新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山本直純」の解説
山本 直純
ヤマモト ナオズミ
職業 指揮者 作曲家
肩書 新日本フィルハーモニー交響楽団顧問,オズ・ミュージック代表取締役
別名 筆名=笑髭
生年月日 昭和7年12月16日
出生地 東京都
学歴 自由学園︹昭和28年︺卒 東京芸術大学音楽学部指揮科︹昭和33年︺卒
経歴 父は作曲家・指揮者の山本直忠で、母もピアニスト。祖父は軽井沢に三笠ホテルを建てた実業家で、祖母は小説家・有島武郎のすぐ下の妹にあたる。父の影響で早くから音楽に親しみ、自由学園で音楽教育を受け、斉藤秀雄に指揮法を学んだ。一浪ののち東京芸術大学音楽学部作曲科に入るが、3年次に指揮科に転じて渡辺暁雄に師事。この間、浪人中に父門下の作曲家・渡辺浦人に預けられて以来、放送を開始したばかりのテレビ放送の伴奏やレコードの録音、映画音楽の作曲などのアルバイトを開始、大学卒業後も多忙な日々を送った。42年NHKの音楽バラエティ﹁音楽の花ひらく﹂に出演して紅いタキシード姿での指揮ぶりが評判を呼び、同じ衣装で出演した﹁森永エールチョコレート﹂のCMでは、自身作曲のCMソングを指揮する姿がお茶の間に強い印象を残した。47年小沢征爾と新日本フィルハーモニー交響楽団の設立に参加、指揮者団の幹事に就任。この年よりオーケストラ維持とクラシックの大衆普及のためTBS﹁オーケストラがやって来た﹂を企画して音楽監督を務め、10年にわたって楽団員とともに全国を回った。クラシック音楽の一般化に最も貢献した音楽家の一人。作曲家としても、﹁男はつらいよ﹂主題歌をはじめ、数多くの作品を残した。
所属団体 JASRAC
受賞 芸術祭賞優秀賞︹昭和48年︺,東海テレビ芸能選奨︹平成4年︺,日本レコード大賞(特別功労賞 第44回)︹平成14年︺
没年月日 平成14年6月18日 (2002年)
家族 父=山本 直忠(作曲家),妻=岡本 正美(作曲家),長男=山本 純ノ介(作曲家),息子=山本 祐ノ介(チェロ奏者)
伝記 新ライバル物語︿第1巻﹀―闘いが生む現代の伝説森のうた―山本直純との芸大青春記大遺言書森のうた森のうた 産経新聞特集部 編岩城 宏之 著森繁 久弥 語り,久世 光彦 文岩城 宏之 著岩城 宏之 著(発行元 柏書房講談社新潮社朝日新聞社朝日新聞社 ’04’03’03’90’87発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報