「多摩丘陵」の版間の差分
{{半保護}} |
m 自治体とリンク追加 タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
(14人の利用者による、間の14版が非表示) | |||
1行目: | 1行目: | ||
{{半保護}} |
|||
{{山系 |
{{山系 |
||
|名称 = 多摩丘陵 |
|名称 = 多摩丘陵 |
||
|画像 = [[ファイル:画像 187.jpg|300px|多摩丘陵、[[小田急多摩線]][[黒川駅 (神奈川県)|黒川駅]]付近より(2005年5月5日撮影)]] |
|画像 = [[ファイル:多摩丘陵、小田急多摩線黒川駅付近 - 画像 187.jpg|300px|多摩丘陵、[[小田急多摩線]][[黒川駅 (神奈川県)|黒川駅]]付近より(2005年5月5日撮影)]] |
||
|画像キャプション = 多摩丘陵、[[小田急多摩線]][[黒川駅 (神奈川県)|黒川駅]]付近より(2005年5月5日撮影) |
|画像キャプション = 多摩丘陵、[[小田急多摩線]][[黒川駅 (神奈川県)|黒川駅]]付近より(2005年5月5日撮影) |
||
|所在地 = {{JPN}} [[東京都]]・[[神奈川県]] |
|所在地 = {{JPN}} [[東京都]]・[[神奈川県]] |
||
18行目: | 17行目: | ||
[[File:From chofu Mt.Fuji.jpg|thumb|[[調布市]]多摩川原橋より[[稲城市]]方向のニュータウン団地群]] |
[[File:From chofu Mt.Fuji.jpg|thumb|[[調布市]]多摩川原橋より[[稲城市]]方向のニュータウン団地群]] |
||
[[File:田園風景の中にそびえる多摩ニュータウン長峰団地150710.JPG|thumb|田園風景の中にそびえる多摩ニュータウンの団地群]] |
[[File:田園風景の中にそびえる多摩ニュータウン長峰団地150710.JPG|thumb|田園風景の中にそびえる多摩ニュータウンの団地群]] |
||
'''多摩丘陵'''︵たまきゅうりょう︶は、高尾山麓を西端とし、 |
'''多摩丘陵'''︵たまきゅうりょう︶は、[[高尾山]]麓([[八王子市]])を西端とし、[[日野市]]、[[多摩市]]、[[稲城市]]、[[町田市]]、[[川崎市]]、[[横浜市]]にかけて広がる[[丘陵]]<ref>1989年に東京都が自然環境の保全と活用を図ることを目的として策定した﹁みどりのフィンガープラン﹂による。</ref>であり、[[三浦丘陵|三浦]][[三浦丘陵|丘陵]]と地形的につながっている。<!--西は[[高尾山]]東麓から、南は[[円海山緑地]]、東は[[多摩川]]、北は[[浅川 (東京都)|浅川]]付近まで--><!--川崎丘陵は別。神奈川県地域内︵特に横浜市内︶は多摩丘陵の一部とされ独立した意味で'''川崎・横浜丘陵'''とも'''川崎・横浜台地'''とも'''川崎・横浜台'''呼ばれている。
|
||
独自 多摩丘陵は旧[[武蔵国]]にあるが、南側の旧[[相模国]]の[[三浦半島]]に位置する。ため、'''武相丘陵'''と呼ぶ人もいる。--> |
独自 多摩丘陵は旧[[武蔵国]]にあるが、南側の旧[[相模国]]の[[三浦半島]]に位置する。ため、'''武相丘陵'''と呼ぶ人もいる。--> |
||
== 概要 == |
== 概要 == |
||
この丘陵は、[[地質学]]的には砂層、[[泥岩]]層、砂礫層などからなる[[上総層群]]あるいは[[三浦層群]]と呼ばれる[[新生代]][[第三紀]]末から[[第四紀]][[更新世]]に形成された[[地層]]からなる。また北部は古[[相模川]]により堆積した御殿峠礫層に覆われている<ref>[http://www.kubota.co.jp/urban/pdf/23/pdf/23_2_3.pdf#search=%27%E5%A4%9A%E6%91%A9%E4%B8%98%E9%99%B5%20%E5%9C%B0%E8%B3%AA%27 多摩丘陵-上総層群とその堆積環境-]</ref>。