桂太郎(読み)カツラタロウ

デジタル大辞泉 「桂太郎」の意味・読み・例文・類語

かつら‐たろう〔‐タラウ〕【桂太郎】

 
18481913

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精選版 日本国語大辞典 「桂太郎」の意味・読み・例文・類語

かつら‐たろう【桂太郎】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桂太郎」の意味・わかりやすい解説

桂太郎
かつらたろう
(1847―1913)


()41128()18692187083187418753使18787188411()()()()18851886189061891()18958189664189811901346()4()1898919016西()()()190221907919114西()()

 191278西121913221010



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改訂新版 世界大百科事典 「桂太郎」の意味・わかりやすい解説

桂太郎 (かつらたろう)
生没年:1847-1913(弘化4-大正2)


42退1870375使調78西913983124190001540210360423西0512西︿07西210121112122西313210

 ︿

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百科事典マイペディア 「桂太郎」の意味・わかりやすい解説

桂太郎【かつらたろう】

 
調1898190131911︿
==西  

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朝日日本歴史人物事典 「桂太郎」の解説

桂太郎

 
2.10.10(1913)
4.11.28(1848.1.4)
,()(),3(1870),,8使11121824,(189495)3,313,34(190405),5,西,退,西,西,2412,,()2,43,,2,退,,1(1912)22西,3,(1),,2(1913)253<参考文献>  
()
 

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「桂太郎」の解説

桂 太郎
カツラ タロウ


肩書
第11・13・15代首相,陸相,元老

別名
号=海城

生年月日
弘化4年11月28日(1848年)

出生地
長門国萩城下平安古町(現・山口県萩市)

経歴
長州(萩)藩士の子。文久3年馬関戦争に参戦、戊辰戦争では奥羽各地を転戦。明治3年ドイツ留学。5年帰国、6年陸軍歩兵大尉。8年ドイツ駐在武官。11年帰国後、参謀本部入り。15年大佐。参謀本部管西局長を経て、19年陸軍次官となり、軍制改革を推進。日清戦争に第三師団長で出征、戦後子爵。29年台湾総督。31年第3次伊藤内閣の陸相。同年大将に昇進。次いで大隈内閣、第2次山県内閣、第4次伊藤内閣で陸相留任。34年首相となり、日露戦争では強硬論を唱え、日英同盟締結。38年ポーツマス条約締結後の日比谷焼打ち事件で桂内閣瓦解。戦後は西園寺公望と交互に政権担当。41年第2次内閣を組織、労働運動強圧政策を進め、43年の大逆事件後、社会主義が抹殺された。同年韓国併合。翌44年総辞職、内大臣兼侍従長。同年公爵。大正元年3度首相となったが2カ月で辞職。2年立憲同志会を結成。首相在任7年9カ月の記録を立てた。

没年月日
大正2年10月10日

家族
二男=井上 三郎(陸軍少将・侯爵) 孫=桂 広太郎(貴院議員)

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20世紀日本人名事典 「桂太郎」の解説

桂 太郎
カツラ タロウ

明治期の政治家,陸軍大将,公爵 首相;陸相;元老。



生年
弘化4年11月28日(1848年)

没年
大正2(1913)年10月10日

出生地
長門国萩城下平安古町(現・山口県萩市)

別名
号=海城

経歴
長州(萩)藩士の子。文久3年馬関戦争に参戦、戊辰戦争では奥羽各地を転戦。明治3年ドイツ留学。5年帰国、6年陸軍歩兵大尉。8年ドイツ駐在武官。11年帰国後、参謀本部入り。15年大佐。参謀本部管西局長を経て、19年陸軍次官となり、軍制改革を推進。日清戦争に第三師団長で出征、戦後子爵。29年台湾総督。31年第3次伊藤内閣の陸相。同年大将に昇進。次いで大隈内閣、第2次山県内閣、第4次伊藤内閣で陸相留任。34年首相となり、日露戦争では強硬論を唱え、日英同盟締結。38年ポーツマス条約締結後の日比谷焼打ち事件で桂内閣瓦解。戦後は西園寺公望と交互に政権担当。41年第2次内閣を組織、労働運動強圧政策を進め、43年の大逆事件後、社会主義が抹殺された。同年韓国併合。翌44年総辞職、内大臣兼侍従長。同年公爵。大正元年3度首相となったが2カ月で辞職。2年立憲同志会を結成。首相在任7年9カ月の記録を立てた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「桂太郎」の解説

