日本大百科全書(ニッポニカ) 「石川」の意味・わかりやすい解説
石川(県)
いしかわ
自然
地形
気候
気候は日本海岸式気候で、降水量が多く、金沢で年平均2398.9(1981~2010)ミリメートル、とくに積雪を含む冬の降水量(1月269.6ミリメートル)の甚だしい点に特色がある。白山麓(ろく)は深雪地帯であり、能登半島では積雪は少ない。冬の日照不足にひきかえ、夏はむしろ太平洋岸より日照時間は多い。湿度の高いのも特色で、漆器、絹織物など伝統工業発達の一基盤をなしている。夏はむし暑いが、冬はさして寒くない。梅雨、台風などの影響は比較的少なく、春先のフェーン現象が特色である。
[矢ヶ崎孝雄]
歴史
先史・古代
中世
近世
近・現代
産業
農業
林業
水産業
鉱工業
開発
石川県は日本海側ではもっとも産業経済の発展した地域であり、民力も大都市に次いで高い。しかし、太平洋岸に比べては開発が後れており、そのレベルアップに努力してきた。交通面で北陸自動車道が建設され、能登有料道路も開通した。白山麓の深雪地もスキー場開発、手取川ダム建設に伴い、冬季も交通が確保されている。七尾港に次いで金沢港が1970年(昭和45)開かれ、小松空港とともに国際性をもっている。両白山地では手取川、大日(だいにち)、我谷(わがたに)、犀川などのダム建設が進み、上水道、工業用水、発電、洪水調節を図っている。水不足の能登では小規模の生活ダムの建設が進められている。丘陵地を開発し栗(くり)園、放牧場などができ、能登島に架橋もされた。また、工業団地ができ、原子力発電所も建設された。加賀、能登を通じ観光開発にも力が注がれている。2003年(平成15)能登半島北部、輪島市、穴水町、能登町の1市2町にまたがる木原(きはら)岳周辺に能登空港が開港した。
[矢ヶ崎孝雄]
交通
県下の交通は、1898年(明治31)北陸本線の金沢開通のころを契機にして、著しく変容した。すなわち、同年七尾鉄道会社線(現、JR七尾線)が七尾まで通じ、翌1899年七尾港も開港場となった。それまで県下には小港湾が多く、海運が交通上大きな役割を果たしたが、汽船の就航により多くは姿を消した。一方、私鉄が北陸本線から分岐して敷設されたが、高度経済成長期以後、その多くは廃止され、自動車交通の比重が高まってきた。北陸本線は複線電化され、能登地方では七尾線が輪島まで延伸され、途中の穴水からは能登線が建設されたが、国道の整備、北陸自動車道、能登有料道路(2013年無料化。のと里山海道)の建設などにより貨客を奪われ、能登線と七尾線の一部区間は、第三セクターのと鉄道となった。その後も利用客の減少は続き、2001年(平成13)穴水―輪島間が、2005年穴水―蛸島間が廃止された。2015年3月には北陸新幹線が金沢まで延伸され、県内にはじめて新幹線の駅ができた。しかし、北陸本線の金沢―直江津間は第三セクターに移管され、石川県部分はIRいしかわ鉄道となった。白山麓では白山白川郷ホワイトロードが岐阜県に通じ、福井県への国道も整備された。港湾は金沢港が貿易港として開港し(1970)、小松空港は東京、成田、新千歳、仙台、福岡、那覇に定期便が就航し、国際空港としてソウル、上海、台北、貨物便がアゼルバイジャン、ルクセンブルクとの定期便のほかチャーター便が発着している。能登半島北部には2003年能登空港が開港した。積雪による交通途絶からは解放されるようになった。
[矢ヶ崎孝雄]