東は多摩川低地を挟んで[[武蔵野台地]]に、西は境川付近で[[相模原台地]]に、北西は南高尾山稜、草戸山付近を挟んで[[関東山地]]に、北側は浅川を挟んで[[日野台地]]に接する。南側は[[東京湾]]に接している。最も高い場所は標高220メートル程度(八王子市南部)である<ref>[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%A4%9A%E6%91%A9%E4%B8%98%E9%99%B5/ 多摩丘陵(たまきゅうりょう) ]</ref>。 |
この丘陵は、[[地質学]]的には砂層、[[泥岩]]層、砂礫層などからなる[[上総層群]]あるいは[[三浦層群]]と呼ばれる[[新生代]][[第三紀]]末から[[第四紀]][[更新世]]に形成された[[地層]]からなる。また北部は古[[相模川]]により堆積した御殿峠礫層に覆われている<ref>[http://www.kubota.co.jp/urban/pdf/23/pdf/23_2_3.pdf#search=%27%E5%A4%9A%E6%91%A9%E4%B8%98%E9%99%B5%20%E5%9C%B0%E8%B3%AA%27 多摩丘陵-上総層群とその堆積環境-]</ref>。東は多摩川低地を挟んで[[武蔵野台地]]に、西は境川付近で[[相模原台地]]に、北西は南高尾山稜、草戸山付近を挟んで[[関東山地]]に、北側は浅川を挟んで[[日野台地]]に接する。南側は[[東京湾]]と三浦丘陵に接している。最も高い場所は標高220メートル程度(八王子市南部)である<ref>[http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%A4%9A%E6%91%A9%E4%B8%98%E9%99%B5/ 多摩丘陵(たまきゅうりょう) ]</ref>。 |
||
[[鶴見川]][[水系]]と[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]水系、および一部の[[多摩川]]水系([[平瀬川]]、[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]、[[浅川 (東京都)|浅川]]支流など)の水源の森であり、また大都市に近接する貴重な自然環境でもあり、日本[[固有種]]である[[トウキョウサンショウウオ]]をはじめ、様々な動植物が生息・自生している。 |
[[鶴見川]][[水系]]と[[境川 (東京都・神奈川県)|境川]]水系、および一部の[[多摩川]]水系([[平瀬川]]、[[三沢川 (多摩川水系)|三沢川]]、[[浅川 (東京都)|浅川]]支流など)の水源の森であり、また大都市に近接する貴重な自然環境でもあり、日本[[固有種]]である[[トウキョウサンショウウオ]]をはじめ、様々な動植物が生息・自生している。 |
||
28行目: | 27行目: | ||
[[縄文時代]]の[[遺跡]]が多くあり、古くから周辺の[[広葉樹]]林から木の実やきのこを採取するなど人々の営みと共にあったところであったことが窺える。[[弥生時代]]以降は、周辺の[[里山]]から堆肥を取り、谷戸︵谷地ともいう︶と呼ばれる小河川の流域で稲作や畑作を行う生活が[[昭和]]中期まで続けられた。
|
[[縄文時代]]の[[遺跡]]が多くあり、古くから周辺の[[広葉樹]]林から木の実やきのこを採取するなど人々の営みと共にあったところであったことが窺える。[[弥生時代]]以降は、周辺の[[里山]]から堆肥を取り、谷戸︵谷地ともいう︶と呼ばれる小河川の流域で稲作や畑作を行う生活が[[昭和]]中期まで続けられた。
|
||
武蔵国の[[国府]]のあった[[府中市 (東京都)|府中]]から観て﹁[[多摩郡]]︵多麻郡・多磨郡︶にある横<!--当時、東西を﹃横﹄、南北を﹃縦﹄と呼んでいた-->に長い山﹂の意で、かつては﹁'''多摩の横山'''﹂とも呼ばれ、[[中世]]に興った[[武蔵七党]]の一つである﹁[[横山党]]﹂、[[江戸時代]]の[[八王子市の歴史 |
