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出典[1]
●1959年︵昭和34年︶
●4月 - 創設。
●5月13日 - 開校祝賀式挙行。
●1961年︵昭和36年︶4月5日 - 校歌制定。
●1962年︵昭和37年︶9月30日 - 五輪山工事施工。
●1971年︵昭和46年︶3月13日 - 体育館落成。
●1974年︵昭和49年︶3月25日 - 観察池造設。
●1979年︵昭和54年︶11月11日 - 開校20周年記念祝賀式挙行。
●1989年︵平成元年︶1月28日 - 開校30周年記念式典挙行。
●1992年︵平成4年︶3月11日 - 五輪山北隣りに理科園造成。
●1997年︵平成9年︶
●3月26日 - 校舎改築第1期工事完成。
●4月11日 - 自校給食開始。
●1998年︵平成10年︶
●3月31日 - 校舎改築第2期工事完成。
●5月12日 - 開校40周年記念式典挙行。
●2004年︵平成16年︶12月13日 - ほうかごところスタート。
●2008年︵平成20年︶5月9日 - 開校50周年記念式典挙行。
●2012年︵平成24年︶8月31日 - 体育館の耐震化。
●2015年︵平成27︶4月1日 - 新たな3学期制スタート。
●2018年︵平成30年︶
●1月17日 - 五輪山改修。
●5月12日 - 開校60周年記念行事﹃北小学校60歳の誕生日会﹄開催。
●2020年︵令和2年︶3月 - 空調設備設置工事完了。
●2021年︵令和3年︶11月 - 校舎東側のトイレ改修工事完了。
●2022年︵令和4年︶12月 - 体育館床改修工事完了。
学校教育目標[編集]
●﹁なぜだろう(知) これでよいのか(情) さあやるぞ(意) ﹂
開校当初は本校舎が鉄筋三階建て[2]、図書館・職員室は平屋の別棟だった。理科室・音楽室などは後に追加で棟が建てられている。暖房は当初、石炭ストーブ︵一部練炭︶であった。
1990年代の改築工事で校舎が新築され、鉄筋四階建て︵一部三階建て︶となり、職員室や図書室も本校舎内へと収納された。
体育館[編集]
三階建てだが、演壇・放送室を除いて吹き抜け構造。壁沿いにキャットウォークがある。1974年に落成した。
プール[編集]
25メートルプール。更衣室とシャワー設備付き。
正面校門の真横にあって、松林に囲まれている。鯉と金魚が生息。
2020年現在は、理科委員会が管理している。
五輪山[編集]
すべり台や土管を埋めた隧道など、児童遊具を兼ねた小高い築山。1964年の東京オリンピックに先駆けて建設されたためか、頂上にあるリングトンネルに五輪のオリンピックマークがあしらわれており、これによって五輪山と称されている。
東側に正門。北側に裏門があり、以前は給食センターからの輸送車の出入りに使用されていた。かつて中央公園側へ通じる新所沢公民館と新所沢保育園︵移転して現存せず︶の間に道があって、校庭側の出入り口として南門が存在したが、新所沢まちづくりセンターの開設によって道がなくなったのに伴い閉鎖されて、校庭側の門は西側に移されている。
閉鎖された南門付近には、中央の植え込みに昭和40年代に卒業生が設置した卒業制作のムーミン村のキャラクター石膏像があり、今でも見れる。
●北小学校校歌 作詞・佐藤春夫 作曲・大中寅二
●北所沢ニュータウン計画に伴って開校されただけあって、﹁昔ながらの武蔵野に、並ぶ我らのニュータウン。団地の子らは元気よく﹂と歌詞にもそれが現れている。
クラブ・委員会活動[編集]
●クラブ
●委員会
著名な卒業生[編集]
●山﨑福也 - プロ野球選手︵オリックス・バファローズ︶
周辺近隣施設[編集]
●所沢市新所沢まちづくりセンター - 敷地が隣接。
●新所沢公民館
●所沢市立図書館新所沢分館 - 敷地が隣接。
●新所沢郵便局
●上砂公園 - 所沢市道をはさんで、敷地が隣接。
●緑町中央公園
●新所沢コミュニティセンター
●なお、新所沢駅が近い関係で、プラザシティ新所沢けやき通りなどのマンション・アパートも点在する。
アクセス[編集]
●西武鉄道新宿線新所沢駅︵西口︶より、
●徒歩約640m・約10分。
●下述の﹁ところバス﹂に乗車し、﹁緑町中央公園﹂停留所下車後、徒歩。
●所沢市内循環バス﹁ところバス﹂西路線︵新所沢・狭山ヶ丘コース︶で、﹁緑町中央公園﹂停留所下車後、
●新所沢駅西口方面行のりばから、徒歩約160m・約3分。
●狭山ヶ丘駅方面行のりばから、徒歩約240m・約4分︵停留所から正門まで直線距離では140m弱ほどだが、付近に横断歩道が無く、新所沢公民館付近にある歩道橋を経由する必要があるため、若干の遠回りとなる︶。
- ^ 北小の歴史 - 所沢市立北小学校ホームページ内
- ^ 所沢市内の鉄筋コンクリート校舎、第一号であった。
外部リンク[編集]