前田利常(読み)まえだ・としつね

朝日日本歴史人物事典 「前田利常」の解説

前田利常

 
1.10.12(1658.11.7)
2.11.25(1594.1.16)
()3,4寿10(1605)19,11(1634),,31192760,,8,10(),123 ,,4,,16,10,372(1645),3,4(1651),2(1656),,,,  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「前田利常」の意味・わかりやすい解説

前田利常 (まえだとしつね)
生没年:1593-1658(文禄2-万治1)


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「前田利常」の解説

前田利常 まえだ-としつね

1594*-1658 江戸時代前期の大名。
文禄(ぶんろく)2年11月25日生まれ。前田利家の4男。慶長6年将軍徳川秀忠(ひでただ)の娘子々姫(ねねひめ)(3歳)と結婚。10年兄利長(としなが)の隠居で加賀金沢藩主前田家3代となり,松平姓をゆるされる。一時幕府から謀反の嫌疑をうけた。寛永16年長男光高(みつたか)に家督をゆずり,次男利次(としつぐ)を富山藩に,3男利治(としはる)を大聖寺(だいしょうじ)藩に分封(ぶんぽう)。5代藩主綱紀(つなのり)を後見し,農政改革のため改作法を実施。万治(まんじ)元年10月12日死去。66歳。初名は利光。

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旺文社日本史事典 三訂版 「前田利常」の解説

前田利常
まえだとしつね

1593〜1658
江戸前期の加賀(石川県)藩主
利家の第4子。徳川将軍家と婚姻を結ぶなどして藩政初期の因難な時期を調整,内政では殖産興業や改作法などで農村支配の基礎を築いた。晩年孫の綱紀を後見した。

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367日誕生日大事典 「前田利常」の解説

前田利常 (まえだとしつね)

生年月日:1593年11月25日
江戸時代前期の大名
1658年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の前田利常の言及

【改作法】より


1651(4)56(2)5(3)宿

【小松[市]】より

…その東側を国道8号線と1897年開通の北陸本線が,また海岸沿いに北陸自動車道が縦貫するほか,北陸鉄道が鵜川遊泉寺まで通じる。江戸前期に金沢藩3代藩主前田利常の隠居城となり,城下町の整備,加賀絹,小松表,製茶,瓦生産の保護奨励が行われ,市発展の基礎が築かれた。機械工業が盛んで市の製造品出荷額の50%(1995)を占め,1916年創立の世界的なブルドーザーメーカー小松製作所の企業城下町的な性格を持つ。…

【藩政改革】より


1651(4)56(2)3

【妙成寺】より


171716703

※「前田利常」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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