武蔵国の[[国府]]のあった[[府中市 (東京都)|府中]]から観て﹁[[多摩郡]]︵多麻郡・多磨郡︶にある横<!--当時、東西を﹃横﹄、南北を﹃縦﹄と呼んでいた-->に長い山﹂の意で、かつては﹁'''多摩の横山'''﹂とも呼ばれ、[[中世]]に興った[[武蔵七党]]の一つである﹁[[横山党]]﹂、[[江戸時代]]の[[八王子市の歴史|八王子横山宿]]、旧[[南多摩郡]][[横山村 (東京都)|横山村]]、[[武蔵横山駅]]<!--、[[相模横山駅]]-->などの名称の由来ともなった。また[[万葉集]]にも﹁赤駒を山野︵やまの︶に放︵はか︶し捕りかにて多摩の横山徒歩︵かし︶ゆか遣らむ﹂︵東京都多摩市の南野の辺りが題材となっている︶と詠まれている。古代にはこの万葉集の歌に詠まれたように防人の通り道となっており、古代[[東海道]]や[[鎌倉街道]]がこの丘陵を貫いている。
|
||
[[1950年]](昭和25年)11月23日には八王子市南部・日野市・多摩市をまたがる丘陵地帯に多摩丘陵都立自然公園が設定された<ref name="gotokyo.org">[http://www.gotokyo.org/jp/kanko/other/spot/10488.html 多摩丘陵都立自然公園 - 東京観光財団]</ref>。しかし、[[東京]]都心部や[[横浜市]]中心部から近いため、[[1950年]]代から開発が進み著しく緑を減らしている。なかでも[[1960年]]、[[1970年]]代から開発が進められた[[多摩ニュータウン]]、[[港北ニュータウン]]の開発の影響は大きい。多摩ニュータウンには[[京王電鉄]][[京王相模原線|相模原線]]、[[小田急電鉄]][[小田急多摩線|多摩線]]が、また港北ニュータウンには[[横浜市営地下鉄3号線]]が開通した。また[[東急電鉄]][[東急田園都市線|田園都市線]]沿線は「[[多摩田園都市]]構想」により開発が進められ、他にも京王電鉄[[京王線]]・[[京王高尾線|高尾線]]・[[京王動物園線|動物園線]]、東急電鉄[[東急東横線|東横線]]、横浜高速鉄道(東急電鉄が運営)[[東急こどもの国線|こどもの国線]]、小田急電鉄[[小田急小田原線|小田原線]]・[[小田急江ノ島線|江ノ島線]]、[[多摩都市モノレール]]、[[横浜市営地下鉄4号線]]、[[相模鉄道]][[相鉄本線|本線]]・[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]、[[東日本旅客鉄道|JR]][[横浜線]]・[[南武線]]・[[東海道本線]]・[[根岸線]]などの鉄道がこの丘陵を通過する地点も開発が進められた。特にJR横浜線の開発部分は[[八王子ニュータウン]]、JR根岸線の開発部分は[[港南ニュータウン]]と呼ぶ。 |
[[1950年]](昭和25年)11月23日には八王子市南部・日野市・多摩市をまたがる丘陵地帯に多摩丘陵都立自然公園が設定された<ref name="gotokyo.org">[http://www.gotokyo.org/jp/kanko/other/spot/10488.html 多摩丘陵都立自然公園 - 東京観光財団]</ref>。しかし、[[東京]]都心部や[[横浜市]]中心部から近いため、[[1950年]]代から開発が進み著しく緑を減らしている。なかでも[[1960年]]、[[1970年]]代から開発が進められた[[多摩ニュータウン]]、[[港北ニュータウン]]の開発の影響は大きい。多摩ニュータウンには[[京王電鉄]][[京王相模原線|相模原線]]、[[小田急電鉄]][[小田急多摩線|多摩線]]が、また港北ニュータウンには[[横浜市営地下鉄3号線]]が開通した。また[[東急電鉄]][[東急田園都市線|田園都市線]]沿線は「[[多摩田園都市]]構想」により開発が進められ、他にも京王電鉄[[京王線]]・[[京王高尾線|高尾線]]・[[京王動物園線|動物園線]]、東急電鉄[[東急東横線|東横線]]、横浜高速鉄道(東急電鉄が運営)[[東急こどもの国線|こどもの国線]]、小田急電鉄[[小田急小田原線|小田原線]]・[[小田急江ノ島線|江ノ島線]]、[[多摩都市モノレール]]、[[横浜市営地下鉄4号線]]、[[相模鉄道]][[相鉄本線|本線]]・[[相鉄いずみ野線|いずみ野線]]、[[東日本旅客鉄道|JR]][[横浜線]]・[[南武線]]・[[東海道本線]]・[[根岸線]]などの鉄道がこの丘陵を通過する地点も開発が進められた。特にJR横浜線の開発部分は[[八王子ニュータウン]]、JR根岸線の開発部分は[[港南ニュータウン]]と呼ぶ。 |
