デジタル大辞泉
「宗教劇」の意味・読み・例文・類語
しゅうきょう‐げき〔シユウケウ‐〕【宗教劇】
宗教の儀式として行われる演劇。また、教典の内容や聖人の言行など、宗教的題材を扱った演劇。キリスト教の受難劇・降誕祭劇など。
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しゅうきょう‐げきシュウケウ‥【宗教劇】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 宗教の儀式や祝祭から発生し、特定の宗教に対して信仰心の深化と普及を目的とした劇。教典の内容や聖人の言動などの宗教的主題を脚色したもの。
(一)[初出の実例]﹁紅涙をしぼる新派悲劇、︿略﹀もしくは幻想的な宗教劇のうち﹂(出典‥ひかりごけ︵1954︶︿武田泰淳﹀)
(三)② 中世のヨーロッパで流行したキリスト教的な世俗劇。復活祭劇、降誕祭劇、受難劇︵聖史劇︶、奇跡劇、道徳劇などがある。
(一)[初出の実例]﹁この曲はもと中世の宗教劇(シウケウゲキ)から起り﹂(出典‥洋楽手引︵1910︶︿前田久八﹀声楽の種類)
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宗教劇
しゅうきょうげき
広義には宗教的テーマをもったすべての演劇をさすとも考えられるが、一般に宗教劇とは、演劇史的に特定できるヨーロッパ中世のキリスト教的な宗教劇と、その系統を現代まで引き継ぎ、おもに地域の共同体によって上演される非職業演劇のことをいう。いうまでもなく、演劇の源には共同体による宗教儀礼と遊戯的な物真似(ものまね)とがある。その物真似もただの遊びでなく、狩猟や農耕の豊かな収穫を願う︵呪術(じゅじゅつ)的︶行為とすれば、物真似もまた儀礼の一部であり、したがって演劇はもともと宗教劇であったといえよう。事実、古代ギリシア劇はディオニソスの祭礼に由来し、日本の能は神事に発する。しかし、これらを普通は宗教劇とはよばない。また近代以降の演劇についても、たとえばクローデルの戯曲のようなキリスト教信仰をテーマとしたものを宗教劇ということもあるが、演劇史的な呼称ではない。このように宗教劇とは中世ヨーロッパに生まれたさまざまなキリスト教劇の総称であり、題材のうえから復活︵祭︶劇、降誕祭劇、受難劇、預言者劇、奇跡劇、道徳劇、聖史劇などに分類される。なお聖史劇は地方によって聖体劇ともいわれる。またサイクルcycle︵連続劇︶とページェントpageant︵行列劇︶は、おもに台本と演出の特性の相違からくる呼び名である。
西欧の宗教劇がはっきりした姿をみせ始めたのは10世紀からであるが、古代文化を直接受け継ぐ東欧はこの点でもはるかに西欧に先んじた。東方︵ギリシア︶教会はすでに2世紀に聖書の対話化に手をつけており、賛歌、ホミリアhomilia︵対話入り説教︶や街頭行列が典礼に演劇的彩りを添えた。5世紀のプロクロス作﹃マリア賛﹄には、懐胎のお告げのまじめな前半に続いて、許嫁(いいなずけ)の不実をなじるヨセフと困惑するマリアとの滑稽(こっけい)な対話がある。7世紀のゲルマノス作とされる同種の対話が、15世紀イギリスのサイクル﹃コベントリー劇﹄にそっくりそのまま出ている。
西欧各地における典礼を演劇化しようとする試みは9世紀前半、スイスのザンクト・ガレンとフランスのリモージュでほぼ同じころ、ミサ典礼の唱句にトロープスtropusとよばれる旋律および説明的な歌詩を加えたことから始まる。とくにキリストの墓を訪れた3人の女たちと天使との間で交わされた復活祭トロープス、﹁あなたがたは︵墓の中に︶だれを探しているのか﹂﹁ナザレのイエスを﹂という問答が復活祭劇ないし典礼劇の基礎となった。他方、典礼からではなく、十字架の足元におけるマリアの悲しみを歌ったセクエンツィアsequentia︵読唱︶から復活祭劇になった例もある。いずれにせよ祝祭の枠をはみだし、演劇化という意味での世俗化、ラテン語から俗語への移行にはずみをつけたのは、香料商人の場の導入とその茶番化であり、ついでキリストの墓の見張りをする兵士の場の拡大であった。
