デジタル大辞泉
「詩学」の意味・読み・例文・類語
しがく【詩学】[書名]
レスの著作。現存のテキストは26章からなり、大部分は悲劇論が占める。模倣説︵ミメーシス︶から始まり、第6章で浄化説︵カタルシス︶を含む悲劇の定義が述べられ、第23章以下で叙事詩が論じられる。
川路柳虹による詩論。昭和10年︵1935︶刊。
し‐がく︻詩学︼
詩の本質・形式・種類および詩作技法などを研究する学問。詩論。ポエティックス。
[補説]書名別項。→詩学
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し‐がく【詩学】
(一)〘 名詞 〙
(二)① 詩を作ること。詩の作り方を学ぶこと。
(一)[初出の実例]﹁李攀龍の選集せし唐詩選、詩学において、字々千金、至極の宝にて候﹂(出典‥蛻巖先生答問書︵1751‐64か︶上)
(二)[その他の文献]︹鄭谷‐中年詩︺
(三)② 詩の本質、形式、技法などを考究する学問。ヨーロッパ文学史においては、アリストテレス、ホラティウス、ボワローなどの詩論が有名で、近代以前の文芸理論の底流を形づくった。︹百学連環︵1870‐71頃︶︺
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詩学 (しがく)
poetics
poetika[ロシア]
︿詩﹀あるいは︿詩﹀の創作にかかわる研究・分析・論考をさす言葉。ただしここでいうところの︿詩﹀とは,狭い意味でのいわゆる詩ばかりではなく︵このような比較的狭い範囲のものを扱う場合には,︿詩法﹀︿詩論﹀の用語もしばしば用いられる︶,文学一般,さらにロシア・フォルマリズムの登場以後の現代においては,まったく違う視座から,芸術全般,文化全般をも含むものとなっている。そのような意味での今日における詩学とは,文化の,あるいは文化の創生にかかわる構造,あるいは︿内在的論理﹀とでもいうべきものの解明の学になっているといってもよかろう。
ヨーロッパにはアリストテレス以来の詩学,文学上の創作論の伝統があったが,20世紀初めのロシアにおいて,直接的・具体的な影響関係はもたずに,文学作品を一つの言語世界としてとらえ,その言語︵表現︶のさまざまなレベルでの︿手法﹀と構造の統合的研究から作品を解明しようとする,フォルマリストたちの新しい視座からの︿詩的言語﹀あるいは言語の︿詩的機能﹀の研究が興った。
執筆者‥編集部
アリストテレス詩学の伝統
今日,一つの著作として伝わるアリストテレスの︽詩学︾︵原題はperi poiētikēs︵詩について︶︶は,当時アリストテレスがギリシア悲劇︵具体的には︽オイディプス王︾など︶やギリシア叙事詩︵具体的には︽イーリアス︾︽オデュッセイア︾など︶を念頭において,一種の文学論あるいは創作論を学徒らに講義していたものが,その講義の覚書,あるいは聴講者の筆注が残り,26章からなる一つの著作物となったものといわれる。内容的には,芸術の起源は人間の模倣本能だとするミメーシスの説や,有名なカタルシス︵浄化︶の論なども含まれる悲劇論,叙事詩論などであるが,なかでもその中心は悲劇論であった。このように︽詩学︾は,その扱う対象が韻文︵劇詩と詩︶に限られていたが,︿小説﹀という文学ジャンルが成立していなかった時代ゆえ,それは言いかえれば当時の︿文学﹀の全領域を扱っていたということもできる。このアリストテレス詩学は,以降,ローマのホラティウスの︽詩法Arspoetica︾などとともに,文学に関する省察の基本として,修辞学︵レトリック︶とともに長くヨーロッパ世界において行われることとなった。
