デジタル大辞泉
「ミル」の意味・読み・例文・類語
ミル(mill)
1 粉砕器。「コーヒーミル 」2 回転を利用した工作機械 。「ローリングミル 」
ミル(mil)
ヤードポンド法 の長さの単位。1ミルは1000分の1インチで、0.0254ミリ。
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ミル
(一) [ 一 ] ( J a m e s M i l l ジ ェ ー ム ズ ━ ) イ ギ リ ス の 哲 学 者 、 経 済 学 者 。 [ 二 ] の 父 。 ベ ン サ ム の 友 人 。 ベ ン サ ム の 功 利 主 義 を 心 理 学 的 に 発 展 さ せ た 。 著 に ﹁ 経 済 学 綱 要 ﹂ ﹁ 人 間 精 神 の 現 象 の 分 析 ﹂ な ど 。 ︵ 一 七 七 三 ‐ 一 八 三 六 ︶
(二) [ 二 ] ( J o h n S t u a r t M i l l ジ ョ ン = ス チ ュ ア ー ト ━ ) イ ギ リ ス の 哲 学 者 、 社 会 思 想 家 、 経 済 学 者 。 [ 一 ] の 長 男 。 幼 児 期 か ら 天 才 教 育 を 受 け 、 哲 学 、 経 済 、 政 治 、 婦 人 問 題 、 宗 教 、 社 会 思 想 な ど 幅 広 い 著 作 活 動 を 展 開 し た 。 イ ギ リ ス 経 験 主 義 の 上 に 立 つ 帰 納 法 を 体 系 化 し 、 ま た 実 証 的 な 社 会 科 学 理 論 の 確 立 に 努 め た 。 一 方 、 自 由 主 義 経 済 学 の 最 後 の 代 表 者 で も あ っ た 。 主 著 ﹁ 論 理 学 大 系 ﹂ ﹁ 経 済 学 原 理 ﹂ ﹁ 自 由 論 ﹂ ﹁ 功 利 主 義 論 ﹂ ﹁ ミ ル 自 伝 ﹂ 。 ︵ 一 八 〇 六 ‐ 七 三 ︶
ミ ル
(一) 〘 名 詞 〙 ( [ 英 語 ] m i l )
(二) ① 長 さ の 単 位 。 一 イ ン チ の 千 分 の 一 。 主 に 針 金 の 太 さ の 単 位 と し て 用 い る 。 ︹ 電 気 訳 語 集 ︵ 1 8 9 3 ︶ ︺
(三) ② ﹁ ミ リ リ ッ ト ル ﹂ の こ と 。 も と 、 医 薬 品 の 処 方 に 用 い た 。
出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
ミル John Stuart Mill 生没年:1806-73
イ ギ リ ス 19 世 紀 中 葉 の 代 表 的 な 哲 学 者 , 経 済 学 者 。 と く に , そ の 晩 年 に 書 か れ た ︽ ミ ル 自 伝 ︾ に よ っ て , 幼 少 時 か ら の 一 生 を 通 じ る 思 想 展 開 を 詳 細 に 後 づ け る こ と が 可 能 な 数 少 な い 例 と し て 知 ら れ て い る 。 父 ジ ェ ー ム ズ ・ ミ ル の 異 常 と も い え る 教 育 熱 心 に よ っ て , 3 歳 か ら ギ リ シ ア 語 を , 8 歳 か ら ラ テ ン 語 を 学 び , 12 歳 ま で に 多 く の 古 典 を 読 ん だ 。 こ の 間 に 初 等 幾 何 学 や 代 数 学 な ら び に 微 分 学 の 初 歩 を 学 び , 13 歳 の と き に は 経 済 学 の 課 程 ま で 終 え て い た と い う 。 父 ジ ェ ー ム ズ は D . リ カ ー ド の 親 友 で あ り , そ の 経 済 学 の 礼 賛 者 か つ 解 説 者 で あ っ た か ら , ミ ル は 少 年 期 に 徹 底 的 に リ カ ー ド 経 済 学 を 仕 込 ま れ た わ け で あ る 。 ま た 父 か ら は 論 理 学 も 学 ん で い る 。 ま た 父 を 通 じ て J . ベ ン サ ム の 功 利 主 義 か ら 強 い 影 響 を 受 け た 。 