降誕祭(クリスマス)劇も10世紀に、幼子(おさなご)イエスを馬小屋に探しにきた羊飼いと天使との間のトロープスから始まった。11世紀には三王︵博士︶の礼拝が現れ、これから降誕祭劇の一部である聖三王劇が派生した。しかし13世紀まで聖母子は祭壇の画で表されるだけであった。これが劇的になるのは、敵(かたき)役としてのヘロデ王の登場からである。これ以後、降誕祭劇は復活祭劇とともに受難劇または聖史劇の一部に組み込まれていく一方、地方によっては素朴な姿のまま聖堂内にとどまり、聖夜の慣習として今日まで伝えられている。
11世紀に盛んになった預言者劇︵伝説劇とも重複する︶は、旧約の預言者や新約後の聖人たちの事績を主題とするが、歴史的できごとの現在化というよりも、むしろ説教(レクチオ)の演劇化である。マリアの愛を描くことの多い奇跡劇は、典礼から出発した劇と違って、初めから人間の悪をも描く世俗的色彩が強く、早くから教会の外で演じられていた。14世紀に現れた聖体劇(コーパス・クリスティ)は聖体祭に関係していると思われるが、かならずしも聖体行列に由来するものではない。規模の拡大した聖体劇は受難劇や聖史劇とほぼ同じ内容であるが、後者に比べてページェント形式で上演されることが多い。
宗教劇の上演の場所は初期は聖堂内、とくに祭壇前であったが、しだいに教会玄関前に移され、やがて市民階級の勃興(ぼっこう)とともに街頭や広場で行われるようになった。舞台形式には、イギリスやネーデルラント、16世紀以降はスペインの聖体劇でも使われた山車(だし)舞台︵ワゴン︶と、フランスやドイツに多い並列︵同時︶舞台︵マンション︶と、さらに両者を組み合わせたものがあった。山車舞台はおもにページェントで用いられ、各職業組合(ギルド)が受け持つ多数の山車を順次に繰り出して、奇跡劇などの一連の劇を上演した。受難劇などに用いられた並列舞台は、初めから多くの場を一列または方形に並べたもので、観客は劇の進行につれて順次移動した。これらは3日間から1週間に及ぶ大仕掛けなものもあった。
宗教劇は15世紀の聖史劇に至って頂点に達したが、ルネサンス以降は衰退に向かい、宗教改革によってほとんど姿を消した。しかし、今日でもカトリック地方の一部にその伝統を残しており、なかでも南ドイツの小村オーバーアマーガウで10年ごとに行われる受難劇が有名である。
﹇尾崎賢治﹈
﹃菅原太郎著﹃西洋演劇史﹄︵1973・演劇出版社︶﹄▽﹃石井美樹子著﹃中世劇の世界﹄︵中公新書︶﹄
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宗教劇 (しゅうきょうげき)
一般に,特定の宗教の普及や宗教的祝祭のために演じられる演劇をさしていう。古来,演劇は宗教,あるいは宗教的・祭儀的なものと密接に結びついており,古代ギリシア演劇はいうまでもなく,インドのサンスクリット古典劇︵インド演劇︶にせよ,あるいは日本の能にせよ,濃厚に宗教的・祭儀的色彩を帯びるものであったし,この内在的伝統は今日もなお何らかの形で生き続けていると考えることができるだろう。だが演劇史的にみて,そのような︿宗教性﹀を帯びた演劇が最も直接的・典型的な形で隆盛となったのは,中世ヨーロッパにおけるさまざまなキリスト教劇︵典礼劇,受難劇,聖史劇,神秘劇,奇跡劇など︶の場合であり,今日,︿宗教劇﹀という語が用いられる場合に,固有名詞的にこれらを総称していうのが普通である。