詩学は初めアリストテレス詩学︵とくにカタルシスを中心とする悲劇論︶に対する注釈を中心として展開した。しかしルネサンス期になって,イタリアのカステルベトロら,さまざまな注釈を通じてではあるものの,それを当時の文学状況に合わせて文学理論を作りあげる者もあらわれるようになった。なかでも17世紀のフランスにおいては,アリストテレスの︽詩学︾の読み直しによる古典主義文学理論がドービニャック師らにより作りあげられ,同時代にJ.ラシーヌ,P.コルネイユらの劇作家が数多くの傑作悲劇を残した。ただし,この古典主義理論に体系的な理論書はあまりなく,J.シャプラン,N.ラパンら古典主義の理論家たちはおりに触れての省察という形で発言しているにすぎない。それを韻文で俗耳に入りやすく,啓蒙的な詩論書にしたのがN.ボアローの︽詩法Art poétique︾であった。これは︿理性と真実らしさ﹀の論を中核とし,一般的に受容されていたものを歯切れよく述べたものにすぎなかったが,18世紀以降古典主義の教本として,ドイツやイギリスの文学︵ポープら︶に影響を与えた。
18世紀のロマン主義文芸運動以降は,しだいに新しい創作論や近代的な文芸批評が起こり,直接的にアリストテレスに拠る詩学は衰えたものの,言うまでもなく,今日の文学・芸術を考える上で,アリストテレスの︽詩学︾自体に含まれていたさまざまな論は,その価値を失っていない。
執筆者‥福井 芳男
フォルマリズムに始まる詩学の発展
︿詩学﹀という言葉は,一般には詩の韻律・言語の分析や研究をいうが,構造主義の登場以後はとくにロシア・フォルマリズムに始まる詩,そして一般に文学テキストの構造的研究とその理論をさす。ロシア・フォルマリズム︵1910年代後半に発足︶は,世界の明視︵ビジョン︶の創造を芸術の目的とし,その方法は異化︵V.シクロフスキーによる。ロシア語ではオストラネーニエostranenie︶であるとした。これにより,詩的言語は自動化し無意識化した日常生活を支える日常言語を打破して世界の明視を回復する。作品は︿手法﹀の総計に帰せられ,︿何を﹀ではなく,︿いかに﹀が重視された。言葉︵フォルム︶は見慣れたものとなるとともに感じられなくなり世界も見えなくなる。そこで言葉を意外な文脈においたり新造語によって見慣れぬものにし,読者の知覚を覚醒させて世界が見えるようにするのである。このように芸術一般の原理である新奇・意外性の原理が追求され,リズム論,物語のプロット論,文学発展史など,文学・芸術現象すべてに一貫して適用された。この原理は文芸学者で作家のYu.N.トゥイニャーノフにより︿規範からの逸脱﹀として定式化され,文学発展の動態を規範化=忘却=活性化としてとらえる見通しが開かれていった。
日常言語が何かを伝達するのに対し,詩の言語は言語そのものを志向するという詩的機能の考えは芸術作品の自立の一般原理だが,これも言語学者R.ヤコブソンによって定式化された。彼は散文がメトニミー︵接近連合︶を,詩がメタファー︵類似連合︶を志向することを明らかにし,さらに両者が言語の二大原理をなし,文化のタイプにも関係あることを解明した。そのほか,S.エイゼンシテインはモンタージュ論により映画の詩学の道を切り開き,V.Ya.プロップは魔法昔話の一般構造式を定式化している。
M.M.バフチンはフォルマリズムのように異化の手法を絶対視せず,共創造・再創造の理論を提起した。彼は作品を形式的構造に還元せずに作者・主人公・読者の参加のもとに成立すると考えた。美的コミュニケーションとしての小説は伝統と同時代の諸社会的・美的コミュニケーション︵生活の言葉と他のもろもろの小説の言葉など︶から織り上げられる。詩の言葉がモノローグ的であるのに対し小説の言葉は本来的に対話的で,その起源には言葉を呪縛から解放し自由にするパロディ精神がある。その対話的な言葉は対象のみでなく他者をも志向し,︿他者の言葉﹀に浸透されている。小説の言葉は︿もの﹀ではなく,思想=意識=声なのであって,対話は単に言葉のやりとり,相互浸透ではなく,小説の対話的な言葉の源泉にはカーニバル的世界観があるとした。無礼講的祝祭カーニバルでは聖俗,貴賤,死生等の対立が一挙に止揚され,抑圧された人間性が解放される。人間に本来的なものであるこのカーニバル精神はカーニバルの消滅とともに小説の言葉のなかに入り込むが,主人公たちの声が溶けあわぬポリフォニーを形成するドストエフスキーの小説はその典型であった。テキストを生成として考え,同時的連関と歴史的発展の見通しにおいてとらえようとするバフチンのテキスト理論は,フォルマリズムのそれとともに現代詩学の基本概念を提供した。それらは引用,コラージュ,視点,声など多方面にわたり,その適用範囲は詩,散文のみならずレトリック,芸術,文化一般に及ぶものであった。
