重源(読み)チョウゲン

デジタル大辞泉 「重源」の意味・読み・例文・類語

ちょうげん【重源】

 
11211206殿  

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精選版 日本国語大辞典 「重源」の意味・読み・例文・類語

ちょうげん【重源】

 

(一)
 

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「重源」の意味・わかりやすい解説

重源
ちょうげん
(1121―1206)


()()()11332()()()()()()()11672()西()()11811()()()()658611912()()()()()()()()西()()()()

 2017919

19652015195519711980   51983

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改訂新版 世界大百科事典 「重源」の意味・わかりやすい解説

重源 (ちょうげん)
生没年:1121-1206(保安2-建永1)


13117623804811884寿36851886901殿120331112334貿831203

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百科事典マイペディア 「重源」の意味・わかりやすい解説

重源【ちょうげん】

 
()()()()()1167()1168()10殿()
西  

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朝日日本歴史人物事典 「重源」の解説

重源

 
1.6.4(1206.7.11)
2(1121)
,,,,,34(1180)殿,1(1181)61,,,調,,1(1184),1(1185)殿,(),使,()6(1195)殿 殿,,,,3(1203)1(1206),,,,,,,,(),,,,7<参考文献>,  
()
 

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「重源」の意味・わかりやすい解説

重源
ちょうげん

 
[]2(1121)
[]1(1206).6.4.
 () 2 (1167) 2 (76) 3殿4 (80)  ()   

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「重源」の解説

重源
ちょうげん


11211206.6.5?

1167(2)380(4)85()95(6)殿1203(3)()()

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重源」の解説

重源 ちょうげん

 
11211206 -
()2()2(),西(-)()(),6殿6586()()  

重源 じゅうげん

ちょうげん

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旺文社日本史事典 三訂版 「重源」の解説

重源
ちょうげん

 
11211206

 () 11673'81 () '95殿  

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防府市歴史用語集 「重源」の解説

重源

 真言宗[しんごんしゅう]の僧で、61歳の時に焼け落ちた東大寺を再建する責任者になります。宋[そう]の国の技術者・陳和卿[ちんなけい]に協力してもらい、大仏や大仏殿などを再建しました。そののちの1206年、86歳で息をひきとります。

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世界大百科事典(旧版)内の重源の言及

【阿弥号】より


11︿使1183(寿2)

【阿弥陀寺】より

…1186年(文治2)後白河法皇により周防国は焼失した東大寺の造営料国に寄進された。造営責任者で周防国務をゆだねられた大勧進重源上人が,国衙領経営と造営用材伐採の拠点として国庁東方に設けた周防別所(南無阿弥陀寺)が同寺の前身である。堂宇が完成をみた97年(建久8)重源は鉄製多宝塔(国宝として現存)を鋳造し,同寺創建の由来を刻みこんだ。…

【大部荘】より


362(2)5寿90(1)

【鎌倉時代美術】より


[南都復興と鎌倉彫刻]
 1180年(治承4)平氏による南都の焼打ちはどちらかといえば偶発的なものであるが,東大寺と興福寺の二つの強大な古代寺院の壊滅は文化史上の大事件であり,その復興造営は鎌倉美術の歩みを急激に早めた感がある。まず東大寺でみれば,入宋三度を自称する勧進聖人重源の努力によって85年(文治1)大仏が復興されたが,その鋳造には宋人の仏工陳和卿(ちんなけい)の技術的参与がある。90年(建久1)に大仏殿が上棟,96年には大仏をめぐる脇侍や四天王などの巨大な木像群と同種の石像群がつくられた。…

【勧進帳】より


1181(1)殿︿

【参詣記・参宮記】より

…古いものとして,《東大寺衆徒参詣伊勢大神宮記》《熊野御幸(くまのごこう)記》などがあるが,伊勢参宮に関するものが中世,近世を通じて多い。《東大寺衆徒参詣伊勢大神宮記》は,1186年(文治2)4月俊乗坊重源が東大寺建立祈願のため,同寺の僧綱以下衆徒を率いて参宮,大般若経を転読供養した次第を,一行中の慶俊の記した書。《熊野御幸記》は藤原定家の《明月記》の一部で,1201年(建仁1)後鳥羽上皇の熊野御幸のときの記録で,別に途中の藤代王子,滝王子での和歌会の詠草をつけている。…

【浄土寺】より


鹿1190(1)

【周防国】より

…新たに鎌倉幕府から地頭に補任された者には,島末(しますえ)荘・安下(あげ)荘・屋代荘等の大江広元,久賀保・日前(ひくま)保・由良保の江所高信,小周防保・勝間村の内藤盛家,得善(とくぜん)保・末武保の筑前太郎家重,末武・久米方面の内藤盛経,三奈木守直,久米国真,仁保(にほ)荘の平子(たいらこ)重経,椹野(ふしの)荘の白松資綱などがある。いっぽう1186年(文治2)3月周防国は東大寺造営料国とされ,大勧進重源(ちようげん)に国務管理がゆだねられた。以後歴代の大勧進は名国司(みようこくし)と別に国司の任務をつとめ,国司上人と称せられた。…

【天竺様】より


()

【南無阿弥陀仏作善集】より

…鎌倉時代初期の東大寺再建に活躍した俊乗房重源(ちようげん)(南無阿弥陀仏)が,造寺・造仏・写経・法会遂行等にわたるみずからの作善活動の事跡を,備忘録風に書き上げたもの。本書は1203年(建仁3)造営料国備前国衙より東大寺に送付された散用状の紙背に,重源みずから墨書したもので,美術史,建築史にも重要な素材を提供する。…

【日本建築】より


殿

 ()

【播磨国】より


96(7)93

【文覚】より


()18()︿殿

※「重源」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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