尼子氏(読み)あまごうじ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「尼子氏」の意味・わかりやすい解説

尼子氏
あまごうじ


()()()()()()()()()1391()()()()14671477()()()()()()()()148618()()()11154110()()()15573()()15669()()

 

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百科事典マイペディア 「尼子氏」の意味・わかりやすい解説

尼子氏【あまこうじ】

 
()︿()()()()15661578鹿
 

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改訂新版 世界大百科事典 「尼子氏」の意味・わかりやすい解説

尼子氏 (あまこうじ)


退15669鹿786

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「尼子氏」の解説

尼子氏
あまこし


()(())()(())()1486(18)1566(9)鹿()78(6)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尼子氏」の意味・わかりやすい解説

尼子氏
あまこうじ

 
 () 9 (1566) 5 (77)   

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旺文社日本史事典 三訂版 「尼子氏」の解説

尼子氏
あまこし

 

1566鹿  

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世界大百科事典(旧版)内の尼子氏の言及

【出雲国】より

…このため同年守護代職を剝奪され富田城を追われたが,2年後にはこれを奪回し,たちまちのうちに山陰の雄と称される戦国大名へと成長していった。出雲の国衆が強力な国人一揆によって対尼子連合戦線を組む動きを示さなかったこと,また尼子氏の側でも長年にわたる守護佐々木氏の領国支配の伝統の上に立って,もっぱら〈本領安堵・新恩給与〉の形で国人・土豪層の編成につとめたため,比較的スムーズに国人層以下の掌握が可能であったこと,これらが尼子氏の急速な成長を可能にしたものと考えられる。しかしこのことは同時に尼子氏の急速な没落を招く原因ともなった。…

【隠岐国】より

…約40年に及ぶ守護山名氏のあとを受けて,明徳の乱(1391)後京極高詮が隠岐国守護に補任され,弟秀重は隠岐氏を称して隠岐一円に勢力を拡大した。隠岐氏は東郷に宮田(くんだ)城(のち下西の甲ノ尾城)を築いてここに拠ったといわれ,戦国期には雲州尼子氏と被官関係を結んで隠岐国支配の維持・貫徹につとめた。毛利氏の支援を得てこれに抵抗した在地勢力に対し,1532年(天文1)隠岐氏は尼子氏の援助のもとにいったんはその平定に成功したが,尼子氏の没落とともに71年(元亀2)隠岐国もまた毛利氏の支配下におかれた。…

【月山城】より



【備後国】より

… 1507年(永正4)大内義興の上洛に,備後の国人らは多く従った。同じく上洛していた尼子(あまこ)経久が帰国して勢力を糾合しはじめると,これになびく備後国人も現れ,芸備国境付近を中心に尼子氏と大内氏の交戦が繰り返され,23年(大永3)尼子軍の安芸鏡山(かがみやま)城攻略前後に,備後の大内方は尼子方に走った。大内氏は翌年厳島神主家を下し,27年南下した経久を三谷郡和智郷細沢山に破って湯浅,和智などを寝返らせた。…

※「尼子氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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