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2001年の日本プロ野球(2001ねんのにほんぷろやきゅう)では、2001年の日本プロ野球(NPB)における動向をまとめる。
できごと[編集]
●1日
●セントラル・リーグの会長に豊蔵一が就任[1]。パシフィック・リーグの会長に小池唯夫が就任[2]。
●13日
●NPB大阪近鉄バファローズとMLBロサンゼルス・ドジャースと業務提携を締結[2]。
●21日
●ヤクルトスワローズの球団社長に多菊善和が就任[3]。
●30日
●セ・リーグ公式戦開幕[1]。
●31日
●読売ジャイアンツはホーム主催試合︵東京ドームのみ︶の2戦目で背ネームを外し背番号だけのユニフォームをこの日から着用してプレーした。読売ジャイアンツのユニフォームから背ネームが外れるのは1975年以来26年ぶり。このユニフォームは、監督の長嶋茂雄の発案によるもの。
●3日
●大阪近鉄バファローズの杉山賢人と横浜ベイスターズの関口伊織の交換トレードが成立したと大阪近鉄バファローズ、横浜ベイスターズ両球団が発表[4]。
●4日
●ヤクルトスワローズの池山隆寛が対読売ジャイアンツ戦︵明治神宮野球場︶で南真一郎から代打二塁適時打を放ち、日本プロ野球通算1500安打、史上81人目[3]。
●10日
●福岡ダイエーホークスにクリス・ヘイニーが入団[5]。
●20日
●横浜ベイスターズの波留敏夫と中日ドラゴンズの種田仁と山田博士の1対2での交換トレードが成立[6]。
●21日
●中日ドラゴンズは前年まで同球団に在籍のレオ・ゴメスの復帰を発表[6]。
●30日
●千葉ロッテマリーンズのフランク・ボーリックが対大阪近鉄バファローズ戦︵千葉マリンスタジアム︶で日本プロ野球通算75000号本塁打[7]。
●読売ジャイアンツの岡島秀樹が対広島東洋カープ戦︵東京ドーム︶で日本プロ野球史上4度目の月間10セーブ、4月で10セーブ以上は史上初[8]。
●1日
●日本ハムファイターズの井出竜也が対大阪近鉄バファローズ戦︵大阪ドーム︶で髙村祐から初回先頭打者初球本塁打。試合はそのまま1対0で日本ハムファイターズが勝利、先頭打者本塁打による1-0は日本プロ野球史上4度目、初球だったのは同史上初[9]。
●読売ジャイアンツ対中日戦︵東京ドーム︶で中日のショーゴーがプロ初打席初本塁打。試合は17-0で中日が勝利し、読売ジャイアンツは最多得点差試合の球団ワースト記録[6]。
●6日
●ヤクルトスワローズの池山隆寛が対広島東洋カープ戦︵広島市民球場︶で山﨑健から通算300本塁打、史上24人目[3]。
●8日
●中日ドラゴンズの益田大介が金銭トレードで大阪近鉄バファローズに移籍[6]
●11日
●千葉ロッテマリーンズは対大阪近鉄バファローズ戦︵大阪ドーム︶で日本プロ野球タイ記録の1試合4犠飛[7]。
●24日
●中日ドラゴンズの野口茂樹は対阪神タイガース戦︵石川県立野球場︶でセ・リーグタイ記録の16奪三振[6]。
●30日
●千葉ロッテマリーンズの小林雅英が5月25日の対日本ハムファイターズ戦︵東京ドーム︶からこの日の対福岡ダイエーホークス戦︵千葉マリンスタジアム︶まで、パ・リーグ史上初のチーム6試合連続セーブ[10]。
●31日
●ヤクルトスワローズの稲葉篤紀が対読売ジャイアンツ11回戦︵神宮球場︶の9回裏に條辺剛から11号サヨナラ満塁本塁打を打つ。セ・リーグ史上26度目[11]。
●中日ドラゴンズは李鍾範の退団を発表[12]。
●2日
