日本歴史地名大系 「横浜市」の解説 横浜市よこはまし 面積:四二九・八九平方キロ西(にし)区・中(なか)区・南(みなみ)区・港南(こうなん)区・磯子(いそご)区・金沢(かなざわ)区・鶴見(つるみ)区・神奈川(かながわ)区・保土(ほど)ヶ谷(や)区・戸塚(とつか)区・港北(こうほく)区・緑(みどり)区・旭(あさひ)区・瀬谷(せや)区 県東部に位置し、東は東京湾に面して房総半島を望み、西は東京都町(まち)田(だ)市、大和市・藤沢市、南は鎌倉市・逗(ず)子(し)市・横須賀市、北は川崎市に隣接する。市域は多摩丘陵が東京湾に落込む東端にあたり、洪積台地の谷間を鶴見川・帷(かた)子(びら)川・大(おお)岡(か)川・柏(かし)尾(お)川などの比較的緩やかな河川が流れて沖積平野をつくり、その上に町並が形成されている。海岸線はほとんど埋立てられて石油化学コンビナートを中心とした臨海工業地帯となり、また三方を小丘陵に囲まれ、十分な水深をもつ横浜港は、各種の埠頭・桟橋、水堤、上屋・倉庫等の設備を具備する内外の海上交通の拠点である。 横浜の地名はもとは石(いし)川(かわ)︵現南区︶・本(ほん)牧(もく)︵現中区︶の丘陵から海に突出た砂洲という地形から起こったともいわれ、﹁嘉吉弐年辛酉卯月廿六日﹂の石(いし)河(かわ)宝(ほう)金(こん)剛(ごう)院︵現南区宝生寺︶宛の市川季氏・比留間範数連署寄進状︵県史三︶に﹁武州久良郡横浜村薬師堂免田畠等事﹂とみえる。またこの砂洲は洲(しゆ)乾(うか)島(んじま)ともいわれ洲干島・宗閑島とも書かれ、その北端は細長く突出し、象(ぞう)の(のは)鼻(な)とよばれた。 〔原始・古代〕 縄文時代早期の遺跡としては、最古の隆線文土器を伴う緑区の花(はな)見(みや)山(ま)遺跡、条痕文系土器の金沢区野(のじ)島(ま)貝塚のほか、鶴見川上流の港北区・緑区、帷子川流域の保土ヶ谷区、柏尾川上流の戸塚区など全市域に発見される。縄文前期の港北区南(みな)堀(んぼり)貝塚は鶴見川支流早(はや)淵(ぶち)川の左岸台地上にある貝塚を伴う集落跡で、銛・浮子・磨製石斧・石鏃や耳飾など生産用具・装飾品が出土した。中期・後期になると海岸線は後退し金沢区称(しよ)名(うみ)寺(ようじ)貝塚・神奈川区三(みつ)ッ(ざ)沢(わ)貝塚などがあり、晩期では緑区道(どう)明(みよ)台(うだい)遺跡などがある。磯子区岡(おか)村(むら)四丁目の台地上にある三(さん)殿(との)台(だい)遺跡は縄文から弥生・古墳時代に至る集落跡でその八割を弥生時代のものが占め、竪穴住居跡のほかに炭化米・土器などが発見されている。港北区日(ひよ)吉(しの)の(かん)観(のん)音(ま)松(つ)古墳は矢(やが)上(み)川を隔て川崎市幸(さいわい)区の白(はく)山(さん)古墳と相対する大型前方後円墳で、関東地方で最古の一つ。ほかに西区の軽(かる)井(いざ)沢(わ)古墳、保土ヶ谷区の瀬(せ)戸(と)ヶ谷(や)古墳、緑区稲(いな)荷(りま)前(え)古墳群・朝(ちよ)光(うこ)寺(うじ)原(ばら)古墳群があるが、宅地化によって全部または一部消滅している。 市域は古代の武蔵国久(くら)良(き)郡、都(つづ)筑(き)郡と橘(たち)樹(ばな)郡の一部、相模国鎌倉郡の一部にまたがり、﹁和名抄﹂記載の郷では橘樹郡高(たか)田(た)郷、都筑郡針(ばさ)斫(く)郷、久良郡鮎(ふく)浦(ら)郷・大(おお)井(い)郷・服(はと)田(だ)郷・星(ほし)川(かわ)郷・諸(もろ)岡(おか)郷・良(よし)郷が市域に比定される。 横浜市よこはまし 1994年11月6日:行政区再編により、青葉区・都筑区を設置⇒【横浜市】神奈川県:横浜市 横浜市よこはまし 1986年11月3日:行政区再編により、栄区・泉区を設置⇒【横浜市】神奈川県:横浜市 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「横浜市」の意味・わかりやすい解説 横浜〔市〕よこはま 神奈川県東部,東京湾に面する市。多摩丘陵南東部を占め,鶴見川,帷子川︵かたびらがわ︶,大岡川などに沿って沖積地がある。1889年市制。1956年政令指定都市。鶴見区,神奈川区,西区,中区,南区,保土ヶ谷区,磯子区,金沢区,港北区,戸塚区,港南区,旭区,緑区,瀬谷区,栄区,泉区,青葉区,都筑区の18区からなる。県庁所在地。地名の由来には諸説があるが,半島状の砂浜が横に長く延びた地形に由来するなどといわれる。東京︵区部︶に次ぐ人口を擁し,輸出入高が日本で1位の大貿易港をもつ。江戸時代は農漁村地域で,東海道沿いに神奈川,保土ヶ谷,戸塚の3宿場町があった。安政6︵1859︶年横浜港の開港により関内には貿易関連施設が立地し,本牧岬には住宅地が形成されるなど急速に発展。関東地震︵→関東大震災︶,第2次世界大戦で大きな被害を受け,戦後はアメリカ軍に港湾施設や広大な土地を接収された。しかし戦後の復興はめざましく,国際港湾都市,工業都市として飛躍的に発展した。大正期に始まる鶴見地区の埋め立てに加えて,第2次世界大戦後は磯子地区でも埋め立てが進み,鉄鋼,造船,化学,石油精製など重化学工業の大工場が立地する。横浜港は鶴見川河口から根岸湾を経て八景島に及び,大埠頭が連なるとともに,湾岸の道路,鉄道,運河も整備されている。また,横浜駅東口から桜木町にかけての臨海部に,みなとみらい21地区を建設。市街地は海岸一帯から内陸に広がっている。関内には,官庁,会社などが集中。繁華街としては野毛町,伊勢佐木町,中華街,元町などが知られるが,1950年代後半から横浜駅西口の発達がめざましく,また 1970年代からは駅東口も急速に発展し,横浜駅周辺は市最大の繁華街を形成。関内は明治期の史跡があり,山手町は外国人居留地の雰囲気と港の展望に優れ,ともに観光客が多い。山下公園,港の見える丘公園,横浜ベイブリッジ,ランドマークタワー,三渓園,曹洞宗総本山総持寺などの名所がある。西部の丘陵地は鉄道で東京と直結されるため,宅地造成が盛んで,人口増加が著しい。鉄道網,道路網が充実している。面積 437.71km2。人口 377万7491︵2020︶。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報