||
69行目: | 68行目: | ||
*草戸山・[[大戸緑地|都立大戸緑地]] |
*草戸山・[[大戸緑地|都立大戸緑地]] |
||
*[[小山田緑地|東京都立小山田緑地]] |
*[[小山田緑地|東京都立小山田緑地]] |
||
*[[ |
*[[七国山]] |
||
**[[薬師池公園]] |
**[[薬師池公園]] |
||
**民権の森公園 |
**民権の森公園 |
||
98行目: | 97行目: | ||
**[[瀬上市民の森]] |
**[[瀬上市民の森]] |
||
**[[釜利谷市民の森]] |
**[[釜利谷市民の森]] |
||
<!-- |
|||
== 文献 == |
|||
* 多摩歴史散歩 1 八王子・南多摩丘陵 佐藤孝太郎 有峰書店 |
|||
* まちづくりとみどり 多摩ニュータウンの緑とオープンスペース 住宅・都市整備公団南多摩開発局 住宅・都市整備公団南多摩開発局 |
|||
* 多摩丘陵の原風景を求めて西部地区15・16住区緑地等基本設計報告書 昭和56年9月 東京都南多摩新都市開発本部 東京都南多摩新都市開発本部 |
|||
* 丘陵地の自然環境ーその特性と保全 松井健 他 古今書院 |
|||
* 南多摩文化財総合調査報告 第1分冊 東京都教育委員会 東京都教育委員会 |
|||
* 多摩中央公園 住宅・都市整備公団多摩開発局 住宅・都市整備公団多摩開発局 |
|||
* 狭山丘陵緑地群基本構想 報告書 昭和60年3月 プレック研究所 プレック研究所 |
|||
* 小山田緑地便所改築基本計画・設計 基本設計報告書 平成6年3月 セット設計事務所 東京都西部公園緑地事務所 |
|||
* 多摩丘陵北部系緑地群基本構想策定報告書 昭和62年3月 愛植物設計事務所 東京都建設局公園緑地部 |
|||
* 多摩丘陵北部系緑地群基本構想策定報告書(要約版) 昭和62年3月 愛植物設計事務所 東京都建設局公園緑地部 |
|||
* 都立多摩丘陵自然公園 概要 昭和28年2月 東京都 東京都 |
|||
* 都立多摩丘陵自然公園再検討基礎調査報告書 昭和54年1月 国立公園協会 他 東京都 |
|||
* タヌキの丘 森の新聞 12 小川智彦 フレーベル館 |
|||
* 多摩丘陵フットパス1 散策ガイドマップ 三輪/真光寺/黒川/小野路宿/小野路城/小山田 NPO法人みどりのゆび NPO法人みどりのゆび |
|||
* 多摩丘陵北部系緑地群基本構想策定 昭和62年3月 東京都建設局公園緑地部 |
|||
* 東京都立多摩丘陵自然公園学術調査報告書 平成元年3月 国立公園協会 東京都 |
|||
* 都立長沼公園とその隣接地の植物 多摩丘陵植物調査会 |
|||
* 多摩丘陵の緑地現状に関する植生学的考察 東京都立大学都市研究センター |
|||
* 趣味悠々 はじめての里山歩き 日本放送協会・日本放送出版協会 日本放送出版協会 |
|||
* 写真集 多摩ニュータウン今昔 大石武朗 多摩市文化振興財団 |
|||
* 探検しよう ぼくらのまちの多摩丘陵 NPO法人みどりのゆび NPO法人みどりのゆび |
|||
<!--2024/04/05除去 |
|||
大学は無関係 |
大学は無関係 |
||
== 多摩丘陵の大学 == |
== 多摩丘陵の大学 == |
||
多摩丘陵には、都心のキャンパスが手狭になった大学・短期大学などの移転が相次いだ。 |
多摩丘陵には、都心のキャンパスが手狭になった大学・短期大学などの移転が相次いだ。 |