●日本ハムファイターズの中村隼人が対オリックス・ブルーウェーブ14回戦︵グリーンスタジアム神戸︶に先発し、パ・リーグ史上9人目のプロ入り初登板完封勝利を挙げる[13]。
●7日
●大阪近鉄バファローズの球団社長の永井充が大阪ドームにて記者会見し、サンディエゴ・パドレス傘下のAAA級ポートランド・ビーバーズ所属のジェレミー・パウエルとロサンゼルス・ドジャース傘下のAAA級ラスベガス・フィフティワンズ所属のショーン・ギルバートを獲得したと発表[14]。
●13日
●大阪近鉄バファローズの中村紀洋が対福岡ダイエーホークス12回戦︵福岡ドーム︶の7回表に23号本塁打を打ち、通算200本塁打を達成[15]。
●16日
●西武ライオンズの鈴木健が対日本ハムファイターズ12回戦︵福島︶の1回表に左前安打を打ち、通算1000安打を達成[16]。
●17日
●読売ジャイアンツの清原和博がナゴヤドームでの対中日ドラゴンズ15回戦の1回表に三振を喫し、通算1500三振となる[17]。
●18日
●西武ライオンズのアレックス・カブレラが対大阪近鉄バファローズ14回戦︵西武ドーム︶の4回裏に30号本塁打を打ち、1976年の読売ジャイアンツ・王貞治の64試合と並ぶ30号本塁打の最速記録[18]。
●19日
●プロ野球実行委員会が開かれ、来年の開幕戦は3月30日に行い、1994年以来8年ぶりにセ・パ両リーグが同時に開幕することを決定。またコミッショナーの川島廣守の提案で、開幕戦の6試合をセ・リーグが東京ドーム、ナゴヤドーム、広島市民球場、パ・リーグは札幌ドーム、大阪ドーム、福岡ドームの全国6都市で行うことを決定[19]。
●20日
●千葉ロッテマリーンズの小林雅英が対オリックス・ブルーウェーブ13回戦︵グリーンスタジアム神戸︶に登板し今季20セーブ目を挙げパ・リーグ新記録の11試合連続セーブを達成[20]。
●26日
●札幌ドームでの初のプロ野球公式戦の読売ジャイアンツ対中日ドラゴンズ16回戦が行われ、初回先頭打者の中日ドラゴンズの福留孝介がダレル・メイの初球を同球場第1号となる本塁打。試合は6対5で読売ジャイアンツが勝利[21]。
●横浜ベイスターズの斎藤隆が長野での対ヤクルトスワローズ12回戦の九回裏に岩村明憲を三振に打ち取り、プロ通算1000奪三振を達成[22]。
●27日
●ヤクルトスワローズが対横浜ベイスターズ13回戦︵神宮球場︶に3-1で勝利し、球団通算3000勝を達成[23]。高津臣吾が今季16セーブ目を挙げ、プロ通算200セーブポイント[24]。
●28日
●読売ジャイアンツは対中日ドラゴンズ18回戦︵札幌ドーム︶に6-0で勝ち、監督の長嶋茂雄が監督通算1000勝を達成[25]。
●ヤクルトスワローズのロベルト・ペタジーニが対横浜ベイスターズ14回戦︵神宮球場︶の3回裏に20号2点本塁打を打ち、通算100本塁打を達成[26]。
●30日
●ヤクルトスワローズの土橋勝征が対阪神タイガース15回戦︵甲子園球場︶に8番・二塁で先発出場し、通算1000試合出場を達成[27]。
●4日
●千葉ロッテマリーンズの小林雅英が対大阪近鉄バファローズ16回戦︵大阪ドーム︶で敗戦投手となり、連続試合セーブのパ・リーグ記録が12で止まる[28]。
●7日
●広島東洋カープの金本知憲が対阪神タイガース14回戦︵広島市民球場︶の3回裏に10号本塁打を打ち、プロ通算200本塁打を達成[29]。
●8日
●西武ライオンズの松井稼頭央が対オリックス・ブルーウェーブ18回戦︵グリーンスタジアム神戸︶の6回表に中前適時安打を打ち、プロ通算1000安打。818試合目での達成は日本プロ野球史上歴代5位︵当時︶[30][31]。
