■友達が気付くといなくなってた
アラサー男、フリーターもどきをやってる増田だけど、これを書いてる深夜2時半過ぎに思った。あれ、俺って友達いないんじゃね?
友達も定義によるだろうけど、少なくとも俺にはラインを寄越してくるような知り合いがいなかったことにさっき気がついた。小さい頃からしぶとい奴だ、死にそうにないと当時の仲間内で言われていたけれど、それにしてもあんまりじゃねぇか。高校の頃まで繋がっていた当時の友達は、俺が大学受験に失敗して数年経った頃くらいから今にして思えば連絡がなくなった。肯定的に見れば、あいつらも実生活が忙しいのだろうと思える気持ちもあるけど、たまには連絡を寄越してくれたっていいじゃないか。俺はそこまで、一瞬も頭をかすらない存在なのか。俺はたまに掠める。だからたまにはこっちからラインをしたりしていた。けれど逆はない。それって、俺が取るに足らないと思われているってことだ。
あんまりじゃねぇか。そう毒付きたくもなる。あの時俺は神奈川で御三家と呼ばれる高校に通っていた。そこで得た友達も多くはなかったが、両手で足りるくらいはいた。なんなら部活を通じて後輩先輩とも繋がってた。でも今じゃ誰が何をやっているのか知らない。あっちは俺のことを落ちぶれた奴として見ているんだろう。俺は覚えている。前に、成人式の後の飲み会に高校時代の友達に誘われて行った飲みで、そう言えば今何してんのと訊かれて浪人してると答えた彼らの顔を。文章では表せないくらいの、本当にどう書けば良いんだって顔だった。それからなんとなく、ぎこちなく会話が進んでいったのを今思い出した。ああそうか。あそこで俺は篩に落とされたのか。友達の条件から。そりゃあそうだろうな。今、風の噂じゃああの時の同級生の中からGoogleに就職したり、プルデンシャルだったりの外資でやってるのも出てきてる。官僚として課長補佐になったのもいる。そんなのと比べられたら俺はただのフリーター。付き合う理由がないか。俺は進学校の彼らが選民思考に染まっているって言いたいんじゃない、ただ俺が彼らの常識から外れてしまったってだけのことを今更になって気付いた。遊びに行こうにも、話をしようにも、たぶん俺はもう話にもついていけない。ただそれだけの話なんだろう。俺は明日は夜シフトだから、こんな時間まで起きている。だけどあいつらは朝早いんだろうなぁ。それで今頃寝ているんだもんなぁ。そりゃあ生きている世界が違うよ。話が合うわけがない。そういや最近弟からも連絡がないのも気付いた。弟は既に所帯を持ってるからだろうなぁ。そりゃ忙しいよな。でもだからと言って、親父の死に目に合わせてくれなかったのはどうなのよ
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苦しくて苦しかった頃の大学の卒論を大事に暖めながら
自分は良くやった、良くやったんだよと
リタイアメントが過る頭で、2本の腕で自分を抱き締める。
中身のない空っぽな薄っぺらい論文を抱き締めて
既に崩れ落ちた心の破片を踏み締めて
何が刺さってるんだろう、誰がこんなもの放置してるんだろうと足裏を覗き込むと
キラキラと破片に過去が写り込んで、非常に眩しく血が流れているにも関わらずそのまま、抜けない。
誰も己の過去になど興味は持たないから
自分が抱えるしか無いのだと諦めながら
両の手は論文を抱えるので手一杯になっていて
両足はいつの間にか血だまりに沈んでいる。
向う岸には弟がニコニコと笑っていて半分苦しんでいて
清濁併せ呑んだ顔でこっちを睥睨している。
誤りだらけの兄弟の、親にさえ拒まれたこの醜い身体を
あいつはさも面倒そうに見てみぬ振りをしながら
お前は汚点だと言い聞かされる。
妙齢になっても子孫を残さず
ただ遊び呆けているような
寿命を切り崩して後悔に後悔を重ねているように見えるのだろう
Permalink | 記事への反応(0) | 02:28
ツイートシェア ■子連れで帰省するのがとてもしんどかった話
︻増田基本情報︼
30代男性、妻と子一人
関西出身、東京在住
