末弘厳太郎(読み)スエヒロイズタロウ

デジタル大辞泉 「末弘厳太郎」の意味・読み・例文・類語

すえひろ‐いずたろう〔すゑひろいづタラウ〕【末弘厳太郎】

 
18881951  

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精選版 日本国語大辞典 「末弘厳太郎」の意味・読み・例文・類語

すえひろ‐いずたろう【末弘厳太郎】

 

(一)調
 

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改訂新版 世界大百科事典 「末弘厳太郎」の意味・わかりやすい解説

末弘厳太郎 (すえひろいずたろう)
生没年:1888-1951(明治21-昭和26)


191246退1917︿192119261924調︿19531932193851980

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20世紀日本人名事典 「末弘厳太郎」の解説

末弘 厳太郎
スエヒロ イズタロウ

大正・昭和期の民法学者,労働法学者 中労委会長;東京帝大法学部教授。



生年
明治21(1888)年11月30日

没年
昭和26(1951)年9月11日

出生地
山口県

学歴〔年〕
東京帝大法科大学独法科〔明治45年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔大正9年〕

経歴
大正3年東京帝大助教授、7〜9年から欧米留学。10年教授となり民法講座を担当。その後労働法の講座を持ち、社会学的法学の方法論を導入、11年に「物権法」(上下)を刊行して注目された。また民事法判例研究会を東大に組織するなど、法学界に大きな足跡を残した。13年には東大セツルメントを設立、実践家としても活躍。2度法学部長を務め、昭和21年教授を辞し、22年初代中央労働委員会(中労委)会長に就任。25年4月に辞任するまで、電産、炭労、全官公労など大争議の調停役として手腕を振るい、労働組合法の立案者でもあった。またスポーツ界とも縁が深く、大正13年から昭和20年まで全日本水上競技連盟会長、16年から21年まで日本体育連盟理事長を務めた。他の著書に「農村法律問題」「労働法研究」「日本労働組合運動史」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「末弘厳太郎」の意味・わかりやすい解説

末弘厳太郎
すえひろいずたろう
(1888―1951)

民法学者、労働法学者。山口県出身。1912年(明治45)東京帝国大学独法科卒業。20年(大正9)同大学教授、46年(昭和21)退官し、中央労働委員会初代の会長となる。民法学の分野では、大正中期まで学界を支配していたドイツ法学的な注釈学的解釈法学の傾向を批判して、社会生活のなかに実際に存在する法の研究を唱導した。『物権法』はこの点からする画期的な業績であるといわれている。また、裁判所が現実に法を創造するという観点から判例研究を行う必要があることを説いて、東京帝国大学に民法判例研究会を創設した。労働法の分野では、労働法研究の必要性を説いてこの領域における開拓者的存在となった。そのほか、法社会学の業績もある。主著は『債権各論』(1917)、『物権法』(1921)、『労働法研究』(1926)、『法学入門』(1938)、『民法雑記帳 上下』(1940、1949)など。

[淡路剛久]

『『末弘著作集1 法学入門』『末弘著作集2・3 民法雑記帳 上下』『末弘著作集4 嘘の効用』『末弘著作集5 役人学三則』(第2版・1980・日本評論社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「末弘厳太郎」の意味・わかりやすい解説

末弘厳太郎
すえひろいずたろう

 
[]1888.11.30. 
[]1951.9.11. 
 () 192120 (1922) 46退 (2122)  (24)  (4049)  (50)   

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百科事典マイペディア 「末弘厳太郎」の意味・わかりやすい解説

末弘厳太郎【すえひろいずたろう】

 
19142︿
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「末弘厳太郎」の解説

末弘厳太郎
すえひろいずたろう


1888.11.301951.9.11

1921(10)2

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末弘厳太郎」の解説

末弘厳太郎 すえひろ-いずたろう

1888-1951 大正-昭和時代の法学者。
明治21年11月30日生まれ。末弘厳石(げんせき)の長男。大正10年母校東京帝大の教授となり,労働法研究に業績をのこす。戦後,労働三法の立案にくわわり,昭和22年中央労働委員会初代会長となる。昭和26年9月11日死去。62歳。山口県出身。著作に「物権法」「日本労働組合運動史」など。

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367日誕生日大事典 「末弘厳太郎」の解説

末弘 厳太郎 (すえひろ いずたろう)

生年月日:1888年11月30日
大正時代;昭和時代の民法学者;労働法学者。中労委会長;東京帝国大学教授
1951年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の末弘厳太郎の言及

【エールリヒ】より

…〈法の発展の重心は社会にある〉というテーゼに基づく彼の一般的法理論は《法社会学の基礎づけ》(1913)に集約されており,これによりM.ウェーバーと並ぶ法社会学の創始者とされる。彼の考え方は,日本では大正デモクラシー期における末弘厳太郎の市民法学に生かされ,第2次大戦後の法社会学において,近代的な実定法の貫徹を妨げる旧来の慣行の調査研究を導く役割を果たした。【六本 佳平】。…

【法社会学】より


(︿)︿1︿()

【法律時報】より

…月刊。末弘厳太郎の指導の下に日本評論社から発行。編集方針は,法律に関する時事問題の解説・評論,法律研究に必要な資料文献の収集・紹介,専門家以外の人々の法律に関する意見その他の記事の3点におかれ,今日に継承されている。…

※「末弘厳太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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