フォルマリズムの仕事は1920年代後半にはプラハ言語学派に受けつがれ,ここで構造詩学の展望が示された。芸術家の手法としての異化の概念は,ここで活性化︵アクトゥアリザシオンactualisation︶の概念に読みかえられる。日常言語が自動化を志向する︵それとして意識されないで用いられるようになる︶のに対し,詩的言語はその自立的価値のために活性化を志向する。この活性化は,規範からの逸脱と関係があり,文学史におけるあらゆるテキスト,同時代の文学のあらゆるテキストとの相関において決定されるのである。この新しい枠組みの中で,ヤコブソンの詩的機能は言語学者・美学者ヤン・ムカジョフスキーJan Mukařovský︵1891-1975︶の︿美的機能﹀に発展し,発話の機能モデルが検討され,民俗学者・記号論学者のP.ボガトゥイリョフは民衆芸術︵民衆演劇,民俗衣装︶の機能構造的研究を残した。
ナチス侵攻を前にしてヨーロッパから北アメリカに脱したヤコブソンは,第2次大戦後,情報理論やパース記号論の諸概念を導入して構造詩学の定式化を行う。︽言語学と詩学︾︵1960︶がそれで,この論文は戦後の構造詩学の出発点となったし,レビ・ストロースとの共同研究︽ボードレールの︿猫﹀︾の構造分析は︿無意識的なものの意識化﹀を目ざす構造主義の詩学の範となった。これより先,レビ・ストロースはプロップの︽魔法昔話の形態論︾やフォルマリズム詩学,プラハ言語学派の機能構造言語学の成果を踏まえてオイディプス神話の分析を行っているが,これはのちのC.ブレモン,A.グレマス,R.バルト,Ts.トドロフ,A.ダンダスらの物語構造論を生み出す端緒となった。
構造主義による文化の構造分析は文化批判を含むが,バルトの︽零︵ゼロ︶度のエクリチュール︾は時代の文体ともいうべきエクリチュールを批判的に分析し,︽神話作用︾も現代ヨーロッパ社会におけるブルジョア神話の︿自然さ﹀︿もっともらしさ﹀を打破,非神話化する企てであり,詩学が広く現代文化をもその射程におさめうることを示した。初期の構造分析はフォルマリズムの影響が強く,解釈学のP.リクールもその形式主義を批判して︿生きられたテキスト,言語﹀を強調したが,しだいに関心は構造分析から︿構造化﹀,テキスト分析へと移っていった。バルトの︽S/Z︾ではテキストの構造と現実の構造との動態的相関が分析されている。︿構造化﹀への関心を推し進めたのは,ブルガリアに生まれフランスで活躍するJ.クリステバで,彼女は何よりもバフチンの美学を中心にフロイト,ラカンの思想やF.deソシュールのアナグラム研究にもとづいて詩的言語理論を展開した。彼女はテキスト︵言語︶が諸テキスト︵諸言語︶から生み出されるというバフチンの考えをテキスト相互連関性の概念で再定式化し,シニフィアンス︵意味形成あるいは意味生成︶の過程を重視した。人間の意識は法,言語が支配する︿象徴界﹀と無意識的な︿記号界﹀からなるが,詩的言語のリズムは表層言語を解体することにより主体を象徴界から記号界に導き,あるいは記号界を象徴界に流入させ,こうして主体を文化の法や言語から解放するという。
