露西亜文学(読み)ロシアブンガク

デジタル大辞泉 「露西亜文学」の意味・読み・例文・類語

ロシアぶんがく【露西亜文学】

日本のロシア文学専門雑誌。明治43年(1910)、東京外語学校に在籍していた中村白葉、米川正夫らが創刊。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「露西亜文学」の意味・わかりやすい解説

ロシア文学
ろしあぶんがく

11世紀から現代までのほぼ1000年にわたるロシアの文学の歴史は、18世紀初頭のピョートル1世の改革を境に、中世(ロシアでは伝統的に古代とよぶ)と近代に大別される。また、ソビエト政権樹立(1917)後の文学をソビエト文学とよんで、革命前のロシア文学と区別することも行われてきた。しかし、1991年のソ連邦崩壊以後は、社会主義的価値観の喪失による混沌(こんとん)とした世相の「ポスト・ソビエト時代」に入り、文学界もポスト・モダンの傾向が台頭している。

[江川 卓・木村彰一]

ロシア文学の歩み

古代

ロシア文学は、10世紀末、キエフ大公国がギリシア正教を国教と定めたのと前後して、主としてブルガリアから、いわゆる教会スラブ語で書かれたビザンティンの宗教文献の翻訳がもたらされたときに、その成立の可能性を与えられた。教会スラブ語は、当時のロシア語にきわめて近いマケドニアの土語を基礎とする文語で、ロシアに入ってからは世俗的な目的にも用いられ、17世紀までロシア語そのものより優勢であった。

 現存する最古の文献である『オストロミール福音(ふくいん)書』の書かれた11世紀中ごろから17世紀末までの約650年間を、一般にロシア文学史では「古代」と名づける。この時期の作品は、概して宗教的ないし教訓的色彩の強いもの、あるいは、なんらかの実用的な目的に奉仕する「社会・政治評論的」傾向のものが大部分を占めている。ただし文字による文学のほかに、純粋に世俗的で芸術的にも優れた口碑文学のジャンルがすでに11世紀以前から豊富に存在していたことは明らかで、「古代」ロシア人の美的欲求は主としてこの口碑によって満たされていたものと思われる。これらのフォークロア作品には、おとぎ話、説話などの散文のジャンルのほかに、儀礼歌、叙情歌などの詩的ジャンルに属するものも豊かで、とくに「ブイリーナ」とよばれる古代英雄叙事詩は芸術的価値も高く、イリヤ・ムーロメッツ、ドブルイニャ・ニキーチチ、ミクーラらの巨人騎士を主人公に、半神話的、半歴史的なロシア人の過去を歌っている。

[江川 卓・木村彰一]

キエフ時代

11131211851187使

 13151416171616

 1716721675Simeon Polotskii16291680西

 
18世紀

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19世紀初頭から革命まで

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 1910()

 

ソビエト文学の歩み


 1917年の十月革命とそれに続く国内戦の時期に旧文学者のかなりの部分は海外に亡命し、国内にとどまった者も革命に対する態度の決定を迫られ、ソビエト文学は最初からある種の政治的価値判断を含んだ文学として出発した。作家をその出身によってプロレタリア作家、農民作家、旧知識人系の「同伴者作家」等々と区別する習慣も1930年代初めまで続く。またソビエト文学という呼称は、ロシア、ウクライナ、ジョージア(グルジア)など、本来は、ソ連諸民族の多言語文学を一括してとらえようとした概念で、この点にも特殊性がみられる。

[江川 卓]