●横浜ベイスターズの小宮山悟が対読売ジャイアンツ18回戦︵横浜スタジアム︶に先発し8回まで投げ今季5勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[32]。
●読売ジャイアンツの松井秀喜が対横浜ベイスターズ18回戦︵横浜スタジアム︶の9回表に安打を打ち、セ・リーグタイ記録の50試合連続出塁[33]。
●9日
●千葉ロッテマリーンズのフランク・ボーリックが対福岡ダイエーホークス18回戦︵千葉マリンスタジアム︶の10回裏に20号サヨナラ満塁本塁打、パ・リーグ通算28度目[34]。
●10日
●ヤクルトスワローズの古田敦也が対読売ジャイアンツ14回戦︵東京ドーム︶の6回表に9号2点本塁打を打ち、プロ通算150本塁打を達成[35]。
●読売ジャイアンツの松井秀喜が対ヤクルトスワローズ14回戦︵東京ドーム︶の9回裏に左前安打を打ち、セ・リーグ新記録の51試合連続出塁を達成[36]。
●11日
●ヤクルトスワローズの古田敦也が東京ドームでの対読売ジャイアンツ15回戦の一回表に10号本塁打を打ち、通算1500安打を達成[37]。
●12日
●読売ジャイアンツの江藤智が対ヤクルトスワローズ16回戦︵東京ドーム︶の4回裏に20号3点本塁打を打ち、通算300本塁打を達成[38]。
●20日
●フレッシュオールスターゲームはイースタン・リーグが10-4でウエスタン・リーグに勝利、MVPは千葉ロッテマリーンズの里崎智也[39]。
●28日
●オリックス・ブルーウェーブの谷佳知が7月7日からの連続四球試合を11として球団記録を更新[40]。
●1日
●読売ジャイアンツの高橋由伸が対中日ドラゴンズ19回戦︵東京ドーム︶の4回裏一死一塁の場面で20号2点本塁打を打ち、通算100本塁打を達成[41]。
●阪神タイガースの星野伸之が甲子園球場での対ヤクルトスワローズ18回戦の9回表にアレックス・ラミレスから三振を奪い、通算2000奪三振を達成[42]。
●5日
●横浜ベイスターズの野村弘樹が対読売ジャイアンツ21回戦︵横浜スタジアム︶に先発し1失点で完投し今季3勝目を挙げ、通算100勝を達成[43]。
●8日
●中日ドラゴンズの前田幸長が対横浜ベイスターズ20回戦︵札幌ドーム︶の6回裏にジョン・ズーバーから三振を奪い、通算1000奪三振を達成[44]。
●10日
●読売ジャイアンツの桑田真澄が対ヤクルトスワローズ20回戦︵東京ドーム︶に先発し今季2勝目を挙げ、通算150勝を達成[45]。
●11日
●阪神タイガースの桧山進次郎が対中日ドラゴンズ20回戦︵ナゴヤドーム︶の9回表二死一、二塁の場面で左前適時安打を打ち、球団新記録となる27試合連続出塁を達成[46]。
●読売ジャイアンツのドミンゴ・マルティネスが対ヤクルトスワローズ21回戦︵東京ドーム︶の4回裏に6号本塁打を打ち、通算100本塁打を達成[47]。
●12日
●中日ドラゴンズ対阪神タイガース21回戦︵ナゴヤドーム︶で阪神タイガースが1-0で勝利し、球団通算4000勝を記録[48]。
●中日ドラゴンズの野口茂樹が対阪神タイガース21回戦︵ナゴヤドーム︶で先発して8回2死を投げ、通算1000投球回を達成[49]。
●オリックス・ブルーウェーブの大島公一が対福岡ダイエーホークス20回戦︵グリーンスタジアム神戸︶に出場し、通算1000試合出場を達成[50]。
●14日
●日本ハムファイターズの小笠原道大が対大阪近鉄バファローズ19回戦︵東京ドーム︶の1回裏に遊撃内野安打で出塁し、球団新記録となる40試合連続出塁を達成[51]。
