デジタル大辞泉 「ワグネル」の意味・読み・例文・類語 ワグネル(Adolf Heinrich Gotthilf Wagner) ⇒ワグナー ワグネル(Robert Ferdinand Wagner) ⇒ワグナー ワグネル(Wilhelm Richard Wagner) ⇒ワグナー 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワグネル」の意味・わかりやすい解説 ワグネルわぐねるGottfried Wagener(1831―1892) 明治初期の外国人教師。ドイツのハノーバーに生まれる。ゲッティンゲン大学でガウスに学び、1852年数学論文で博士号を得る。その後パリで文学や化学を学び、スイスの工業学校で数学教師を務めたのち、故国で溶鉱炉設置、パリで化学工場建設を試みるが成功せず、上海(シャンハイ)のアメリカ商会主任からせっけん工場建設を依頼され、1868年︵明治1︶長崎にきた。1870年有田で製陶近代化を指導。1871年大学南校、1872年東校の講師、同年ウィーン万国博覧会の欧日両政府顧問を務めた。徒弟教育でなく、近代的中等技術教育機関の設置を政府に進言し、1874年日本初の文部省工業教育機関である東京開成学校製作学教場の設置を実現させた。内務省、農商務省でも技術指導をした。1878年京都府の医学校や舎密(せいみ)局で教え、1881年東京大学理学部教師︵製造化学︶、1884年東京職工学校︵東京工業大学の前身︶教師となり、自らも純日本風改良陶器旭焼を創製した。日本の伝統工芸の紹介と西欧近代技術の日本人による習得に努力した功は大きい。日本で死去し、墓は東京・青山墓地に、記念碑は京都・岡崎公園と東京工大構内にある。 ﹇道家達將 2018年8月21日﹈ ﹃道家達將著﹁G・ワグネル﹂︵﹃蔵前工業会誌﹄832号所収・1988・蔵前工業会︶﹄ [参照項目] | ガウス | 工業教育 | 舎密局 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワグネル」の意味・わかりやすい解説 ワグネルWagner, Gottfried [生]1831. ハノーフェル [没]1892.11.8. 東京 ドイツの来日技師。ゲッティンゲン大学卒業。スイスの工学校教師を失職後,明治1 (1868) 年3月,アメリカ商会の依頼で技術工業家として来日。佐賀藩,次いで同4年南校,東校 (のちの東京大学理学部) に雇われ,物理,化学を教授。 1873年,ウィーン万国博覧会に参加した日本政府の産業技術指導にあたり,ウィーンに出張。74年帰日し,東京開成学校教師のかたわら,内務省勧業寮顧問となり,官営主義から民営保護主義への政策転換を建言し,もっぱら日本の産業発達に貢献した。勲三等に叙せられた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「ワグネル」の解説 ワグネル Wagner, Gottfried 1831-1892 ドイツの化学者。 1831年7月5日生まれ。明治元年来日,3年肥前佐賀藩の有田で製陶を指導。のち東京大学,東京職工学校(東京工業大の前身)などでおしえ,みずから陶器(旭焼)を製造した。その間ウィーン(1873),フィラデルフィア(1876)の万国博覧会で日本政府の顧問をつとめ,工芸美術品の海外紹介に尽力した。明治25年11月8日東京で死去。61歳。ハノーバー出身。ゲッティンゲン大卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
旺文社日本史事典 三訂版 「ワグネル」の解説 ワグネルGottfried Wagner 1831〜92 ドイツの化学者。御雇外国人の一人 1868年来日。'70年肥前藩に招かれて有田焼を改良し,のち大学南校などで化学・物理を教授。'73年ウィーン,'76年フィラデルフィアの万国博への日本の参加を指導,旭焼の創成などわが国陶磁器工業の発展に貢献し,東京で死去。 出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報