デジタル大辞泉
「七五三」の意味・読み・例文・類語
しち‐ご‐さん【七五三】
1男子は3歳と5歳、女子は3歳と7歳にあたる年の11月15日に行われる、子供の成長を祝う行事。晴れ着を着せ、神社などに参詣する。七五三の祝い。︽季 冬︾﹁まだ栄ゆ老(しに)舗(せ)猿飴―/秋桜子﹂
2 祝い事に用いるめでたい数。奇数を陽の数とする中国の思想から出たもの。
3 ﹁七五三の膳(ぜん)﹂の略。
4 しめなわの異称。
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しち‐ご‐さん【七五三】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 祝儀の物事に用いる数。一・三・五・七・九の奇数をめでたい﹁陽﹂の数とし、その中の三つを取ったもの。
(三)② ﹁しちごさん︵七五三︶の膳﹂の略。
(一)[初出の実例]﹁御のふ十一はんあり。たゆふしふたゆふまいる。こん五こん、七五三のく御まいる﹂(出典‥御湯殿上日記‐慶長八年︵1603︶三月九日)
(二)﹁また近例は彼使の来り過る所々にて、朝夕の膳七五三、昼の膳は五々三を供ず﹂(出典‥随筆・折たく柴の記︵1716頃︶中)
(四)③ ﹁しちごさん︵七五三︶の祝い﹂の略。︽ 季語・冬 ︾
(一)[初出の実例]﹁七五三とはめづらしひ十五日﹂(出典‥雑俳・川柳評万句合‐安永四︵1775︶靍二)
(二)﹁練りの帽子をかむり、右の手に七五三の鈴、左にお福の面を携へたる鈿女命のこしらへ﹂(出典‥歌舞伎・八重霞曾我組糸︵1823︶大詰)
(五)④ 和服で、後幅七寸、前幅五寸、衽(おくみ)幅三寸に仕立てたもの。
(一)[初出の実例]﹁広袖布子出仕立七五三﹂(出典‥洒落本・客衆肝照子︵1786︶地まわり)
(二)﹁一風呂浴びて日の暮れゆけば突かけ下駄に七五三の着物﹂(出典‥たけくらべ︵1895‐96︶︿樋口一葉﹀八)
(六)⑤ 江戸時代の裾模様。年齢に応じて裾から七寸、五寸、三寸の模様で、宝暦年間︵一七五一‐六四︶に流行。
(七)⑥ ﹁しめなわ︵注連縄︶﹂の異称。
(一)[初出の実例]﹁ぜん棚のかざりの縄や七五三︿好琢﹀﹂(出典‥俳諧・鷹筑波︵1642︶三)
(八)⑦ 婚礼の三日目・五日目・七日目に行なう祝い。
(一)[初出の実例]﹁男はけふの七五三、よめりごとせしたはふれも﹂(出典‥浄瑠璃・傾城反魂香︵1708頃︶三熊野)
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七五三 (しちごさん)
3歳,5歳,7歳の子どもの成長を祝って11月15日に氏神まいりをすること。子どもの成長を承認し祝う通過儀礼の一つであるが,七五三と称して現在のように華美を競うようになったのは,多分に都会の商業政策によるもので新しいものである。けれどもその基礎となる伝承的な習俗は古くから各地で行われていた。地方によって必ずしも七五三とはかぎらず,3歳と7歳,または7歳だけを祝うというところもある。3歳の祝いにはヒモオトシとかオビムスビ,カミオキ︵髪置︶祝などがある。このとき,女児がつけ紐をとってはじめて帯を結び,三つ身の着ものを着て宮まいりをする所もある。富山県では丸ぐけの帯をつけるので三つのコロオビという。髪置祝は武家の風習の影響とみられるが,3歳の男女児ともに頭髪のおかっぱを結髪に改めた。現在では髪置祝は東北から九州にわたって言葉として残っているにすぎない。男児5歳の袴着︵はかまぎ︶の祝いは,武家の風を受けつぐもので,明治時代には士族や上流家庭では,5歳の男児にはじめて袴をつけて碁盤の上に立たせて祝宴を行った。北陸,中部地方などでは,袴祝とか袴つけ,裃着︵かみしもぎ︶などといい,男児だけの祝いをする例が多いが,5歳の女児がヒモオトシ,オビツケの祝いを行う地方もある。7歳の祝いは男女ともに幼年期の最後の祝いとして,ハレギを着せて宮まいりをするが,女児はこのときにはじめて帯を結び,オビトキ,ヒモオトシをする所もある。これは人生の重要な段階の一つを帯であらわしたもので,帯の重要性を示している。7歳は男女ともに幼児期から少年少女期への折り目として重要な年齢とされている。︿七つまでは神の子﹀といって,7歳までに死んだ子には本葬は営まなかった。7歳の宮まいりによって改めて氏子入りをすることになり,神からも社会からも一人前の社会的人格として承認されたのである。これ以後は子供組などの社会的な組織に加わることができた。11月15日が選ばれたのは,それが霜月の祭りの日に当たり,家々の生業に関係深い神々を祭る日であったからである。七五三は幼児が成長していく段階ごとに,その加護を氏神に祈り,また社会からも祝福と承認を受ける日でもあった。
