ア ル テ ィ プ ラ ノ 高 原 は 標 高 3 6 0 0 ~ 3 8 0 0 メ ー ト ル の 寒 冷 で 風 の 強 い 荒 涼 と し た 地 域 で 、 雨 期 と 乾 期 の 区 別 が あ り 、 北 部 は 適 度 の 雨 が あ る が 、 南 部 に 行 く に し た が っ て 砂 漠 と な る 。 ラ ・ パ ス や オ ル ロ を は じ め 主 要 都 市 や 鉱 山 の 大 部 分 が こ の 高 原 に 集 中 す る 。 こ れ は 、 歴 史 的 事 情 や 鉱 産 資 源 の 豊 か な こ と に 加 え 、 チ リ や ペ ル ー の 港 に 比 較 的 近 い こ と に よ る 。 こ こ は イ ン カ や そ れ 以 前 の 文 明 の 発 祥 地 で も あ る 。 北 端 の テ ィ テ ィ カ カ 湖 か ら ポ ー ポ 湖 に か け て 大 麦 や ジ ャ ガ イ モ な ど が 栽 培 さ れ 、 ヒ ツ ジ や ラ マ の 放 牧 が 行 わ れ て い る 。 ラ ・ パ ス 南 西 方 の コ ロ コ ロ は 錫 ( す ず ) 、 銅 、 オ ル ロ は 錫 、 銅 、 銀 を 産 す る 。 錫 の 大 鉱 山 と し て は 、 世 界 最 大 の リ ャ リ ャ グ ア 鉱 山 お よ び ウ ア ヌ ニ 鉱 山 が あ る 。 し か し 交 通 の 不 便 さ お よ び 希 薄 な 空 気 の た め ボ リ ビ ア で の 錫 の 生 産 コ ス ト は 高 い 。
コ ル デ ィ エ ラ ・ オ リ エ ン タ ル 山 脈 の 東 斜 面 を 占 め る モ ン タ ニ ヤ 地 方 は 深 い 峡 谷 と 高 山 稜 ( さ ん り ょ う ) が 交 錯 し た 地 域 で あ る 。 と く に ベ ニ 川 、 マ モ レ 川 、 ピ ル コ マ ヨ 川 な ど の 森 林 に 覆 わ れ た 峡 谷 が 入 り 込 む ユ ン ガ ス 地 方 は 、 ボ リ ビ ア で も 人 口 稠 密 ( ち ゅ う み つ ) な 地 方 の 一 つ で 全 人 口 の 3 分 の 1 近 く が 居 住 し 、 耕 地 総 面 積 の 5 分 の 2 を 占 め る 。 こ こ で 生 産 さ れ る コ カ 、 サ ト ウ キ ビ 、 コ ー ヒ ー な ど の 商 品 作 物 は ア ル テ ィ プ ラ ノ 高 原 へ 出 荷 さ れ る 。 コ チ ャ バ ン バ 、 ス ク レ 、 タ リ ハ は 農 産 物 の 集 散 地 で あ る 。 ポ ト シ で は 錫 、 鉛 、 ア ン チ モ ン 、 銅 を 産 出 す る 。 モ ン タ ニ ヤ は 気 候 が 温 和 な 地 域 で あ る 。
オ リ エ ン テ 地 方 は 、 モ ン タ ニ ヤ 地 方 を 北 か ら 東 に か け て 半 円 形 に 取 り 囲 ん で い る 地 域 で 、 面 積 が 広 大 で あ る に も か か わ ら ず 人 口 は 総 人 口 の 20 % に も 満 た な い 。 リ ャ ノ と も よ ば れ 、 標 高 1 5 0 0 メ ー ト ル 以 下 の 亜 熱 帯 お よ び 熱 帯 低 地 で 、 北 部 は ア マ ゾ ン 川 流 域 の 熱 帯 雨 林 に 、 南 部 は グ ラ ン ・ チ ャ コ の サ バ ナ に 連 な っ て い る 。 中 部 は 湿 潤 亜 熱 帯 気 候 で 、 サ ン タ ・ ク ル ス と そ の 周 辺 地 区 が 中 心 地 域 と な っ て い る 。 1 9 5 4 年 に コ チ ャ バ ン バ ― サ ン タ ・ ク ル ス 間 の 道 路 が 完 成 し て ユ ン ガ ス 地 方 お よ び ア ル テ ィ プ ラ ノ 高 原 と 自 動 車 交 通 で 連 結 さ れ 開 発 が 進 め ら れ た 。 南 部 の グ ラ ン ・ チ ャ コ に は ア ン デ ス 山 脈 東 麓 ( と う ろ く ) に 沿 っ た 約 2 4 0 キ ロ メ ー ト ル 幅 の 産 油 地 帯 が あ る 。 南 東 部 の カ ミ リ が 軽 質 原 油 の お も な 産 地 で 、 パ イ プ ラ イ ン で ス ク レ 、 コ チ ャ バ ン バ 、 ラ ・ パ ス に 送 油 し て い る 。 重 質 原 油 は ア ル ゼ ン チ ン 国 境 に 近 い ベ ル メ ホ 川 付 近 が 主 産 地 で あ る 。
起 伏 に 富 ん だ 地 形 的 特 徴 か ら 多 様 な 植 物 相 が み ら れ る 。 標 高 3 0 0 0 メ ー ト ル 以 上 の 地 域 で は 樹 木 は ほ と ん ど な く 、 一 部 に イ チ ュ の 生 育 が み ら れ る 程 度 で あ る 。 コ ル デ ィ エ ラ ・ オ リ エ ン タ ル 山 脈 の 支 脈 レ ア ル 山 脈 の 頂 上 は セ ハ ・ デ ・ ラ ・ モ ン タ ニ ヤ と よ ば れ る 密 な 森 林 で 覆 わ れ る 。 樹 種 は キ ナ 、 コ カ な ど で あ る 。 1 2 0 0 メ ー ト ル 以 下 の 傾 斜 地 や 谷 の 底 部 で は 熱 帯 低 地 林 が 繁 茂 す る 。 オ リ エ ン テ 地 方 北 部 は 深 い 密 林 で 、 パ ラ ゴ ム ノ キ 、 マ ホ ガ ニ ー 、 セ イ ヨ ウ ヒ ノ キ 類 が 有 用 で あ る 。
