山崎今朝弥(読み)やまざきけさや

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山崎今朝弥」の意味・わかりやすい解説

山崎今朝弥
やまざきけさや
(1877―1954)


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1972

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20世紀日本人名事典 「山崎今朝弥」の解説

山崎 今朝弥
ヤマザキ ケサヤ

 

, 





10(1877)915



29(1954)729







= 



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出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「山崎今朝弥」の意味・わかりやすい解説

山崎今朝弥 (やまざきけさや)
生没年:1877-1954(明治10-昭和29)


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百科事典マイペディア 「山崎今朝弥」の意味・わかりやすい解説

山崎今朝弥【やまざきけさや】

 
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山崎今朝弥」の意味・わかりやすい解説

山崎今朝弥
やまざきけさや

[生]1877.9.15. 岡谷
[没]1954.7.29. 東京
弁護士,社会主義者。 1900年明治法律学校 (現明治大学) を卒業し,03年渡米。その頃から社会主義運動に関係し,労働争議,借家争議などの裁判事件の弁護をした。 1920年代の労働運動台頭期には堺利彦,大杉栄らの同志とともに 20年日本社会主義同盟を結成し,同盟が解散させられると日本フェビアン協会を組織して活動した。 21年布施辰治らと自由法曹団を結成。第2次世界大戦後も自由法曹団の再建,国民救援会,借地借家人同盟などに関与し,三鷹事件,松川事件の弁護団にも参加した。著書に『地震,憲兵,火事,巡査』 (1924) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山崎今朝弥」の解説

山崎今朝弥 やまざき-けさや

1877-1954 明治-昭和時代の弁護士。
明治10年9月15日生まれ。36年渡米して幸徳秋水らとまじわる。40年弁護士を開業。大正9年日本社会主義同盟の結成,10年自由法曹団の創立にかかわる。戦後は三鷹・松川事件の弁護団にくわわった。昭和29年7月29日死去。76歳。長野県出身。明治法律学校(現明大)卒。著作に「地震・憲兵・火事・巡査」。

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367日誕生日大事典 「山崎今朝弥」の解説

山崎 今朝弥 (やまざき けさや)

生年月日:1877年9月15日
明治時代-昭和時代の弁護士
1954年没

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世界大百科事典(旧版)内の山崎今朝弥の言及

【解放】より

…文芸欄には小川未明,宮地嘉六,金子洋文らが執筆,しだいに労働者作家,社会主義的作家の寄稿が増加したが,関東大震災のため23年9月終刊した。(2)第2次 25年山崎今朝弥(けさや)の経営に移り,日本フェビアン協会の《社会主義研究》を7月号より《解放》と改題,10月号から総合雑誌化された。定価は50銭。…

【自由法曹団】より

…民衆運動弾圧事件の犠牲者への積極的な弁護・支援活動にあたってきた弁護士の団体。神戸の川崎・三菱神戸造船所争議の調査を契機に,1921年山崎今朝弥,布施辰治,上村進,片山哲ら数十名によって結成され,亀戸事件や多数の労働争議・小作争議に関与した。26年の無産政党分裂で団の統一的活動が困難となり,さらに三・一五事件等の公判方針をめぐり左翼弁護士間の統一も崩れたが,個人の団を自称した活動が行われた。…

※「山崎今朝弥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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