20世紀日本人名事典 「武林無想庵」の解説
武林 無想庵
タケバヤシ ムソウアン
生年 明治13(1880)年2月23日
没年 昭和37(1962)年3月27日
出生地 北海道・札幌
本名 武林 盛一
旧姓(旧名) 武林 磐雄
学歴︹年︺ 東京帝国大学文科大学︹明治38年︺中退
経歴 東京帝大在学中﹁帝国文学﹂の編集委員となり、明治36年﹁神秘﹂を発表。38年、大学を中退し、京都新聞社につとめるが、放蕩、放浪を重ねる。その間、大正2年﹁サフォ﹂を、5年には﹁サニン﹂を翻訳刊行したりし、9年﹁ピルロニストのやうに﹂を発表。9年から11年までフランスを旅行し、11年﹁結婚礼讃﹂を、12年にエッセイ集﹁文明病患者﹂を刊行、共に代表作となる。12年から昭和9年迄、再度フランスに渡った。その間﹁﹃Cocu﹄のなげき﹂﹁飢渇信﹂などの作品を発表、またゾラの﹁巴里の胃袋﹂などを翻訳。8年に右眼を18年に左眼を失明するが、その間にもゾラの﹁大地﹂などを翻訳する。この他の主な作品に﹁性欲の触手﹂などがあり、また﹁むさうあん物語﹂や﹁盲目日記﹂などもある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報