日本大百科全書(ニッポニカ) 「モルガルテンの戦い」の意味・わかりやすい解説
モルガルテンの戦い
もるがるてんのたたかい
1315年11月15日、スイス農民軍がモルガルテンMorgartenにおいて初めてハプスブルク家の騎士軍団を破り、独立への歩みを進めた戦闘。1291年、ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝︵ドイツ王︶ルードルフ1世が死に、子のアルプレヒト1世Albrecht Ⅰ︵在位1298~1308︶が家領を相続すると、ウリ、シュウィーツ、ウンターワルデンの三つの森林州(ワルトシュテッテ)︵﹁原始三州﹂ともいわれる︶は﹁永久同盟﹂を結び、﹁スイス盟約団﹂を成立させて、ハプスブルク家の支配に対抗した。その後、ドイツ王には、ルクセンブルクのハインリヒ7世が選出され、スイス三州には自由特許状が与えられたが、1313年この王が死ぬと、ハプスブルク家のフリードリヒとバイエルン公ルートウィヒとがともに国王位を称して争うことになった。スイス盟約団はルートウィヒを支持し、さらにシュウィーツが、ハプスブルク家の庇護(ひご)下にあるアインジーデルンの修道院と紛争を起こすと、フリードリヒは森林州に﹁帝国追放﹂の刑を布告するとともに、弟のオーストリア公レオポルト1世を指揮官として追討の大軍を差し向けた。シュウィーツに向かった本隊は、エーゲリ湖とモルガルテン山に挟まれた隘路(あいろ)で、スイス歩兵に急襲され、上から巨岩や大木を投げ落とされて混乱するところを、側面攻撃を受けて敗走した。戦死または湖での水死者は1500を数えたといわれる。この戦闘は、中世の騎士軍団の存在意義を失わしめるものとなった。1315年12月9日、森林三州は、初めてドイツ語で文書を作成して同盟を更新、その団結をいっそう強固にした。
﹇中井晶夫﹈