西行(読み)サイギョウ

デジタル大辞泉 「西行」の意味・読み・例文・類語

さいぎょう〔サイギヤウ〕【西行】

 
11181190()()()()2394
西  

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精選版 日本国語大辞典 「西行」の意味・読み・例文・類語

さいぎょうサイギャウ【西行】

 

(一)[1]
(一)[  ] ()西()()()西()西()
(二)[  ] 西
(二)[2]   
(一) ( 西 ) 
(二) ( 西 ) ()祿1692
(三) ( 西()姿 ) ()
(一)[]()西西(1777)
(四) 西[  ]
(一)[]西(1811)
(五) 1933
 

せい‐こう‥カウ【西行】

  1. 〘 名詞 〙 西方に行くこと。東行西行の形で用いることが多い。
    1. [初出の実例]「東行西行雲眇眇、二月三月日遅遅」(出典:菅家後集(903頃)詠楽天北窓三友詩)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「西行」の意味・わかりやすい解説

西行
さいぎょう
(1118―1190)


()()()()()()()使()()()西()()()()()()1140623()()()()()
 ()()()()()()()()()()西()()()()()西()()()()()()()婿()()

 30()()()()30()1

 50()116669()()11722()11771()60()117781()11862()()()()()()()()()()()()()()()()6216()()()73()()94()()

 西()()()西()()()()西()()()



西1978西119828 西1985

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改訂新版 世界大百科事典 「西行」の意味・わかりやすい解説

西行 (さいぎょう)
生没年:1118-90(元永1-建久1)


9西西161811406234414955111683804862西881889︿901216731205294

 西調西西︿︿︿西1500西2000西西

 西西西西西西西西西姿西西西西西︿︿西西姿西西西

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百科事典マイペディア 「西行」の意味・わかりやすい解説

西行【さいぎょう】

 
()西1140235011866994()西西
西  

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朝日日本歴史人物事典 「西行」の解説

西行

没年:建久1.2.16(1190.3.23)
生年:元永1(1118)
平安末期の歌人。父は検非違使左衛門尉佐藤康清。母は監物源清経の娘。藤原秀郷の末裔に当たる。俗名,義清(憲清とも)。実家は相当に富裕だったようである。保延1(1135)年兵衛尉に任ぜられる。鳥羽院の下北面の武士で,徳大寺家の家人でもあり,待賢門院,崇徳院との縁も深かった。和歌のみならず,武芸,蹴鞠にも堪能であった。保延6年出家。法名,円位。遁世後は東山や嵯峨に草庵を結び,鞍馬,吉野大峰,熊野などの地で真言僧としての修行に励んだ。伊勢にも赴き,30歳代以前に陸奥を訪れてもいる。その後は主に高野山に拠ったが,都との往還もしばしばで,保元1(1156)年には鳥羽法皇の葬送に参り合わせ,保元の乱に敗れて仁和寺に籠った崇徳上皇のもとに馳せ参じてもいる。讃岐の崇徳上皇の配所にも歌を詠み送った。仁安2(1167)年もしくは3年には,弘法大師の遺跡巡拝と崇徳上皇の白峰陵参詣を目的とする中国・四国行に出立。晩年は伊勢に移住し,本地垂迹説に拠る神祇信仰を深めつつ,和歌を通じて内宮祠官荒木田氏の人々と交わった。文治2(1186)年再び奥州に下向。東大寺再建を目指す重源の依頼により平泉での砂金勧進を目的とする旅で,下向の途次鎌倉において源頼朝と面談したとも伝える。京都の歌壇とは比較的没交渉で,歌会,歌合に出詠した記録も乏しいが,寂然(藤原為業)など常磐家の人々および藤原俊成とは親しく,奥州再訪の直前には藤原定家・家隆,寂蓮らに『二見浦百首』を勧進。また『御裳濯河』『宮河』の2編の自歌合を編み,各々俊成,定家に加判を委嘱した。河内国弘川寺にて示寂。 家集に『山家集』『聞書集』『残集』『山家心中集』『西行上人集』があり,『西行上人談抄』はその歌論を伝える。『撰集抄』は西行に仮託した説話集で,『西行物語』とともに伝説的西行像の源泉を為す。『新古今集』入集第1位。花と月の歌人,旅と草庵の歌人として知られ,『後鳥羽院御口伝』では「生得の歌人」と評されるが,藤原定家などとは異なった位相においてではあるものの,王朝和歌の文学的伝統に自覚的に対峙し,自らの和歌の表現の在り方に心を砕く歌人でもあった。

(田仲洋己)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西行」の意味・わかりやすい解説

西行
さいぎょう

 
[]1(1118)
[]6(1190).2.16. 
 ()  () 23西2 () 西西  

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「西行」の解説

西行
さいぎょう


111890.2.16

()()()1140(6)2311894()西()()()

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西行」の解説

西行 さいぎょう

 
11181190 -,
(),23,(),()94()621673()()()
()  

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旺文社日本史事典 三訂版 「西行」の解説

西行
さいぎょう

 
111890

  () 231  

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「西行」の解説

西行
(通称)
さいぎょう

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
軍法富士見西行 など
初演
延享2.2(京・中村粂太郎座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

デジタル大辞泉プラス 「西行」の解説

西行

古典落語の演目のひとつ。「西行法師」とも。

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世界大百科事典(旧版)内の西行の言及

【木挽】より


(西)()

【佐藤氏】より


6西

【山家集】より

西行の家集。3巻。…

【撰集抄】より

…収録説話には仏教的なものが多いが,和歌,漢詩,芸能に関するものもある。本書は長いあいだ西行の著であると信ぜられ,享受されてきた。〈遁世者〉として,〈漂泊の歌人〉としての西行像の形成にはたした役割は大きい。…

【田仲荘】より

…田仲荘の預所佐藤仲清・能清父子が平家の威勢を背景に押領を企てたためであるが,彼らの行動は鎌倉幕府に支持されず,紛争は86年(文治2)をもって終息した。なお《尊卑分脈》の記述を信じれば,仲清の弟は歌人として著名な西行(さいぎよう)(俗名佐藤義清)である。鎌倉時代には田中氏を称する武士がおり,湯浅党の一員となっている。…

【御裳濯河歌合】より

…伊勢の内宮に奉納した西行の自歌合。成立は奥州から帰った1187年(文治3)ころか。…

※「西行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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