「川崎武装メーデー事件」の版間の差分
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{{Infobox 事件・事故 |
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⚫ | '''川崎武装メーデー事件'''(かわさきぶそう |
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|名称=川崎武装メーデー事件 |
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|日付=[[1930年]](昭和5年)[[5月1日]] |
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|概要=日本共産党による暴動 |
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|負傷=警察官3人 |
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|対処=8人を逮捕 |
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}}{{出典の明記| date = 2022年11月}} |
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⚫ | '''川崎武装メーデー事件'''(かわさきぶそうメーデーじけん)は、[[1930年]](昭和5年)[[5月1日]]に[[神奈川県]][[川崎市]]で発生した[[日本共産党]]による[[暴動|暴力デモ]]事件。 |
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==事件の発端== |
== 事件の発端 == |
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当時の共産党は﹁武装共産党﹂の時代であり、日本各地で警察を標的としたテロを繰り返していた。そして1930年5月1日の[[メーデー]]に乗じた暴動計画を[[警視庁 (内務省)|警視庁]]はいち早く察知し、メーデー当日の早朝に共産党本部を急襲し、竹槍などの武器を押収した。
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当時の共産党は[[田中清玄]]委員長を中心とする﹁[[武装共産党]]﹂の時代であり、日本各地で警察を標的とした[[テロリズム|テロ]]を繰り返していた。そして1930年5月1日の[[メーデー]]に乗じた暴動計画を[[警視庁 (内務省)|警視庁]]はいち早く察知し、メーデー当日の早朝に共産党本部を急襲し、竹槍などの武器を押収した。
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[[神奈川県警察部]]も、神奈川県下の共産党が暴動を企てているとの情報がもたらされ、警戒を強めていた。 |
[[神奈川県警察部]]も、神奈川県下の共産党が暴動を企てているとの情報がもたらされ、警戒を強めていた。 |
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==事件の概要== |
== 事件の概要 == |
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1930年の神奈川県のメーデー会場は、川崎稲毛神社の境内であった。 |
1930年の神奈川県のメーデー会場は、[[稲毛神社|川崎稲毛神社]]の境内であった。 |
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9時55分、メーデー実行委員会の副委員長が開会宣言を行おうとしたところ、﹁日本共産党日本共産青年同盟﹂と大書した旗を掲げ、竹槍や拳銃で武装した集団が乱入した。警察はこれを阻止しようとし大乱闘になった。その際、共産党側は拳銃を発砲し、警察官を負傷させた。また、メーデー実行委員会のメンバーたちにも刺傷させた。約20分後、警察の応援部隊も到着し犯人8人を逮捕した。
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9時55分、メーデー実行委員会の副委員長が開会宣言を行おうとしたところ、﹁日本共産党日本共産青年同盟﹂と大書した旗を掲げ、竹槍や拳銃で武装した集団が乱入した。警察はこれを阻止しようとし大乱闘になった。その際、共産党側は拳銃を発砲し、[[日本の警察官|警察官]]を負傷させた。また、メーデー実行委員会のメンバーたちにも刺傷させた。約20分後、警察の応援部隊も到着し犯人8人を逮捕した。
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メーデーの大会そのものは協議の結果、参加者全員に対する身体検査の実施と引き換えに14時から再開された。 |
メーデーの大会そのものは協議の結果、参加者全員に対する身体検査の実施と引き換えに14時から再開された。 |
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この事件で負傷した警察官3人は、翌年の1931年4月29日に功労賞等が授与された。 |
この事件で負傷した警察官3人には、翌年の1931年4月29日に功労賞等が授与された。 |
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なお、この一件については、事件直後から共産党内でも批判の声があがり、1930年の[[赤色労働組合インターナショナル|プロフィンテルン]]の国際大会でも批判の対象となった。
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2024年5月15日 (水) 05:23時点における最新版
川崎武装メーデー事件 | |
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日付 | 1930年(昭和5年)5月1日 |
概要 | 日本共産党による暴動 |
負傷者 | 警察官3人 |
犯人 | 日本共産党 |
対処 | 8人を逮捕 |
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事件の発端[編集]
当時の共産党は田中清玄委員長を中心とする﹁武装共産党﹂の時代であり、日本各地で警察を標的としたテロを繰り返していた。そして1930年5月1日のメーデーに乗じた暴動計画を警視庁はいち早く察知し、メーデー当日の早朝に共産党本部を急襲し、竹槍などの武器を押収した。 神奈川県警察部も、神奈川県下の共産党が暴動を企てているとの情報がもたらされ、警戒を強めていた。事件の概要[編集]
1930年の神奈川県のメーデー会場は、川崎稲毛神社の境内であった。 9時55分、メーデー実行委員会の副委員長が開会宣言を行おうとしたところ、﹁日本共産党日本共産青年同盟﹂と大書した旗を掲げ、竹槍や拳銃で武装した集団が乱入した。警察はこれを阻止しようとし大乱闘になった。その際、共産党側は拳銃を発砲し、警察官を負傷させた。また、メーデー実行委員会のメンバーたちにも刺傷させた。約20分後、警察の応援部隊も到着し犯人8人を逮捕した。 メーデーの大会そのものは協議の結果、参加者全員に対する身体検査の実施と引き換えに14時から再開された。 この事件で負傷した警察官3人には、翌年の1931年4月29日に功労賞等が授与された。 なお、この一件については、事件直後から共産党内でも批判の声があがり、1930年のプロフィンテルンの国際大会でも批判の対象となった。参考文献[編集]
- 神奈川県警察史編さん委員会編 『神奈川県警察史 中巻』神奈川県警察本部、1972年