執筆者‥大藤 ゆき
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七五三
しちごさん
11月15日に行われる、子供の成長を祝う習俗。七五三と称することは近世に始まったことで、3歳の男女児の﹁髪置(かみおき)﹂、5歳の男児の﹁袴着(はかまぎ)﹂、7歳の女児の﹁紐落(ひもおとし)﹂を行った。髪置というのは、生児の髪は剃(そ)っているが、この日から髪を剃らずに残すことにすること。紐落は﹁帯解(おびとき)﹂ともいい、それまで付け紐で着ていた着物を帯で締めるようにすること。これらの祝儀は公家(くげ)や武家の間に主として行われたが、近世になると江戸の町民の間にも行われ、氏神をはじめ赤坂山王社、神田(かんだ)明神などに参詣(さんけい)するようになった。しかし七五三の名でこの祝いが盛んになったのは明治時代の東京においてで、今日みるように子供に晴れ着を着せ、千歳飴(ちとせあめ)など買って帰ることが行われるようになった。
七五三の祝いは現在では全国に広くみられるようになったが、農村地帯にあってはとくに七五三とはいわず、子供の年齢や男女の別など土地によって相違があり、またその期日も11月15日とは決まってはいない。神奈川県などでは現在のように七五三を祝うようになったのは第二次世界大戦後からだという土地が多い。また以前は11月15日に3歳と7歳を祝うのが一般で、嫁の実家や親戚(しんせき)から祝い物が届けられた。三浦半島をはじめ7歳だけを祝う所もあり、それも女子だけで、男子は15歳の祝いをするだけという。また3歳・5歳の祝いは家で簡単にするという例もある。3歳の祝いを4歳としている所が西日本などには多い。これは旧暦の3歳が新暦にかわったためかと思われる。また5歳は普通男子の祝いとしているが、富山県などには5歳の女子もこのとき宮参りするという例もある。また福岡県田川郡では男女9歳の祝いを﹁下(した)ひも祝い﹂といって11月15日にするという。
七五三の祝いをなぜ11月15日にするかといえば、この日が旧暦の二十八宿中の鬼宿(きしゅく)といわれる最吉日であるからといい、また俗説では徳川綱吉(つなよし)の子息徳松がこの日に祝いをしたからともいう。しかし本来11月は農作業が終わって霜月祭を行うときにあたり、15日は多くの祝祭日のある満月の日であったから、この日が子供の成長を氏神に祈願する日として選ばれたのであろう。
﹇大藤時彦﹈
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七五三
三歳と七歳の女児、三歳と五歳の男児を、それぞれの成長を祝って氏神参りをする行事。一一月一五日に行われる。江戸時代の武家社会では、三歳の男女児に髪置(かみおき。それまでのおかっぱを結髪に改める)、五歳の男児に袴着(はかまぎ。袴を着せて碁盤の上に立たせる)、七歳の女児に紐落(ひもおとし。それまで付け紐で着ていた着物を帯で締めるようにする)の儀式をしていたのが起源だというが、実際に七五三の祝いが一般的になったのは大正時代の初めで、それも関東だけであった。関西でも七五三が祝われはじめたのは高度経済成長期以後である。しかし、古来「七つまでは神の子」とされ、七歳の祝いが終われば幼児期から少年少女期に入り、氏子入りをすることになっていた。その意味では、七歳という年齢は一つの人生の節目である。
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七五三【しちごさん】
3歳,5歳,7歳の子どもの祝い。11月15日に行う。3歳の髪置(かみおき),5歳の袴着(はかまぎ),7歳の帯解(おびとき)など江戸時代から7歳,5歳,3歳を祝う習俗があったが,年齢や祝日,男女の別は固定していなかった。今では男女の別なく7歳,5歳,3歳の子どもを着飾らせて神社に参拝する。七五三の名称とともに,この風習が盛んになったのは明治以後である。
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七五三
しちごさん