2歳の息子が絶賛イヤイヤ期
︻何があったか︼
親戚のお祝い事があり家族で帰省してたんだけど、もう最初から嫌で仕方がなかったのが電車移動。
息子がとにかく動き回りたい、じっとしているのが嫌な時期で、泣く喚くは都内の電車移動で経験済みだったのと、平日朝の新幹線なんて、会社員が寝てたり仕事してたりで、子供の泣き声が悪目立ちするんだろうなと思ってた。
新幹線では案の定ギャーギャー騒がれてしまい、じゃあー少し歩くか、なんて通路からデッキまで歩いてみたりするも、今度は﹁席に戻りたい!﹂と主張が二転三転。お前は何がしたいんや。
通路の反対側でパソコンで仕事してる風のイカついおっちゃんから睨まれ、﹁すまん、けどしゃーないんや﹂と思いながら、精一杯のパフォーマンスで息子に対して﹁シーだよ!﹂﹁またデッキに行こっか?﹂とかやってた。
で、最寄りの新幹線駅に着いて這々の体で私鉄の特急に乗り換えたら、あら素敵。席がガラガラじゃないの。しかも他にも夏休みだかで家族連れもチラホラいるし、これはまあ、多少泣いてもなんとかなるんじゃない?みたいなことを夫婦で言ってたところ、ここで息子が一旦ご就寝。
寝よった!ええやん最高やん!このまま寝といてくれよ!とか言って、なるべく息子が寝やすい姿勢を探しながら我々夫婦も束の間の睡眠休息を取っていたものの、あっさり20分で息子起床。なんか寝足りなかったのか起きた瞬間から泣いてるし。つら。
﹁眠いならもう少し寝ててもいいんだよ?﹂とか﹁ほら、お外見て!お山が見えるねえ︵なんでもいいから琴線にふれろ!︶﹂みたいなことを言ってもダメ。
あーあ、みたいな感じで夫婦ともに放心状態になってるタイミングで、ちょうど車掌が席にきたので、特急券の確認かしらと思い切符を出そうとしたら、
﹁あのー…他のお客様もいらっしゃるので。難しいとは思うんですが、お子さんのお声を、まぁ難しいとは思うんですが、なんとかしていただければ…﹂
ガーンですよ。なんだろう、一瞬で
﹁まあーそうだよね、うるさいよね﹂
﹁いやけど、なんとかしようとしてたんだけどもできてないという過程を経て今があって﹂
﹁いやいやしかし、今この瞬間は”子供が泣いてるのに何もしてない親”感が出ちゃってた?﹂
﹁他の乗客からクレーム入ったか?あんまり人乗ってないけどとこから?﹂
みたいなのが頭の中を駆け巡って、
﹁あっ、子供の声を小さくすればいいんですよね?分かりました分かりました、小さくしますね!﹂
と、できもしないことを車掌に対して口走り、車掌が居なくなってなお泣き喚く子を抱きかかえてデッキに行くと、なんか席に残してきた嫁さんが泣いてるのがデッキからちらりと見える。ええ…そこで泣くんかい…。
嫁さんに後で聞くと、混乱してたらしい。同じく混乱はしてたけど、泣くなよマジで…。
ちょっと嫁さんに引きながら、結局特急に乗ってる間、1時間ずっとデッキで息子を抱っこ。
なんとなく車掌が憎くなり、くそーとか思ってたらその車掌がデッキまで来て﹁どうぞ!﹂と息子に電車のシールをくれる。こんなん好きやん子供って。憎しみすら持たせて貰えないというのか。
ちなみにその時に車掌に聞くと、乗客からのクレームは無かったらしい。本当か分からないけど。
多様性の世の中だし、子供の泣き声くらい許される時代になってきてるんじゃなかったっけ?
でも、子供の泣き声が嫌な人の気持ちも認められるべきもの、ってことになるのか?
じゃあ私のこの気持ちは、疲労はどうなるの!?
いや、そもそも大人の都合で子供を連れ回してるんだから自業自得だわ。
そんなこと言ってたら冠婚葬祭に出れないな…。
なんてデッキで考えながら、息子に対して﹁立派になれよ﹂とか我ながら唐突すぎる言葉を息子に投げかける。
子供へかかる労力は投資じゃないのは頭でわかってるはずなのに。疲労は人をダメにする。
Permalink | 記事への反応(5) | 02:19
ツイートシェア ■リメイクして欲しいのは「あの頃の挑戦する気持ち」なのであって、当時と同じことをもう一度やられてもそれは本当に大事なのものは失われたままなんだよね