日本大百科全書(ニッポニカ) 「李翺」の意味・わかりやすい解説
李翺
りこう
(772―841)
中国、唐代の学者。趙(ちょう)郡︵河北省寧晋(ねいしん)県︶の人。字(あざな)は習之(しゅうし)。貞元(ていげん)の進士。校書郎を振り出しに、累進して国子博士、史館脩撰(しゅうせん)となる。性格は厳しく硬骨漢で、論じては絶対に屈しなかった。顕官にあげられないことで鬱々(うつうつ)としていたとき、宰相李逢吉(りほうきつ)︵758―835︶の過失を知り、彼を面責したため左遷されて廬(ろ)州刺史(さし)となった。のち歴遷して山南東道節度使となって死去した。李翺(りこう)は韓愈(かんゆ)の姪(めい)の婿であり、また弟子でもあるので、その学問・文章はみな韓愈の影響の下にあったが、彼の﹃復性書﹄に述べた性説は思想史上重要なものである。その要は、人間には性と情があり、性は善であるが、これを惑わすものが情で、情とは性が動いて起きるものなので静に努めることを重視し、これを復性という。この考えは宋(そう)代程子(ていし)の﹃定性書﹄の先駆となった。著作に﹃李文公集﹄18巻などがある。
﹇疋田啓佑 2016年1月19日﹈
﹃武内義雄著﹃中国思想史﹄︵1936・岩波全書︶﹄▽﹃狩野直喜著﹃中国哲学史﹄︵1953・岩波書店︶﹄
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