ロシア・フォルマリズムの発祥地ソ連ではスターリンの死後,構造言語学が発足し,ついでモスクワ・タルトゥ学派を中心に文化記号論が発足した。この文化記号論の核として構造詩学を展開したのはYu.M.ロートマンで︵︽構造詩学講義︾︽芸術テキストの構造︾ほか︶,彼は構造言語学,情報理論,情報美学,一般記号論の諸概念によるロシア・フォルマリズムとバフチンの諸成果の読み直しを行った。日常言語も世界のモデルだが,その上に築かれる芸術言語は,より全体的で濃密な世界のモデルをなす第2次モデル形成体系である。この第2次モデル形成体系こそ文化記号論の研究対象たる文化テキストであり,彼は文化テキストとしての芸術テキストの構造の解明とともにさまざまな文化テキストのタイポロジー研究を行い,さらに文化テキストの総体としての文化の惰性化と活性化のメカニズムを明らかにした。
詩学はかつて構造言語学を生み出したが,現在でもそれは文化記号論の核であり,単なる詩,文学テキストの研究を超えて︿文化の詩学﹀となっている。
→記号
執筆者‥磯谷 孝
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詩学【しがく】
広義の〈詩〉に関する理論的考察の称。英語poetics(ポエティクス)などはすべてギリシア語に由来し,アリストテレスの《詩学》(原題《ポイエティケについて》)が源泉。同書は叙事詩や悲劇を言葉によるポイエシス(制作)の術ととらえ,その構造や目的を論じたもので,特にミメーシス(模倣・再現)とカタルシス(浄化)の説が知られる。より実践的な見地から詩作の技術と効用を説いたのが,ホラティウス《詩学Ars poetica》。弁論術の伝統とあいまって長く模範とされ,ことに17世紀フランスの古典主義演劇理論(ボアロー《詩法》が代表)への影響が大きい。20世紀には,文芸理論たることを超えて言語とテクスト一般,さらには文化そのものへと省察を深めるロシア・フォルマリズム以降の動向があり,記号論の核としての〈文化の詩学〉の対象はフォークロアや衣裳などにも拡大されている。
→関連項目三統一|悲劇
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詩学
しがく
poetics
詩 (文芸) の本質,形式,内容,種類,創作技法などについての理論的考察をいう。歴史的にはアリストテレスの『詩学』 Peri poiētikēsに始る。『詩学』はルネサンスに再発見され,当時すでに詩学の古典として認められていたホラチウスの『詩論』 Ars poeticaとともに,詩学の権威として認められるにいたり,その研究が進むにつれて影響範囲は広まって,単に詩学の領域だけにとどまらず広く西洋の芸術論一般に大きな影響を与えた。 17,18世紀の詩学はアリストテレス,ルネサンスの詩学の影響のもとに,古典主義詩学の立場に立った。 19世紀では,模倣説,技法論としての伝統的詩学に対する反省が行われ,詩作の根拠は規則,形式,技法にではなく,人間本性の創造的な力,想像力,天才,あるいは作品の歴史性,民族性に求められた。同時に「詩学」の意味内容も次第に変化を示し,詩学は狭義には韻律学 metricsに限定され,代って文芸批評,詩の哲学,美学などがその位置を占めたり,あるいは文芸学 Literaturwissenschaft,文学史の哲学が詩学に代る新しい学問として提唱された。しかし 19世紀末 W.ディルタイの詩学の試みをはじめ,20世紀においても詩学という名称のもとに詩,文芸の理論的考察を再興しようとする動きがある。たとえば文芸学の立場から新たに詩学の概念を検討する試みや,詩学を創作技法論として現代的に再生した P.バレリーの詩学がある。日本では詩学にあたるものとして歌論 (藤原定家『毎月抄』など) がある。 (→歌学 , 俳論 , 文芸学 , ポエティカ )
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普及版 字通
「詩学」の読み・字形・画数・意味
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