14 歳 以 後 は 一 人 立 ち で 勉 強 し た が , 幼 年 期 か ら の 教 育 に よ っ て 一 種 の 純 粋 培 養 的 な 学 者 と な っ た と い え る 。 一 生 の 間 に ︽ 論 理 学 体 系 ︾ ︵ 1 8 4 3 ︶ , ︽ 経 済 学 原 理 ︾ ︵ 1 8 4 8 ︶ , ︽ 自 由 論 ︾ ︵ 1 8 5 4 年 に 書 か れ 59 年 出 版 ︶ , ︽ 功 利 主 義 論 ︾ ︵ 1 8 6 1 年 に 雑 誌 に 発 表 , 63 年 単 行 本 ︶ , ︽ 女 性 の 隷 従 ︾ ︵ 1 8 6 9 ︶ , 遺 稿 の ︽ 社 会 主 義 論 ︾ ︵ 1 8 7 9 ︶ そ の 他 多 く を 著 し た が , そ れ ら は す べ て 自 分 の 見 聞 に 照 ら し て , よ り 正 確 に 真 理 を 究 め 世 に 問 お う と す る 誠 実 な 努 力 の 結 果 で あ っ た 。 彼 ほ ど 世 俗 の 利 害 や 党 派 的 感 情 に 惑 わ さ れ な い 人 物 は ま れ で あ っ た 。
経 済 学 者 と し て の ミ ル は 古 典 派 経 済 学 の 完 成 者 と 呼 ば れ , 同 時 に イ ギ リ ス 社 会 主 義 の 父 と も 呼 ば れ た が , 正 確 に い え ば , 古 典 派 を 頂 点 ま で 理 解 す る こ と に よ っ て , そ の 限 界 を も 知 る に 至 り , 体 系 を 拡 張 し た と い う こ と で あ る 。 そ の こ と は 彼 の ︽ 経 済 学 原 理 ︾ の 初 版 と 第 3 版 ︵ 1 8 5 2 ︶ と の 差 異 に 見 る こ と が で き る 。 ミ ル 自 身 は 労 働 階 級 へ の 関 心 の 高 ま り を , 彼 が 愛 し 後 に 結 婚 ︵ 1 8 5 1 ︶ し た テ ー ラ ー H a r r i e t T a y l o r の 影 響 に 帰 し て い る が , 要 は ミ ル が 生 活 経 験 の 乏 し さ か ら ︿ イ ギ リ ス 交 際 社 会 の 低 級 な 道 徳 の 調 子 を ま っ た く 知 ら な か っ た ﹀ た め に , 古 典 派 の ︿ 私 益 追 求 ﹀ の 概 念 を あ ま り に 性 善 説 的 に 解 釈 し て い た こ と へ の 反 省 に ほ か な ら な い 。 ミ ル の リ カ ー ド 派 か ら の 脱 皮 は , イ デ オ ロ ギ ー 的 な も の で は な く , ︿ 富 の 分 配 ﹀ を ︿ 富 の 生 産 ﹀ と 同 様 な 自 然 法 則 で あ る か の よ う に み な す こ と が 事 実 認 識 上 の 誤 り で あ る こ と に 気 づ い た た め で あ っ た 。 ︽ 経 済 学 原 理 ︾ に お け る 労 働 時 間 規 制 論 は , 市 場 均 衡 論 に も と づ く 最 初 の 分 析 的 記 述 と な っ て い る 。 ︽ 論 理 学 体 系 ︾ に お い て は , そ れ 以 前 の 演 繹 ︵ え ん え き ︶ 法 偏 重 を い ま し め , 帰 納 的 な 実 証 主 義 の 重 要 性 を 指 摘 し た 。
ま た 功 利 主 義 に つ い て も , ベ ン サ ム 流 の 数 量 評 価 が 質 的 側 面 を 見 落 と し て い る こ と を 指 摘 し た 。 ミ ル は 徹 底 し て 個 人 の 自 由 を 尊 重 す る こ と か ら , 男 女 平 等 の 政 治 的 民 主 主 義 を 主 張 し , 同 時 に 多 数 決 に お い て 少 数 者 の 意 思 表 示 の 自 由 を 留 保 す る こ と を 忘 れ な か っ た 。 ミ ル が 矛 盾 撞 着 ︵ ど う ち や く ︶ を 含 む 過 渡 期 の 思 想 家 と 評 さ れ た の は , 既 得 の 真 理 に 新 た な 知 識 を 加 え る と い う 進 歩 発 展 へ の 彼 の 苦 闘 の 過 程 を 表 面 的 に 見 た も の に す ぎ な い 。
