御手伝普請(読み)おてつだいぶしん

改訂新版 世界大百科事典 「御手伝普請」の意味・わかりやすい解説

御手伝普請 (おてつだいぶしん)


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 10001西駿︿1704-111741-4421751-6431772-891789-1801

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「御手伝普請」の解説

御手伝普請
おてつだいぶしん

助役とも。近世の大名課役の一つ。江戸幕府が行った大規模な土木工事に,領知高に応じて人足や資材,費用を負担した。江戸幕府に先立って豊臣政権も大坂城や伏見城などの築造に大名を動員。江戸幕府のもとでは江戸城・大坂城・駿府城などの城普請,大和川・木曾川などの堤川除普請のほか,御所,日光山・寛永寺・増上寺の諸堂社なども御手伝により造営・修復された。はじめは大名が工事も担当したが,のち経費だけを分担するようになる。

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世界大百科事典(旧版)内の御手伝普請の言及

【江戸城】より

…すなわち92年(文禄1)本丸南側の台地に城域を拡張し,西丸を築くとともにその排土で日比谷入江を埋めて平地化した。1603年(慶長8)江戸幕府の開創により江戸城が将軍の居城となると,工事には譜代・外様を問わず諸大名に御手伝普請が課された。たとえば同年には加藤,福島,伊達など大名70余家を動員して神田山などを掘り崩し,日本橋以南新橋辺までの海岸を埋め立てて市街地を形成,ここに城周辺の町人町を移し,続いて06年には西国大名を主とする工事で城の大拡張を行い,本丸の建物,石垣および二丸,三丸,江戸城北側から南西方面の石垣を築造した。…

【軍役】より

普請役は,江戸,大坂,名古屋などの城と市街の造成を大名に割り当てるもので,家光のころまで繰り返し行われたが,このための人夫の動員も最終的には藩を経て百姓に転嫁された。例えば肥後熊本の加藤忠広(52万石)は,22年(元和8)の江戸城本丸石垣の御手伝普請(おてつだいぶしん)に約5000人の人夫を半年間国元から動員したが,そのうち1200人が藩お抱えの足軽であり,3400人が百姓,400人が水夫(かこ)であった。このような動員は農村を疲弊させ,それは大名財政の窮乏につながっていくが,このことがあらわになったのが,38年(寛永15)の島原の乱と41‐42年の寛永の飢饉であった。…

【御普請】より


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【普請役】より


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【美濃国】より


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※「御手伝普請」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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