恵信尼(読み)エシンニ

デジタル大辞泉 「恵信尼」の意味・読み・例文・類語

えしん‐に〔ヱシン‐〕【恵信尼】

 
11821268?()()10  

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精選版 日本国語大辞典 「恵信尼」の意味・読み・例文・類語

えしん‐にヱシン‥【恵信尼】

 

(一)()寿
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「恵信尼」の意味・わかりやすい解説

恵信尼
えしんに
(1182―1268)


()()()12071()6()()()()10

麿 2017519

麿1968

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朝日日本歴史人物事典 「恵信尼」の解説

恵信尼

 
()
寿1(1182)
,,,()1(1211),,2(1214)()()1(1234),,,,1(1256)5(1268)10,87,,,,,,,,,,,,,,<参考文献>,(3)  
(西)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「恵信尼」の意味・わかりやすい解説

恵信尼 (えしんに)
生没年:1182-1268?(寿永1-文永5?)

浄土真宗の開祖親鸞の妻。父は越後介の三善為教という。29歳のころ当時越後に流罪中の親鸞と結婚した。小黒女房・善鸞・明信・益方・高野禅尼・覚信尼の3男3女の母。1214年(建保2)33歳のころ親鸞と東国に行き,52歳のころ京都に移り,72歳のころ越後に帰住。親鸞没後,娘覚信尼にあてた恵信尼の書状が現存し,親鸞の比叡山修行期,東国伝道期などの行状がしるされていて,彼の伝記解明の貴重な史料である。また弘長・文永年間の越後の飢饉とそれを生きぬく苦難のありさまもしるされ,鎌倉時代の地方女性の生活を知るうえでも重要な文献である。68年87歳のころ死去したようである。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「恵信尼」の意味・わかりやすい解説

恵信尼【えしんに】

 
()()29()()()()()()331214527287  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「恵信尼」の解説

恵信尼 えしんに

1182-1268? 鎌倉時代,親鸞(しんらん)の妻。
寿永元年生まれ。京都から越後(えちご)(新潟県)に流罪(るざい)となった親鸞にしたがう(一説には越後で結婚)。ゆるされた夫とともに関東,京都でくらし,のちひとり越後にかえったとされる。善鸞ら3男3女を生む。晩年娘の覚信尼にあてた10通の手紙(恵信尼消息)は比叡山(ひえいざん)や関東などでの親鸞の行状がしるされ,貴重な史料となっている。文永5年?死去。87歳?

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「恵信尼」の意味・わかりやすい解説

恵信尼
えしんに

 
[]寿1(1182)
[]5(1268)? 
10  

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