「川崎武装メーデー事件」の版間の差分
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2009年5月9日 (土) 17:30時点における版
川崎武装メーデー事件︵かわさきぶそうめーでーじけん︶は、1930年︵昭和5年︶5月1日に神奈川県川崎市で発生した、日本共産党による暴力デモ事件。
事件の発端
当時の共産党は田中清玄委員長を中心とする﹁武装共産党﹂の時代であり、日本各地で警察を標的としたテロを繰り返していた。そして1930年5月1日のメーデーに乗じた暴動計画を警視庁はいち早く察知し、メーデー当日の早朝に共産党本部を急襲し、竹槍などの武器を押収した。 神奈川県警察部も、神奈川県下の共産党が暴動を企てているとの情報がもたらされ、警戒を強めていた。事件の概要
1930年の神奈川県のメーデー会場は、川崎稲毛神社の境内であった。 9時55分、メーデー実行委員会の副委員長が開会宣言を行おうとしたところ、﹁日本共産党日本共産青年同盟﹂と大書した旗を掲げ、竹槍や拳銃で武装した集団が乱入した。警察はこれを阻止しようとし大乱闘になった。その際、共産党側は拳銃を発砲し、警察官を負傷させた。また、メーデー実行委員会のメンバーたちにも刺傷させた。約20分後、警察の応援部隊も到着し犯人8人を逮捕した。 メーデーの大会そのものは協議の結果、参加者全員に対する身体検査の実施と引き換えに14時から再開された。 この事件で負傷した警察官3人は、翌年の1931年4月29日に功労賞等が授与された。 なお、この一件については、事件直後から共産党内でも批判の声があがり、1930年のプロフィンテルンの国際大会でも批判の対象となった。参考文献
- 神奈川県警察史編さん委員会編 『神奈川県警察史 中巻』神奈川県警察本部、1972年