合戦(読み)カッセン

デジタル大辞泉 「合戦」の意味・読み・例文・類語

かっ‐せん【合戦】

 
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精選版 日本国語大辞典 「合戦」の意味・読み・例文・類語

かっ‐せん【合戦】

 

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こう‐せんカフ‥【合戦】

  1. 〘 名詞 〙 敵と味方とが相対して戦うこと。かっせん。
    1. [初出の実例]「承平五年十月廿一日を以て〈略〉案の如く討合ひ、命を棄てて各合戦」(出典:将門記(940頃か))
    2. 「合戦 闘乱部 カフセン」(出典:色葉字類抄(1177‐81))

合戦の補助注記

「色葉字類抄」の例は、江戸時代写本である黒川本では「カッセン」という新しい形になっている。

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改訂新版 世界大百科事典 「合戦」の意味・わかりやすい解説

合戦 (かっせん)




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1殿使1301220宿

 10退

 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「合戦」の意味・わかりやすい解説

合戦
かっせん


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元寇以降

鎌倉中期、1274年(文永11)の元寇(げんこう)に際し、西国の武士は伝統的な懸合(かけあ)い戦法でこれに対抗しようとしたが、蒙古(もうこ)軍の集団戦術の前に、人馬ともに大打撃を受けた。この経験を通して、鎌倉末期から南北朝の動乱期には、これまで補助的な戦闘員であった所従(しょじゅう)・下人(げにん)らに長刀(なぎなた)、槍(やり)などの武器を持たせた徒歩兵の集団戦法も登場し、戦闘は一段と激烈な様相を示すようになった。また腹巻一つの軽武装で機敏に行動する足軽が出現し、その機動性が注目された。さらに、室町中期、10年余にわたった応仁(おうにん)・文明(ぶんめい)の乱(1467~77)では、戦闘の長期化とともに兵員が不足し、あぶれ者や野伏、近世の郷士らを大量に動員し、長柄(ながえ)槍を持たせて、槍衾(やりぶすま)をつくって突撃させたり、ゲリラ行動で後方を攪乱(かくらん)させるなど、足軽歩兵の集団攻撃が決勝要因の一つに数えられるまでになった。戦国時代に入ると戦闘法はいっそう多様化し、めまぐるしい変化を遂げたが、三大奇襲作戦といわれる16世紀前中期の北条氏康(うじやす)の川越(かわごえ)の夜戦、毛利元就(もうりもとなり)の厳島(いつくしま)の戦い、織田信長の桶狭間(おけはざま)の戦いは、それぞれ戦国大名としての地位を決定づける重要な一戦となった。

[渡邉一郎]

鉄砲の伝来

戦国時代の中心武器は、まず前代以来の槍が多用されたが、1543年(天文12)鉄砲が種子島(たねがしま)に伝来すると、諸大名は競ってその獲得に努め、1575年(天正3)織田信長の鉄砲足軽隊が長篠(ながしの)の設楽原(しだらがはら)の決戦で、武田勝頼(かつより)の勇猛な騎兵隊に壊滅的な打撃を与えるや、一躍戦場の花形兵器となった。この新兵器の普及は、軍隊組織と戦術および築城法の一大変革をもたらし、やがては信長、秀吉による天下統一事業を推進させる大きな力となった。戦国末期から近世初頭にかけて諸大名の家臣団の統制と組織化は一段と進み、士卒の区分が明確化し、行軍(押(おし))の隊伍(たいご)はそのまま戦場における陣立(じんだて)になるように編制された。こうして兵員および武器・兵糧の確保と隊伍の運用や駆け引きの巧拙が、全軍の勝敗に直結することとなり、戦時には領内あげての総動員体制がとられるようになった。

[渡邉一郎]

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普及版 字通 「合戦」の読み・字形・画数・意味

【合戦】かつせん

 
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