主 要 水 系 は ア マ ゾ ン 川 、 ラ ・ プ ラ タ 川 、 テ ィ テ ィ カ カ 川 の 3 水 系 に 区 分 さ れ る 。 中 部 の 高 原 地 帯 は テ ィ テ ィ カ カ 湖 に 注 ぐ 内 陸 水 系 で 、 湖 か ら 流 出 す る デ ス ア ガ デ ロ 川 は ポ ー ポ 湖 に 注 ぐ 。 内 陸 水 系 は 蒸 発 や 浸 透 に よ っ て 水 を 失 い 、 海 へ の 出 口 は 存 在 し な い 。 東 部 の 低 湿 な 平 野 に は 多 く の 湖 や 湿 地 帯 が あ る 。
﹇ 山 本 正 三 ﹈
古 く 紀 元 前 2 0 0 0 年 ご ろ か ら ア イ マ ラ 人 の 高 地 文 明 が 栄 え て い た が 、 13 世 紀 に な っ て 北 方 ペ ル ー に 興 っ た ケ チ ュ ア 人 の イ ン カ 帝 国 の 一 領 土 に 編 入 さ れ た 。 1 5 3 5 年 ス ペ イ ン の 植 民 地 と な り ポ ト シ な ど 多 数 の 鉱 山 都 市 が 栄 え た が 、 18 世 紀 に 入 り 衰 微 し た 。
1 8 2 5 年 、 隣 国 の ペ ル ー と と も に 、 ス ク レ の 率 い る ボ リ ー バ ル 軍 に よ っ て 解 放 さ れ 、 国 名 を 解 放 者 の 名 に ち な ん で ボ リ ビ ア 共 和 国 と 名 づ け た 。 し か し 、 そ の 後 半 世 紀 以 上 、 内 乱 、 革 命 、 独 裁 、 隣 国 と の 紛 争 に 悩 ま さ れ た 。 1 8 7 9 ~ 1 8 8 3 年 、 い わ ゆ る 太 平 洋 戦 争 が ボ リ ビ ア の 硝 石 を め ぐ る 利 害 対 立 に よ っ て チ リ と の 間 に 引 き 起 こ さ れ た が 、 ボ リ ビ ア は 敗 れ て 太 平 洋 に 面 し た ア ン ト フ ァ ガ ス タ 州 を 失 い 、 海 港 を も た な い 内 陸 国 と な り 、 同 国 の 発 展 を 遅 ら せ る 元 と な っ た 。 1 9 0 0 年 に は 天 然 ゴ ム 開 発 が 絡 ん で 北 部 の ア ク レ 地 方 が 分 離 を 宣 言 、 1 9 0 3 年 に は 東 部 の 広 大 な 地 域 が ブ ラ ジ ル に 割 譲 さ れ た 。
第 一 次 世 界 大 戦 後 の 政 情 は 不 安 定 で ク ー デ タ ー が 相 次 ぎ 、 世 界 恐 慌 と パ ラ グ ア イ と の チ ャ コ 戦 争 ︵ 1 9 3 2 ~ 1 9 3 5 ︶ で 国 力 を 消 耗 し た 。 ボ リ ビ ア は チ ャ コ 戦 争 の 敗 戦 に よ り チ ャ コ 地 方 の 大 部 分 を パ ラ グ ア イ に 割 譲 し 国 土 の 約 60 % を 失 っ た 。 こ の チ ャ コ 戦 争 が き っ か け に な っ て 民 族 主 義 的 な 青 年 将 校 グ ル ー プ が 台 頭 し 、 外 国 と 関 係 の 深 い 大 鉱 山 主 や 外 国 の 石 油 会 社 の 利 益 を 抑 え る こ と を 主 張 し た 。 1 9 5 2 年 に 民 族 革 命 運 動 ︵ M N R ︶ が 政 権 を 獲 得 す る に 及 ん で そ の 主 張 が 急 速 に 実 現 さ れ た 。 M N R 政 権 は 、 1 9 6 4 年 軍 部 ク ー デ タ ー に よ っ て 倒 さ れ る ま で の 12 年 間 、 経 済 、 社 会 問 題 の 根 本 的 な 改 革 と 取 り 組 み 、 ア メ リ カ 資 本 と 少 数 の 富 裕 層 に 支 配 さ れ た ボ リ ビ ア 社 会 の 改 良 を 推 し 進 め た 。 し か し 1 9 6 1 年 憲 法 を 改 正 し て 大 統 領 の 連 続 再 選 を 可 能 に す る と 野 党 や 国 民 の 反 対 運 動 が 起 こ り 、 1 9 6 4 年 軍 部 が ク ー デ タ ー を 起 こ し て M N R 政 権 は 打 倒 さ れ た 。
