デジタル大辞泉
「大曲」の意味・読み・例文・類語
おお‐わだ〔おほ‐〕【大▽曲】
川や湖などの、大きな入り江。
「ささなみの志賀の―淀むとも昔の人にまたも逢はめやも」〈万・三一〉
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おお‐まがりおほ‥【大曲】
(一)[1] 〘 名詞 〙
(一)① 道などが大きく曲がっていること。また、その場所。
(二)② 物事がはなはだしくうまくゆかないこと。
(一)[初出の実例]﹁今夜は大曲りだ。ちっとも手がつかない﹂(出典‥のらもの︵1937︶︿徳田秋声﹀三)
(二)[2] ( 大曲 ) 秋田県中部、大仙(だいせん)市の地名。旧市名。かつては羽州街道の宿場町、雄物川の河港として栄えた。現在は、奥羽本線から田沢湖線を分岐し、秋田新幹線も通じる交通の要地。昭和二九年︵一九五四︶市制。平成一七年︵二〇〇五︶周辺七町と合併して大仙市となる。
だい‐ごく︻大曲︼
(一)〘 名詞 〙
(二)① =たいきょく︵大曲︶①
(一)[初出の実例]﹁俊蔭、せた風を給はりて、いささか、かき鳴らして、だいごく一つをひくに﹂(出典‥宇津保物語︵970‐999頃︶俊蔭)
(三)② 転じて、格式高く、高度の技能を必要とする楽曲。
(一)[初出の実例]﹁足柄・黒鳥子・伊地古などやうの大曲の秘蔵の歌どもは、何れもいと変はらねど、少々変われる節もまじれり﹂(出典‥梁塵秘抄口伝集︵12C後︶一〇)
たい‐きょく︻大曲︼
(一)〘 名詞 〙
(二)① 雅楽曲の組織・格式によって大・準大・中・小に分けたその一つ。序・破・急を備えているのが普通。だいごく。
(一)[初出の実例]﹁次左右各舞、︿随時﹀大曲各一、︿左蘇合右新鳥蘇﹀自余依レ時﹂(出典‥江家次第︵1111頃︶八)
(二)[その他の文献]︹宋書‐楽志三︺
(三)② 大規模な楽曲。長い楽曲。﹁ワーグナーの大曲﹂
おお‐わだおほ‥【大曲】
- 〘 名詞 〙 川や湖などが陸地に深く入り込んで、水のよどんでいる所。大きな入り江。
- [初出の実例]「ささなみの志賀の大和太(おほワダ)淀むとも昔の人にまたも逢はめやも」(出典:万葉集(8C後)一・三一)
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大曲[市]【おおまがり】
秋田県中南部,横手盆地北西部の旧市。1954年市制。市街は鞠子(まりこ)川が雄物川に合流する付近にあり,江戸時代は河港として栄えた。延長3kmに及ぶ街村型の商店街が発達,市内および周辺の商業の中心をなす。盆地一帯は水田が広く,仙北米を多産。奥羽本線,秋田自動車道が通じ,1997年春には秋田新幹線︵田沢湖線︶が開通。雄物川河畔で8月に開かれる花火大会は,多くの観光客を集めている。2005年3月仙北郡神岡町,西仙北町,中仙町,協和町,仙北町,太田町,南外村と合併し市制,大仙市となる。104.69km2。3万9022人︵2003︶。
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大曲
おおまがり
954年大曲町と花館村,内小友村︵うちおともむら︶,藤木村,大川西根村,四ッ屋村の5村が合体して市制。1955年角間川町を編入。2005年神岡町,西仙北町,中仙町,協和町,南外村,仙北町,太田町と合体して大仙市となった。市街地は,雄物川と丸子川の合流点にあり,江戸時代は河港,さらに羽州街道の宿場町として発展。河港からは仙北米が積み出され,日用品の取り引きや六斎市が行なわれるなど商業の中心地としても栄えた。商店街が発達し,付近一帯の商業の中心地。盆地は水田が多く,仙北米を多産し,無農薬米は全国的に有名である。果樹栽培,養鶏も行なわれる。わら工芸品の飯田むしろは特産。古い伝統をもつ全国花火競技大会は,8月下旬雄物川岸で行なわれる。