●15日
●広島東洋カープの金本知憲が対阪神タイガース20回戦︵大阪ドーム︶に出場し、通算1000試合出場を達成[52]。
●17日
●中日ドラゴンズの山本昌が対ヤクルトスワローズ19回戦︵神宮球場︶の5回裏に宮本慎也から三振を奪い、通算1500奪三振を達成[53]。
●18日
●広島東洋カープの町田公二郎が対読売ジャイアンツ21回戦︵広島市民球場︶の8回裏に8号本塁打を打ち、代打本塁打14本の球団新記録を達成[54]。
●21日
●千葉ロッテマリーンズの初芝清が対福岡ダイエーホークス24回戦︵宮城県営球場︶の4回裏に12号本塁打を打ち、通算200本塁打を達成[55]。
●26日
●中日ドラゴンズの野口茂樹が対読売ジャイアンツ26回戦︵東京ドーム︶に先発して4失点で完投勝利し、プロ野球タイ記録となる4試合連続無四球完投勝利を達成[56]。
●27日
●日本ハムファイターズの小笠原道大が対福岡ダイエーホークス22回戦︵東京ドーム︶の一回裏に二塁打を打ち、プロ野球新記録となる17試合連続得点を達成[57]。
●2日
●広島東洋カープの金本知憲が対読売ジャイアンツ25回戦︵広島市民球場︶の8回裏に中前適時打を打ち、通算1000安打を達成[58]。
●4日
●読売ジャイアンツの入来祐作が対横浜ベイスターズ24回戦︵倉敷スポーツ公園野球場︶の5回裏の第2打席で三振に倒れセ・リーグ新記録となる開幕から54打席連続無安打。次の打席の7回裏の第3打席で右前安打を打ち記録を止めた[59]
●10日
●大阪近鉄バファローズのタフィ・ローズが対福岡ダイエーホークス27回戦︵大阪ドーム︶の7回裏に53号本塁打を打ち、パ・リーグの年間最多本塁打の新記録となる[60]。
●16日
●中日ドラゴンズの紀藤真琴が対読売ジャイアンツ27回戦︵ナゴヤドーム︶で清原和博から三振を奪い、通算1000奪三振を達成[61]。
●23日
●オリックス・ブルーウェーブの谷佳知が対福岡ダイエーホークス27回戦︵福岡ドーム︶の6回表に二塁打を打ち、プロ野球新記録となる1シーズン49二塁打[62]。
●24日
●大阪近鉄バファローズのタフィ・ローズが対西武ライオンズ28回戦︵大阪ドーム︶の5回裏に松坂大輔から55本塁打を打ち、シーズン最多本塁打の日本プロ野球タイ記録[63][64]。
●25日
●中日ドラゴンズの監督の星野仙一が中日ドラゴンズ対ヤクルトスワローズ25回戦︵ナゴヤドーム︶の試合前に記者会見し、今季限りで辞任すると表明[65]。
●26日
●大阪近鉄バファローズ対オリックス・ブルーウェーブ26回戦︵大阪ドーム︶で大阪近鉄バファローズが6-5でサヨナラ勝ちし、12年ぶり4度目のパ・リーグ優勝を決める。北川博敏が2-5とリードされた9回裏無死満塁の場面で代打で登場し史上6人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打[66]。
●28日
●読売ジャイアンツは東京ドームホテルにて記者会見し監督の長嶋茂雄が退任し球団の経営母体の﹁株式会社よみうり﹂常務から専務取締役に昇格し﹁終身名誉監督﹂に、ヘッドコーチの原辰徳が新監督に就任すると発表[67]。
●オリックス・ブルーウェーブは監督の仰木彬が今季限りで辞任すると正式に発表[68]。
●30日
●福岡ダイエーホークスは対大阪近鉄バファローズ戦でタフィ・ローズに対し敬遠策を取る。試合後福岡ダイエーホークスのバッテリーコーチの若菜嘉晴が監督の王貞治のシーズン本塁打記録を守るために敬遠を指示したとコメント[69]。