以 後 軍 部 が 政 治 に 介 入 し 、 政 情 は き わ め て 不 安 定 で 、 独 立 以 来 2 0 0 回 以 上 の ク ー デ タ ー 、 1 9 0 回 以 上 の 政 権 交 替 を 繰 り 返 し て い る 。 陸 軍 は 1 9 6 0 年 ご ろ か ら ア メ リ カ の 軍 事 援 助 を 受 け そ の 力 は 民 兵 組 織 を し の ぐ に 至 っ た 。 1 9 6 9 年 9 月 、 左 翼 ゲ リ ラ 台 頭 の 兆 し を み た オ バ ン ド A l f r e d o O v a n d o C a n d í a ︵ 1 9 1 8 ― 1 9 8 2 ︶ 将 軍 は ク ー デ タ ー を 起 こ し 政 権 を 握 っ た 。 さ ら に 1 9 7 0 年 10 月 の 軍 部 左 派 ク ー デ タ ー に 続 き 、 1 9 7 1 年 8 月 に は バ ン セ ル H u g o B a n z e r S u á r e z ︵ 1 9 2 6 ― 2 0 0 2 ︶ 大 佐 を 首 班 と す る 軍 部 右 派 勢 力 が ク ー デ タ ー で 実 権 を 掌 握 、 7 年 間 に わ た っ て 反 共 ・ 親 米 主 義 を 標 榜 ( ひ ょ う ぼ う ) す る 軍 事 政 権 を 維 持 し た 。 そ の 後 経 済 危 機 が 深 刻 化 し て 、 1 9 8 2 年 10 月 軍 部 は 政 権 を 放 棄 し 、 18 年 ぶ り に 民 政 に 復 帰 し た が 、 政 情 不 安 が 続 い た 。 ブ ラ ジ ル 、 ア ル ゼ ン チ ン 、 ア ン デ ス 諸 国 と の 関 係 を 重 視 し て お り 、 チ リ と は ﹁ 海 へ の 出 口 ﹂ の 回 復 を 主 張 し て 対 立 し て い る 。 1 9 9 3 年 に は サ ン チ ェ ス G o n z a l o S a n c h e z d e L o z a d a ︵ 1 9 3 0 ― ︶ 政 権 が 成 立 し 、 1 9 9 5 年 に は ゼ ネ ス ト が 行 わ れ た こ と も あ っ た が 、 政 局 は か な り 落 ち 着 き 、 同 時 に 経 済 も 安 定 成 長 し 始 め た 。 1 9 9 7 年 バ ン セ ル が 大 統 領 に な っ た が 病 気 の た め 2 0 0 1 年 に 辞 任 し 、 副 大 統 領 キ ロ ガ J o r g e Q u i r o g a R a m í r e z ︵ 1 9 6 0 ― ︶ が 残 り の 任 期 を 勤 め た 。 2 0 0 2 年 大 統 領 選 挙 で は サ ン チ ェ ス が 二 度 目 の 当 選 を 果 た し た が 国 内 に 豊 富 に 埋 蔵 し て い る 天 然 ガ ス の 輸 出 政 策 を め ぐ り 、 先 住 民 を 中 心 と す る 貧 困 層 が 国 内 で の 優 先 利 用 を 求 め 、 暴 動 に 発 展 、 2 0 0 3 年 10 月 辞 任 に 追 い 込 ま れ 、 副 大 統 領 メ サ C a r l o s M e s a G i s b e r t ︵ 1 9 5 3 ― ︶ が 大 統 領 に 昇 格 し た 。 メ サ は 天 然 ガ ス 輸 出 政 策 に 国 民 投 票 を 実 施 、 輸 出 で 得 た 利 益 を 教 育 や 雇 用 対 策 に 充 当 す る 方 針 を 掲 げ 、 国 民 の 支 持 も 高 か っ た が 、 諸 政 策 を め ぐ り 富 裕 層 と 貧 困 層 の 根 深 い 対 立 の 板 ば さ み に あ っ て い た 。 2 0 0 5 年 5 月 の 天 然 ガ ス 資 源 の 国 有 化 や 先 住 民 の 権 利 拡 大 を 求 め る デ モ 活 動 の 混 乱 よ り 6 月 に 辞 職 、 法 律 学 者 の ロ ド リ ゲ ス が E d u a r d o R o d r í g u e z V e l t z é ︵ 1 9 5 6 ― ︶ が 暫 定 大 統 領 に 就 任 し た 。 2 0 0 5 年 12 月 の 大 統 領 選 挙 で は モ ラ レ ス J u a n E v o M o r a l e s A y m a ︵ 1 9 5 9 ― ︶ が 当 選 し 、 2 0 0 6 年 1 月 、 大 統 領 に 就 任 し た 。
﹇ 山 本 正 三 ﹈
1967年に改正された憲法によれば政体は大統領制共和体制で、大統領、副大統領、上院議員(27人)、下院議員(130人)が5年任期で選出されることになっている。大統領の連続再選は禁止されている。地方行政単位は九つの州Departamentoに分けられている。政情の激しい移り変わりに呼応して政党も乱立状態で、中道右派の民族革命運動(MNR)、右派の国民統一戦線(UN)、中道左派の社会主義運動(MAS)などがある。外交は、1978年に太平洋岸の出口確保をめぐってチリと国交を断絶、1982年のフォークランド紛争ではアルゼンチンを支持した。1983年にキューバと国交を回復、当時のソ連と技術協力を結び、1985年には中国と国交を樹立したが、軍部を中心に共産圏との関係拡大に対する反対も根強い。選抜徴兵制をとり、常備軍は陸軍の3万5000、ほかに小規模の空軍(6500)、河川湖沼警備の海軍(4800)がある。
[山本正三]