||
'''東京都''' |
|||
*[[拓殖大学]]:八王子市 |
|||
*[[法政大学]]:八王子市・町田市 |
|||
*[[東京工科大学]]:八王子市 |
|||
*[[日本文化大学]]:八王子市 |
|||
*[[山野美容芸術短期大学]]:八王子市 |
|||
*[[東京造形大学]]:八王子市 |
|||
*[[東京薬科大学]]:八王子市 |
|||
*[[明星大学]]:日野市 |
|||
*[[多摩美術大学]]:八王子市 |
|||
*[[帝京大学]]:八王子市 |
|||
*[[中央大学]]:八王子市 |
|||
*[[首都大学東京]](旧称:[[東京都立大学]]):八王子市 |
|||
*[[ヤマザキ動物看護短期大学]]:八王子市 |
|||
*[[多摩大学]]:多摩市 |
|||
*[[大妻女子大学]]:多摩市 |
|||
*[[国士舘大学]]:町田市、多摩市 |
|||
*[[恵泉女学園大学]]:多摩市 |
|||
*[[東京医療学院大学]]:多摩市 |
|||
*[[駒沢女子大学]]:稲城市 |
|||
*[[東京家政学院大学]]:町田市 |
|||
*[[桜美林大学]]:町田市 |
|||
*[[和光大学]]:町田市 |
|||
*[[玉川大学]]:町田市 |
|||
*[[昭和薬科大学]]:町田市 |
|||
*[[鶴川女子短期大学]]:町田市 |
|||
'''神奈川県''' |
|||
*[[日本女子大学]]:川崎市[[多摩区]] |
|||
*[[田園調布学園大学]]:川崎市[[麻生区]] |
|||
*[[昭和音楽大学]]:川崎市麻生区 |
|||
*[[明治大学]]:川崎市多摩区 |
|||
*[[専修大学]]:川崎市多摩区 |
|||
*[[聖マリアンナ医科大学]]:川崎市[[宮前区]] |
|||
*[[桐蔭横浜大学]]:横浜市[[青葉区 (横浜市)|青葉区]] |
|||
*[[日本体育大学]]:横浜市青葉区 |
|||
*[[横浜美術短期大学]]:横浜市青葉区 |
|||
*[[カリタス女子短期大学]]:横浜市青葉区 |
|||
*[[横浜創英短期大学]]:横浜市[[緑区 (横浜市)|緑区]] |
|||
*[[東洋英和女学院大学]]:横浜市緑区 |
|||
*[[東京工業大学]]:横浜市緑区 |
|||
*[[昭和大学]]:横浜市緑区 |
|||
*[[國學院大學]]:横浜市青葉区 |
|||
*[[東京都市大学]](旧[[武蔵工業大学]]):横浜市[[都筑区]] |
|||
*[[洗足学園音楽大学]]:川崎市[[高津区]] |
|||
*[[慶應義塾大学]]:横浜市[[港北区]] |
|||
*[[横浜商科大学]]:横浜市[[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]、同市緑区 |
|||
*[[神奈川大学]]:横浜市[[神奈川区]] |
|||
*[[横浜国立大学]]:横浜市[[保土ケ谷区]] |
|||
*[[神奈川県立外語短期大学]]:横浜市[[磯子区]] |
|||
*[[フェリス女学院大学]]:横浜市[[泉区 (横浜市)|泉区]] |
|||
*[[明治学院大学]]:横浜市[[戸塚区]] |
|||
*[[横浜女子短期大学]]:横浜市[[港南区]] |
|||
*[[横浜薬科大学]]:横浜市戸塚区 |
|||
*[[関東学院大学]]:横浜市[[金沢区]] |
|||
--> |
--> |
||
164行目: | 132行目: | ||
{{Commonscat|Tamakyuryo}} |
{{Commonscat|Tamakyuryo}} |
||
* [[日本の丘陵一覧]] |
* [[日本の丘陵一覧]] |
||
* [[下末吉台地]] - 多摩丘陵の東に接する低い台地 |
|||
* [[多摩ニュータウン]] |
* [[多摩ニュータウン]] |
||
* [[多摩田園都市]] |
* [[多摩田園都市]] |
||
* [[武蔵陵墓地|多摩御陵]] |
|||
* [[みなみ野シティ|八王子ニュータウン]] |