●オリックス・ブルーウェーブの藤井康雄が対千葉ロッテマリーンズ27回戦︵グリーンスタジアム神戸︶の9回裏二死満塁の場面で代打で登場しプロ野球史上7人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打となる14号を打つ[70]。
●西武ライオンズの監督の東尾修が西武ドームにてオーナーの堤義明と会談し、今季限りで退任することが正式に決定[71]。
●斎藤雅樹・槙原寛己・村田真一の合同引退式。
10月[編集]
●1日
●西武ライオンズの西崎幸広が今季限りでの現役引退を表明[72]。
●2日
●読売ジャイアンツの二軍監督の高田繁が今季限りでの辞任を申し入れ、了承される[73]。
●3日
●横浜ベイスターズの谷繁元信が対広島東洋カープ27回戦︵広島市民球場︶の2回表に17号2点本塁打を打ち、通算100本塁打を達成[74]。
●読売ジャイアンツは二軍打撃外野守備コーチの淡口憲治が二軍監督に就任すると発表[75][76]。
●4日
●日本ハムファイターズの一軍投手コーチの森繁和が退団[77]。
●5日
●西武ライオンズは伊東勤に対し来季の監督就任を要請したが、伊東は現役続行したい意向を伝える[78]。
●6日
●ヤクルトスワローズが対横浜ベイスターズ戦26回戦︵横浜スタジアム︶に4-3で勝利し、4年ぶり6度目のセ・リーグ優勝を達成[79]。
●プロ野球コナミ・ファーム日本選手権が松山坊っちゃんスタジアムで行われ、イースタンリーグ優勝の西武ライオンズがウエスタンリーグ優勝の阪神タイガースに5-0で勝利し、ファーム初の日本一を達成[80]。
●西武ライオンズのミゲール・デルトロがメキシコ・オブレゴン市近郊にて交通事故で死亡[81]。
●7日
●横浜ベイスターズが対ヤクルトスワローズ27回戦︵横浜スタジアム︶に7-2で勝利し、球団通算3000勝を達成[82]。
●9日
●オリックス・ブルーウェーブは神戸市のホテルにて記者会見し、野球評論家の石毛宏典が監督に就任すると正式に発表[83]。
●横浜ベイスターズの谷繁元信が対中日ドラゴンズ27回戦︵横浜スタジアム︶の3回裏に中前安打を打ち、通算1000安打を達成[84]。
●11日
●西武ライオンズは球団事務所にて守備走塁コーチの伊原春樹に対し監督就任を要請し、伊原は承諾[85]。
●広島東洋カープの菊地原毅が対ヤクルトスワローズ27回戦︵神宮球場︶で7回裏から登板し、セ・リーグタイ記録のシーズン77試合[86]。ヤクルトスワローズの宮本慎也が7回裏に犠打を決め、シーズン最多犠打のプロ野球タイ新記録となる66犠打[87]。
●広島東洋カープの町田康嗣郎が対ヤクルトスワローズ27回戦︵神宮球場︶の8回表に代打で9号満塁本塁打を打ち、プロ野球タイ記録となる通算代打本塁打4本[88]。
●12日
●ヤクルトスワローズの宮本慎也が対広島東洋カープ28回戦︵神宮球場︶の4回裏に犠打を決め、シーズン最多犠打のプロ野球新記録となる67犠打[89]。
●広島東洋カープの菊地原毅が対ヤクルトスワローズ28回戦︵神宮球場︶の6回裏から登板し、プロ野球タイ記録のシーズン78試合[90]。
●セ・リーグは全日程を終了[91]。
●17日
●阪神タイガースは吉田剛が今季限りで現役引退すると発表[92]。
●阪神タイガースの塩谷和彦とオリックス・ブルーウェーブの斉藤秀光のトレードが成立したと両球団が発表[93]。
●18日
●千葉ロッテマリーンズの武藤潤一郎と日本ハムファイターズの黒木純司のトレードが成立[94]。