中世ヨーロッパにおけるキリスト教宗教劇は,概括していえば,イエス・キリストの生誕,受難,復活などのそれぞれの場面や,それら場面の連続,あるいはその生涯の全体,また,使徒や聖者の言行,さらには旧約聖書中の物語,エピソードなどを劇化したものであるが,それはもともと,10世紀初めころに,復活祭典礼の交誦︵こうしよう︶tropusから発生したといわれている。キリスト教の典礼は,重厚な祭服をまとった僧侶によって,所作や朗唱を伴いつつラテン語によって行われるものであったが,ラテン語の典文を信徒にわかりやすくするために所作や身ぶりが拡大され,やがてそれが劇的なものとなって,しだいにいわゆる典礼劇が成立していった。初期のものは教会内の祭壇前に簡単な小道具を置いて,祈りの歌を背景にしながら僧侶が演じるものであったが,やがて舞台は祭壇前から教会堂の全体へ,そして教会や修道院を出てその前の広場へと移り,劇はしだいに教会の手をはなれ民衆のものとなっていった。劇の言葉はラテン語からそれぞれの口語︵その時代のフランス語,ドイツ語など︶へと移しかえられたし,また演じ手も聖職者から︿俗人﹀たる一般民衆へと移行していった。この演劇は,一方で教会と一体となった民衆の信仰心を,また一方で民衆の祝祭娯楽への渇望を背景として,ヨーロッパ中のキリスト教圏にひろがっていったが,降誕祭劇,復活祭劇,三王来朝劇など,それぞれの祝祭日に行われたこれらの宗教劇は,およそ13世紀ごろには,いわば集大成されて受難劇︵聖史劇︶となり,ヨーロッパ中世後期の一大文化財を作りだした。
なお,そのような中世キリスト教劇発展の過程で,いわば派生的に生まれたのが,フランスを中心とした奇跡劇であった。これはもともと聖者伝中の奇跡を劇化したもので,12世紀には聖ニコラ,聖ラザロ,聖パウロなどの奇跡劇が行われていた。しかし最も有名なものは14世紀後半から流行した数多くの聖母奇跡劇であり,これはいずれも悪人が前非を悔いて,聖母の慈悲によって救われるという内容のものであった。
受難劇は,その成立の過程としては,復活祭劇が︿聖母マリア哀歌﹀や︿マグダラのマリア改心の場﹀を手がかりにして,︿受難の場﹀にまでさかのぼり拡大したものといわれるが,いずれにせよこの︿受難﹀を主題とする劇は,13世紀から15世紀にかけてヨーロッパ中に浸透し,話の内容としてもキリストの全生涯,旧約聖書中のエピソードやいわゆる外典中の物語,さらには土着的な伝承なども付け加えるという形で大規模化・世俗化していった。劇の中では,ときに悪魔が跳梁跋扈︵ちようりようばつこ︶し,舞台の袖にはグロテスクに形象化された地獄が大きな口をあけているのであった。このような劇は,かなり世俗化したものまで含めて,演劇史で︿聖史劇﹀あるいは︿神秘劇﹀と呼ばれているが,これらはいずれも当時の呼び名であったフランス語︿ミステールmystère﹀,英語︿ミステリー︵・プレイ︶mystery︵play︶﹀などの訳語であり,もとはラテン語の︿ミュステリアmysteria﹀︵秘密の儀式,秘儀の意︶に由来する。
フランスでは,14世紀後半から各地で︿受難劇団﹀の設立が相次いでいたが,15世紀に入り,1452年には聖史劇︵受難劇︶の頂点というべき有名なグレバンArnoul Gréban︵1410ころ-70ころ︶の︽受難の聖史劇Mystère de la Passion︾も出現した。これは初日︵天地創造から受胎告知︶,2日目︵バプテスマのヨハネの場から最後の晩餐︶,3日目︵ゲッセマネから磔刑︵たつけい︶︶,4日目︵復活︶の構成で,登場人物数が数百人,詩句の総行数は3万4574行という,途方もなく大規模なものであった。その後,今日にいたるまでの世界演劇史をみても,このような形での民衆の熱中によってささえられた演劇というものは,あまり例をみることができない。
10世紀の典礼劇に始まり,しだいに世俗化・娯楽化・大規模化していったヨーロッパ中世宗教劇は,その過程で一部教会勢力の反対にあいながらも発展をし続け,これら15世紀の受難劇︵聖史劇︶をもって,いわば完成期を迎えたわけだが,以後ルネサンス期に入り,また宗教改革の波浪にも洗われるうち,それが存在するための基盤を失い,急速に衰微することとなった。現代でもヨーロッパ各地でいくつかの古い受難劇が上演されているが,多くは観光化したものでしかない。しかし,南ドイツのオーバーアマガウの10年ごとに行われる受難劇は,古式による上演として世界的に有名。
→演劇
執筆者‥永野 藤夫
