大東亜共栄圏(読み)ダイトウアキョウエイケン

デジタル大辞泉 「大東亜共栄圏」の意味・読み・例文・類語

だいとうあ‐きょうえいけん【大東亜共栄圏】

太平洋戦争下、日本が唱えた標語。欧米の植民地支配にかわって日本を中心として東亜の諸民族による共存共栄を樹立することを掲げ、日本のアジア支配を正当化しようとしたもの。

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精選版 日本国語大辞典 「大東亜共栄圏」の意味・読み・例文・類語

だいとうあ‐きょうえいけん【大東亜共栄圏】

 

(一)
(一)[]︿(1941︿)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「大東亜共栄圏」の意味・わかりやすい解説

大東亜共栄圏 (だいとうあきょうえいけん)


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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大東亜共栄圏」の意味・わかりやすい解説

大東亜共栄圏
だいとうあきょうえいけん

中国や東南アジア諸国を欧米帝国主義国の支配から解放し、日本を盟主に共存共栄の広域経済圏をつくりあげるという主張。太平洋戦争期に日本の対アジア侵略戦争を合理化するために唱えられたスローガンである。太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)直前の第二次近衛文麿(このえふみまろ)内閣時の外務大臣松岡洋右(ようすけ)が最初に使ったことばだといわれるが、日本を盟主に東アジアに共存共栄の広域経済圏をつくりあげるという発想は古くから主張されていた。満州事変期の「日満一体」は、日中戦争期には「東亜新秩序」とその名を変え、東南アジア諸国を侵略対象とする1940年代初頭には「大東亜共栄圏」が主張されるに至った。しかし、このスローガンも、太平洋戦争が日本の敗色濃厚になり、日本からの物資供給がとだえ、逆に諸国からの日本への物資収奪が強行されるなかで色あせ、「共栄圏」は「共貧圏」へとその姿を変えていったのである。

小林英夫

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百科事典マイペディア 「大東亜共栄圏」の意味・わかりやすい解説

大東亜共栄圏【だいとうあきょうえいけん】

 

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大東亜共栄圏」の意味・わかりやすい解説

大東亜共栄圏
だいとうあきょうえいけん

 
219402451  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大東亜共栄圏」の解説

大東亜共栄圏
だいとうあきょうえいけん

日本のアジア支配を正当化するためのスローガン。はじめて公的に使われたのは,武力南進決定直後の1940年(昭和15)8月1日の松岡洋右(ようすけ)外相談話である。重要資源供給地であり日本経済と不可分とされた満州・中国・東南アジアを包括的に示す概念であった。そして日本の南進が欧米帝国主義国の植民地政策とは異なることをアピールするために,「八紘一宇(はっこういちう)」「共存共栄」の名のもとに日本によるアジア解放の夢を掲げた。しかし実際には,占領地域で欧米帝国主義以上の収奪が行われ,日本の敗戦とともに消滅した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「大東亜共栄圏」の解説

大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)

日中戦争太平洋戦争において,日本が対外侵略の口実に使ったスローガン。白人の植民地支配を打破して,日本を盟主とする共栄圏をアジアに打ち立てることを主張した。実際には,日本が白人の支配にとって代わって,中国や南方の住民と資源を支配し,日本のために利用したにすぎず,各地で反日運動が起こった。戦後も日本の進出を警戒する言葉としてしばしば使われている。

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旺文社日本史事典 三訂版 「大東亜共栄圏」の解説

大東亜共栄圏
だいとうあきょうえいけん

日中戦争から太平洋戦争のころの日本の対アジア基本構想
欧米の植民地支配の代わりにアジア地域に共存共栄の自給自足共同体(共栄圏)を樹立しようというものだが,現実には日本にとって資源や労働力の確保が目的。第2次近衛文麿内閣の声明(1940)と「大東亜政略指導大綱」で明らかにされた。'43年11月,東条英機首相を中心に,東京で大東亜会議が開かれ,日本の勢力下の国ぐにの代表が集まり宣言を採択したが,具体的効果はなかった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大東亜共栄圏」の解説

大東亜共栄圏
だいとうあきょうえいけん

満州事変以来の日本のアジア侵略の最終的構想
日本・満州・中国の結合を中軸とし,インドネシアを含む東南アジア一帯を,日本の指導下に経済的・文化的共同体として組織しようとしたもの。太平洋戦争の展開の中で,1940年第2次近衛内閣によって唱えられ,43年東京で大東亜会議が開かれた。アジア諸民族の独立を支持する姿勢のうらに,日本の侵略を正当化しようとする意図が見られ,大きな支持は得られなかった。

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世界大百科事典(旧版)内の大東亜共栄圏の言及

【太平洋戦争】より


[戦争目的と戦争の経過]
 1941年12月8日,日本は英領マレー半島コタ・バルへの奇襲敵前上陸とハワイ真珠湾奇襲攻撃によって太平洋戦争へ突入し,戦争は文字どおりの世界大戦に発展した。宣戦の詔書や政府声明に示された日本の戦争目的は,〈自存自衛〉と〈大東亜共栄圏建設〉の二つであったが,アジアを白人帝国主義の支配から解放し,日本を盟主とする〈大東亜共栄圏〉を建設するというスローガンは,現実には日本が中国と東南アジアを侵略し勢力圏化するためのものとして機能することになり,10日東条内閣は今次の戦争を〈大東亜戦争〉と呼称することを決定した(声明は12日)。 戦争の経過を軍事史の観点から時期区分すると,大要次のとおりである。…

【ブロック経済】より

…経済ブロックには,イギリスを中心とするオタワ協定Ottawa Agreements(1932)に基づく特恵貿易地域,アメリカとラテン・アメリカを結ぶもの,ドイツと南東ヨーロッパ諸国による広域経済圏Grossraumwirtschaft,フランスを中心とする金本位制を維持した国々による金ブロックなどがある。日本の大東亜共栄圏構想(大東亜共栄圏)は,満州,台湾,朝鮮から成るミニ・ブロックを本格的なものに拡大しようとしたものである。日本のこの構想およびドイツの広域経済圏を拡大しようという動きと,イギリス,フランス,アメリカなどとの利害の対立が,第2次大戦の主要な原因となった。…

※「大東亜共栄圏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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