革命直後

革命直後はいわば詩の時代で、ブロークの長詩『十二』(1918)がソビエト詩の最初の傑作となり、十月革命を「私の革命」として受け入れたマヤコフスキー、扇動詩のベードヌイ、世界革命をロマンティックに歌い上げた「プロレトクリト」「鍛冶屋(クーズニツァ)」系の詩人たちの活躍が目だった。ネップ(1920年代に実施された新経済政策)の時代に入ると、ようやく散文が文学の主流を占め始め、『鉄の流れ』(1924)のセラフィモービチ、『チャパーエフ』(1923)のフールマノフ、『一週間』(1922)のリベジンスキー、『壊滅』(1927)のファデーエフらのプロレタリア文学系作家と、『裸の年』(1921)、『消されない月の話』(1926)のピリニャーク、『装甲列車14-69号』(1922)のV・V・イワーノフ、『騎兵隊』(1926)のバーベリらの同伴者系作家とが、国内戦や革命後の困難な現実に題材をとって、それぞれに作品を競い合う状況が生まれた。ほかに『シネブリューホフ物語』(1922)以後、数々の短編で革命後のソ連の現実を滑稽(こっけい)に風刺したゾシチェンコ、『十二の椅子(いす)』(1928)、『黄金の子牛』(1931)で痛快な風刺画廊をつくりあげたイリフ・ペトロフらの風刺作家、旧知識人系のベールイ、『われら』(1924)で共産主義社会のアンチ・ユートピア像を提出して、オーウェル、オルダス・ハクスリーらに影響を与えたザミャーチン、『悪魔物語』(1924)、『運命の卵』(1924)などで独自の作風を示し、のちに傑作『巨匠とマルガリータ』(1967発表)を書くM・A・ブルガーコフ、『羨望(せんぼう)』(1927)のオレーシャ、『秘められた人間』(1928)、本国では断片的にしか発表されなかった『チェベングール』(1927~1929執筆、1972パリで刊行)のA・P・プラトーノフら、ユニークな作家たちも輩出し、1920年代文学は多彩な顔ぶれに支えられた。詩では、革命直後に劇詩『ミステリヤ・ブッフ』(1918)を発表、その後も長詩『ウラジーミル・イリイチ・レーニン』(1924)、『ハラショー(すばらしい)!』(1927)など精力的な活動を続けたマヤコフスキーと並んで、革命の哀傷を歌った美しい叙情詩人エセーニン、孤高の詩境を開いたパステルナークの名を忘れられない。

[江川 卓]

1920~1930年代

192019251929

 1930NA19321019341934193219601932193419271936193019281940AN192219412調19461948()VS

 
「雪どけ」以降

19531958196019531957退VP1960AA196219631968()19682197319751974退197219641973196671970VP

 1974()Viktor Astafyev192420011974()VG197819811985AP19871987()19891991Friedrich Gorenstein19322002()1990199219891994()1976Sasha Sokolov1943 鹿198919801986()1985

 
ポスト・ソビエト時代の文学状況

1991年にソ連邦が崩壊したのち、ロシアの政治・経済の混迷状況のなかで、文学もまた、一挙に混迷の時期に入った。それは、いままでの伝統的な「分厚い」文芸誌が、軒並み経営危機状態に陥ったことに如実に現れている。ちなみに、ソ連の代表的文芸誌であった『ノーブイ・ミール』は、1990年にソルジェニツィンの小説『煉獄(れんごく)にて』『ガン病棟』を相次いで連載し、266万部という史上最高の発行部数を数えたのをピークに、1991年には95万8000部に減少し、1992年には25万、1993年7万4000と毎年部数を減らし、1997年末には1万5000にまで落ち込んでしまった。生活難のなかで国民の文学離れが進み、作家たちの生活もまた困難になり、文学そのものも衰退した。

[大木昭男]

ロシア・ブッカー賞

そのような状況において、1992年、イギリスのブッカー社によって新たに創設されたロシア・ブッカー賞は、外国資本によって作られた文学賞であり、その賞金が1万2500米ドルということでロシア社会の注目を集めた。その第1回受賞者は、マルク・ハリトーノフМарк Харитонов/Mark Kharitonov(1937― )で、受賞作は彼の長編『運命の線、またはミラシェービチの櫃(ひつ)』(『ドルージバ・ナロードフ』誌所載)であった。また、このとき女流作家のリュドミーラ・ペトルシェーフスカヤLudmilla Petrushevskaya(1938― )の中編『時は夜』(『ノーブイ・ミール』誌)に小ブッカー賞(賞金4000英ポンド)が与えられた。ハリトーノフはソビエト時代にはその作品がほとんど刊行されることがなかった作家で、亡命作家ウラジーミル・ナボコフを初めとするロシア・ポストモダニズムの系譜に連なる作家であり、彼の長編は、「ロシア・ポストモダニズムの古典」となるだろうとみられている。

 19世紀に全盛を極めたリアリズムのアンチテーゼのように、シンボリズムやアバンギャルド芸術の諸流派が20世紀初めに現れたと同様に、ソビエト時代に全盛を極めた社会主義リアリズムにとってかわって新たに登場したのが、「ポスト・モダニズム」とよばれる文学潮流であった。それはたちまちポスト・ソビエト時代の、流行の文学現象となっていった。ハリトーノフの小説に関していえば、作中の文芸学者が発見した作家ミラシェービチのテキストのもろもろの断片の解釈を通して、そこに登場する過去の作家の運命を推理し、人間存在について考察していく構成手法を特徴としてもっている。

