逸見重雄
逸見 重雄︵へんみ しげお、1899年 - 1977年10月16日︶は、日本の社会運動家、経済学者。法政大学名誉教授。
戦前の非合法政党時代最末期の日本共産党︵第二次共産党︶中央委員であったが、獄中で転向した。戦後は中央労働学園大学、法政大学にて教鞭を執った。
略歴[編集]
●北海道出身。戦前[編集]
●1923年4月‥東京帝国大学経済学部に入学。 ●1925年4月‥2年次修了後京都帝国大学経済学部へ転学。 ●岩田義道と社会科学研究会を結成。 ●1926年1月27日‥治安維持法違反などの容疑で岩田らと共に検挙され︵京都学連事件︶、中退。 ●1933年5月3日‥日本共産党中央委員、党中央財政部長︵野呂栄太郎委員長の秘書的役割にも携わる︶。 ●同年10月‥日本共産党組織部長︵財政部長の後任は小畑達夫︶。 ●同年12月23日‥日本共産党スパイ査問事件。 ●1934年2月27日‥検挙される。 ●同年6月頃に獄中で転向[1]、その後保釈。太平洋協会などで仏領インドシナの研究に従事。 ●1943年‥再び収監される。 ●1945年2月‥病気が悪化したため刑執行が停止され出獄。戦後[編集]
●中央労働学園大学教授に就任。 ●1951年‥中央労働学園大学の法政大学への吸収合併︵法政大学社会学部への改組︶に伴い、同教授に就任。 ●のち社会学部長、名誉教授。 ●1977年10月16日‥死去。著作[編集]
●﹃佛領印度支那研究﹄日本評論社、1941年 ●﹃佛印の經濟資源﹄︵南方經濟資源總攬・第4巻︶日本經國社、1943年 ●﹃帝国主義と民族民主革命 - ベトナム問題を中心として﹄法政大学出版局、1965年 ●﹃道標﹄逸見先生を囲む会︵編︶、1969年 ●逸見重雄﹁河上肇と学連事件﹂﹃東京河上会会報﹄第38号, 1975年5月 ●﹃逸見重雄追悼集﹄非売品,1978年脚注[編集]
- ^ 逸見重雄、病母を思い転向『東京朝日新聞』昭和9年6月19日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p544 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)