●日本ハムファイターズは前中日ドラゴンズの高代延博が一軍ヘッド兼内野守備コーチに就任すると発表[95]。
●22日
●沢村栄治賞の選考が都内のホテルで行われ、西武ライオンズの松坂大輔を選出[96]。
●25日
●日本シリーズの第5戦が神宮球場で行われ、ヤクルトスワローズが大阪近鉄バファローズに4-2で勝利し、4勝1敗で4年ぶり5度目の日本シリーズ優勝[97]。
●31日
●初の12球団合同トライアウトがナゴヤ球場で行われる。
●正力松太郎賞の選考が東京・帝国ホテルで行われ、ヤクルトスワローズの監督の若松勉を選出[98]。
11月[編集]
●1日
●大阪近鉄バファローズはオリックス・ブルーウェーブから五十嵐章人を金銭トレードで獲得[99]。
●10日
●中日ドラゴンズの今中慎二が名古屋市内で記者会見し、今季限りでの現役引退を正式に発表[100]。
●15日
●プロ野球実行委員会が開かれ、横浜ベイスターズの筆頭株主がマルハからニッポン放送に替わることを承認[101]。
●16日
●読売ジャイアンツのオーナーの渡辺恒雄が、ニッポン放送が横浜ベイスターズの筆頭株主となったことがプロ野球実行委員会で承認された事に対し、一つの球団が他球団の株式を持つことを禁じる野球協約に違反するとの見解を示す。ニッポン放送はフジテレビの筆頭株主でヤクルトスワローズ球団の株を20パーセント保有しており、この資本関係が野球協約183条に違反し、﹁フジがヤクルトの株を売却するしかない﹂と指摘した[102]。
●17日
●プロ野球コミッショナーの川島廣守は、読売ジャイアンツのオーナーの渡辺恒雄がニッポン放送が横浜の筆頭株主となるのは野球協約に違反するとの指摘に対し﹁そのような状況にあるように思える﹂と述べる[103]。
●20日
●ドラフト会議が東京の新高輪プリンスホテルにて行われる[104]。
●28日
●千葉ロッテマリーンズは松本尚樹が現役引退しスカウトに就任すると発表[105]。
●29日
●日本野球機構は臨時のプロ野球実行委員会を開き、11月15日に承認した横浜ベイスターズの筆頭株主がマルハからニッポン放送への移行を白紙に戻すと決定。また、問題を検討するため野球協約で11月30日が期限となっていた﹁参加球団の変更﹂について3月29日までに延期することを決定[106][107]。
●30日
●オリックス・ブルーウェーブのジョージ・アリアスの退団が決定[108]。
12月[編集]
●2日
●セ・リーグは理事会を開き、2002年からリーグ優勝決定方式を勝数優先から勝率優先に戻すことを決定[109]。
●4日
●読売ジャイアンツは前中日ドラゴンズの武田一浩の入団を正式に発表[110]。
●5日
●東京地検特捜部は午後、阪神タイガース監督である野村克也の妻・野村沙知代を法人税法・所得税法両違反容疑で逮捕[111]。
●6日
●阪神タイガースは午前0時半より西宮市の球団事務所にて記者会見し、監督の野村克也が妻・野村沙知代の脱税容疑で逮捕された責任を取り辞任したと正式に発表[112]。
●18日
●阪神タイガースは大阪市内のホテルにて記者会見し、前中日ドラゴンズ監督の星野仙一が新監督に就任したと正式に発表[113]。
●20日
●日本ハムファイターズからFAで退団した片岡篤史が阪神タイガースへの入団を正式に表明[114]。
●24日
●中日ドラゴンズはFAでのメジャーリーグ移籍を表明していた横浜ベイスターズの谷繁元信と電話で入団交渉を行い、入団で合意[115]。
●27日
●ヤクルトスワローズの石井一久が都内の球団事務所にてポスティングによるメジャー・リーグへの移籍を申しいれ、了承される[116]。
