マンハイム(英語表記)Mannheim

デジタル大辞泉 「マンハイム」の意味・読み・例文・類語

マンハイム(Mannheim)

 
西1518  

 

Karl Mannheim

 
18931947  

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精選版 日本国語大辞典 「マンハイム」の意味・読み・例文・類語

マンハイム

  1. ( Karl Mannheim カール━ ) ハンガリー生まれの社会学者。知識社会学の方法を確立した。主にドイツ語圏で活躍したが、ナチス政権成立後ロンドンに亡命。著に「イデオロギーとユートピア」など。(一八九三‐一九四七
 

 

(一)( Mannheim ) 西殿
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マンハイム」の意味・わかりやすい解説

マンハイム(Karl Mannheim)
まんはいむ
Karl Mannheim
(1893―1947)


19121913()19181920192519291933

 Seinsverbundenheit1935Gegenwartskundemass society



1953K196319685619712006

マンハイム(ドイツ)
まんはいむ
Mannheim


西30670020001834西


歴史

石器時代に集落があったことが知られるが、この都市の名が史料に初出するのは766年のことで、中世にはライン川とネッカー川を利用する輸送品に対する関税徴収所が置かれ、1607年に都市法が与えられた。1720~78年の間プファルツ選帝侯の居城地となり、半円と直線の街路で碁盤目状に136にくぎられた市街地が建設され、水準の高い文化的中心地でもあった。1803年プファルツの解体とともにバーデン領に編入された。

[中村賢二郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「マンハイム」の意味・わかりやすい解説

マンハイム
Mannheim


西23074992004Mannenheim766160641720180248


マンハイム
Karl Mannheim
生没年:1893-1947

ハンガリー生れの社会学者。ブダペストに生まれ,ブダペスト大学を卒業。ルカーチらと同じくブダペストの革新的知識人の一人であったが,反革命後亡命してハイデルベルク大学をはじめ,ドイツ語圏で活躍,1930年にはフランクフルト大学の教授となる。しかしナチスの台頭でロンドン大学に移り,その地で客死した。ハイデルベルクの知的雰囲気の中で,はじめ認識論的関心から出発したが,やがて新カント派にあきたらず〈歴史主義〉的立場に立って独自の途をひらき,《イデオロギーとユートピア》(1929)によって脚光を浴びる。〈存在被拘束性〉という観点からするイデオロギー批判の方法は,各方面に多くの影響を与え,知識社会学の礎石となる。イギリス亡命後は民主主義と大衆社会の現状を踏まえ,〈自由のための計画〉を目ざす〈時代診断〉や,各種の著作に携わるとともに,ルートレッジ社の編集顧問やユネスコのヨーロッパ部長として活躍した。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マンハイム」の意味・わかりやすい解説

マンハイム
Mannheim, Karl

[生]1893.3.27. ブダペスト
[没]1947.1.9. ロンドン
ドイツの社会学者。ブダペスト,フライブルク,ハイデルベルク各大学で学び,『認識論の構造分析』 Die Strukturanalyse der Erkenntnistheorie (1922) によって学位を得た。 1929年の『イデオロギーとユートピア』 Ideologie und Utopieをはじめとする諸業績は,マルクス主義のイデオロギー論の克服を目指すと同時に,知識社会学を樹立するうえで重要な著作となった。ナチスの勃興によりドイツを追われ,33年イギリスに渡った。この体験から,独裁体制下での自由主義の危機を感じ取り,現代という時代の診断学から,さらに計画的民主主義の思想を展開することになった。 45年ロンドン大学教育学部教授となり,教育社会学の方向に新展開を示した。実践面でもユネスコのヨーロッパ部長に任じられたが,急逝。その他著書『変革期における人間と社会』 Mensch und Gesellschaft im Zeitalter des Umbaus (1935) ,『現代の診断』 Diagnosis of Our Time (43) ,『自由,権力,民主的計画』 Freedom,Power,and Democratic Planning (50) など多数。

