大蔵公望(読み)オオクラ キンモチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大蔵公望」の解説

大蔵 公望
オオクラ キンモチ

 




,



15723







37



4486退7調



431224



= ()


 

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「大蔵公望」の解説

大蔵 公望
オオクラ キンモチ

大正・昭和期の男爵 日本交通公社会長;貴院議員。



生年
明治15(1882)年7月23日

没年
昭和43(1968)年12月24日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京帝大工科大学土木工学科〔明治37年〕卒

経歴
男爵・陸軍中将大蔵平三の三男。明治44年襲爵。鉄道院に入り新橋運輸事務所長、運輸局貨物課長。大正8年南満州鉄道に転じ、運輸部次長、理事となり昭和6年退任。7年から貴族院議員、東亜研究所理事長、満州移住協会理事長を兼任。その後東亜交通公社総裁に就任。戦後日本交通公社会長、国鉄幹線調査会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大蔵公望」の解説

大蔵公望 おおくら-きんもち

1882-1968 大正-昭和時代官僚,政治家
明治15年7月23日生まれ。大蔵平三の3男。鉄道院をへて,大正8年満鉄にはいり,10年理事となる。昭和7年貴族院議員。国策研究会設立にかかわり,東亜研究所副総裁などを歴任。戦後は,日本交通公社会長,国鉄幹線調査会長をつとめた。昭和43年12月24日死去。86歳。東京出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大蔵公望」の解説

大蔵 公望 (おおくら きんもち)

生年月日:1882年7月23日
大正時代;昭和時代の団体役員。男爵
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大蔵公望の言及

【国策研究会】より

…中心人物は矢次一夫。1933年陸軍省から国策立案を依頼されたのを機に,総合的な政策研究組織の必要を感じた矢次が大蔵公望などとはかって34年国策研究会を設立。当初は会員も少なく,私的研究会にすぎなかったが,二・二六事件で矢次が逮捕されたのを機に会の改組・再編をはかってのちは,2000名に及ぶ会員と潤沢な活動資金(陸海軍,財閥から資金援助)とをもつ本格的な調査・研究・立案組織へと成長し,電力国家管理法案をはじめとする戦時重要政策の立案に大きな影響力を及ぼした。…

※「大蔵公望」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

選挙公営

国または地方公共団体が個々の候補者の選挙費用の一部または全額を負担すること。選挙に金がかかりすぎ,政治腐敗の原因になっていることや,候補者の個人的な財力によって選挙に不公平が生じないようにという目的で...

選挙公営の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android