執 筆 者 ‥ 辻 村 江 太 郎
ミル (海松) sea staghorn Codium fragile (Suringar) Hariot
目次 文様
ビ ロ ー ド の 手 ざ わ り が す る 円 柱 状 の 体 の 緑 藻 で , 密 に 分 枝 し て 高 さ 20 ~ 3 0 c m に な る 。 体 の 表 面 の 細 か い 粒 は 体 を つ く る 巨 大 細 胞 が 棍 棒 状 に 突 起 し た 部 分 で , 体 の 中 心 部 に は 細 い 管 状 の 細 胞 が 密 に か ら み 合 っ て い る 。 細 胞 に は 隔 膜 が な い の で , 体 全 体 は 多 数 の 核 を も つ 1 個 の 巨 大 細 胞 か ら な る こ と に な る 。 こ の よ う な 体 を 多 核 体 と い う 。 寒 海 域 を 除 く 日 本 各 地 沿 岸 の 低 潮 線 付 近 か ら 漸 深 帯 の 岩 上 に 生 育 し , 世 界 の 暖 温 帯 の 海 域 に 分 布 す る 。 似 た 種 に ク ロ ミ ル C . d i v a r i c a t u m H o l m e s , サ キ ブ ト ミ ル C . c o n t r a c t u m K j e l l m a n , ナ ガ ミ ル C . c y l i n d r i c u m H o l m e s な ど が あ り , い ず れ も 寒 海 域 を 除 く 日 本 各 地 に 生 育 す る 。 ミ ル は 地 方 に よ り 食 用 に す る 。 淡 水 に 浸 し て 脱 色 し た 後 に 乾 燥 し て 保 存 し , 食 用 に す る と き は 水 に 戻 し て 酢 な ど で あ え る 。
執 筆 者 ‥ 千 原 光 雄
文 様
中 心 か ら 放 射 状 に 小 枝 を 並 べ た よ う な 形 の 文 様 。 ︽ 源 氏 物 語 絵 巻 ︾ 御 法 ︵ み の り ︶ の 詞 書 料 紙 や ︽ 信 貴 山 ︵ し ぎ さ ん ︶ 縁 起 絵 巻 ︾ に 描 か れ た 庶 民 の 衣 服 に こ の 文 様 が 見 ら れ る の で , 平 安 時 代 か ら 用 い ら れ た と 思 わ れ る 。 海 松 ︵ み る ︶ 文 に よ く 似 た も の に ホ ヤ 文 と 呼 ば れ る 寄 生 木 ︵ や ど り ぎ ︶ 文 様 が あ る 。 両 者 は 区 別 が つ き に く い 。 ま た 海 松 文 に は 海 松 丸 と 呼 ば れ る 丸 文 の 一 種 が あ り 染 型 紙 や 漆 器 の 文 様 に 多 く 使 わ れ る 。
執 筆 者 ‥ 長 田 玲 子
ミル James Mill 生没年:1773-1836
イ ギ リ ス 功 利 主 義 の 代 表 者 の 一 人 で , J . ベ ン サ ム の 協 力 者 と し て 学 派 の 形 成 に 貢 献 し た 。 経 済 学 者 と し て も 知 ら れ る 。 長 男 J . S . ミ ル に , 功 利 主 義 の 継 承 者 た ら し め る べ く 厳 し い 早 教 育 を ほ ど こ し た の も , そ の 一 端 で あ る 。 ス コ ッ ト ラ ン ド の 農 村 の 貧 し い 靴 屋 の 家 に 生 ま れ た が , あ る 裁 判 官 が そ の 才 能 を 惜 し ん で エ ジ ン バ ラ 大 学 で 神 学 を 学 ば せ た ︵ 1 7 9 0 - 9 7 ︶ 。 説 教 の 免 許 を 得 て 巡 回 説 教 を や っ て み た も の の , 人 気 が な く , 職 を 求 め て ロ ン ド ン に で た ミ ル は , ジ ャ ー ナ リ ス ト と し て 成 功 し , 1 8 0 8 年 に は ベ ン サ ム を 知 っ て , そ の 最 初 の イ ギ リ ス 人 の 弟 子 と な っ た 。 