幼児の成長期における重要な儀礼の一つ。一般に男児は3歳と5歳,女児は3歳,7歳で行う。男児はハカマギ,女児はオビトキ,オビムスビまたはヒモオトシの祝いと称して,それまでの一つ身の着物から三つ身,四つ身などに着替えたり,新しい帯を締めて宮参りをすることが各地の習俗にみられる。﹁七つ前は神のうち﹂という諺や幼児葬法にみられるように,この時期に袴や帯を幼児の身に着けて成長を祝う儀礼である。霜月祭の日 (11月15日) が一般に選ばれ,こうした儀礼が七五三としてまとめられたのは,江戸時代中期以降のことで,商家の営業政策の影響が大きい。今日ではますます華美になりつつある。
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七五三
三歳の男女、五歳の男子、七歳の女子が11月15日にお宮参りをし、子供の成長を祝う行事です。子供たちは晴れ着に身を包み、千歳飴︹ちとせあめ︺を持って家族に連れられ、各地の神社にお参りし、記念撮影するのが一般的です。
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七五三
(通称)
しちごさん
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 元の外題
- 嫁入七五三
- 初演
- 享保14.11(京・嵐座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の七五三の言及
【カエデ(楓)】より
…秋の紅葉が美しい大盃︵おおさかずき︶は紅葉後も長く枝に残り,紅葉が黄色になる一行寺︵いちぎようじ︶などと混植するとよい。〆の内︵しめのうち︶は葉が全裂し線形で3裂や5裂,7裂などになり,七五三ともよばれる。 ヤマモミジの品種の紅枝垂︵べにしだれ︶群には,手向山︵たむけやま︶(葉が全裂して裂片が羽状で細かく,枝はやや垂れる)や稲葉︵いなば︶枝垂,外山︵とやま︶などがあり,青枝垂群には切錦︵きれにしき︶,鷲の尾︵わしのお︶,関守などがある。…
【育児】より
…初誕生には,誕生餅を踏ませる餅踏みや筆やそろばんなどを置きどれをとるかで子どもの将来を占う風があり,誕生前に歩き出す子には一升餅を背負わせ倒すなどの風習もあった。このほか,幼児期の祝として[七]五三の祝があり,[髪置],紐落し,帯付け,帯ときなどの祝をして成長の各節目を祝った。地方によっては,七五三全部でなく,三つと七つ,あるいは七つだけを祝った。…
【帯解き】より
…帯直し,帯初め,帯結び,紐解き,紐直し,紐落しともいう。幼児から子どもへの通過儀礼として多く行われ,帯を結ぶことで新しい成長段階に達したことを表し,[七五三]の祝いとも密接な関係をもっている。室町時代末に貴族の間で始まったとされ,9歳の男女が11月中の吉日に行った。…
【子ども(子供)】より
…7歳になってはじめて人間となり,その第1段階としての子どもということになった。各地で氏子入りをはじめ各種の儀礼が行われるのはそのことをよく示しており,また近年ますます盛んになってきている七五三の行事の7歳もそれである。近代の学校制度が学齢を満6歳からとしたのもそのような観念に裏づけられているといえる。…
【数】より
…8だけでなく,3や5も三世界(高天原,黄泉︵よみ︶国,現︵うつし︶国)や三種の神器,イザナミ・イザナキの三貴子,宗像︵むなかた︶の三女神,五魂(海,川,山,木,草),五十猛︵いそたける︶神,五部︵いつとも︶神などの例があり,吉数とみられていた。しかし,︽日本書紀︾あたりからしだいに大陸文化を尊ぶ風が盛んになって,七夕(7月7日)や重陽(9月9日)の節供のように8に代わって7や9が聖数として重視されるようになり,今日では七五三,三三九度,お九日をはじめとして民俗のうえでは欠くことのできない重要な数となっている。 数は民俗の中では,俗信における語呂合せなどに基づく不定のものと,年中行事や人生儀礼での期日,供物の数,行為の回数,年齢など一定しているものとがある。…
【本膳料理】より
…また,︿五の膳まで参り候時も,御汁御まはりの数同前﹀とも記されている。つまり,本膳とは一の膳のことで,二の膳以下に対する称であったが,のちに七五三など式正︵しきしよう︶の膳組を指すようになった。七五三は七五三膳の略で,伊勢貞丈はその著︽四季草︵しきぐさ︶︾(1778)の中で次のようにいっている。…
※「七五三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」