マンハイム
Mannheim

ドイツ南西部,バーデンウュルテンベルク州の都市。州北西端,ライン川とネッカー川の合流点に位置する。 764年に村として記録。 1606年選帝侯フリードリヒ4世により計画的な都市建設がなされ,市街は 136の長方形に区切られた。翌年都市権を獲得。三十年戦争の際破壊され,1720年ファルツ選帝侯によって再建された。 1834年ライン河港が建設されてのち経済的に発展,20世紀初頭には工業化が進んだ。現在は化学,農業機械,鉄鋼,自動車,電気機器などの工業が立地し,対岸のルートウィヒスハーフェンとともに工業地区を形成している。伝統のある文化都市で,特に 18世紀にはドイツの演劇,音楽の一中心となり,シラーの劇の初演,J.シュターミツらのマンハイム楽派などで知られた。国立劇場 (1954~57再建) ,ライス美術館,クンストハレ美術館などがある。人口 31万1969(2010)。

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百科事典マイペディア 「マンハイム」の意味・わかりやすい解説

マンハイム

 
1930︿︿︿1929  

マンハイム

ドイツ南西部,バーデン・ビュルテンベルク州の商工業都市。ネッカー川のライン川への合流点にある河港で,対岸のルートウィヒスハーフェンとともに重要な工業地区を形成。製油,機械,電機,化学などの工業が行われる。国立劇場,バロックの城は著名。1606年創建,18世紀にファルツ選帝侯のもとで繁栄し,バロック文化が開花した。19世紀に商工業都市として発達。31万4900人(2011)。
→関連項目ルートウィヒスハーフェン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「マンハイム」の解説

マンハイム
Karl Mannheim


18931947


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旺文社世界史事典 三訂版 「マンハイム」の解説

マンハイム
Karl Mannheim

1893〜1947
ドイツの社会学者
ナチスのためにフランクフルト大学教授を追われ,ロンドン大学に移った。知識社会学を提唱。主著は『イデオロギーとユートピア』。

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世界大百科事典(旧版)内のマンハイムの言及

【イデオロギー】より

上部構造(2)イデオロギー論はその後,マルクス主義陣営以外では,第1次大戦後のドイツで〈知識社会学〉という社会学の一特殊分野を生み出すことになった。その体系家K.マンハイムはイデオロギーとユートピアとを対比し,両者ともに現実の社会には適合しない〈存在超越的〉な観念であるとしながらも,ユートピアが〈存在がいまだそれに達していない意識〉,つまり既存の社会をのりこえる革命的機能をもつ意識であるのに対し,イデオロギーは〈存在によってのりこえられた意識〉,つまり変化した新しい現実をとりこむことのできない,時代にとり残された意識,と規定した。さらにまたマンハイムは,マルクス主義が観念や意識の存在拘束性を発見した功績を評価しながらも,それが敵対的階級のイデオロギーの存在拘束性を暴露することにのみ終始し,自己自身の観念体系をも存在に拘束されたものとしてみる自己相対化の視点を欠いているとして批判し,自己自身の立場にも存在拘束性を認める勇気をもつとき,単なるイデオロギー論は一党派の思想的武器であることをやめ,党派を超越した一般的な社会史や思想史の研究法としての知識社会学に変化する,と主張した。…

【社会計画】より


︿︿︿(1951)K.

【社会思想】より


 M.︿︿︿

【政治意識】より


K. M.()

【大衆社会】より

…かりに抵抗を志した少数者がいても,まったくばらばらの孤立状態だったから抵抗できないし,それを敢えて抵抗に踏み切ったら各個撃破されるだけだった。 社会学者マンハイムは,《変革期における人間と社会》(1935)で,そういう大衆社会状況をいちはやく診断し,その治療の方向づけをしようと試みた。なぜ大衆社会が出現したのか? マンハイムによると,ある社会は,政治の領域であれ文化の領域であれ,優れたエリート層が公衆に媒介されて大衆に影響力を及ぼしているとき,安定し,発展もする。…

【保守主義】より

…フランスよりもさらに資本主義の発達が遅れていた19世紀前半のドイツには,バークをバーク以上に封建的イデオロギーとして継承したK.L.vonハラー,A.ミュラー,F.J.シュタールなどがいた。彼らを対象にしてK.マンハイムが,《保守主義》(1927)の中でその特質を論じたのは,保守主義論の古典として有名である。しかし,ドイツで保守主義という言葉が盛んに用いられるようになるのは,実際はもっと遅れて1860年代以降,ビスマルクの指導の下に大地主(ユンカー)たちが資本家に転じていったころ,彼らのイデオロギーとしてであった。…

※「マンハイム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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