デジタル大辞泉
「不如帰」の意味・読み・例文・類語
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ふじょき【不如帰】
- 〘 名詞 〙 鳥「ほととぎす(杜鵑)」の異名。
- [初出の実例]「郭公〈略〉本尊かけたとも、不如帰(フジョキ)ともなくにつけ」(出典:俳諧・山の井(1648)夏)
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不如帰 (ほととぎす)
徳冨蘆花の長編小説。1898年から99年にかけて︽国民新聞︾に連載,改稿して1900年に刊行。陸軍大将大山巌︵いわお︶の長女にまつわる悲話に取材したモデル小説として名高い。海軍少尉川島武男と陸軍中将の娘片岡浪子は上流の青年男女として人もうらやむ新婚生活に入るが,やがて肺結核にかかった浪子は,家を至上とする姑や私欲によって結託する紳商,軍人たちによって離婚させられ,︿もう女には生まれてこない﹀という叫びを残して死ぬ。随所に戯作︵げさく︶的手法が用いられているが,浪子を苦境に追いこむ人々を︿不自然﹀と見なすところにその自然観,社会観もあらわれている。物語の展開の中に日清戦争を織りこみ,資本と権力の癒着する明治社会の特質の描出を通じて明治女性の悲劇をとらえている点で,当時出現を待望されていた社会小説らしい骨格と,明治30年代に全盛を迎える家庭小説らしい構造とを,ともにいちはやく典型的に表現するものになっている。単行本は空前のベストセラーとなり,新派劇に脚色されるなどして広く享受された。
執筆者‥佐藤 勝
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不如帰
ほととぎす
11月から 1899年5月まで﹃国民新聞﹄に連載され,大評判になった。1901年2月大阪の朝日座で,並木萍水脚色,新派の秋月桂太郎︵川島武男役︶,喜多村緑郎︵浪子役︶で初演され,その後いくたびか上演された。柳川春葉が原作に忠実な脚本を書き,それを喜多村が 1908年4月東京の本郷座で好演,原作者をはじめ多くの人々の好評を博した。いわゆる新派悲劇の代表作の一つで,浪子が結核療養中の神奈川県逗子海岸の場は名場面として知られる。後年真山青果も新しく脚色した。
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不如帰
ほととぎす
徳冨蘆花(とくとみろか)の長編小説。1898年︵明治31︶11月から翌年5月まで﹃国民新聞﹄に連載。1900年1月、民友社刊。片岡陸軍中将の娘浪子(なみこ)は、海軍少尉川島武男(たけお)と結婚したが、結核にかかり、家系の断絶を恐れる姑(しゅうとめ)のお慶(けい)によって武男の留守中に離縁される。2人の愛情はとだえなかったが、救われるすべのないまま、浪子は、もう女になんぞ生まれはしないと嘆いて死ぬ。大山巌(いわお)大将の娘信子の実話をモデルに、通俗的ながら女性の弱い立場を訴え、愛を阻む家を間接的に告発している。新派で上演され、明治期屈指のベストセラーとなり、家庭小説の代表作ではあるが、背後に、軍人と結託する商人が描かれており、社会的広がりもある。
﹇吉田正信﹈
﹃﹃不如帰﹄︵岩波文庫︶﹄▽﹃﹃筑摩現代文学大系5 徳冨蘆花他集﹄︵1966・筑摩書房︶﹄
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不如帰
ほととぎす
徳冨蘆花(ろか)の長編小説。1898年(明治31)11月29日から翌年5月24日まで﹁国民新聞﹂に連載。1900年1月民友社刊。海軍少尉川島武男とその妻浪子は相愛の夫婦。浪子が結核にかかると,姑は武男の出征中に病気の感染を理由に浪子を離縁し,2人の仲が引き裂かれるという悲劇。元帥大山巌の長女とその夫がモデルとされる。結核に対する医学知識の低さと,家族制度下の女性の地位を問題視する家庭小説の代表作。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
不如帰
ほととぎす
歌舞伎・浄瑠璃の外題。- 作者
- 徳富芦花
- 補作者
- 竹柴晋吉
- 初演
- 明治37.9(東京・東京座)
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
不如帰
ほととぎす
明治後期,徳富蘆花の長編小説
1898年11月〜99年5月,『国民新聞』に連載。結核にかかった妻が,夫の出征中に病気感染を理由に離縁されるという封建的家族制度下の悲劇を扱う。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の不如帰の言及
【家庭小説】より
…必ずしもハッピー・エンドを心がけてはいないが,ときに明るい解決を目ざしたものもあり,︿光明小説﹀と呼ばれた(中村春雨の︽無花果︵いちじく︶︾(1901)など)。その展開は,尾崎紅葉の︽[金色夜]叉︵こんじきやしや︶︾(1897‐1902),徳冨蘆花の︽[不如帰]︵ほととぎす︶︾(1898‐99)あたりを先駆とし,菊池幽芳の︽己が罪︾(1899‐1900),︽乳姉妹︾(1903)などをピークに,草村北星の︽浜子︾(1902),︽相思怨︾(1904),田口掬汀︵きくてい︶の︽女夫波︵めおとなみ︶︾(1904),︽伯爵夫人︾(1905),大倉桃郎︵とうろう︶の︽琵琶歌︾(1905)などが続出し,その脚色による新派劇の興隆と相まって,大正の柳川春葉︽生︵な︶さぬ仲︾(1912)などに及んでいる。︻岡 保生︼。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」