 ロシア・ブッカー賞はその後ロシアでもっとも権威ある文学賞の一つとなり、第2回(1993年度)は、ウラジーミル・マカーニンВладимир Маканин/Vladimir Makanin(1937―2017)の『ラシャで覆われ、真ん中に水差しの置かれた机』(『ズナーミャ』誌)、第3回(1994年度)は、ブラート・オクジャワの『閉鎖された劇場』(『ズナーミャ』誌)、第4回(1995年度)は、ゲオルギイ・ウラジーモフの『将軍と彼の軍隊』(『ズナーミャ』誌)、第5回(1996年度)は、アンドレイ・セルゲーエフАндрей Сергеев/Andrey Sergeev(1933―1998)の『切手アルバム――人々、物、言葉、関係のコレクション、1936年から1956年まで』(『ドルージバ・ナロードフ』誌)、第6回(1997年度)は、アナトーリイ・アゾーリスキイАнатолий Азольский/Anatoliy Azol'skiy(1930―2008)の『檻(おり)』(『ノーブイ・ミール』誌)が、それぞれ受賞した。しかし、西側資本主導によるこの賞への反発も強く、1995年にはロシアの『独立新聞』が自国銀行資本の後援を得て、「アンチブッカー賞」を創設し、その第1回受賞作は、アレクセイ・ワルラーモフАлексей Варламов/Aleksey Varlamov(1967― )の小説『誕生』であった。それは、結婚して12年目にして初めて妊娠した35歳の女性が、早産で生まれ、生死の境をさまよう未熟児の危機的状況を夫と力を合わせて乗り切って育てていく感動的なリアリズム小説である。ただ、ソビエト時代の作品と違うのは、そこに信仰的要素が入っており、しかもそれが作品のキーポイントとなっている点である。これは、ポスト・ソビエト時代に正教信仰が復活し、教会が活発化している現実の反映であろう。

[大木昭男]

ベローフとラスプーチン

1998年になると、8月のロシア金融危機の影響もあって、ロシア・ブッカー賞の存続も財政的な面で危うい情勢となった。イギリスのブッカー社がここにきて、「ブッカー賞」という名だけを残して、ロシア側に財政的な肩代わりを求めてきたからである。

 ブッカー賞にノミネートされるような作品はまったく生み出さなかったが、西側文明追随の風潮に抗して、独自の道を歩み続ける民族派系の代表的文芸誌に『ナッシ・ソブレメンニクНаш современник/Nash sovremennik』(発行部数1万5000)がある。ここでの代表的作家は、すでにソビエト時代に「農村派作家」として知られたワシーリイ・ベローフとワレンチン・ラスプーチンである。1920年代末の富農撲滅と農業の集団化運動をテーマとしたベローフの大河小説『大激変の年』第3部が、同誌において1994年の初めに完結をみた。

 一方、ラスプーチンは意欲的長編ルポルタージュ『シベリア、シベリア…』(1991)を刊行したのち、1995年に『病院にて』と『あの同じ土の中へ』という二つの短編を同誌に発表した。前者には、回復に向かっていく主人公と同室の入院患者(ソ連時代の党官僚)との対立的な会話を通して現実批判が展開されており、散歩に出た主人公が耳にする教会の鐘の音と修道士ロマーンの歌声に、荒廃したロシアの魂復活への希求が表明されている。後者は、年金生活に入った初老の女性が亡くなった老母の葬式費用がないために森の中に不法に埋葬する話である。翌年春に墓参りに来た主人公は、意外にもその両隣に同じような二つの墓がつくられているのをみる。その一つは、なんと老婆の墓を掘ってくれた男の墓であった。ここには生活に困窮した庶民の悲惨な現実が痛みを込めて描かれている。この短編もまた、宗教的な結末で終わる。すなわち、主人公は教会に立ち寄ってろうそくを3本求め、2本は死者の追善に、1本は主人公の魂の救いのために点(とも)されるのである。この二つの短編は、崩壊後のロシアの現実を鋭く描き出しており、読む者の心を動かさずにはいない。ちなみにラスプーチンはこの2作で、1996年度に新設されたイタリアの国際的文学賞を受けており、さらにその副賞選考のためにモスクワ大学や文学大学の学生たちなど400人の若者たちに人気投票させたところ、ラスプーチンのこれらの短編がイスカンデルの『人間とその周辺』とペトルシェーフスカヤの『最後の人間の舞踏会』に大差をつけて1位となったことが報じられた(『文学新聞』)。

