デジタル大辞泉
「末弘厳太郎」の意味・読み・例文・類語
すえひろ‐いずたろう〔すゑひろいづタラウ〕【末弘厳太郎】
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すえひろ‐いずたろう【末弘厳太郎】
(一)民法・労働法学者。法博。山口県出身。東京帝国大学教授。中央労働委員会の初代会長。農村および労働問題を実生活の立場から法律と関係づけ、争議の調停、中労委の権威の確立、労働諸法の制定に力を尽くした。著に﹁物権法﹂﹁農村法律問題﹂﹁日本労働組合運動史﹂など。明治二一~昭和二六年︵一八八八‐一九五一︶
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末弘厳太郎 (すえひろいずたろう)
生没年:1888-1951(明治21-昭和26)
民法学者,労働法学・法社会学の開拓者。1912年東京帝国大学法科大学を卒業,フランス,アメリカ等に留学して,同大学教授となり,46年退官後,中央労働委員会の初代会長を務めた。当初は,ドイツ民法学の影響の濃い精密な解釈法学を得意としたが︵︽債権各論︾︵1917︶にうかがわれる︶,帰国後,学風の大転換を遂げ,日本社会に現実に行われている法を探究し,そこから︿あるべき法﹀を築くことを主張して,当時の法律学界に大きな衝撃を与えた。この方法によって書かれた︽物権法︾︵1921︶は,日本の判例の分析に立脚した解釈論を提示するなど,民法学史上画期的業績とされる。また,同様の問題意識から,東京帝国大学法学部に民法判例研究会を組織し,判決にあらわれた事実との対応において判例理論を考察するという新たな方法による判例研究の創始者となった。さらに,労働法の講義を最初に行って,︽労働法研究︾︵1926︶を世に問い,︽農村法律問題︾︵1924︶を著すとともに,みずから中国の農村慣行調査を行って法社会学研究の重要性を示し,この方面の開拓者となった。このほか,立法学の提唱︵︿立法学に関する二,三の考察﹀--︽民法雑記帳下︾︵1953︶所収︶も,今日からみて重要である。このように,法律学界に多くの革新をもたらした末弘を目して,日本の法学史上の一大転回点と評されていることは,ゆえなしとしない。著書は,以上のほか,︽民法雑考︾︵1932︶,︽債権総論︾︵1938︶等,多数にのぼり,一部は︽末弘厳太郎著作集︾全5巻︵新版1980︶に収められている。
執筆者‥平井 宜雄
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末弘 厳太郎
スエヒロ イズタロウ
大正・昭和期の民法学者,労働法学者 中労委会長;東京帝大法学部教授。
- 生年
- 明治21(1888)年11月30日
- 没年
- 昭和26(1951)年9月11日
- 出生地
- 山口県
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法科大学独法科〔明治45年〕卒
- 学位〔年〕
- 法学博士〔大正9年〕
- 経歴
- 大正3年東京帝大助教授、7〜9年から欧米留学。10年教授となり民法講座を担当。その後労働法の講座を持ち、社会学的法学の方法論を導入、11年に「物権法」(上下)を刊行して注目された。また民事法判例研究会を東大に組織するなど、法学界に大きな足跡を残した。13年には東大セツルメントを設立、実践家としても活躍。2度法学部長を務め、昭和21年教授を辞し、22年初代中央労働委員会(中労委)会長に就任。25年4月に辞任するまで、電産、炭労、全官公労など大争議の調停役として手腕を振るい、労働組合法の立案者でもあった。またスポーツ界とも縁が深く、大正13年から昭和20年まで全日本水上競技連盟会長、16年から21年まで日本体育連盟理事長を務めた。他の著書に「農村法律問題」「労働法研究」「日本労働組合運動史」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
末弘厳太郎
すえひろいずたろう
(1888―1951)
民法学者、労働法学者。山口県出身。1912年(明治45)東京帝国大学独法科卒業。20年(大正9)同大学教授、46年(昭和21)退官し、中央労働委員会初代の会長となる。民法学の分野では、大正中期まで学界を支配していたドイツ法学的な注釈学的解釈法学の傾向を批判して、社会生活のなかに実際に存在する法の研究を唱導した。『物権法』はこの点からする画期的な業績であるといわれている。また、裁判所が現実に法を創造するという観点から判例研究を行う必要があることを説いて、東京帝国大学に民法判例研究会を創設した。労働法の分野では、労働法研究の必要性を説いてこの領域における開拓者的存在となった。そのほか、法社会学の業績もある。主著は『債権各論』(1917)、『物権法』(1921)、『労働法研究』(1926)、『法学入門』(1938)、『民法雑記帳 上下』(1940、1949)など。