* [[みなみ野シティ|八王子ニュータウン]] |
||
* [[平成狸合戦ぽんぽこ]] |
* [[平成狸合戦ぽんぽこ]] |
||
* [[アイドルマスター シャイニーカラーズ|アイドルマスターシャイニーカラーズ]] |
|||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
177行目: | 148行目: | ||
[[Category:東京都の地形]] |
[[Category:東京都の地形]] |
||
[[Category:神奈川県の地形]] |
[[Category:神奈川県の地形]] |
||
[[Category:多摩地域の地理]] |
|||
[[Category:多摩ニュータウン]] |
[[Category:多摩ニュータウン]] |
2024年6月10日 (月) 14:11時点における最新版
多摩丘陵 | |
---|---|
![]() | |
所在地 |
![]() |
位置 |
北緯35度36分0秒 東経139度23分0秒 / 北緯35.60000度 東経139.38333度座標: 北緯35度36分0秒 東経139度23分0秒 / 北緯35.60000度 東経139.38333度 |
![]() |
Clip
※左上、丹沢山の上の「地」は関東山地の南部にあたる。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/29/From_chofu_Mt.Fuji.jpg/220px-From_chofu_Mt.Fuji.jpg)
概要[編集]
この丘陵は、地質学的には砂層、泥岩層、砂礫層などからなる上総層群あるいは三浦層群と呼ばれる新生代第三紀末から第四紀更新世に形成された地層からなる。また北部は古相模川により堆積した御殿峠礫層に覆われている[2]。東は多摩川低地を挟んで武蔵野台地に、西は境川付近で相模原台地に、北西は南高尾山稜、草戸山付近を挟んで関東山地に、北側は浅川を挟んで日野台地に接する。南側は東京湾と三浦丘陵に接している。最も高い場所は標高220メートル程度︵八王子市南部︶である[3]。 鶴見川水系と境川水系、および一部の多摩川水系︵平瀬川、三沢川、浅川支流など︶の水源の森であり、また大都市に近接する貴重な自然環境でもあり、日本固有種であるトウキョウサンショウウオをはじめ、様々な動植物が生息・自生している。 縄文時代の遺跡が多くあり、古くから周辺の広葉樹林から木の実やきのこを採取するなど人々の営みと共にあったところであったことが窺える。弥生時代以降は、周辺の里山から堆肥を取り、谷戸︵谷地ともいう︶と呼ばれる小河川の流域で稲作や畑作を行う生活が昭和中期まで続けられた。 武蔵国の国府のあった府中から観て﹁多摩郡︵多麻郡・多磨郡︶にある横に長い山﹂の意で、かつては﹁多摩の横山﹂とも呼ばれ、中世に興った武蔵七党の一つである﹁横山党﹂、江戸時代の八王子横山宿、旧南多摩郡横山村、武蔵横山駅などの名称の由来ともなった。また万葉集にも﹁赤駒を山野︵やまの︶に放︵はか︶し捕りかにて多摩の横山徒歩︵かし︶ゆか遣らむ﹂︵東京都多摩市の南野の辺りが題材となっている︶と詠まれている。古代にはこの万葉集の歌に詠まれたように防人の通り道となっており、古代東海道や鎌倉街道がこの丘陵を貫いている。 1950年︵昭和25年︶11月23日には八王子市南部・日野市・多摩市をまたがる丘陵地帯に多摩丘陵都立自然公園が設定された[4]。しかし、東京都心部や横浜市中心部から近いため、1950年代から開発が進み著しく緑を減らしている。なかでも1960年、1970年代から開発が進められた多摩ニュータウン、港北ニュータウンの開発の影響は大きい。多摩ニュータウンには京王電鉄相模原線、小田急電鉄多摩線が、また港北ニュータウンには横浜市営地下鉄3号線が開通した。また東急電鉄田園都市線沿線は﹁多摩田園都市構想﹂により開発が進められ、他にも京王電鉄京王線・高尾線・動物園線、東急電鉄東横線、横浜高速鉄道︵東急電鉄が運営︶こどもの国線、小田急電鉄小田原線・江ノ島線、多摩都市モノレール、横浜市営地下鉄4号線、相模鉄道本線・いずみ野線、JR横浜線・南武線・東海道本線・根岸線などの鉄道がこの丘陵を通過する地点も開発が進められた。特にJR横浜線の開発部分は八王子ニュータウン、JR根岸線の開発部分は港南ニュータウンと呼ぶ。 映画﹃平成狸合戦ぽんぽこ﹄ではこの丘陵の開発が取り上げられ、また、映画﹃耳をすませば﹄ではこの丘陵が開発された住宅地︵聖蹟桜ヶ丘駅︶が舞台となっている。名称[編集]