1 人 当 り の 国 民 総 所 得 ︵ G N I ︶ は 9 9 0 ド ル ︵ 2 0 0 0 ︶ と 低 い 。 国 内 総 生 産 ︵ G D P ︶ へ の 寄 与 率 と 労 働 人 口 の 吸 収 率 の 点 で は 農 業 、 輸 出 産 業 と し て は 鉱 業 が も っ と も 重 要 で あ る 。 農 業 に は 労 働 人 口 の 半 分 以 上 が 従 事 し 、 も っ と も 主 要 な 産 業 で あ る が 生 産 性 は 低 い 。 主 要 農 作 物 は サ ト ウ キ ビ 、 ジ ャ ガ イ モ 、 ト ウ モ ロ コ シ 、 小 麦 、 米 な ど で あ る 。 農 地 改 革 に よ り 1 9 5 5 年 か ら 1 9 6 9 年 ま で に 7 6 0 万 ヘ ク タ ー ル の 土 地 が 分 配 さ れ た が 、 農 業 生 産 性 は 低 く 、 農 産 物 価 格 引 上 げ 、 融 資 、 技 術 援 助 、 道 路 建 設 な ど を 通 じ て 生 産 を 刺 激 す る こ と が 農 業 政 策 の 中 心 で あ る 。 可 耕 地 は 国 土 の 3 % に す ぎ ず 、 農 場 数 の 6 % が 全 農 地 面 積 の 92 % も 占 め て い る 。 米 と 砂 糖 は 自 給 の 域 に 達 し て い る が 、 食 糧 輸 入 に 輸 入 総 額 の 40 % を 費 や さ ね ば な ら な い 。
鉱 業 は 労 働 人 口 に お い て 約 3 % し か 占 め な い が 、 輸 出 収 益 の 約 44 % に も 達 す る 。 年 産 1 万 6 0 0 0 ト ン ︵ 1 9 9 4 ︶ の 錫 ( す ず ) が 中 心 で 国 営 公 社 に よ っ て 生 産 さ れ て い る が 、 良 質 鉱 の 枯 渇 に よ っ て 停 滞 傾 向 を 示 し て い る 。 そ の ほ か 亜 鉛 、 鉛 、 銀 、 ア ン チ モ ン な ど を 産 す る 。 最 近 で は サ ン タ ・ ク ル ス 南 方 の 油 田 の 開 発 が 進 み 、 石 油 と 天 然 ガ ス は 輸 出 総 額 の 20 ~ 25 % を 占 め て 錫 に 次 ぐ よ う に な っ た 。 伝 統 的 な 錫 依 存 の 経 済 は 転 換 さ れ つ つ あ り 、 政 府 は 石 油 、 鉱 工 業 、 農 業 な ど の 部 門 に 資 本 を 投 下 し 輸 出 産 業 の 多 角 化 を 目 ざ し て い る 。 石 油 公 社 は 新 油 田 を 開 発 す る と と も に 各 地 に 精 油 所 を 建 設 し 、 石 油 化 学 、 鉄 鋼 な ど の 産 業 の 確 立 を 急 い で い る 。 天 然 ガ ス は パ イ プ ラ イ ン で ブ ラ ジ ル に 供 給 し て い る 。
お も な 輸 入 相 手 国 は ア メ リ カ 、 ブ ラ ジ ル 、 ア ル ゼ ン チ ン で 、 輸 入 品 は 工 業 化 の た め の 資 本 財 や 原 料 お よ び 食 糧 で あ る 。 鉱 産 物 を 中 心 と す る 輸 出 相 手 国 は コ ロ ン ビ ア 、 イ ギ リ ス 、 ア メ リ カ が 上 位 を 占 め る 。 1 9 7 0 年 代 前 半 に は 比 較 的 高 い 経 済 成 長 率 を 保 ち 、 南 部 の 石 油 、 天 然 ガ ス 資 源 の 開 発 が 急 速 に 進 め ら れ て 明 る い 見 通 し を も っ て い た 経 済 は 、 1 9 7 0 年 代 後 半 以 後 は 混 迷 状 態 へ と 逆 転 し た 。 1 9 9 3 年 の サ ン チ ェ ス 政 権 で は 農 地 改 革 、 国 営 企 業 の 民 営 化 、 石 油 探 査 な ど 積 極 的 な 政 策 を 実 施 し 、 経 済 は 成 長 の 傾 向 を 強 め た 。
﹇ 山 本 正 三 ﹈
住 民 は 純 粋 の イ ン デ ィ オ が 55 % を 占 め 、 イ ン デ ィ オ と ス ペ イ ン 系 白 人 と の 混 血 メ ス テ ィ ソ は 32 % 、 ス ペ イ ン 系 白 人 は 13 % で イ ン デ ィ オ 的 色 彩 が 濃 厚 で あ る 。 イ ン デ ィ オ 全 人 口 の 約 55 % が モ ン タ ニ ヤ に 住 む ケ チ ュ ア 人 、 約 40 % が 高 原 地 帯 に 住 む ア イ マ ラ 人 、 そ し て 残 り の 少 数 は オ リ エ ン テ に 散 在 す る さ ま ざ ま な 民 族 で あ る 。 イ ン デ ィ オ は 鉱 山 労 務 者 と し て 働 く か た わ ら 自 給 的 農 牧 業 を 営 む 。 メ ス テ ィ ソ は 鉱 山 関 係 、 白 人 は 都 市 で 商 業 に 携 わ る 者 が 多 い 。 か つ て イ ン カ 帝 国 の 一 部 を 形 成 し た ボ リ ビ ア に は 、 そ の 支 配 者 ケ チ ュ ア 人 と 被 支 配 者 ア イ マ ラ 人 が 今 日 で も そ れ ぞ れ の 伝 統 的 生 活 様 式 を 続 け て お り 、 ケ チ ュ ア 語 と ア イ マ ラ 語 が ス ペ イ ン 語 と と も に 公 用 語 と な っ て い る 。
