(読み)ヒョウ

デジタル大辞泉 「評」の意味・読み・例文・類語

ひょう【評】[漢字項目]

 

5
1 
2 
 
 

 

[]  

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「評」の意味・読み・例文・類語

ひょうヒャウ【評】

 

(一)  
(二) 
(一)[](804)
(二)(祿1691)
(三)[]
(三) 
(一)[](652)
 

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「評」の意味・わかりやすい解説

評 (こおり)


65224917981943804︿6495︿75077011



評 (ひょう)

(こおり)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「評」の意味・わかりやすい解説

評(ひょう)
ひょう


76462()()689()701()6997()()()()645654()()662671

 

評(こおり)
こおり

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「評」の意味・わかりやすい解説

評【こおり】

 
()()649()50()()701
 

評【ひょう】

(こおり)

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「評」の意味・わかりやすい解説


こおり

7世紀後半の日本の地方行政単位の名称。古代大和国家では,行政単位として国造制がとられていたが,645年に行なわれたとされる大化改新の数年後,旧来の国造が支配していた領域を分割して,新たに評という行政単位を設けた。その役人を評造 (こおりのみやつこ。評督・助督) といい,徴税などの農民支配に当たった。 701 (大宝1) 年に成立した大宝令により,評は郡に,評造は郡司と改められた。評は郡よりも軍事的性格が強かったと考えられる。なお,評から郡への変更時期をめぐって,長く「郡評論争」が行なわれてきたが,相次いで発見された木簡調査の結果,701年以前のものが「評」を使い,それ以後のものが「郡」を使っているところから,一挙に解決を見た。なお,古代朝鮮でも軍営の置かれた地区を示す語として「評」の語が使われていた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「評」の解説


ひょう

「こおり」とも。大化以後,浄御原(きよみはら)令制までの地方組織。大化の改新での地方制度改革により,各地に派遣された地方官の下に設置された。改新の詔では郡(実際は評)に大・中・小の3等級を設定。評は朝鮮半島の地方制度を参考にしたとみられ,長官の地位には国造(くにのみやつこ)などの在地首長を任じた。大宝令の施行によって郡と改称された。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「評」の解説


こおり

大化の改新後から大宝令の施行までの地方組織
藤原京跡出土の木簡により,その存在が確認された。大宝令の施行によって郡と改称された。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のの言及

【評】より


652()()()249

【内評・外評】より


6712︿()5()

【郡】より


2(646)︿︿649(5)7︿701(1)︿

【郡司】より

…狭義には大領・少領のみをいい,この場合は郡領(こおりのみやつこ)といった。郡司制度は,孝徳朝に出現し持統朝には全国的に整備されたと思われる評(こおり)の制度を継承した郡制と同様,評督(長官),助督(次官)あるいは評造と呼ばれた評の官制を基礎に,701年(大宝1)の大宝令によって成立した。〈大化改新之詔〉(《日本書紀》大化2年1月条)第2条には,国司・郡司を置き,郡司は国造の中から選任せよとあるが,この記事の大半は大宝令の条文を用いて作文したもので,とりわけ郡司については文字どおりにはとうてい信頼できないことが明らかにされている。…

※「評」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

タコノキ


12m7cm()...


コトバンク for iPhone

コトバンク for Android