9 人 の 子 ど も を か か え な が ら , 精 力 を 傾 け て 書 い た 大 著 ︽ イ ギ リ ス 領 イ ン ド 史 ︾ ︵ 1 8 1 7 - 1 8 ︶ に よ っ て 名 声 を 確 立 す る と と も に , 東 イ ン ド 会 社 に 職 を 得 て 生 活 を 安 定 さ せ る こ と が で き た 。 彼 の 著 作 は , ス コ ッ ト ラ ン ド 啓 蒙 思 想 の 成 果 の う え に 立 っ て い る の で , 功 利 主 義 へ の 改 宗 後 で さ え , ベ ン サ ム と の あ い だ に 微 妙 な ず れ が あ る 。 と く に ミ ル が 東 イ ン ド 会 社 に 就 職 し て か ら は , 人 間 関 係 も 以 前 の よ う に 緊 密 で は な く な っ た 。 な お 著 書 と し て は , ほ か に リ カ ー ド の 経 済 学 を 平 易 に し た 教 科 書 ︽ 経 済 学 綱 要 ︾ ︵ 1 8 2 1 ︶ や ︽ 自 伝 ︾ ︵ 1 8 7 3 ︶ が あ る 。
執 筆 者 ‥ 水 田 洋
ミル Mill
古 い 盤 上 ゲ ー ム で , ナ イ ン ・ メ ン ズ ・ モ リ ス N i n e M e n ' s M o r r i s , モ リ ス , 三 目 並 べ な ど , さ ま ざ ま の 名 で 呼 ば れ て い る 。 前 1 4 0 0 年 こ ろ の エ ジ プ ト の 神 殿 の 天 井 に , こ の ゲ ー ム 盤 と 同 型 の き ざ み 目 が 残 っ て い る こ と か ら , ゲ ー ム の 起 源 を こ の 時 点 ま で さ か の ぼ ら せ る 説 も あ る 。 14 世 紀 に は 広 く ヨ ー ロ ッ パ で 行 わ れ , W . シ ェ ー ク ス ピ ア の ︽ 夏 の 夜 の 夢 ︾ に も 登 場 す る 。 ゲ ー ム は 図 の よ う な 型 の ゲ ー ム 盤 ︵ あ る い は 単 に 地 面 な ど に 筋 を 引 く だ け の こ と も あ る ︶ を 用 い て , 2 人 で 行 う 。 各 プ レ ー ヤ ー は 自 分 の 駒 ︵ メ ン m e n ︶ を 9 個 ず つ 持 つ 。 駒 は 敵 味 方 を 区 別 で き る よ う に 色 違 い に な っ て い る 。 ゲ ー ム は , 競 技 者 が 交 互 に 駒 を 盤 上 の 交 点 に 置 い て い き , 自 分 の 色 の 駒 を 縦 ま た は 横 に 3 個 並 べ る と ︵ こ れ を ミ ル と い う ︶ , 相 手 の 駒 を 一 つ と り の け る こ と が で き る 。 と り の け た 駒 は 再 使 用 で き な い 。 ゲ ー ム の 前 半 戦 は 交 互 に 駒 を 配 置 し , 置 き つ く し た 時 点 で 後 半 戦 と な り , 盤 上 の 自 分 の 駒 を 1 交 点 だ け と な り へ 移 す こ と が で き る 。 着 手 は 交 互 。 駒 の 入 っ て い る と こ ろ へ は 入 れ な い 。 相 手 の 駒 を 2 個 に ま で 減 ら す か , 相 手 の 駒 を 動 け な く し た ほ う が 勝 つ 。
執 筆 者 ‥ 松 田 道 弘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
ミル