宗 教 は 国 教 で あ る カ ト リ ッ ク が 圧 倒 的 で 、 国 の 保 護 を 受 け 、 国 民 の 精 神 生 活 や 教 育 に 大 き な 勢 力 を 振 る っ て い る 。 離 婚 が き わ め て 容 易 な の は ほ か の 南 ア メ リ カ 諸 国 と 異 な る 点 で あ る 。 義 務 教 育 は 6 ~ 13 歳 で あ る 。 1 9 5 2 年 の 革 命 以 後 教 育 の 普 及 に 努 め て い る が 著 し い 進 展 は み ら れ な い 。 全 般 的 に イ ン デ ィ オ 的 要 素 が 強 く 、 女 性 の 服 装 、 織 物 、 陶 芸 な ど の 民 芸 品 、 民 族 音 楽 、 舞 踊 に そ れ が う か が え る 。
﹇ 山 本 正 三 ﹈
日本との外交関係は1914年(大正3)に始まるが、公使館がラ・パスに設置されたのは平和条約調印後の1955年(昭和30)であった。在留邦人は2612人(2000)である。移住者、日系人は1万4000人と推定されている。邦人移住地はサンタ・クルス州に集中し、米作を中心とした農業に従事している。綿花栽培のほか肉牛などの家畜の飼育もみられる。経済協力では、1975~1999年度までに日本からボリビア道路網拡張計画などに対し、有償資金協力1057億9300万円、無償供与611億6100万円を受けている。
[山本正三]
『W・モンテネグロ著、町田業太訳『ボリビア』(1977・芸林書房)』 ▽『中屋健弌他編『ラテン・アメリカ事典』(1984・ラテン・アメリカ協会)』 ▽『国本伊代著『ラテンアメリカ――悠久の大地・情熱の人々』(1995・総合法令出版)』 ▽『田辺裕監修『世界の地理5――南アメリカ』(1997・朝倉書店)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ボリビア
◎ 正 式 名 称 − ボ リ ビ ア 多 民 族 国 T h e P l u r i n a t i o n a l S t a t e o f B o l i v i a 。 ◎ 面 積 − 1 0 9 万 8 5 8 1 k m 2 。 ◎ 人 口 − 1 0 0 6 万 人 ︵ 2 0 1 2 ︶ 。 ◎ 首 都 − 憲 法 上 の 首 都 は 最 高 裁 の あ る ス ク レ S u c r e ︵ 24 万 人 , 2 0 1 2 ︶ 。 政 府 , 国 会 所 在 地 は ラ ・ パ ス L a P a z ︵ 76 万 人 , 2 0 1 2 ︶ 。 ◎ 住 民 − イ ン デ ィ オ 55 % , メ ス テ ィ ソ 30 % , 白 人 15 % 。 ◎ 宗 教 − カ ト リ ッ ク が 大 部 分 。 ◎ 言 語 − ス ペ イ ン 語 40 % , イ ン デ ィ オ は 主 と し て ケ チ ュ ア 語 , ア イ マ ラ 語 ︵ 以 上 , 公 用 語 ︶ 。 ◎ 通 貨 − ボ リ ビ ア ー ノ B o l i v i a n o 。 ◎ 元 首 − 大 統 領 , モ ラ レ ス E v o M o r a l e s ︵ 2 0 0 6 年 1 月 就 任 , 2 0 1 5 年 1 月 3 選 , 任 期 5 年 ︶ 。 ◎ 憲 法 − 1 9 6 7 年 2 月 制 定 , 2 0 0 9 年 2 月 改 正 。 ◎ 国 会 − 二 院 制 。 上 院 ︵ 定 員 36 , 任 期 5 年 ︶ , 下 院 ︵ 定 員 1 3 0 , 任 期 5 年 ︶ 。 最 近 の 選 挙 は 2 0 1 4 年 10 月 。 ◎ G D P − 1 6 7 億 ド ル ︵ 2 0 0 8 ︶ 。 ◎ 1 人 当 り G N P − 1 1 0 0 ド ル ︵ 2 0 0 6 ︶ 。 ◎ 農 林 ・ 漁 業 就 業 者 比 率 − 4 3 . 4 % ︵ 2 0 0 3 ︶ 。 ◎ 平 均 寿 命 − 男 6 5 . 1 歳 , 女 6 9 . 5 歳 ︵ 2 0 1 3 ︶ 。 ◎ 乳 児 死 亡 率 − 4 2 ‰ ︵ 2 0 1 0 ︶ 。 ◎ 識 字 率 − 9 0 . 7 % ︵ 2 0 0 8 ︶ 。 * * 南 米 中 西 部 の 内 陸 共 和 国 。 西 部 は チ リ , ペ ル ー と 国 境 を 接 し , ア ン デ ス 山 中 の 平 均 標 高 3 9 6 2 m の 高 原 が 広 が り , チ チ カ カ 湖 , ポ ー ポ 湖 が あ る 。 ボ リ ビ ア 高 原 の 東 側 は 標 高 5 0 0 0 〜 6 0 0 0 m の 山 脈 を な し , そ の 北 東 部 は ア マ ゾ ン 川 支 流 域 の 低 地 , 中 部 〜 東 部 は ブ ラ ジ ル お よ び パ ラ グ ア イ ま で 広 が る 平 原 に 続 く 。 気 候 は 高 原 地 帯 が 寒 冷 , ア ン デ ス 東 斜 面 は 亜 熱 帯 性 , ア マ ゾ ン 川 支 流 の 低 地 は 熱 帯 性 で 高 温 多 湿 。 住 民 の 過 半 が イ ン デ ィ オ で , メ ス テ ィ ソ ︵ イ ン デ ィ オ と 白 人 の 混 血 ︶ が 3 分 の 1 を 占 め る 。 鉱 業 が 主 で , ス ズ , 鉛 , 銅 , 金 , 銀 , 亜 鉛 , ア ン チ モ ン , タ ン グ ス テ ン , 石 油 , 天 然 ガ ス な ど に 富 み , 輸 出 の 上 位 を 占 め て い る 。 