蔵入地(読み)くらいりち

精選版 日本国語大辞典 「蔵入地」の意味・読み・例文・類語

くらいり‐ち【蔵入地】

 

(一)   (  ) 
(一)[](祿1695)
 

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改訂新版 世界大百科事典 「蔵入地」の意味・わかりやすい解説

蔵入地 (くらいりち)


700300400

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「蔵入地」の意味・わかりやすい解説

蔵入地
くらいりち


()()()200()16881704400173217451()

 

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「蔵入地」の意味・わかりやすい解説

蔵入地
くらいりち

 
 700 400 10050 ()   

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「蔵入地」の解説

蔵入地
くらいりち

戦国大名・織田氏・豊臣氏・江戸幕府・近世大名らの所領のうち,領主権力が直接支配し,年貢などを収納する直轄領。領主の蔵に直接年貢が収納されるためこの呼称がついた。これに対し,家臣などに与え,その支配を任せた土地を知行地という。豊臣政権では個別の大名領内を含め,全国の要地に蔵入地(太閤蔵入地)を設定。全国統一や朝鮮出兵のための兵粮米などにあてるとともに,全国支配の拠点とした。江戸幕府も全国に400万石以上の蔵入地(幕領)をもち,代官らを派遣して支配にあたった。個別大名領主もそれぞれ蔵入地をもっていたが,家臣へ配分した知行地とくらべて少ない場合が多かった。

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百科事典マイペディア 「蔵入地」の意味・わかりやすい解説

蔵入地【くらいりち】

御料所(ごりょうしょ),御蔵入,台所入とも。戦国〜江戸時代の領主の直轄領。江戸幕府の蔵入地は天領という。江戸中期の幕府領は約700万石,うち400万石余が蔵入地。

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旺文社日本史事典 三訂版 「蔵入地」の解説

蔵入地
くらいりち

江戸時代,将軍・大名の直轄地
御蔵入地・御蔵入領ともいう。将軍・大名の知行地である領地のうち,家臣に知行地として分与した給地を除いた部分をいう。

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世界大百科事典(旧版)内の蔵入地の言及

【太閤蔵入地】より

…その全貌は〈慶長三年蔵納目録〉によって概観できる。この統計によれば,山城以下35ヵ国に設置された蔵入地と諸国金銀山の運上および諸役運上金銀と地子から構成されていたが,蔵入地の総額は20万7519石余で,この蔵入高は江戸幕府初政のそれにほぼ見合うものといわれる。次に鉱山の運上は金3397枚余,銀7万9415枚余,諸役運上は金1002枚,銀1万3950枚という膨大なものであった。…

【天領】より

…江戸時代には御料所もしくは御領と呼んだ。1603年(慶長8)に開かれた江戸幕府は,徳川氏の蔵入地(くらいりち)を引き継いで直轄領を形成し,慶長(1596‐1615)末年には200万石程度であったが,諸大名の改易・転封を通じて拡大し,元禄(1688‐1704)末年には400万石を超えた。その後1744年(延享1)に461万石に達して江戸時代のピークを記録したが,やがて漸減に向かい1838年(天保9)には419万石であった。…

【村中入会】より




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※「蔵入地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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