英 国 の 哲 学 者 , 古 典 学 派 経 済 学 者 。 J . ミ ル の 長 男 で 幼 年 よ り 天 才 教 育 を 受 け た 。 長 く 東 イ ン ド 会 社 に 勤 務 。 功 利 主 義 運 動 に 従 事 し た が , 功 利 哲 学 に 疑 問 を い だ き 一 種 の 理 想 主 義 に 転 じ , 功 利 哲 学 の 演 繹 ( え ん え き ) 法 に 対 し て 実 証 的 な 帰 納 法 の 論 理 を も 展 開 す る ︽ 論 理 学 体 系 ︾ ︵ 1 8 4 3 年 ︶ を 著 し , そ の 方 法 を 適 用 , リ カ ー ド を 修 正 し て ︽ 経 済 学 原 理 ︾ ︵ 1 8 4 8 年 ︶ を 執 筆 し た 。 労 働 価 値 説 を 離 れ 生 産 費 説 を 採 用 , 一 時 は 賃 金 基 金 説 を 説 く 。 ま た 生 産 と 分 配 を 切 り 離 し , 前 者 は 自 然 法 則 に 従 う が , 後 者 は 共 同 意 志 で 変 え 得 る と し て 社 会 改 良 を 唱 え た 。 ︽ 自 由 論 ︾ ︽ 婦 人 の 隷 従 ︾ ︽ 自 伝 ︾ 等 も 著 名 。 フ ラ ン ス の ア ビ ニ ョ ン で 死 ん だ 。
→ 関 連 項 目 天 野 為 之 | 功 利 主 義 | 古 典 派 | 政 治 学 | 租 税 義 務 説 | 中 村 正 直 | ブ ラ ン デ ス
ミル
英国の思想家,経済学者。J.S.ミル の父。ベンサム の友人で,彼の功利主義哲学を普及させ,それを心理学的に基礎づけ,またリカード の経済学の通俗化に寄与した。《イギリス領インド史》(1817年―1818年)を著し,晩年東インド会社に就職。主著はほかに《経済学要綱》(1821年),《自伝》(1873年)など。
ミル
緑藻類ミル科の海藻。寒流の影響の少ない日本各地の沿岸の潮間帯下部に生育。数回叉状(さじょう)に分岐して,全体は扇形となり,ビロードのような手ざわりで高さ10〜30cm。体の表面に見える細かい粒は体をつくる巨大な細胞の突起部分。近縁にナガミル,クロミル,サキブトミル,ハイミルなどがある。地方によっては食用とする。
出典 株式会社平凡社 百科事典マイペディアについて 情報
ミル【mill】
コ ー ヒ ー 豆 、 粒 こ し ょ う 、 茶 葉 な ど の 乾 燥 し た 食 品 を 粉 砕 し て 粉 状 に す る 器 具 。 コ ー ヒ ー 用 を ﹁ コ ー ヒ ー ミ ル ﹂ 、 こ し ょ う 用 を ﹁ ペ ッ パ ー ミ ル ﹂ と い う 。 電 動 式 で 攪 拌 ( か く は ん ) 機 能 も あ り 、 乾 燥 し た 食 品 以 外 に も 使 え る も の も あ る 。
出典 講談社 食器・調理器具がわかる辞典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版 旺文社世界史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の ミルの言及
【功利主義】より
…中産階級の人々にとっては〈幸福〉の具体的内容についての大体共通する理解があったからである。 ベンサムの強い影響を受けた[J.ミル]は,ベンサムの思想を整理し,その宣伝に努めた。そして《人間精神の現象の分析》(1829)を書いて,功利主義をハートリーDavid Hartley(1705‐57)の連合心理学によって基礎づけようとした。…
【セーの法則】より
…実際,ナポレオン戦争後の恐慌(1817‐19)の際,J.C.シスモンディやT.R.マルサスが全般的過剰生産が起こりうることを認め,いわゆる過少消費説(〈[恐慌]〉の項参照)を主張したのに対し,セーは上述の理解から,ただ生産部門間の不均衡による部分的過剰生産を認めただけで全般的過剰生産を否定し,前2者とのあいだに〈市場論争〉と呼ばれる論争を展開した。この論争にはD.リカードやJ.ミルも参加し,全般的過剰生産を否定するセーの見解に賛意を表した。 この論争自体は,恐慌を資本主義的生産様式の矛盾の現れとして最初に問題にしたものとして注目されるが,しかしセーの販路説は,もともと主観的な効用価値説を基礎としており,A.スミスやリカードの労働価値説を継承してその上に展開されたものではなかった。…
【民主主義】より