●28日
●横浜ベイスターズが金銭トレードで中日ドラゴンズの中村武志を獲得した発表[117]。
競技結果[編集]
日本シリーズ[編集]
2001年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
|
10月20日(土) |
第1戦 |
ヤクルトスワローズ |
7 - 0 |
大阪近鉄バファローズ |
大阪ドーム
|
10月21日(日) |
第2戦 |
ヤクルトスワローズ |
6 - 9 |
大阪近鉄バファローズ
|
10月22日(月) |
移動日
|
10月23日(火) |
第3戦 |
大阪近鉄バファローズ |
2 - 9 |
ヤクルトスワローズ |
明治神宮野球場
|
10月24日(水) |
第4戦 |
大阪近鉄バファローズ |
1 - 2 |
ヤクルトスワローズ
|
10月25日(木) |
第5戦 |
大阪近鉄バファローズ |
2 - 4 |
ヤクルトスワローズ
|
優勝:ヤクルトスワローズ(4年ぶり5回目)
|
個人タイトル(野手)[編集]
個人タイトル(投手)[編集]
ベストナイン[編集]
2001年の野球を参照
2001年の野球を参照
(一)^ abセリーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
(二)^ abパシフィック・リーグ略史︵2001年~︶ Archived 2014年02月16日, at the Wayback Machine.パ・リーグ公式サイト
(三)^ abc“球団のあゆみ2000年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2016年1月9日閲覧。
(四)^ 読売新聞2001年4月4日20面﹁近鉄・杉山と横浜・関口の交換トレード﹂読売新聞縮刷版2001年4月p194
(五)^ ﹃王貞治監督 ホークス14年の軌跡﹄福岡ソフトバンクホークスマーケティング︿SOFTBANK MOOK﹀、2008年、36頁。ISBN 9784797348309。
(六)^ abcde中日ドラゴンズ 編 編﹃中日ドラゴンズ70年史﹄中日新聞社、2006年、192頁。ISBN 4806205141。
(七)^ ab“チームヒストリー 2001”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト. 2016年1月9日閲覧。
(八)^ “︻4月30日︼2001年(平13) 危なかったけど…史上初!岡島秀樹のセーブ記録”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン新聞社 (2009年4月11日). 2016年1月9日閲覧。
(九)^ “︻5月1日︼2001年︵平13︶ 井出竜也 初球先頭打者本塁打で史上初の“スミ1球”勝利”. 日めくりプロ野球. スポーツニッポン (2008年4月22日). 2016年1月9日閲覧。
(十)^ 記録メモ︵個人投手編︶ Archived 2013年12月12日, at the Wayback Machine. パ・リーグ公式サイト
(11)^ 読売新聞2001年6月1日27面﹁﹃自分が決める﹄﹂読売新聞縮刷版2001年6月p27
(12)^ 読売新聞2001年6月1日27面﹁中日・李が退団 他球団入りを希望﹂読売新聞縮刷版2001年6月p27
(13)^ 読売新聞2001年6月3日22面﹁中村隼 初登板で完封 "投壊"ハムに救世主誕生﹂読売新聞縮刷版2001年6月p146