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宗教劇【しゅうきょうげき】
宗教的主題や信仰内容をもつ劇の総称。広義には演劇の発生と切り離せない古代からの宗教的行事・儀式,あるいは神を主題とする現代戯曲まで含むが,狭義には中世ヨーロッパの演劇形態をいう。キリスト教会内部における復活祭劇,降誕祭劇と,奇跡劇,受難劇,道徳劇,謝肉祭劇など民衆を中心とする世俗劇とに大別され,特に後者は民族の土俗的様式との結合によって発展し,近世演劇の萌芽(ほうが)となった。
→関連項目劇場|笑劇|マリオネット
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宗教劇
しゅうきょうげき
religious drama
宗教的信念や意識を中心に構成された演劇。原始演劇,中世の教会劇,聖史劇,奇跡劇などが代表的なものである。 16世紀以後,宗教は演劇の中心テーマから姿を消したが,19世紀末から 20世紀にかけて,自然主義的リアリズム演劇の反動として,また作者の宗教観の表明として,H.A.ジョーンズの『聖人と罪人たち』 (1884) ,T.S.エリオットの『寺院の殺人』 (1935) ,P.クローデルの『繻子の靴』 (1924,43初演) などが発表された。
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世界大百科事典(旧版)内の宗教劇の言及
【イタリア演劇】より
…ラウダの作者はほとんどが無名であったが,現在なお名を残している者もあり,その1人がヤコポーネ・ダ・トディJacopone da Todi(1236ころ‐1306)で,《マドンナの涙》や《天国に召される女》といったラウダを書き残している。また,この〈兄弟団〉は,ラウダを対話形式に発展させ,福音書や聖人伝を主題に多くの宗教劇を作っては演じた。15世紀になると,フィレンツェを中心に宗教劇を書く作家が現れた。…
【ドイツ演劇】より
…歴史上および現在のドイツ語を用いる地域で行われる演劇,つまりオーストリア,スイスなども含めたいわゆるドイツ語圏の演劇をふつうさす。
[中世]
他の西欧諸国と同様に,今日につながるドイツ演劇の起源は中世の[宗教劇]までさかのぼることができる。宗教劇は教会の典礼から発したといわれているが,教会音楽の発祥地とされるザンクト・ガレン修道院は宗教劇の発展にも大きな役割を演じた。…
【道徳劇】より
…︿教訓劇﹀とも訳される。真,善,美,信仰,悪,虚栄,放蕩などの抽象概念を擬人化して主要人物とした[宗教劇]で,多くは民衆に啓蒙と道徳的教訓を与え,また人間の魂の救済を説くものである。イギリス,フランス,ドイツ,オランダなどヨーロッパの中世末期(14~16世紀)に,いわば説教にいくらか喜劇的脚色を加えたものとして栄えたが,作者は性質上たいていは聖職者であった。…
【フランス演劇】より
…特に最後の点は,コルネイユ,モリエール,ラシーヌに代表される劇文学が,一般に諸芸術の内部で規範と見なされるに至ったことと相まって,以後300年のフランス演劇とフランス文化に決定的な役割を果たした。
︻中世――宗教劇と世俗劇︼
中世フランスは,ヨーロッパの中でも,宗教劇・世俗劇ともに隆盛を見た地域だった。[宗教劇]は,10世紀にキリスト降誕祭と復活祭の典礼にラテン語による対話を加えた教会堂内での典礼劇に始まり,12世紀後半のフランス語のみによる準典礼劇(︽アダンの劇︾等)を経て,13世紀には北フランスのアラスに代表される新興商工業都市の,町民階級自身の知識人による風俗劇的要素の濃い劇作術を生み(︽アラスのクルトア︾,J.ボデル︽聖ニコラ劇︾,リュトブフ︽テオフィルの奇跡劇︾等),最後に,14世紀以降,16世紀中葉を絶頂とする︿聖史劇(ミステールmystère)﹀に結実する。…
※「宗教劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」