…そして,こうしたルソーのむしろ断片的受容にみられるように,この時期のフランスでは,民主主義という言葉は,解放の希望を表す言葉ではあっても,建設の原理を具体的に示す言葉ではなかった。[J.ベンサムとJ.ミル] 19世紀前半に民主主義を国家の新しい積極的な制度論原理にしようと試みたのは,J.ベンサム,J.ミル(J.S.ミルの父)の2人のイギリス功利主義者であった。まずベンサムは,世紀初めに書かれた《憲法典》で,人民主権の立場から,婦人も含めた普通選挙制を主張した。…
【ロンドン大学】より
… ロ ン ド ン に あ る イ ギ リ ス 最 大 の 大 学 。 1 8 2 6 年 , 急 進 主 義 者 の H . P . ブ ル ー ム , J . ミ ル , そ れ に 非 国 教 徒 が 中 心 に な っ て , ロ ン ド ン に 宗 教 色 の な い ユ ニ バ ー シ テ ィ ・ カ レ ッ ジ が 設 立 ( 1 8 2 8 開 校 ) さ れ , つ い で 28 年 , そ れ に 対 抗 し て 国 教 会 に よ り キ ン グ ズ ・ カ レ ッ ジ が 設 立 ( 1 8 3 1 開 校 ) さ れ た 。 こ の 二 つ の カ レ ッ ジ は , イ ン グ ラ ン ド に 生 ま れ た 最 初 の 市 民 大 学 で , 中 流 階 級 の 子 弟 を 対 象 に , 自 然 , 社 会 , 人 文 の 各 分 野 に わ た る 諸 学 科 を 幅 広 く 教 授 し , こ の 点 で 中 世 以 来 の オ ッ ク ス フ ォ ー ド 大 学 , ケ ン ブ リ ッ ジ 大 学 と は 著 し い 対 照 を な し た 。 …
【科学哲学】より
…F.ベーコンの科学方法論への洞察,ロックの実験的精神,D.ヒュームの因果性の分析,G.バークリーの知覚論,さらに,新カント学派諸家の科学批判などはすべてこのような背景の中から生まれたものである。また,科学方法論を直接テーマとしたのはJ.S.ミルであった。科学的帰納推理に関する彼の研究は現代科学哲学の一つの源流と考えられる。…
【経済学説史】より
… 古 典 派 経 済 学 は , さ ら に ︽ 経 済 学 お よ び 課 税 の 原 理 ︾ ( 1 8 1 7 ) の 著 者 D . リ カ ー ド , ︽ 人 口 論 ︾ ( 1 7 9 8 ) , ︽ 経 済 学 原 理 ︾ ( 1 8 2 0 ) な ど を 著 し , 有 効 需 要 の 問 題 を 重 視 し て 後 に ケ イ ン ズ に 評 価 さ れ た T . マ ル サ ス な ど に よ り 展 開 さ れ て い く 。 そ し て , 古 典 派 経 済 学 の 最 後 の 巨 峰 は J . S . ミ ル で あ り , そ の 著 ︽ 経 済 学 原 理 ︾ ( 1 8 4 8 ) は 古 典 派 経 済 学 の 完 成 の 記 念 碑 で あ る 。 ス ミ ス は , 商 品 の 交 換 比 率 は 生 産 に 必 要 な 労 働 量 に よ っ て 決 ま る と い う 投 下 労 働 価 値 説 を , 土 地 所 有 と 資 本 蓄 積 の な い 未 開 社 会 に の み 認 め , 土 地 所 有 と 資 本 蓄 積 の あ る 社 会 に つ い て は 長 期 的 な 需 要 と 供 給 の 均 衡 に よ り , 賃 金 , 地 代 , 利 潤 の 自 然 率 の 和 と し て 商 品 の 自 然 価 格 が 決 定 さ れ る も の と し た 。 …
【厳復】より
…生存競争,優勝劣敗による進化という社会進化的観念は,当時の知識人に中国は亡国の危機にさらされているという意識をよびおこし,桐城派古文の典雅な文章とあいまって,《天演論》は青年たちに暗誦されるほど歓迎され,彼の名を不朽のものにした。それ以後彼は,アダム・スミス《原富》(1902,《国富論》),ミル《群己権界論》(1903,《自由論》),ミル《穆勒(ぼくろく)名学》(1905,《論理学体系》),モンテスキュー《法意》(1904‐09,《法の精神》)など多くの翻訳を出版し,西欧近代の学術的成果を紹介した。しかし,辛亥革命(1911)以後は,しだいに伝統思想へ接近してゆき,袁世凱の帝制運動を助けるなど,かつての名声も地に落ち,1921年,五・四新文化運動のさなか,病没した。…