(14)^ 読売新聞2001年6月8日22面﹁近鉄に2新外国人﹂読売新聞縮刷版2001年6月p448
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(99)^ 読売新聞2001年11月1日23面﹁BW・五十嵐を獲得﹂読売新聞縮刷版2001年11月p87
(100)^ 読売新聞2001年11月11日26面﹁今中が引退発表 目うるませ﹃投げる自信なくなった﹄﹂読売新聞縮刷版2001年11月p592
(101)^ 読売新聞2001年11月16日23面﹁ベイスターズ筆頭株主交代 経営強化へ﹃メディア主導﹄﹂読売新聞縮刷版2001年11月p845
(102)^ 読売新聞2001年11月17日23面﹁横浜の株取得は﹃野球協約に違反﹄巨人オーナーが異議﹂読売新聞縮刷版2001年11月p905
(103)^ 読売新聞2001年11月18日20面﹁﹃協約違反﹄問題で報告求める意向 川島コミッショナー﹂読売新聞縮刷版2001年11月p958
(104)^ 読売新聞2001年11月20日夕刊1面﹁寺原はダイエーが交渉権 ドラフト会議 巨人は真田﹂読売新聞縮刷版2001年11月p1045
(105)^ 読売新聞2001年11月28日24面﹁松本が現役引退﹂読売新聞縮刷版2001年11月p1522
(106)^ 読売新聞2001年11月30日21面﹁﹃誤った判断﹄実行委認める ﹃横浜株譲渡﹄白紙 波紋広げた"拙速"議論 横浜常務﹃結論に従う﹄﹂読売新聞縮刷版2001年11月p659
(107)^ 読売新聞2001年11月30日38面﹁横浜ベイスターズ株譲渡 野球機構﹃白紙﹄に戻す 臨時実行委全会一致﹂読売新聞縮刷版2001年11月p1668
(108)^ 読売新聞2001年12月1日23面﹁アリアス退団﹂読売新聞縮刷版2001年12月p23
(109)^ 読売新聞2001年12月4日19面﹁順位は﹃勝率優先﹄セ理事会正式決定﹂読売新聞縮刷版2001年12月p189
(110)^ 読売新聞2001年12月5日19面﹁武田﹃最後のひと踏ん張り﹄巨人と契約 目標は日本一﹂読売新聞縮刷版2001年12月p251
(111)^ 読売新聞2001年12月6日1面﹁野村沙知代社長逮捕 脱税事件 阪神・野村監督が辞任﹂読売新聞縮刷版2001年12月p283
(112)^ 読売新聞2001年12月6日25面﹁野村監督 事実上の解任 脱税容疑で夫人逮捕 釈明3分 無残な引き際﹂読売新聞縮刷版2001年12月p307
(113)^ 読売新聞2001年12月19日21面﹁星野阪神 始動 入団発表 やるべきことができない選手には鬼になる﹂読売新聞縮刷版2001年12月p1025
(114)^ 読売新聞2001年12月21日22面﹁夢新たに 阪神入り決断 日本ハムからFA宣言 古巣に感謝と申し訳なさ﹂読売新聞縮刷版2001年12月p1142
(115)^ 読売新聞2001年12月25日18面﹁谷繁、中日入り メジャーは断念﹂読売新聞縮刷版2001年12月p1314
(116)^ 読売新聞2001年12月27日夕刊3面﹁石井一、メジャー挑戦 ﹃プロ初めての大きな夢﹄イチロー同様入札制度で﹂読売新聞縮刷版2001年12月p1427
(117)^ 読売新聞2001年12月28日夕刊3面﹁中日・中村 横浜へ移籍 金銭トレード﹂読売新聞縮刷版2001年12月p1471
外部リンク[編集]
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