農 業 で は サ ト ウ キ ビ , ジ ャ ガ イ モ を 主 産 , 羊 , 牛 , ア ル パ カ の 畜 産 も 行 わ れ る 。 イ ン カ 帝 国 の 一 部 だ っ た が , 1 5 3 3 年 ピ サ ロ に 征 服 さ れ ス ペ イ ン 植 民 地 と な っ た 。 1 5 4 5 年 ポ ト シ で 銀 が 発 見 さ れ る と , ス ペ イ ン は イ ン デ ィ オ を 徴 発 し て 採 掘 し , ヨ ー ロ ッ パ に 運 ん だ 。 ス ク レ 将 軍 の 率 い る 軍 に よ り 解 放 さ れ , 1 8 2 5 年 独 立 , 国 名 は 独 立 の 指 導 者 ボ リ ー バ ル に ち な む 。 ス ク レ の 後 を 継 い だ サ ン タ ・ ク ル ス は 1 8 3 6 年 ペ ル ー ・ ボ リ ビ ア 連 合 を 結 成 す る が , チ リ 軍 に 敗 れ て 崩 壊 。 1 8 7 9 年 ― 1 8 8 3 年 チ リ と の 国 境 紛 争 ︵ 太 平 洋 戦 争 ︶ で 太 平 洋 岸 の 領 土 を 失 い , 内 陸 国 と な っ た 。 1 9 3 2 年 ― 1 9 3 5 年 に は チ ャ コ 地 方 の 領 有 を パ ラ グ ア イ と 争 い ︵ チ ャ コ 戦 争 ︶ , 敗 れ た 。 こ の 結 果 寡 頭 支 配 層 が 力 を 失 っ て 改 革 の 波 に 洗 わ れ , 1 9 5 0 年 代 に は パ ス ・ エ ス テ ン ソ ロ 政 権 が 鉱 山 国 有 化 ・ 農 地 改 革 な ど ︿ ボ リ ビ ア 革 命 ﹀ を 推 進 し , 先 住 民 の 政 治 参 加 の 道 も 開 か れ た が , 革 命 勢 力 の 分 裂 に よ り 1 9 6 4 年 か ら 軍 事 政 権 が 続 い た 。 1 9 8 2 年 に 民 政 に 復 帰 し て 以 後 , 政 情 は 安 定 し て い る 。 石 油 危 機 以 降 鉱 産 資 源 の 輸 出 が 停 滞 し て 経 済 不 況 に 見 舞 わ れ , 一 時 は 年 率 2 万 % を 超 え た イ ン フ レ と 累 積 債 務 に 悩 ま さ れ た 。 世 界 第 2 の コ カ 生 産 国 で あ り , ア メ リ カ が 経 済 援 助 の 条 件 と し て コ カ 畑 削 減 を 要 求 し て い る が , 農 民 の 抵 抗 が 根 強 い 。 南 米 南 部 共 同 市 場 ︵ メ ル コ ス ー ル ︶ と 1 9 9 5 年 経 済 補 完 協 定 を 結 ん だ 。 2 0 0 5 年 6 月 , 天 然 ガ ス の 採 掘 権 を め ぐ り 左 派 政 党 ・ 社 会 主 義 運 動 や 先 住 民 か ら 強 い 反 発 を 受 け , メ サ 大 統 領 は 辞 任 , 2 0 0 5 年 12 月 大 統 領 選 で 社 会 主 義 運 動 の モ ラ レ ス が 当 選 し て , ボ リ ビ ア 初 の 先 住 民 大 統 領 と な っ た 。 2 0 0 9 年 1 月 , 新 憲 法 制 定 の 是 非 を 問 う た め の 国 民 投 票 が 実 施 さ れ た 。 2 0 0 9 年 3 月 に は 国 名 を ボ リ ビ ア 共 和 国 か ら ボ リ ビ ア 多 民 族 国 に 変 更 し た 。
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ボリビア Bolivia
正 式 名 称 ボ リ ビ ア 多 民 族 国 E s t a d o P l u r i n a c i o n a l d e B o l i v i a 。
面 積 1 0 9 万 8 5 8 1 k m 2 。
人 口 1 1 8 4 万 2 0 0 0 ︵ 2 0 2 1 推 計 ︶ 。
首 都 ラ パ ス 。
南 ア メ リ カ 中 部 に あ る 国 。 憲 法 上 は ス ク レ が 首 都 と 定 め ら れ て い る が , 行 政 府 と 立 法 府 が ラ パ ス に あ る た め , 実 質 的 に は ラ パ ス が 首 都 と し て 機 能 。 19 世 紀 末 ペ ル ー と 争 っ て 太 平 洋 岸 の 領 土 を 失 っ た 結 果 , 海 岸 線 を も た な い 内 陸 国 と な り , 北 か ら 東 へ か け て は ブ ラ ジ ル , 南 東 は パ ラ グ ア イ , 南 は ア ル ゼ ン チ ン , 西 は チ リ と ペ ル ー に 囲 ま れ る 。 地 形 は 南 西 の ア ン デ ス 山 脈 と 北 東 の 低 地 に 大 別 さ れ る 。 こ の う ち ア ン デ ス 山 脈 は 同 山 脈 が 最 も 幅 広 く な る 部 分 に あ た り , 山 間 に は 広 大 な ア ル テ ィ プ ラ ノ 高 原 が 広 が る 。 こ こ に 人 口 が 集 中 , ラ パ ス を は じ め と す る 主 要 都 市 が 立 地 し , ボ リ ビ ア の 中 心 部 を な し て い る 。 