コンテンツにスキップ

「岡本一平」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 加筆修正
→‎来歴・人物: 加筆修正
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
25行目: 25行目:

[[津藩]]に仕えた[[儒学|儒学者]]、岡本安五郎の次男で[[書家]]の[[岡本良信|岡本可亭]](本名:良信、通称:竹二郎)と母・正の[[長男]]として[[北海道]][[函館市|函館区]]汐見町に生まれる。東京・大手町の[[日本大学第三中学・高等学校|商工中学校]]から[[東京芸術大学|東京美術学校]]西洋画科に進学し<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949954/18 『官報』第6621号、明治38年7月26日、p.1042]</ref>、[[藤島武二]]に師事する。この時美校の同級生、中井金三の仲介で[[岡本かの子|大貫カノ(岡本かの子)]]と知り合い、後に[[和田英作]]の媒酌で2人は[[結婚]]するが岡本家に受け入れられず、2人だけの新居を構えた。

[[津藩]]に仕えた[[儒学|儒学者]]、岡本安五郎の次男で[[書家]]の[[岡本良信|岡本可亭]](本名:良信、通称:竹二郎)と母・正の[[長男]]として[[北海道]][[函館市|函館区]]汐見町に生まれる。東京・大手町の[[日本大学第三中学・高等学校|商工中学校]]から[[東京芸術大学|東京美術学校]]西洋画科に進学し<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2949954/18 『官報』第6621号、明治38年7月26日、p.1042]</ref>、[[藤島武二]]に師事する。この時美校の同級生、中井金三の仲介で[[岡本かの子|大貫カノ(岡本かの子)]]と知り合い、後に[[和田英作]]の媒酌で2人は[[結婚]]するが岡本家に受け入れられず、2人だけの新居を構えた。




[[1910]]43西[[]]<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813197/91  43441911p.166]</ref>[[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[1912]][[]]<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940882/92  21913p.174]</ref>81稿[[]]<ref name="gunji">[[]]{{Harvnb|2|1984-05|p=624}}</ref>[[]][[]][[]][[]]

[[1910年]](明治43年)に東京美術学校西洋画撰科を[[卒業]]し<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/813197/91 『東京美術学校一覧 従明治43年至明治44年』東京美術学校、1911年、p.166]</ref>[[帝国劇場]]で[[舞台芸術]]の仕事に関わった後、[[夏目漱石]]から漫画の腕を買われ、当時[[朝日新聞]]に連載中の[[正宗白鳥]]の小説「生霊」挿絵を担当していた[[名取春仙]]の代筆を務めたのを機に、社会部長の[[渋川玄耳]]の口添えで[[1912年]]([[大正]]元年)に朝日新聞社に入社<ref>[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/940882/92 『東京美術学校一覧 従大正元年至大正2年』東京美術学校、1913年、p.174]</ref>、8月1日号に寄稿した[[こま絵]]『黒きリボンと愁たき顔』で漫画記者として同紙にデビューを果たす<ref name="gunji">[[郡司勝義]]「解題」({{Harvnb|補巻2・書簡|1984-05|p=624}})</ref>。




[[]][[]][[]][[]]

[[1922]]113[[]][[]][[]]7[[1929]]45[[]]155[[]][[]]12[[]]239



[[1922]]113[[]][[]][[]]7[[1929]]45[[]]155[[]][[]]12[[]]239

一平は[[1936年]](昭和11年)まで朝日新聞の漫画記者を勤め、その後はかの子とともに仏教の研究に打ち込むかたわら小説も手がけるようになり、『刀を抜いて』は[[映画]]化・[[舞台]]化が実現した{{refnest|group="注釈"|[[映画]]は1929年(昭和4年)から戦前に3度、戦後も[[1963年]](昭和38年)[[マキノ雅弘]]監督・[[坂本九]]主演で[[東映]]が配給。[[舞台]]については[[宝塚歌劇団]]が舞台化したものが著名。詳細は[[宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧#刀を抜いて|公演記録]]の項目を参照されたい。}}。



以後、一平は[[1936年]](昭和11年)まで朝日新聞の漫画記者を勤め、その後はかの子とともに仏教の研究に打ち込むかたわら小説も手がけるようになり、『刀を抜いて』は[[映画]]化・[[舞台]]化が実現した{{refnest|group="注釈"|[[映画]]は1929年(昭和4年)から戦前に3度、戦後も[[1963年]](昭和38年)[[マキノ雅弘]]監督・[[坂本九]]主演で[[東映]]が配給。[[舞台]]については[[宝塚歌劇団]]が舞台化したものが著名。詳細は[[宝塚歌劇団によって舞台化された作品の一覧#刀を抜いて|公演記録]]の項目を参照されたい。}}。