【功利主義】より
…中産階級の人々にとっては〈幸福〉の具体的内容についての大体共通する理解があったからである。 ベンサムの強い影響を受けた[J.ミル]は,ベンサムの思想を整理し,その宣伝に努めた。そして《人間精神の現象の分析》(1829)を書いて,功利主義をハートリーDavid Hartley(1705‐57)の連合心理学によって基礎づけようとした。…
【古典派経済学】より
…古典派経済学(略して古典派あるいは古典学派ともいう)とは一般に,18世紀の最後の四半世紀から19世紀の前半にかけイギリスで隆盛をみる,アダム・[スミス],[リカード],[マルサス],[J.S.ミル]を主たる担い手とする経済学の流れをさしている。D.ヒュームらアダム・スミスの先行者や19世紀のJ.ミル,J.R.マカロック,R.トレンズ,ド・クインシー,S.ベーリー,N.W.シーニアー,S.M.ロングフィールドらをどう扱うか,またJ.S.ミルに後続するフォーセットHenry Fawcett(1833‐84)やケアンズJohn Elliot Cairnes(1823‐75),フランスのセーやシスモンディをどう扱うかについて,多少考え方の相違があるが,おおむねこれらの人たちも含まれる。…
【実証主義】より
…そして実証的とは〈破壊する〉ことでなくて〈組織する〉ことであると説き,人間の知識と行動は〈神学的〉―〈形而上学〉―〈実証的〉になるという〈3段階の法則〉を提示し,社会現象についての実証的理論を〈社会学sociologie〉,実証的知識に基づいて自然界,精神界,社会界を全体的に一貫して説明する理論を〈実証哲学philosophie positive〉と呼んだ。 コントの説はイギリスの[J.S.ミル]に高く評価され,ミルは《コントと実証主義》(1865)を書き,〈コントこそは実証主義の完全な体系化を企て,それを人間の知識のあらゆる対象に科学的に拡大した最初の人であった〉と述べた。これ以降,実証的すなわち科学的という通念が世界的に普及した。…
【資本】より
… D . リ カ ー ド と そ の 追 随 者 お よ び オ ー ス ト リ ア 学 派 に よ れ ば , 資 本 は 過 去 の 労 働 の 蓄 積 で あ る 。 資 本 の 量 に つ い て は , た と え ば リ カ ー ド は 投 下 労 働 の 量 を , J . S . ミ ル は 生 存 資 料 の 量 を , そ し て E . v o n ベ ー ム ・ バ ウ ェ ル ク は 平 均 生 産 期 間 の 概 念 , つ ま り 労 働 が 生 産 過 程 内 に と ど ま る 平 均 の 時 間 を 考 え る と い う よ う に さ ま ざ ま で あ る が , 基 本 と な る 考 え 方 は 同 じ で あ る 。 こ れ は , 過 去 の さ ま ざ ま な 時 点 に お い て 生 産 に 投 下 さ れ た 労 働 を , た と え ば 1 年 前 の 労 働 と 2 年 前 の 労 働 と い う よ う に 互 い に 異 な る 労 働 と し て 取 り 扱 う な ら ば , 生 産 と 分 配 の 定 量 分 析 に お い て も 有 効 な 考 え 方 で あ る 。 …
【女性史】より
…女性の状態を歴史的時間のなかで検証しようとする発想は,19世紀の産物であった。フランスの空想的社会主義者フーリエは《四運動の理論》(1808)で,社会の進歩と女性の解放は比例するといい,イギリスの功利主義者ジョン・スチュアート・ミルは《女性の隷従》(1869)で,奴隷制から自由な社会へという人類史の延長線上に女性解放をおこうとした。《恋愛と結婚》(1903)を書いたスウェーデンの[E.ケイ]は,歴史は恋愛と結婚の自由に向かって進んできたとする立場から女性解放の方向性を示した。…
【心理学主義】より
