出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1662年(寛文2)江戸・日本橋に開業の呉服店白木屋から近代的百貨店へと発展した老舗(しにせ)。1956年(昭和31)東京急行電鉄(現、東急)の経営に移り、東急百貨店日本橋店となった。1999年(平成11)1月に336年の歴史に幕を閉じる。創業者の大村彦太郎(1636―1689)は近江(おうみ)の人。17、18歳で京都へ上り材木商白木屋を開業、27歳で江戸へ出て、一代で呉服商として成功した人物と伝えられている。1886年(明治19)には、いち早く百貨店白木屋に洋服部を開設したり、当主の和吉郎(10代彦太郎。1869―1927)を洋行させ新知識を吸収し、1903年(明治36)には売場を陳列式に改めたりするなど、明治末から大正時代にかけて、百貨店として三越(みつこし)と並ぶ先駆的な経営を行った。1932年(昭和7)12月16日の本店火災は「白木屋の大火」として災害史上有名。
[森 真澄]
『白木屋編・刊『白木屋三百年史』(1957)』
出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報
…名は道慈,彦太郎は通称。京都で1652年(慶安5)に白木屋を開店,初めは材木を扱うが,62年(寛文2)に江戸日本橋に小間物店を設け,さらに呉服・木綿類を扱い,呉服問屋として大をなすに至った。主人の所在する本店は京都に置き,江戸店は近江など上方(かみがた)出身の奉公人によって運営させた。…
… 近世の商品のなかで大きい地位を占めた呉服は趣味性の強い商品であった関係もあって,蔵物・納屋物とは異なった多様な流通経路をたどった。西陣で織られた絹織物は,上仲買の手をへて下仲買(室町問屋)の手に渡り,それが消費地へ送られるのが原則的な形であったが,京都に本拠をおき,江戸へ進出して発展した大呉服商(越後屋,白木屋,大丸屋など)は,おおむね次のような形をとった。江戸に小売店を設け,そこで販売する呉服を京都で仕入れる際,室町問屋の手を通さず,西陣の地に設けた直営店を通したり,上仲買から直接購入したりした。…
※「白木屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
6/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新