メッケル

デジタル大辞泉 「メッケル」の意味・読み・例文・類語

メッケル(Klemens Wilhelm Jakob Meckel)

[1842~1906]ドイツ軍人。1885年(明治18)日本政府の招きで来日。陸軍大学校教官として、日本陸軍の近代的軍制整備貢献した。

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精選版 日本国語大辞典 「メッケル」の意味・読み・例文・類語

メッケル

  1. ( Klemens Wilhelm Jakob Meckel クレメンス=ビルヘルム=ヤーコプ━ ) ドイツの軍人・軍事評論家。明治一八年(一八八五)、陸軍大学校教官に招聘されて来日、日本陸軍の近代的編制や戦略戦術向上に貢献。(一八四二‐一九〇六

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百科事典マイペディア 「メッケル」の意味・わかりやすい解説

メッケル

 
1870187118853188831894  

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朝日日本歴史人物事典 「メッケル」の解説

メッケル

 
1906.7.5(1906.7.5)
1842.3.28
18(1885)(1883)3(1867)(),16, ,5003,,,,,,,,,,,21,37(1904),1<参考文献>,(),宿  
()
 

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改訂新版 世界大百科事典 「メッケル」の意味・わかりやすい解説

メッケル
Klemens Wilhelm Jakob Meckel
生没年:1842-1906

ドイツ軍人。日本陸軍のドイツ式への兵制改革の指導者。プロイセンの陸軍大学を経て参謀となり,《未来の歩兵戦》《戦術学》《帥兵術》などの著書で戦術家として知られた。少佐のとき日本陸軍に招かれ,1885年3月来日して陸軍大学校御雇教師となり,3年間の滞在中に創立早々の陸軍大学校でドイツ式の戦術を教え,参謀教育を行った。また参謀本部の顧問として,参謀次長川上操六,陸軍大学校長児玉源太郎,陸軍次官桂太郎などを援助し,陸軍の兵制をフランス式からドイツ式に改革するために尽力した。日清・日露戦争時の参謀将校の多くはその教え子であり,日本陸軍の編制や戦略戦術に大きな影響を与えた。88年3月に離日し,帰国後は少将に進んで退役した。日本陸軍育成の功績を記念して,1912年7月陸軍大学校構内にその胸像が建てられた。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メッケル」の意味・わかりやすい解説

メッケル
めっける
Klemens Wilhelm Jakob Meckel
(1842―1906)


328188518()1888()18581933()18601945()()退190675

  2018821

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メッケル」の意味・わかりやすい解説

メッケル
Meckel, Klemens Wilhelm Jacob

[生]1842.3.28. ケルン
[没]1906.7.5. ベルリン郊外グロスリヒテルフェルデ
ドイツの陸軍軍人。大モルトケのもとで養成され,1883年日本陸軍がドイツの兵制を採用した際,モルトケ参謀総長の推薦で,85年陸軍大学校教官として来日。当時は参謀少佐。陸軍兵術,師団編制を中心とする陸軍の編制,高等司令機関の完備,一般兵役義務制度の確立など,あらゆる分野において日本陸軍の近代化を実現させ,その後の日清・日露戦争のための基礎を築いたばかりでなく,第2次世界大戦終戦まで日本陸軍の兵術思想に大きな影響を及ぼした。 88年帰国し,メッソ連隊長,陸軍大学校教官,参謀次長をつとめ,少将で予備役に入った。

メッケル
Meckel, Christoph

[生]1935.6.12. ベルリン
ドイツの詩人,版画家。シュルレアリスム的な詩集『夢遊病者用のホテル』 Hotel für Schlafwandler (1958) のほか,版画集『戦争』 Der Krieg (60) ,『都市』 Die Stadt (60) ,小説『死者のマニフェスト』 Manifest der Toten (71) など。また自伝的散文作品『判じ絵-わが父について』 Suchbild.Über meinen Vater (80) は,詩人,小説家であった Eberhard Meckel (1907~69) について描いている。 1979年ライナー・マリア・リルケ抒情詩賞,82年ザルツブルク市ゲオルグ・トラークル賞受賞。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「メッケル」の解説

メッケル Meckel, Klemens Wilhelm Jacob

1842-1906 ドイツの軍人。
1842年3月28日生まれ。明治18年(1885)陸軍少佐のとき政府にまねかれて来日。陸軍大学校教官,参謀本部顧問となり,陸軍の軍制をフランス式からドイツ式に改革し,参謀将校を養成した。21年帰国,のち少将。日清(にっしん)・日露戦争の勝利により,日本陸軍の恩人として遇された。1906年7月5日死去。64歳。ケルン出身。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「メッケル」の解説

メッケル
Klemens Wilhelm Jakob Meckel

1842.3.28~1906.7.5

ドイツの軍人。プロイセン陸軍大学校卒。日本陸軍のドイツ・モデル採用決定にともない,1884年(明治17)陸軍卿大山巌(いわお)が渡独してドイツ士官の招聘を要請,モルトケ参謀総長の推薦により翌年来日。参謀本部顧問・陸軍大学校教官として教育や建策,戦術指導を行い,創設期陸軍に多大な影響を与えた。88年契約満期により帰国。

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世界大百科事典(旧版)内のメッケルの言及

【監軍】より

…本部長はなく,東・中・西各部の3監軍部長(谷干城,野津鎮雄,三浦梧楼の各中将)が合議で部内を統轄した。85年5月18日監軍部と改称されたが,軍事費節減と戦時の軍団編成を機械的にする制度に反対する参謀本部顧問メッケルの献策により,86年7月に廃止された。(2)陸軍の教育機関。…

【ドイツ】より


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