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大曲
おおまがり
秋田県中央部にあった旧市名。現在は大仙(だいせん)市の中南部を占める地域で、横手盆地北部に位置する。旧大曲市は、1954年︵昭和29︶大曲町と花館(はなだて)、大川西根(おおかわにしね)、内小友(うちおとも)、四ツ屋(よつや)、藤木の5村が合併して市制施行。1955年角間川(かくまがわ)町を編入。2005年︵平成17︶神岡、西仙北、中仙、協和、仙北、太田の6町および南外村(なんがいむら)と合併して大仙市となった。大曲の名は中世の郷村名をとっている。JR奥羽本線と国道13号が地域の中心を南北に走り、また田沢湖線の起点であり、国道105号も通じる。1997年田沢湖線、奥羽本線を利用した秋田新幹線が開業、1991年には秋田自動車道が開通し、大曲インターチェンジが設置された。江戸時代は佐竹氏秋田藩領で羽州街道に沿い、中心の大曲には本陣が置かれ、高関下郷(たかぜきしもごう)にも駅場が設けられた。雄物(おもの)川と玉川の合流点であり、奥羽本線が開通するまで角間川は舟運の要津として、仙北地方の米の積出しなどで栄えた。県でも有数の米どころであり、また仙北の商業の中心でもある。古四王神社本殿(こしおうじんじゃほんでん)は1570年︵元亀1︶飛騨匠(ひだのたくみ)の手になり、国の重要文化財に指定されている。8月には全国花火大会がある。
﹇宮崎禮次郎﹈
﹃﹃大曲市史﹄2巻︵1984、1999・大曲市︶﹄
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大曲 (だいきょく)
dà qǔ
中国の漢代から宋代までの歌舞に用いられた楽曲の形式。一つの楽曲がさまざまな構成要素からなる大型の組曲であるためこの名がある。その詳しい内容や各部分の名称は時代によって変化があり,いろいろな説があるが,現在その音楽が伝わらぬため,具体的にはよくわからない。主に宮廷での宴会に用いられたが,のちには歌舞だけでなく,簡単な物語をも演じるようになった。宋・金・元代の︿雑劇﹀に用いた音楽にも大曲に由来するものが少なくない。
執筆者‥金文京
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普及版 字通
「大曲」の読み・字形・画数・意味
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世界大百科事典(旧版)内の大曲の言及
【雅楽】より
…
﹇楽曲の構成﹈
大陸系雅楽曲には1帖(1楽章)で1曲をなすものと,数帖で1曲をなす多楽章形式のものとがある。また,曲の規模と格とによって︿大曲﹀︿中曲﹀︿小曲﹀といった等級(︿曲品﹀という)があり,小曲は多く1帖1曲である。中曲には多楽章形式のものがあり,その基本形式は序・破・急の三部分構成であるが,完備しているもの(例,平調︽五常楽︾)はまれで,多くは︿破・急﹀(壱越調︽賀殿︾),︿序・破﹀(黄鐘調︽喜春楽︾)のように一部を欠いているか,︿破﹀(黄鐘調︽西王楽︾)または︿急﹀(平調︽三台塩︾)の1帖だけが伝えられている。…
【楽府】より
…また,いつの時代からであるか。 3世紀後半に至り,西晋の宮廷では,先朝の魏の楽歌のうち,相和歌と清調曲・平調曲・瑟︵しつ︶調曲(清商三調という)をうけ継ぐとともに,別に漢・魏の古曲を拾い上げ,大曲と名づけて,宮廷音楽に編入した。それらの古曲が歌唱されるにつれて,宮廷詩人の傅玄︵ふげん︶・陸機は,それらを主題にした歌詞を作った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」