成田為三(読み)なりたためぞう

改訂新版 世界大百科事典 「成田為三」の意味・わかりやすい解説

成田為三 (なりたためぞう)
生没年:1893-1945(明治26-昭和20)


19141719195西1893-19481922

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20世紀日本人名事典 「成田為三」の解説

成田 為三
ナリタ タメゾウ

 

 





26(1893)1215



20(1945)1029







6



2447


 

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「成田為三」の意味・わかりやすい解説

成田為三
なりたためぞう
(1893―1945)

作曲家。秋田県生まれ。1914年(大正3)東京音楽学校甲種師範科に入学、山田耕筰(こうさく)に師事。17年、林古渓(こけい)作詞の『浜辺(はまべ)の歌』に作曲。鈴木三重吉(みえきち)の唱導した童謡運動に参加し、西条八十(やそ)が『赤い鳥』に発表(1918)した『かなりや』に作曲(1919)したのをはじめとして、以後芸術性の高い創作童謡や歌曲を数多く発表した。22年からドイツに留学し、帰国後は対位法などの紹介、教授にも努めた。主著に『対位法』(1929)、『和声学』(1935)、『楽器編成法』(1937)など。

船山 隆]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「成田為三」の解説

成田為三 なりた-ためぞう

1893-1945 大正-昭和時代前期の作曲家。
明治26年12月15日生まれ。山田耕筰(こうさく)に師事,東京音楽学校(現東京芸大)在学中に林古渓(こけい)作詞の「浜辺の歌」を作曲する。のち鈴木三重吉の雑誌「赤い鳥」の童謡運動に参加,大正8年から西条八十(やそ)の「かなりや」などおおくの童謡を作曲した。昭和20年10月29日死去。53歳。秋田県出身。

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367日誕生日大事典 「成田為三」の解説

成田 為三 (なりた ためぞう)

生年月日:1893年12月15日
大正時代;昭和時代の作曲家
1945年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の成田為三の言及

【童謡】より


︿(18891944)(18931948)西

※「成田為三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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