メランヒトン(英語表記)Philipp Melanchthon

デジタル大辞泉 「メランヒトン」の意味・読み・例文・類語

メランヒトン(Philipp Melanchton)

 
14971560  

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精選版 日本国語大辞典 「メランヒトン」の意味・読み・例文・類語

メランヒトン

 

(一)( Philipp Melanchton  ) =
 

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改訂新版 世界大百科事典 「メランヒトン」の意味・わかりやすい解説

メランヒトン
Philipp Melanchthon
生没年:1497-1560


︿Schwartzerdt12171518︿1972130︿︿1059︿

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メランヒトン」の意味・わかりやすい解説

メランヒトン
めらんひとん
Philipp Melanchton
(1497―1560)


151815211()1530

 2018119

1949R1971

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メランヒトン」の意味・わかりやすい解説

メランヒトン
Melanchthon, Philipp

 
[]1497.2.15. 
[]1560.4.19. 
 Schwarzerd ()  1518 Loci communes rerum theologicarum (1521)  (48)  ( )   

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百科事典マイペディア 「メランヒトン」の意味・わかりやすい解説

メランヒトン

ドイツの宗教改革者。人文学を修め,若くしてウィッテンベルク大学のギリシア語教授となり,ルターに接して宗教改革者となる。1519年ライプチヒ討論でルターを助け,1530年〈アウクスブルク信仰告白〉を起草するなどしてその信頼を得たが,ローマ教会やカルバン派との歩み寄りを願って聖体論争などにおいてルターから遠ざかることになった。主著《神学総覧》。
→関連項目ハイデルベルク大学フリードリヒ[3世]ライプチヒ大学ロイヒリン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「メランヒトン」の解説

メランヒトン
Philipp Melanchton (本名 Schwarzerd)

1497~1560

ドイツの神学者。初め人文主義者としてヴィッテンベルク大学に古典語を講じたが,ルター宗教改革にあたりその最大の協力者となり,特に学校教育改革に力を尽くした。

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旺文社世界史事典 三訂版 「メランヒトン」の解説

メランヒトン
Philipp Melanchton
本名 Schwarzert

1497〜1560
ドイツの宗教改革者・人文主義者
ヴィッテンベルク大学のギリシア語教授となり,同地で知ったルターの思想に共鳴してその宗教改革活動に参加,ルター派の理論化につとめた。後年,ルター派と一致しがたくなり,独自の神学説をたてた。主著『神学綱要』。

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世界大百科事典(旧版)内のメランヒトンの言及

【キリスト教】より

…10ヵ月のワルトブルク滞在中に成った新約聖書のドイツ語訳(《ルター訳聖書》)がはたした役割は大きい。このときメランヒトンは《神学要義》をもってルターの思想を体系づけており,このような協力者を多く得て改革が進行した。具体的には教会におけるミサの濫用と修道士の独身制に向けられ,それはルター不在中にもカールシュタットの指導の下にウィッテンベルクで始まっていた。…

【宗教改革】より


1967()

 ︿1518

【ルター】より


 2729()30︿西

※「メランヒトン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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