桂太郎
かつらたろう

1847.11.28~1913.10.10

明治・大正期の藩閥政治家・陸軍軍人。萩藩士の家に生まれる。戊辰(ぼしん)戦争に従軍,維新後陸軍に入りドイツに学ぶ。兵制改革に貢献し陸軍次官・台湾総督などをへて,第3次伊藤・第1次大隈・第2次山県の3内閣の陸相。1901年(明治34)首相となり日英同盟・日露戦争などを処理した。山県系の後継者格となり当初対立していた政友会と妥協,政権の交互担当,第三者の政権からの排除を基軸とする桂園(けいえん)体制を築いた。06年西園寺公望(きんもち)に政権を譲ったが,08年再び政権を担当,戊申(ぼしん)詔書発布・韓国併合・大逆事件などを処理し,11年に退いた。12年(大正元)内大臣。まもなく上原勇作陸相の帷幄(いあく)上奏による第2次西園寺内閣崩壊をうけて組閣。第1次護憲運動に直面し,新党結成で危機突破を図るが程なく退陣。陸軍大将・公爵。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桂太郎」の意味・わかりやすい解説

桂太郎
かつらたろう

 
[]4(1847).11.28. 
[]1913.10.10. 
 18861888 1901061908111912133 18981911  

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂太郎」の解説

桂太郎 かつら-たろう

 
1848*1913 -,
()41128,()3341,西2322101067()()
()  

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

旺文社日本史事典 三訂版 「桂太郎」の解説

桂太郎
かつらたろう

 
18471913

1870'98312西 () 331  

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367日誕生日大事典 「桂太郎」の解説

桂 太郎 (かつら たろう)

生年月日:1848年11月28日
明治時代の政治家。陸軍大将
1913年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の桂太郎の言及

【桂=タフト協定】より


1905()7W.H.(1)

【桂園時代】より

…日露戦争後,桂太郎と西園寺公望が首相として交互に政権を担当した政治形態の総称。明治維新以来,薩長藩閥政治家中の元勲層が政権を担当してきたが,1901年伊藤博文が第4次内閣を投げ出して以後,長州閥の桂太郎が政権を担当して新しい時代が始まった。…

【大正時代】より

… 1905年9月の非講和運動は〈外には帝国主義内には立憲主義〉の理念に指導される全国的都市民衆運動として,大正デモクラシー運動の起点となったが,〈外に帝国主義〉の色彩は,1907年から09年にかけて展開された全国商業会議所連合会を中心とする軍拡反対悪税廃止運動により弱められ,13年初めの護憲運動にいたる。政府が民衆の不満を押さえて軍拡を進めるには政党の力を借りざるを得ず,1906年1月には政友会総裁西園寺公望を首班とする内閣が,官僚派代表たる長州閥の桂太郎内閣に代わって登場し,08年7月第2次桂,11年8月第2次西園寺と,交互に政権を担当する〈桂園内閣〉時代を現出した。政友会は実力者原敬の領導のもと,鉄道敷設,港湾修築など,制限選挙下有権者の大半を占める農村地主層の利益をはかる〈積極政策〉を推進し,1908年,12年の総選挙に安定多数を獲得し,つねに政府与党の地位を確保し,政治的発言権を著しく増大させた。…

【大正政変】より

…1913年の憲政擁護の民衆運動で第3次桂太郎内閣が倒された政変。1912年陸軍の二個師団増設問題で第2次西園寺公望内閣が倒れると,元老会議での後継首班推薦は難航し,結局この年8月大正天皇即位にともない内大臣として宮中入りした桂太郎を推薦した。…

【ドイツ】より


()()()︿14(1881)

【同志会】より


西2(190811)31327

※「桂太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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