[淡路剛久]
『『末弘著作集1 法学入門』『末弘著作集2・3 民法雑記帳 上下』『末弘著作集4 嘘の効用』『末弘著作集5 役人学三則』(第2版・1980・日本評論社)』
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末弘厳太郎
すえひろいずたろう
[没]1951.9.11. 東京
法律学者。父末弘厳石 (いずし) は大審院判事。東京大学卒業後,1921年より東京大学教授。民法講座を担当。20年ヨーロッパ,アメリカ留学より帰朝後,日本の伝統的なドイツ流解釈法学を批判,社会学的法律学を展開,法社会学の開拓者となった。判例研究の重要性を説き,初めて判例研究会を組織,成果を﹃判例民法﹄ (1922以降刊行) によって発表,法律実務にも大きな影響を与えた。また,日本労働法学の創始者の一人でもある。46年退官後,創設当初の中央労働委員会会長代理,のち,会長として同委員会運営の基礎を確立した。﹃物権法﹄ (21,22) ,﹃農村法律問題﹄ (24) ,﹃民法雑記帳﹄ (40,49) ,﹃日本労働運動史﹄ (50) など幾多の著作がある。
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末弘厳太郎【すえひろいずたろう】
民法・労働法学者。山口県出身。1914年以降東大で民法を講じたが,第2次大戦後大学を辞し,中央労働委員会の初代会長として労働争議解決に尽力。大正中期まで支配していたドイツ流の条文中心の法解釈学を批判し,社会生活の中の︿生ける法﹀を重視しなければならないと説き,本格的な判例研究や法社会学の発展に貢献した。主著︽物権法︾︽労働法研究︾︽民法雑記帳︾︽嘘の効用︾。
→関連項目日本評論社﹇株﹈|法社会学
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末弘厳太郎
すえひろいずたろう
1888.11.30~1951.9.11
大正・昭和期の法学者。民法学・法社会学・労働法学の開拓者的存在。山口県出身。東大卒。東京帝国大学助教授をへて1921年(大正10)同教授となり,法学部に民法判例研究会を設立した。﹁物権法﹂は民法学史上画期的業績とされ,また労働法の理論的創始者でもある。第2次大戦後は労働中央委員会初代会長を務め,労働三法の立案にも参画した。著書﹁農村法律問題﹂﹁労働法研究﹂。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
末弘厳太郎 すえひろ-いずたろう
1888-1951 大正-昭和時代の法学者。
明治21年11月30日生まれ。末弘厳石(げんせき)の長男。大正10年母校東京帝大の教授となり,労働法研究に業績をのこす。戦後,労働三法の立案にくわわり,昭和22年中央労働委員会初代会長となる。昭和26年9月11日死去。62歳。山口県出身。著作に「物権法」「日本労働組合運動史」など。
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末弘 厳太郎 (すえひろ いずたろう)
生年月日:1888年11月30日
大正時代;昭和時代の民法学者;労働法学者。中労委会長;東京帝国大学教授
1951年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の末弘厳太郎の言及
【エールリヒ】より
…〈法の発展の重心は社会にある〉というテーゼに基づく彼の一般的法理論は《法社会学の基礎づけ》(1913)に集約されており,これによりM.ウェーバーと並ぶ法社会学の創始者とされる。彼の考え方は,日本では大正デモクラシー期における末弘厳太郎の市民法学に生かされ,第2次大戦後の法社会学において,近代的な実定法の貫徹を妨げる旧来の慣行の調査研究を導く役割を果たした。【六本 佳平】。…
【法社会学】より
…まず近代日本の法体系のかなめである明治民法(︿[旧民法]﹀の項を参照)の編纂において,[穂積陳重]の︿法律進化論﹀が重要な役割を果たしたが,それは法の変動の認識とその実践的応用を目的とするものであり,日本における法社会学の源流をなすといえよう。法社会学の自覚的展開は,第1次大戦による社会関係の激変を背景として,現実と遊離した国家法を鋭く批判した[末弘厳太郎]の研究に始まる。エールリヒの︿[生ける]法﹀(現実に人間の行動を規律している行為規範)の理論は,末弘が国家法と社会的現実とのギャップを認識するうえに重要な役割を果たした。…
【法律時報】より
…月刊。[末弘厳太郎]の指導の下に日本評論社から発行。編集方針は,法律に関する時事問題の解説・評論,法律研究に必要な資料文献の収集・紹介,専門家以外の人々の法律に関する意見その他の記事の3点におかれ,今日に継承されている。…
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