上郷町 (長野県)
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かみさとまち 上郷町 | |||||
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廃止日 | 1993年7月1日 | ||||
廃止理由 |
編入合併 上郷町 → 飯田市 | ||||
現在の自治体 | 飯田市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 長野県 | ||||
郡 | 下伊那郡 | ||||
市町村コード | 20405-6 | ||||
面積 | 26.4 km2. | ||||
総人口 |
14,636人 (国勢調査、1990年) | ||||
隣接自治体 | 飯田市、高森町、喬木村 | ||||
上郷町役場 | |||||
所在地 |
〒395 長野県下伊那郡上郷町大字飯沼3145番地 | ||||
座標 | 北緯35度31分04秒 東経137度50分39秒 / 北緯35.51769度 東経137.84403度座標: 北緯35度31分04秒 東経137度50分39秒 / 北緯35.51769度 東経137.84403度 | ||||
特記事項 | 面積の出典[1] | ||||
ウィキプロジェクト |
上郷町︵かみさとまち︶は、長野県下伊那郡にあった町。
飯田市とその飛地である旧座光寺村域に挟まれていた[2]が、合併により飛地状態が解消された。
本項では町制前の名称である上郷村︵かみさとむら︶についても述べる。
地理[編集]
飯田盆地の北西部を占め、木曽山脈︵中央アルプス︶に連なる野底山がそびえる[1]。町の中心部の標高はおよそ500 mである[1]。 ●川 - 天竜川、野底川 第二次世界大戦前の上郷村は養蚕・織物・染物を中心とする農村であった[1]。戦後の上郷町は飯田市と市街地が連続し、商工業地化・住宅地化が著しく、﹁飯田のベッドタウン﹂と称された[2]。飯田市との結びつきが強く、昭和の大合併の際に合併が検討されたが、1955年︵昭和30年︶当時の上郷村は8,138人と合併後の自治体規模として示された8,000人を超えていたこと、財政上の問題がなかったこと、地方自治の希薄化が懸念されたことから合併を見送った[3]。歴史[編集]
●1875年︵明治8年︶1月23日 - 筑摩県伊那郡上黒田村・座光寺村・下黒田村・飯沼村・別府村・南条村が合併して上郷村︵第1次︶となる。 ●1876年︵明治9年︶8月21日 - 上郷村が長野県の所属となる。 ●1879年︵明治12年︶1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、上郷村が下伊那郡の所属となる。 ●1881年︵明治14年︶9月2日 - 上郷村が分割して黒田村・座光寺村・飯沼村・別府村となる︵座光寺村は後に単独で自治体を形成︶。 ●1889年︵明治22年︶4月1日 - 町村制の施行により、飯沼村・黒田村・別府村の区域をもって上郷村︵第2次︶が発足。 ●1956年︵昭和31年︶9月30日 - 座光寺村が飯田市と飛地合併したことにより、同市とその飛地に挟まれる。これを地元では﹁ドーナツ合併﹂と呼んだ[2]。 ●1959年︵昭和34年︶5月29日 - 上郷村花火工場爆発事故が発生。家屋の全半壊多数[4]。 ●1970年︵昭和45年︶4月1日 - 上郷村が町制施行して上郷町となる。 ●1993年︵平成5年︶7月1日 - 飯田市に編入。同日上郷町廃止。村名の由来[編集]
城下町・飯田の上︵北︶にある郷︵村︶という意味である[2]。この地域は江戸時代から上郷︵かみごう︶と呼ばれてきたが、1875年︵明治8年︶に合併した際に読みを﹁かみさと﹂に変更した[2]。町村長[編集]
- 村長
地域[編集]
教育[編集]
- 上郷町立上郷小学校
- 上郷町・飯田市中学校組合立高陵中学校
- 長野県飯田高等学校
- 長野県飯田風越高等学校
- 飯田女子高等学校
- 町立上郷図書館
交通[編集]
鉄道[編集]
道路[編集]
出身者[編集]
- 宮脇倫 - 警察官僚、埼玉県知事