国 土 の 5 分 の 3 を 占 め る 低 地 は 熱 帯 雨 林 あ る い は 草 原 に 覆 わ れ , 湖 沼 や 湿 地 帯 が 多 く , 大 部 分 が 人 口 希 薄 な 未 開 発 地 域 で あ る 。 チ チ カ カ 湖 や ポ ー ポ 湖 の 内 陸 水 系 に 属 す る 高 原 地 帯 と ラ プ ラ タ 川 水 系 に 入 る 南 東 部 以 外 は , 全 域 が ア マ ゾ ン 川 支 流 マ デ イ ラ 川 の 流 域 で あ る 。 気 候 は 標 高 に よ っ て 大 き く 異 な り , 低 地 北 部 は 高 温 多 雨 の 熱 帯 雨 林 気 候 , 低 地 南 部 お よ び ア ン デ ス 北 東 斜 面 は 亜 熱 帯 気 候 で あ る が , 高 原 は 年 中 冷 涼 な い し 寒 冷 で , 高 原 の 東 を か ぎ る レ ア ル 山 脈 に は 万 年 雪 を い た だ く 高 峰 が 連 な る 。 ス ペ イ ン 征 服 前 に イ ン カ 帝 国 の 一 部 を な し て い た 地 域 で , 住 民 に も ケ チ ュ ア 族 , ア イ マ ラ 族 を 中 心 と し た 先 住 民 の ラ テ ン ア メ リ カ イ ン デ ィ ア ン ︵ イ ン デ ィ オ ︶ が 多 く , 総 人 口 の 約 半 分 を 占 め る 。 そ の ほ か , メ ス テ ィ ー ソ と 呼 ば れ る イ ン デ ィ オ と 白 人 の 混 血 が 約 3 0 % , 白 人 が 約 1 5 % 。 公 用 語 は ス ペ イ ン 語 の ほ か イ ン デ ィ オ 語 系 の ア イ マ ラ 語 , ケ チ ュ ア 語 な ど 36 の 先 住 民 言 語 が 指 定 さ れ て い る 。 信 教 の 自 由 は 保 障 さ れ て い る が , 国 民 の 圧 倒 的 多 数 が キ リ ス ト 教 の カ ト リ ッ ク で あ る 。 天 然 ガ ス と ス ズ を は じ め と す る 鉱 物 資 源 に 恵 ま れ , 天 然 ガ ス は 最 大 の 輸 出 品 。 ほ か に タ ン グ ス テ ン , ア ン チ モ ン , 鉛 , 亜 鉛 , 銅 , 銀 , 金 , ビ ス マ ス , 石 油 な ど を 産 す る 。 農 業 は 就 業 人 口 の 約 4 割 を 擁 し , 高 原 で は 穀 物 や ジ ャ ガ イ モ な ど を 栽 培 す る 古 く か ら の 自 給 農 業 が 中 心 で , 生 産 性 の 高 い 低 地 で は サ ト ウ キ ビ , コ ー ヒ ー , 綿 花 , カ カ オ な ど の 換 金 作 物 の 栽 培 が 盛 ん 。 一 方 , 依 然 と し て コ カ 生 産 国 で も あ る ︵ → コ カ ノ キ ︶ 。 牧 畜 も 重 要 で , ヒ ツ ジ , ウ シ , ヤ ギ な ど の ほ か , ラ マ , ア ル パ カ な ど が 飼 育 さ れ る 。 工 業 は 石 油 精 製 , 鉱 石 精 錬 な ど の ほ か , 食 品 , 飲 料 , た ば こ , 繊 維 な ど の 製 造 が 中 心 。 イ ン カ 遺 跡 な ど を 中 心 と し た 観 光 も 重 要 。 た び 重 な る 政 変 と 政 情 不 安 の た め 外 国 か ら の 投 資 が 減 少 し 累 積 債 務 を 抱 え , 1 9 8 0 年 代 中 頃 に は イ ン フ レ 率 が 1 万 4 0 0 0 % に も 達 し た が , 国 営 企 業 の 民 営 化 な ど 緊 縮 財 政 に よ っ て 1 9 9 0 年 代 初 め に 沈 静 化 し た 。 周 辺 各 国 と の 協 定 の も と , ラ パ ス と サ ン タ ク ル ス を 起 点 と し て 太 平 洋 , 大 西 洋 の 港 に 通 じ る 鉄 道 と , ア ン デ ス 山 中 を 縦 貫 す る パ ン ア メ リ カ ン ・ ハ イ ウ ェ ー が 主 要 交 通 路 で あ る 。 ︵ → ボ リ ビ ア 史 ︶
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ボリビア Bolivia
︻ 略 史 ︼ 紀 元 前 か ら チ チ カ カ 湖 周 辺 に ア イ マ ラ 人 が 定 住 。 13 世 紀 こ ろ 西 隣 の ペ ル ー か ら 進 出 し た ケ チ ュ ア 人 の イ ン カ 帝 国 に 組 み 込 ま れ る 。 1 5 3 2 年 ス ペ イ ン 人 に 征 服 さ れ , 42 年 ペ ル ー 副 王 領 に 編 入 さ れ た 。