多摩丘陵内の主な緑地・公園[編集]
東京都八王子市[編集]
●片倉城址公園 ●宇津貫緑地 ●下柚木公園 ●長池公園 ●蓮生寺緑地 ●東京都立多摩丘陵自然公園 ●長沼公園 ●平山城址公園東京都日野市[編集]
●多摩動物公園 ●百草園 ●金剛寺︵高幡不動︶ ●多摩テック︵閉園︶東京都多摩市[編集]
●東京都立多摩丘陵自然公園 ●桜ヶ丘公園︵聖蹟記念館︶ ●多摩中央公園東京都稲城市[編集]
●よみうりランド ●稲城中央公園 ●城山公園 ●稲城ふれあいの森︵小田良の里︶東京都町田市[編集]
●草戸山・都立大戸緑地 ●東京都立小山田緑地 ●七国山 ●薬師池公園 ●民権の森公園 ●忠生公園 ●野津田公園 ●かしの木山自然公園 ●こどもの国︵一部横浜市︶神奈川県川崎市[編集]
●早野聖地公園 ●生田緑地 ●向ヶ丘遊園︵閉園︶ ●東高根森林公園 ●緑ヶ丘霊園神奈川県横浜市[編集]
●こどもの国 ●寺家ふるさと村・寺家ふるさとの森 ●都筑中央公園 ●四季の森公園 ●よこはま動物園ズーラシア ●下永谷市民の森 ●こども自然公園 ●舞岡公園・舞岡ふるさとの森 ●円海山緑地 ●金沢自然公園 ●氷取沢市民の森 ●瀬上市民の森 ●釜利谷市民の森文献[編集]
●多摩歴史散歩 1 八王子・南多摩丘陵 佐藤孝太郎 有峰書店 ●まちづくりとみどり 多摩ニュータウンの緑とオープンスペース 住宅・都市整備公団南多摩開発局 住宅・都市整備公団南多摩開発局 ●多摩丘陵の原風景を求めて西部地区15・16住区緑地等基本設計報告書 昭和56年9月 東京都南多摩新都市開発本部 東京都南多摩新都市開発本部 ●丘陵地の自然環境ーその特性と保全 松井健 他 古今書院 ●南多摩文化財総合調査報告 第1分冊 東京都教育委員会 東京都教育委員会 ●多摩中央公園 住宅・都市整備公団多摩開発局 住宅・都市整備公団多摩開発局 ●狭山丘陵緑地群基本構想 報告書 昭和60年3月 プレック研究所 プレック研究所 ●小山田緑地便所改築基本計画・設計 基本設計報告書 平成6年3月 セット設計事務所 東京都西部公園緑地事務所 ●多摩丘陵北部系緑地群基本構想策定報告書 昭和62年3月 愛植物設計事務所 東京都建設局公園緑地部 ●多摩丘陵北部系緑地群基本構想策定報告書︵要約版︶ 昭和62年3月 愛植物設計事務所 東京都建設局公園緑地部 ●都立多摩丘陵自然公園 概要 昭和28年2月 東京都 東京都 ●都立多摩丘陵自然公園再検討基礎調査報告書 昭和54年1月 国立公園協会 他 東京都 ●タヌキの丘 森の新聞 12小川智彦 フレーベル館 ●多摩丘陵フットパス1 散策ガイドマップ 三輪/真光寺/黒川/小野路宿/小野路城/小山田 NPO法人みどりのゆび NPO法人みどりのゆび ●多摩丘陵北部系緑地群基本構想策定 昭和62年3月 東京都建設局公園緑地部 ●東京都立多摩丘陵自然公園学術調査報告書 平成元年3月 国立公園協会 東京都 ●都立長沼公園とその隣接地の植物 多摩丘陵植物調査会 ●多摩丘陵の緑地現状に関する植生学的考察 東京都立大学都市研究センター ●趣味悠々 はじめての里山歩き 日本放送協会・日本放送出版協会 日本放送出版協会 ●写真集 多摩ニュータウン今昔 大石武朗 多摩市文化振興財団 ●探検しよう ぼくらのまちの多摩丘陵 NPO法人みどりのゆび NPO法人みどりのゆび注[編集]
- ^ 1989年に東京都が自然環境の保全と活用を図ることを目的として策定した「みどりのフィンガープラン」による。
- ^ 多摩丘陵-上総層群とその堆積環境-
- ^ 多摩丘陵(たまきゅうりょう)
- ^ 多摩丘陵都立自然公園 - 東京観光財団
- ^ 武蔵府中郷土かるた
- ^ 多摩市 丘陵の道を「よこやまの道」