…心理主義ともいう。J.S.ミルやブント,T.リップスらがその代表者。この立場は,普遍妥当的な真理や価値の存在を否定して,相対主義に陥るため,新カント学派や現象学派(とくにフッサール)によって厳しく批判され,20世紀初頭に急速にその影響力を失った。…
【賃金基金説】より
…ある時期のある社会をとり,労働者の賃金に支払われる資本部分としての賃金基金は,一定額に限定されていると主張する賃金学説。19世紀のイギリスの経済学者[J.S.ミル]によって最も典型的に主張された。この学説に従えば,労働者一人一人が受け取る賃金は,所与の賃金基金を雇用労働者総数で割った額にしかなりえない。…
【人間科学】より
…とくに人間を精神的存在としてとらえる哲学的伝統の強かったドイツでは,経験科学の伝統の強いイギリスやフランスに対して,この矛盾に敏感であった。イギリスでは,たとえばJ.S.ミルはモラル・サイエンシズという言葉で歴史学,文献学(言語学),経済学,社会学,人類学,心理学,法学,宗教学などを含む〈人間本性に関する諸科学sciences of human nature〉を意味したが,この語はドイツ語に訳されて〈精神科学Geisteswissenschaft〉となり,やがてディルタイが客観化された精神としての〈文化〉を理解する解釈学的探求の学をこの名で呼んだ。また新カント学派のウィンデルバントやリッケルトは,〈歴史科学Geschichtswissenschaft〉〈文化科学Kulturwissenschaft〉という語で,人文諸科学を自然科学とは本質的に異なる科学として分別しようとした。…
【フェビアン協会】より
…協会が採択した《フェビアンの基礎》(1887)は,土地と産業資本の個人的・階級的所有から社会的所有への移行を目標に掲げ,社会主義的世論の普及によってこれを達成するものとした。ショーが編集した《フェビアン社会主義論文集》(1889)は,J.S.ミルやH.ジョージの,社会進歩の結果得られる不労所得としての地代(レント)概念を拡大して資本の利潤に適用し,〈経済レント〉論を展開して,生産手段の社会化によるレントの社会化を提唱した。マルクスの剰余価値概念をレントで置き換えたように,階級史観に代わって社会進化論をとり,民主的,漸進的,平和的な社会の有機的変化を強調し,個人でなく集団を自然淘汰の基礎とみなし,共通の善のための自覚的調整・適応を説いた。…
【婦人参政権運動】より
… だ が 婦 人 参 政 権 運 動 が 本 格 化 し た の は 1 8 6 5 年 以 降 で あ っ た 。 同 年 , 婦 人 参 政 権 を 公 約 の 一 つ と し た J . S . ミ ル が 下 院 議 員 に 当 選 し , 66 年 に は 1 4 9 9 人 が 署 名 し た 婦 人 参 政 権 の 請 願 が ミ ル の 手 を 通 じ て 下 院 に 提 出 さ れ た 。 し か し , 翌 年 1 9 6 対 73 で 否 決 さ れ た 。 …
【民主主義】より
…そして,こうしたルソーのむしろ断片的受容にみられるように,この時期のフランスでは,民主主義という言葉は,解放の希望を表す言葉ではあっても,建設の原理を具体的に示す言葉ではなかった。[J.ベンサムとJ.ミル] 19世紀前半に民主主義を国家の新しい積極的な制度論原理にしようと試みたのは,J.ベンサム,J.ミル(J.S.ミルの父)の2人のイギリス功利主義者であった。まずベンサムは,世紀初めに書かれた《憲法典》で,人民主権の立場から,婦人も含めた普通選挙制を主張した。…
【倫理学】より
… 次に倫理学と論理学との関係についていえば,すぐれて近代的な論理学は,数学的自然科学の論理学,すなわち数学的自然科学の認識論的基礎づけというかたちで,カントによって一応成就された。それに対し,論理学を明確に精神的・社会的な諸科学の論理学というかたちで形成した最初の者は《論理学体系》におけるJ.S.ミルである。だが,その種の観点をさらに徹底させて,論理学と倫理学との関連を確定し,倫理学を明確に精神科学の論理学として把握したのはH.コーエンである。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」