私生活では前述・大貫([[岡本かの子]])と美術学校卒業の1910年(明治43年)に結婚し、[[長男]]の[[岡本太郎|太郎]]ら3人(次男・長女は夭折)の子をもうけたが、自分の公認のもと子の[[不倫]]相手の医師を家族と同居させるという奇妙な夫婦生活を送る。それでも[[歌人]]・[[仏教]]研究家から[[小説家]]に転じたかの子を支え、画家を志望しパリに留学していた太郎を援助、1939年(昭和14年)2月のかの子の死まで変わらぬ夫婦生活を全うした。一平はかの子の死から14日後に追憶記の執筆をはじめ、のちに『かの子の記』として出版された。



[[]]191043[[]][[|]]3[[]][[]][[]]193914214


1941年(昭和16年)1月、山本八重子と再婚。太郎とは異母弟妹にあたる4人の子、いづみ(二女)・和光(三男)・おとは(三女)・みやこ(四女)を授かる。

1941年(昭和16年)1月、山本八重子と再婚。太郎とは異母弟妹にあたる4人の子、いづみ(二女)・和光(三男)・おとは(三女)・みやこ(四女)を授かる。




19453[[]][[ ()|]][[]][[]]<ref name="koenmura">{{cite web|url=http://www.nihonkoenmura.jp/theme3/takarabito02.htm|title=|work=[[]]|publisher=|accessdate=2015-12-19}}</ref>[[]]<ref name="koenmura" />1946[[]][[]]<ref name="otajuku">{{cite web|url=http://kaikan.ootajuku.net/institution/post-8.html|title= |publisher=[[宿]]|accessdate=2015-12-19}}</ref>[[宿]]<ref name="otajuku" />

19453[[]][[ ()|]][[]][[]]<ref name="koenmura">{{cite web|url=http://www.nihonkoenmura.jp/theme3/takarabito02.htm|title=|work=[[]]|publisher=|accessdate=2015-12-19}}</ref>[[]]<ref name="koenmura" />1946[[]][[]]<ref name="otajuku">{{cite web|url=http://kaikan.ootajuku.net/institution/post-8.html|title= |publisher=[[宿]]|accessdate=2015-12-19}}</ref>[[宿]]<ref name="otajuku" />


1948年(昭和23年)10月11日、遺作となった小説「一休迷悟」の執筆後に入浴、その直後に倒れ、[[脳内出血]]で死去<ref name="tobunken" />。享年62歳。

1948年(昭和23年)10月11日、遺作となった小説「一休迷悟」の執筆後に入浴、その直後に倒れ、[[脳内出血]]で死去<ref name="tobunken" />。享年62歳。


2020年12月16日 (水) 03:07時点における版

岡本 一平
生誕 1886年6月11日
日本の旗 日本北海道函館区汐見町
死没 (1948-10-11) 1948年10月11日(62歳没)
日本の旗 日本岐阜県加茂郡[1]
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
作詞家
小説家
活動期間 1912年 - 1948年
ジャンル 漫画漫文
代表作 刀を抜いて(小説)
テンプレートを表示

  188619611 - 1948231011

[2]


西[3]22

191043西[4]1912[5]81稿[6]



1922113719294515512239

193611[ 1]

1910433193914214

19411614

19453[7][7]1946[8]宿[8]

1948231011[1]62


宿1923128[9][6]6.2[10][6][11][6]

19294

1940

[12]



















1911  

1914 

 1914 

1915 

 1916 

 1919 

1921 

1921 

1921 

 1922 

1922 

1922 

1924 

1924 

1924 

1924 

1925 

1925  

1925 

1926  

19263  

1926 

 1927 

1928 

1928  [1]

15 19291930  199020

1929 

 1929 

 1930 

1930  [2]

1931 

 1931 

1931 

1931 

 1931 

1932 

1933 

1942 


1979

1994

20165  

注釈



(一)^ 192943196338

出典



(一)^ ab.  . 20151219

(二)^   (PDF).   (2013116). 20161028

(三)^ 662138726p.1042

(四)^  43441911p.166

(五)^  21913p.174

(六)^ abcd2 & 1984-05, p. 624

(七)^ ab. .  . 20151219

(八)^ ab .  宿. 20151219

(九)^  & 1969-03, pp. 500508

(十)^ 154272 & 1984-05, pp. 313317

(11)^ PR 196211171 1198110 & 2011-08

(12)^  19973pp.16-27ISBN 978-4061759916 


1928  [3]

1930  [4]

 1996 

 1999 

20118ISBN 978-4101001050  19713119896

 219845ISBN 978-4106438370 

1995 

 ︿19693ASIN B000J98M2K  19731

 ISBN 978-4-0872111912020417