 ここ数年間にロシア・マスコミ界の話題作となった小説としては、ウラジーミル・ソローキンVladimir Georgievich Sorokin(1955― )の『ロマン』(1994)や、ビクトル・ペレービンViktor Olegovich Pelevin(1962― )の『チャパーエフと空虚』(1996)などがあるが、話題性はあるにしても、果たしてこれらが後世に残るような作品となるかどうか疑問である。国民の思考・感情に根ざしているという点では、ラスプーチンのような作家のほうが重みがあり、19世紀の黄金時代の伝統を受け継いだそのような文芸流派が、21世紀におけるロシア魂の復活とともに必ずやふたたび栄えるときがくるであろうと思われる。

 ラスプーチンは1997年、『ナッシ・ソブレメンニク』誌に「我が宣言」と題するエッセイを発表し、「ロシア人作家にとって、再び民衆のこだまとなるべき時節が到来した」と述べ、文学には、自分の「生まれた土地に徹頭徹尾奉仕する以外にほかの選択はないし、ありえない」と宣言して、その立場から、積極的な創作活動を展開し始めた(1997年の短編『思いがけなく、意外にも』、1998年の『新しい職業』など)。ロシア文学の市民的伝統は、彼のような社会的使命感をもった作家のなかに生きており、そのような創作活動のなかにこそ未来があるだろう。

[大木昭男]

ロシア文学の日本への影響


 ロシア文学の日本への紹介は1822年(文政5)ナロードニキ革命家の伝記が『烈女の疑獄』『鬼啾啾(きしゅうしゅう)』として紹介されたときに始まる。その後プーシキンの『大尉の娘』が『花心蝶思録(かしんちょうしろく)』、トルストイの『戦争と平和』が『泣花怨柳(きゅうかえんりゅう)・北欧血戦余塵(よじん)』として部分訳されるが、本格的な紹介は1888年(明治21)長谷川二葉亭(はせがわふたばてい)(二葉亭四迷)によるツルゲーネフの『あひゞき』『めぐりあひ』の訳出であり、これはその文体の新しさで近代日本文学の成立に大きな役割を果たした。1892年には内田魯庵(ろあん)訳でドストエフスキーの『罪と罰』が紹介され、北村透谷(とうこく)、島崎藤村(とうそん)らに深刻な影響を与えた。

 明治から大正にかけては、トルストイ、チェーホフ、ゴーリキー、アンドレーエフ、アルツィバーシェフらが精力的に紹介され、ロシア文学は日本でもっとも人気のある外国文学となった。新劇の成立もチェーホフ、ゴーリキーを抜きにしては語れない。昭和に入ると、プロレタリア文学運動がマルクス主義文芸理論に大きな関心を示した。しかしなにより大きかったのは、トルストイと、とくに米川(よねかわ)正夫訳で出たドストエフスキーの影響で、これは小林秀雄、埴谷雄高(はにやゆたか)のみならず、太宰治(だざいおさむ)、椎名麟三(しいなりんぞう)、武田泰淳(たいじゅん)、大江健三郎に至る戦後文学にも顕著に認められる。

 ソビエト文学の影響はロシア文学に比べて見劣りし、ショーロホフ、エレンブルグ、アクショーノフ、ソルジェニツィンらの文学がそれぞれの時代に関心をよんだにとどまる。政治的に理解された社会主義リアリズム論の悪影響であろう。そのなかでラスプーチン、アイトマートフらが現代文学で注目されている。

[江川 卓]

『木村彰一・北垣信行・池田健太郎編『世界の文学史5 ロシアの文学』(1966・明治書院)』『木村彰一編『ロシア・ソビエト文学』(毎日ライブラリー)』『米川正夫著『ロシア文学史』(角川文庫)』『金子幸彦著『ロシア文学案内』(岩波文庫)』『スローニム著、神西清・池田健太郎訳『ソヴェト文学史』(1976・新潮社)』『江川卓著『現代ソビエト文学の世界』(1968・晶文社)』『大木昭男著『現代ロシアの文学と社会』(1993・中央大学出版部)』『井桁貞義著『現代ロシアの文芸復興』(1996・群像社)』『阿部軍治著『ソ連崩壊と文学』(1998・彩流社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「露西亜文学」の意味・わかりやすい解説

ロシア文学 (ロシアぶんがく)


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「露西亜文学」の意味・わかりやすい解説

ロシア文学
ロシアぶんがく
Russian literature

 
10 (11) 2 (1117)  (8587)  (1112) 13151617 ( ) 18M.V. G.R. () A.N. N.M. (1792) 
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20A.A. 1917 V.V. O.E.B.L.S.A.10 A.A.32 M.A. (192840)  193053I.A.70 A.I. (68)  (7376)   

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