︻ 独 立 と そ の 後 の 動 向 ︼ 1 8 2 1 年 サ ン = マ ル テ ィ ン が ペ ル ー 副 王 を 説 得 し て ペ ル ー の 独 立 を 宣 言 。 し か し , 副 王 軍 の 一 部 が こ れ を 認 め ず 議 会 も 混 乱 す る 中 , サ ン = マ ル テ ィ ン は 完 全 独 立 を シ モ ン = ボ リ バ ル に 託 し て ペ ル ー を 去 っ た 。 あ と を 託 さ れ た ボ リ バ ル が ア ヤ ク ー チ ョ の 戦 い に 勝 利 し て , 1 8 2 4 年 ペ ル ー の 完 全 独 立 を 達 成 。 こ の と き 副 王 領 の 一 部 だ っ た 上 ペ ル ー ︵ 現 ボ リ ビ ア ︶ も , そ の 後 ボ リ バ ル 軍 に よ っ て 解 放 さ れ た 。 ボ リ バ ル は ペ ル ー と 上 ペ ル ー を 合 わ せ た 大 ペ ル ー 国 の 構 想 を 打 ち 出 し た が , 上 ペ ル ー の ク リ オ ー リ ョ の 賛 同 を 得 ら れ ず , 1 8 2 5 年 上 ペ ル ー は 分 離 独 立 し , そ の 国 名 を ボ リ バ ル に ち な ん で ボ リ ビ ア と し た 。 そ の 後 , ア タ カ マ 砂 漠 の 硝 石 の 開 発 を め ぐ っ て , 当 時 こ の 地 方 に 海 岸 線 を 有 し て い た ボ リ ビ ア と ペ ル ー ・ チ リ の 3 国 の 間 で , い わ ゆ る ﹁ 太 平 洋 戦 争 ︵ 1 8 7 9 〜 83 ︶ ﹂ が 起 こ り , チ リ が 勝 利 し て , 敗 北 し た ボ リ ビ ア は こ の 地 域 を 失 い 内 陸 国 と な っ た 。 そ の 後 , 1 9 0 3 年 ブ ラ ジ ル に ア ク レ 地 方 を , 28 〜 35 年 の 2 度 の 戦 争 で 南 部 を パ ラ グ ア イ に 奪 わ れ た 。 独 立 以 後 , 年 1 回 以 上 の 軍 事 ク ー デ タ が 続 い た が , 1 9 5 2 年 民 族 革 命 運 動 ︵ M N R ︶ の パ ス = エ ス テ ン ソ ロ が 政 権 を 獲 得 。 錫 鉱 山 の 国 営 化 な ど 民 族 主 義 的 革 命 を 推 進 し た が , 1 9 6 4 年 軍 部 が ク ー デ タ で 政 権 を 獲 得 。 こ う し た 情 勢 下 , 1 9 6 5 年 キ ュ ー バ 国 籍 を 離 脱 し た ゲ バ ラ が ボ リ ビ ア に 来 て 革 命 を 指 導 す る が , 67 年 政 府 軍 に 捕 ら え ら れ 殺 害 さ れ た 。 そ の 後 , 軍 事 政 権 の も と で 国 情 は 混 迷 を 続 け て き た が , 1 9 8 2 年 左 翼 政 権 が 誕 生 し て 民 政 に 復 帰 。 し か し , 経 済 政 策 に 失 敗 , 異 常 な イ ン フ レ を 招 き , 1 9 8 5 年 の 選 挙 で パ ス = エ ス テ ン ソ ロ が 大 統 領 に 復 帰 。 そ の 厳 し い 財 政 規 制 で イ ン フ レ は 鎮 静 に 向 か っ た 。 そ の 後 も 1 9 8 9 年 か ら 左 翼 政 権 , 97 年 か ら 右 派 政 権 へ と 政 情 は 不 安 定 。
出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 情報
ボリビア Bolivia
南 ア メ リ カ 中 央 部 に あ る 内 陸 の 共 和 国 。 イ ン カ 帝 国 時 代 に は コ リ ャ ス ー ユ と い う 地 方 の 一 部 を な し た 。 イ ン カ に 先 行 す る テ ィ ワ ナ ク 文 化 の 所 在 地 で も あ る 。 ス ペ イ ン 植 民 地 時 代 は ア ル ト ・ ペ ル ー ( 高 ペ ル ー ) と 呼 ば れ , 1 5 4 5 年 に 発 見 さ れ た ポ ト シ 銀 山 に よ っ て 有 名 だ っ た 。 1 8 2 5 年 独 立 し , そ れ 以 後 頻 繁 な 政 権 交 替 を 繰 り 返 し て い る 。 太 平 洋 戦 争 の 結 果 , 84 年 の 講 和 で 太 平 洋 へ の 出 口 を 失 っ た 。 銀 , 錫 ( す ず ) な ど の 生 産 が 経 済 の 柱 で あ り , 1 9 5 2 年 国 民 革 命 運 動 ( M R N ) が 政 権 を と っ て , 錫 鉱 山 の 国 有 化 , 農 地 改 革 な ど を 行 っ た が , そ の 後 分 裂 し , 軍 部 と の 抗 争 , 労 働 運 動 の 激 化 な ど に よ っ て 社 会 的 動 揺 が 絶 え な い 。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」 山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の ボリビアの言及
【ボリーバル】より
…21年にベネズエラとエクアドルを解放しグラン・コロンビアを正式に発足させたのちペルーの解放に向かい,24年のアヤクチョの戦でスペイン軍に大勝してペルーを完全に解放するとともに,イスパノ・アメリカの独立をほぼ決定的にした。さらに25年には[スクレ]が率いるボリーバルの軍隊がアルト・ペルーを解放し,独立したアルト・ペルーはボリーバルにちなんで国名をボリビアと名づけた。ボリビア共和国の憲法はボリーバルが起草したもので,晩年の彼の政治思想の到達点を示している。…
※「ボリビア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」